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2019年10月15日 晴れ 私は宮古空港から野原、千代田に向かった。徒歩1時間の距離だ。
野原の宮古上布の会館を抜け、トロピカルフルーツの脇を抜けるとここにでた。後ろからのご対面となった。12:40頃。
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第3歩兵連隊の死者たちを祀る碑だ。
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由来も書かれている。1874年東京で新編された陸軍部隊。日清(1894-95)・日露戦争(1904-05)から、「満州」へ、沖縄へと流れ流れてきたものだ。具体的にどこでどのような戦争をやってきたのか、最期の地である宮古島島民に如何なる振る舞いをしたのか、調べてみないとわからない。
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ここで碑文の冒頭に着目。「明治7年12月19日軍機拝受」とあるではないか。歩兵第3連隊の象徴である軍旗だ。近頃話題になっている「旭日旗」だ。天皇から戴いたのだ。天皇の軍隊がこうしてできあがる。
ところで山田朗の「軍備拡張の近代史」(吉川弘文館)の冒頭にこうある。
「明治維新政府は、1870年(中略)天皇の軍隊を建設することを決定した。(1872年近衛兵を創設し、1873年徴兵制を施行した。)翌1874年には、陸軍力の基幹となる歩兵連隊9個が始めて編成され、各連隊には〈天皇の軍隊〉の象徴として〈軍旗〉(連隊旗)が天皇によって、親授された」と。正にぴったりの解説があったのだ。
そして碑文を読もう。
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「終戦となり8月31日軍旗奉焼」したと。兵隊の命よりも、部隊の威信よりも大切にしてきた天皇から戴いた軍旗を焼いたのだ。そのうえで、「戦友の霊を慰めその栄誉を顕彰し恒久平和を(後略)」誓うとある。
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悲しすぎるな。天皇の軍隊として死んだ兵隊、天皇の軍隊として殺してきたアジアの人々への反省もなくこの碑ができているのだ。宮古島の島民への反省もない。
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草が繁茂する今。ここに野原駐屯地(空自 第53警戒隊)に加えて千代田駐屯地(陸自 宮古島警備隊)ができたのだ。
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野原駐屯地前に野原集落の文化を示す掲示板がある。
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野原公民館の敷地に立っている。軍隊の存在は地域の文化をも脅かしていくだろう。