元単身赴任ミドルのブログ foggy

40代の単身赴任中間管理職の頃に始め、60歳を過ぎた今は思いつくままに書いています。大分県日田市出身、福岡市在住

古葉監督は、紳士でした

2021年11月21日 | 昔懐かし

先日、元広島カープ監督の古葉竹識さんが亡くなりました。「紳士」のイメージです。

 

 

■1981年

1981年の1月。

当時、国鉄に勤務していたワタクシは、大分県湯布院で研修を受講していました。

(国鉄は1年弱で退職しましたが・・・)

 

偶然ですが、同じ時期、同じ宿舎に、プロ野球・広島カープの選手たちも自主トレで宿泊していました。

宿泊していたのは私たち国鉄職員と広島カープだけ。

 

同じ宿舎でしたが、食事は雲泥の差。

カープの選手は、すっぽんや和牛。

私たちは、ハンバーグや野菜炒め。

この差は、歴然でした〜(^-^)

 

当時の広島カープは、「赤ヘル軍団」として頂点を極めていたころです。

バッターでは、山本浩二、衣笠、高橋慶彦。

ピッチャーは、北別府、大野、池谷、山根、そして鳴り物入りで東映フライヤーズから移籍してきた高橋直樹。

まさにスター軍団でしたね。

 

■色紙のサイン

夜、時にはカープの選手と卓球をしたり、サインをもらったのを覚えています。

大野投手を除いて、どのスター選手も親分肌タイプばかり。

その中で一人、紳士然としていたのが古葉監督でした。

野武士軍団の中に、物静かな大学教授然とした人が一人。 そんな印象でした。

 

色紙にサインをする際は、立ったままサラッと書くのではなく、色紙をテーブルに置き、1枚1枚丁寧に書いていました。

「これからもカープの応援をよろしくお願いします」

と一人ひとりに話しかけていましたよ。

紳士・古葉監督の印象が、強烈に残っています。

 

古葉監督が亡くなった。

ふと40年前のことを思い出しました。


コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小柄な選手が活躍する女子プ... | トップ | バスの車窓から見える気にな... »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (小肥り)
2021-11-21 13:25:53
あの頃の赤ヘル軍団は強かった。鉄人衣笠が好きだったな。
古葉監督はダッグアウトの壁の角で腕組みをして試合を見てたな。
すっぽんと和牛ですか。なかなかやりおりますね。
返信する
Unknown (イヴォンヌ)
2021-11-21 16:38:30
覚えています!
古葉監督がなくなられたんですね~
広島カープってすごく熱狂的なファンの方が多くてそして衣笠選手・山本浩志選手とか覚えてます!(^^)!
返信する
Unknown (にっしー)
2021-11-21 17:23:41
こんばんは。

とてもとても素敵な思い出ですねw これかたもたいせつにしてくださいね!

ぼくは年代的に大洋の監督をされていた印象が強いです。さらにその後大学野球の監督もされたんですよね!
返信する
Unknown (みかん農家)
2021-11-21 23:08:03
紳士的な見た目や話し方も映像からも
伝わってきました。
返信する
Unknown (家づくりコラム森田)
2021-11-22 22:42:21
古葉さん凄い監督さんでした。
広島やめた後大洋で監督されましたが、期待していた通りには行かなかったですね。

あのー81年当時は東映ではなく日ハムですね
東映→日拓→日ハム 余計なお世話でした
返信する
Unknown (溶射屋)
2021-11-23 07:08:51
元単身赴任のYHさん

こんにちは!

赤ヘル軍団全盛期に一緒の合宿所だったこと凄い巡り合わせだったんですね。

>まさにスター軍団でしたね

凄いメンバーじゃぁないですか!!

古場さんはその紳士的な性格が顔付きに出ていましたね。
返信する

コメントを投稿