今日は、バンバンブログに投稿しております。
先ほど、この寄贈プログラムのご案内を作成しながら、ふと最近思っていることを余談・コラムとして認(したた)めます。
東京都世田谷区にある認定NPO法人イーパーツが提供されている寄贈プログラムの目的は、非営利団体の情報化支援です。
ここで昨今思っていることをまとめます。
この寄贈プログラムをざっと拝見すると、対象外の団体としてたくさんの例示がありました。
町会・自治会は共益を生み出す団体である点(場合によっては公益を生み出すこともあるかもしれません)と、
誰でもが参画できる訳ではない点で公益性とは言えないのかもしれませんね。公益性がないといけないのでしょうね。
先日、「つどい委託運営団体」のNPO法人として理事会を開いた際に、市民活動団体の目的について話題になりました。
市民活動団体は、人間関係の形成・構築が目的だと発言がありました。
ここは本当に注意をしないといけないと思います。
市民活動にとってもひとつの公益かもしれません。公益を生み出すには、人間関係の形成・構築は非常に重要な要素です。
中間支援の役割を持つものとしては大切な要素でしょう。
しかし、それは目的ではありません。もしくはそれだけが目的ではありません。
「元を忘れず、末を乱さず」です。
また、私から上記の発言は目的ではないと申し上げました。
市民活動は公益を生み出すことが目的であると言いました。
すると、「公益なんて生み出すことは無理や。」という発言が次に飛び出しました。
もう、公益を生み出すことをあきらめていました。あきらめたら、終わりです。
また、出来る、出来ないではなく、目的意識を持っているか、持っていないかです。
身近な方が、公益性という目的意識が薄らぎ、持っていないことに愕然としました。
しかも、人間関係の形成・構築が目的だと誤っている(もしくは的が絞られた目的)ことに気付いていないことに愕然としました。
目的を共有することが経営者の役割、目的意識を持つこと。
市民活動団体も校区まちづくり協議会も、本当に公益性を思って、社会的課題解決のためだと本当に思って取り組んでいるかが試されますし、とても大切だと改めて思います。
また、公益は社会的課題の解決と言う言葉でも置き換えることが出来ます。
頭でわかっても、心からは思っていなかったのでしょう。
だから身近な関係者が公益性と言い切れなかったのでしょう。
21年市民活動をさせていただきましたが、一体なんやったんやと、がっかりしました。
自分自身を律すること、人格を高めて行くしかないと思いました。
私はいつも孤独とのたたかいです。自分とのたたかいです。
いつも自分自身には連戦連敗ですが、この意識だけは自分に克とうと思います。
また、この目的意識の違いや誤りは、自己実現者が陥るケースだと思います。
市民活動は自己実現の場かもしれませんが、それだけではありません。
公益を生み出すのが市民活動団体の目的です。
八尾の市民活動を後世に残すため、中間支援を行う人財と事業を残すことが私の役割です。
八尾の市民活動を後世に残すため、中間支援を行う人財と事業を残すことが私の役割です。
つどいの事業を継承する方は、おひとりあらわれています。
しかし、思想や理念といった見えない抽象性を引き継ぐ「事業承継」をする人間は、まだあらわれていないのかもしれません。
途絶えないために引き続き、努めます。
このような使命感が日本男児としてどこか奮い立たされると信じています。