2023年1月3日夜、柳川着・泊り。私の予定では少々柳川を歩いて、ゆっくりと出水に向かうつもりだったが、気持ちがめげた。朝から移動。西鉄柳川から大牟田へ。かっての炭鉱の街。大牟田からJR九州鹿児島本線へ乗り換え、八代駅へ。乗り換え時間がたっぷりとあるではないか。
正直今回の旅は、1月1日から博多ー長崎、2,3日長崎市内の二人旅。3日午後からの佐賀駅ー柳川、5日の出水の野鳥観察の一人旅だが、私が無理矢理くっつけた。これが最後の出水(いずみ)行きであり、ツル・野鳥観察の旅だと。私の記録を辿れば、出水に行ったのは1990年1月であり、今回は33年ぶりのことで、まだ30代だったのだ。
てなわけで、後半の一人旅にについては、単に移動ルートの時間を確認し、行き着ける否かと宿の予約しかしていない。一度行ったのだからわかるだろう。私としては無茶苦茶いい加減な旅企画となっていた。90年と言えば、国鉄の分割民営化が強行されて数年しか経っておらず、まだ肥薩おれんじ鉄道はできていなかった。
33年前のことだからすっかり忘れていた。どこをどうやっていったのかとか、どう歩いたのかなども。何しろ出水近辺の地形図もないのだった。どうしようもない適当ぶり。
1月4日、10時40分頃八代駅下車。
①左側にJR九州の八代駅。工場はなんだろう。10:55
②中央。手前にくまモン。私だって、知っておる。10:57
右側が肥薩おれんじ鉄道八代駅。完全に分断されている。
③肥薩おれんじ鉄道の会社と右側が構内へ。10:58
改札の外側を歩いて見たが、路線図が出ていない。おいおい。どこをどう通る鉄道なのだ。不安になってきた。駅員さん(女性)がいて、お願いしたら、パンフレット(「九州西海岸を旅する列車ー肥薩おれんじ鉄道」をくれた。旧JR九州鹿児島本線の新八代ー川内(せんだい)間の116.9km。ここがそっくり分社化されたのだ。「ノスタルジック」はいいけれど、九州新幹線ができたので、在来線を切り捨てると。これが国鉄分割民営化の労働運動潰しと並ぶ本質だった。鉄道の公共性を切り捨て、地元負担へ。採算のめどが立たなければ、廃線へ。新幹線は人々を階層分化を推し進めていく。さらなる儲かる道へ、他方で潰れていく道へ。ノスタルジックは、これぞ自虐的ではないのか。
肥薩おれんじ鉄道は2004年3月開業。熊本県、八代市、水俣市、芦北町、津奈木町、鹿児島県、阿久根市、出水市、薩摩川内市、日本貨物鉄道が株主となる第3セクター。駅は28駅。有人駅は10駅、無人駅18駅。野田郷は有人駅と分類されているが、私が降りたときはいなかった。
このパンフのお陰で、私は出水駅の3つ先、野田郷まで行くことにした。野田郷からの方が近そうだ。ただし距離がでていない。車で何分では無意味なのだ。
④待合室の正月飾り。11:07
鏡餅と獅子の置物がなくなったと。誰だか知らないが、罰当たりが居るものだ。
⑤待合室の外の花壇に。春ですね。11:36
⑥ホーム。左側が肥薩おれんじ鉄道。行き止まり。右側がJR九州。ここで折り返し。11:39
⑦11:40 八代駅と付近の工場群。
⑧JRは奥。11:47
私が切符を大牟田から買ったとき、八代駅までしか買えず。別扱いが露骨だった。
⑨おれんじ鉄道がやってきた。前の彼が撮り鉄している。11:51
⑩1両列車。気動車だ。運転手さんが歩いて、前後を乗り換え運転席へ。11:52
11:57発。私も乗った。途中、水俣を通った。水俣病の水俣だ。昔、水俣病を告発する会にも少々関わっていたが、今はどうなっているのだろう。出水駅着13:16 乗り換え。13:18で、野田郷13:30着。
⑪野田郷駅。13:39
さてと、ここからどうするか? 食べ物屋はあるまい。
しかしあった。コーヒーと書いてあった。「食べ物ある?」 「まだないよ」。「そこをなんとか」。仕方がないとばかりに作っていただいた。明日開店で仕込み中だと。
⑫ハムと卵。焼きサンド。コーヒーと合わせて800円。13:52
感謝感激!!! ごちそうさま。
「沖縄からツルを見に来た」と言った。ここから歩くと。10数キロあると脅された。タクシーを呼んであげると。タクシーで10数分後に着いた。
1760円。多分5、6キロ(多分)。
運転手さんが優しく丁寧に運転してくれた。カメラの入っているザックを車のトランクに収納したので、気を遣ってくれた。皆様の善意に支えられた旅になった。自分のドジを他人の善意でカバーは全く褒められないが、感謝するしかない。