*本稿は「沖縄の怒りと共に」VOL125 2024年10月20日に寄稿したものです。当ブログに転載させて頂きます。(山本英夫)
Ⅰ初めに
①全回(前々号)からの経過
本誌前々号で私は「『代執行判決』―歴史を振り返り、『負担軽減』論の欺瞞を考える(上)」を書いた。あれから時間が空いてしまった。代執行判決ということでやや焦ったのだろう。タイトルと論旨に齟齬が生じていた。申し訳ない。ただ結論部分の論旨を読み直してみると、明解だった。そこを再確認しながら、前に進みたい。よってタイトルを全面的に改め、上記の通り改訂する。
②前回の論旨の再確認と私の問題意識
この国は、沖縄の「負担軽減」「危険除去」「辺野古が唯一」などと言ってきた。ところが、1990年の米ソ冷戦構造崩壊後、米国は「世界唯一の覇権国」願望から1996年4月17日「安保再定義」-「安全保障共同宣言」を米日政府は交わした。そして「SACO合意」(沖縄特別合同委員会合意)は96年12月に交わされたが、これは隠れ箕だった。「負担軽減」は建前(大嘘)で、軍事力強化―同盟関係の強化と日本国の軍事力強化を促すものだった。
この国は「負担軽減」と称し、基地の一部返還(一部の基地の返還・基地面積の縮小)などを合意したが、有事が起きたとき(戦争状態)を見越したリップサービスだったのだ。要するに「平時」の状況を改善することで有事を受け入れよというサインだったのだ。本末転倒も甚だしい。
しかし私も恥ずかしながら、これまで特段、留意してこなかった。そして「米軍再編」や「グアム移転」を日米政府が合意し、時の経過と伴に(2010年以降)「琉球諸島防衛」がどんどん表面化してきた。この国の沖縄島への「負担軽減策」が、実は琉球諸島の戦場への道を誘引していたのだ。にもかかわらず、沖縄の人々は他のシマジマに無関心のままだった。漸くこの1,2年で変わってきたものの、「オール沖縄会議」は、ここに至っても、「2点の合意」(オスプレイ配備反対と辺野古新基地建設反対)のままだ。この間の米日政府の動向をやり過ごそうとしているのではないか。選挙運動の言葉として、「南西諸島防衛」反対の声を上げるだけでは、本気度は見えてこない。何故変わろうとしないのだろうか?
③8月の写真展を終えて
私は去る8月22日~25日、三重県津市で写真展「基地の島 琉球諸島・沖縄島のリアルとこの国の深層」(主催:「フォトジャーナリズム展三重)を開催できた。私にとって11年ぶり(2013年4月)の写真展であり、これほど大規模な写真展(写真点数:170点)を開催できたのは、初めてのことだった。詳細は省くが、このタイトルを決めるのに主催者とひと悶着あった。先方から提示されたタイトル案を私は固辞し、私がこう決めた。私はウチナンチュではないし、私の拘りは琉球諸島と沖縄島を並べ、琉球諸島を前に出したかった。自衛隊基地の新設が沖縄島を含むシマジマに如何なる問題を投げかけているかを強調したかったのだ。
もっともコロナ禍と金欠病の中で、私もシマジマに行けなかった時間があり、圧倒的に沖縄島での写真が多くなってしまった。タイトル通り実現できなかったのは事実だ。ただ私の普段の現場が沖縄島にあることは否めず、私が暮らしている場と切り離すのも、無理があると反省した。写真展の評判は、私が予想していた以上に良かったようだ。その意味で一安心したのだった。
私の思いと、実際の展示の落差の中に、今後の課題が幾つも残った。本稿との関係で言えば、琉球諸島と沖縄島の関係の整理が未整理なのだ。特に辺野古・大浦湾の新基地建設問題と与那国島・石垣島・宮古島などの対艦ミサイル部隊などの配備の関係を整理できずにいる。米軍中心の沖縄島と、自衛隊基地が新設された島々の関係。やっかいなのは、「平時」から「有事」に至る過程に於いて、大きな変化が起きる可能性が高いことだ。米軍主導下で日本軍が全面に立つことになるだろう。先制攻撃の命令が自衛隊にくだされ、国際法違反の汚名を被され、日本の若者が殺人鬼に仕立てられていくだろう。何よりも戦場として蹂躙されていく島々ばかりか、日本中が戦渦の只中に組み込まれていくだろう。
④琉球諸島・沖縄島―日本国が置かれている現実を見据えて考えたい
今、ロシアVSウクライナ戦争、イスラエルVSアラブ戦争(イスラエルのガザでのジェノサイドから、レバノン侵攻、イスラエルへのイランのミサイル攻撃など戦争状態がエスカレートしてきた)など、世界中で戦火が絶えない。軍事的な挑発は、日本近辺でも繰り返されてきた。そして米日政府は、朝鮮民主主義人民共和国、中国、ロシアが同盟を組んでいると考え、アジア版NATOまで準備している始末だ。
私たちは国際連帯の取り組みをするためにも、リアルに考えることから始めたい。我が身・心・頭を問い直さずに、反戦・国際連帯は及ばないのでないか。具体的に考えるべき事を整理して、次号に繋げたい。
Ⅱ 私たちが問い直すべきこと
こうした状況の中で私が考えるべきと思っていることは概ね以下の通りだ。
①「基地の島 沖縄」の歴史と構造(「属国日本」を問い直す)、②戦争が埋め込まれた市民生活でいいのか?(保守市町村は何故再生産されているのか?) 私たちが直視すべきことは何か? ③安保3文書に至る「防衛計画大綱」などの変容(理念と実態)、④「南西諸島」という観念を問い直す(東京から見た「南西諸島」であり、台湾・朝鮮・中国などへの侵略のための観念として作られた言葉を検証する)。
私が沖縄を知り、東京から通い出したのが1989年5月からだった。そして2013年に名護市に居を移し、11年が経つ(2013年10月)。どこかに旅して那覇空港に戻ってくれば、帰ってきた感を抱き、名護湾を見れば、ほっとする。地元で観光客に会えば、色々教えてもあげる。沖縄島が暮らしの場だとの思いを深めながら、沖縄から、各地から反戦を考えたい。否、反戦ばかりか、非戦・不戦を合せて考えたい。
「帝国主義間戦争(侵略戦争・反革命戦争)を内乱へ」と言った革命主義を克服し、人間が生きることを正面に据えた考え方に抜本的に改めたい。権力(的なもの)は、戦争を通じて権力を拡大しようとしてきた。しかし生身の人間も権力に追従するばかりなのだろうか? そうした絶望を超える希望を語り合いたい。(2024年10月3日)