こんにちは。
つどい業務責任者の新福(しんぷく)です。
「つどい」では郷土資料として八尾の市民活動団体の
情報紙や記念誌を八尾市立図書館へ寄贈しております。
先日、ひょんなことから、当時、編集担当をしていた情報紙「い~わ 河内の風 第20号」が出てきました。
その最終面を見て、伝え残して行く責務があることを思い出しました。
※ 当時の私は、原因不明の体調不良が3年近く続いていました
(時が経ち頸椎から来る自律神経の不調が原因でした)。
そのため、このことを伝えることを漏らしていました。
それが不思議なことに、上皇陛下のお誕生日である12月23日でした。
後になって、気が付きました。
それがどうしたの?って方は、続きをご覧くださいね(*^_^*)
ちなみに、卒寿(90歳)を迎えられたのは、歴代天皇で初めてとのことです。
誠におめでとうございます👏👏
今日は、昭和の出来事をご紹介します。
私もお腹の中に居てた時期であり、赤ちゃんの頃ですので、当時の事は知りません。
「環境アニメイティッドやお」事務局に携わらせていただき知ったことです。
八尾において記録や歴史として残しておきたいことですので、ここにも認(したた)めます。
=ニッポンバラタナゴ里帰り物語=
●1980(昭和55)年11月
現在の天皇陛下※が、皇太子の時代、東京で開催された博物館法制定30周年記念式典で発言。
「バラタナゴが絶滅の危機にあり、保護のためには、研究機関や地域に住んでいる人々の協力が必要であり、博物館がその保存の役割を担うことがふさわしい。」
※現在の上皇陛下(第125代天皇)
●1983(昭和58)年6月
これを受け、大阪教育大学・長田芳和助教授、清風高校・紀平肇教論、同高校加納義彦教論(いずれも当時)らが八尾市内のため池のバラタナゴ約400匹を贈呈し、東宮御所のある赤坂御用池の池に放流。
●1986(昭和61)年10月
東宮御所で、現天皇(当時皇太子)※も参加し「ニッポンバラタナゴ研究会」が発足。この研究会がバラタナゴ繁殖の第2号候補地として八尾市を挙げ(第1号候補地はさいたま水族館)、赤坂御用池の50匹が八尾市に「里帰り」
※現在の上皇陛下(第125代天皇)
●1987(昭和62)年以降
里帰りしたニッポンバラタナゴを八尾市水道局管内の貯水池(大竹地区)で飼育、繁殖が確認。八尾市以外では、大阪府淡水魚試験場(寝屋川市)、万博公園自然文化園(吹田市)でも飼育、繁殖。
その後、「ニッポンバラタナゴ八尾研究会」「ニッポンバラタナゴ高安研究会」が設立され、現在に至る。
(以上、八尾市広報課のメモより)
出典:情報紙「い~わ 河内の風 第20号」【2007(平成19)年2月発行】
インターネット「広報紙(河内の風)」
=平成から現在までのニッポンバラタナゴの保護活動=
現在は「NPO法人ニッポンバラタナゴ高安研究会」が承継・継承されておられます。
また43年前にご発言された「博物館がその保存の役割を担うことがふさわしい。」は、現在は「きんたい廃校博物館」がその役割を担っていると思われます。
インターネット「NPO法人ニッポンバラタナゴ高安研究会」
インターネット「きんたい廃校博物館」
「八尾市広報課のメモ」は、コロナ禍前に衛生処理場に訪れた際に倉庫の一室に「環境アニメイティッドやお」の書類が保管されておりました。
その黄色のフォルダに確か1枚もので綴じています。
また、倉庫の保管物として印象にあるのは、第1回目として開催した「いきいき八尾環境フェスティバル2005」で「環境写真展」を開催し、多くの市民から寄せらせた写真300点も眠っています。
高安山の風景・自然環境・植物などの写真が満載だった記憶があり、現在となっては貴重な資料になっております。
今は亡き大阪経済法科大学 花岡キャンパス1号館1階で「環境写真展」として展示されました。
もう知っておられる方でさえも居なくなっています。
承継・継承として、少しは責務を果たせたらと思います。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
どうぞ、よいお年をお迎えくださいませ。
今年も一年、お付き合いいただきありがとうございました(*^_^*)