ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き、琉球諸島を巡る基地・戦争への道を問いかけ、自然を語る。●無断転載、お断り。
 

【拡散願います】私は今、あれこれ考える…(20250131)

2025年01月31日 | 沖縄暮らし

2025年1月31日(金)晴れ

 1月29日大浦湾に行った。二見入り口から瀬嵩(せだけ)まで2時間。帰路はほぼ同じ道、上り坂を1時間で戻った。まだバリバリの力はある。ただし、シャワーを浴び、足の甲をもみほぐした。消炎剤も太ももまで塗った。おかげで睡眠中につることはなかった。

 沖縄・日本国内における軍事化の勢いは益々増しており、1996年のSACO合意で謳われた「沖縄の負担軽減」は、雲散霧消している。否、まやかしだったと私は気がついた。さらに今、自衛隊が名護市内で、「災害派遣」と宣伝しながら、部隊進出する訓練まで行った。彼等の“Self Defence Force“のFは軍隊の意味だ。現に彼らは、戦闘性を一段と強化し、米日共同演習や、多国間共同演習に余念がない。対中戦争最前線に立つつもりのようだ。

 沖縄において注目すべきことは、単に米軍にあるのではない。米日共同軍・多国間共同軍の実態にある。大浦湾が根底から破壊され始めた今、私はこの25年を、私が沖縄を意識し始めた35年を振り返りながら思う。沖縄はこのままどこに行こうとしているのか? 沖縄戦の中でなめさせられた苦渋・憤り・悔恨は、どこにいってしまったのだろうか。それは沖縄島限定のものではないはずだ。

 人も生物であり、生きるために生まれてきた。誰かの贅沢のために、保身のために、殺されるものではないはずだ。しかし私たち人間は忘れぽい。他人の痛みを痛覚できない。「核拡大抑止」まで唱え、原発廃棄から、再び原発頼みに戻っている自公政権。「忘れたい過去」と、「忘れられない現在」の区別すらつかない権力を私は容認しない。彼等のエゴを認めない。

 何が真実なのだろうか? 私たちは、戦争―平和―戦争という循環を断ち切れないのだろうか。ごく一部の輩の大儲けが軍事利権に据えられている今、私は、破滅への道を舗装している政権を、あらゆる国々の権力の暴走を直視していきたい。

 余りにも難儀だが、まっすぐに見通したい。私は新たな方法を探りたい。このままでは、私もあなたも潰されていくだろう。

 私はフォトグラファーであり、微力ながら平和のための軍事ウォッチャーでもある。さらに自然VS基地建設・軍事力強化を見定めたい。人間も自然生態系なしに生きれないと知る努力を深めたい。多くの開発=独善だと知るべきだ。軍事力による「正義」も独善だと知るべきだ。

 平和は、武力で作れないと30年余り唱えてきたが、効果はなかった。もう一度、私は原点に立ち返り、ナチュラリスト(自然と共に生きる人)として歩み直したい。そして性差別を許容しない。性の多様性を認め合いたい。「男尊女卑」の発想こそ普遍的な支配の心理だ。そしてナショナリズムに抱きしめられない、国家幻想を抱かない生き方を探りたい。権力の奢りと暴虐を止めるためには、これしかないだろう。着実に歩みたい。

 「孤立を恐れず、連帯を求めて」という、発想も超えたい。個=孤を見つめるためには、自然や他者との関係の中で見直すしかない。個=孤を閉じずに、新たな道を探り当てたい。可能な限り自然体でやっていく。力まずに…。大変だ。

 



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