元単身赴任ミドルのブログ foggy

40代の単身赴任中間管理職の頃に始め、60歳を過ぎた今は思いつくままに書いています。大分県日田市出身、福岡市在住

戦国時代に不治の病に侵されながら活躍した大名がいた! 【富樫倫太郎著 白頭の 人】

2019年12月18日 | お勧め本

戦国時代に名をはせた大名たち。その中に、当時は不治の病と言われたハンセン病を患った大名がいました。
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  白頭の人-大谷刑部吉継の生涯 (中公文庫)
富樫 倫太郎
中央公論新社
白頭の人-大谷刑部吉継の生涯 (中公文庫)
富樫 倫太郎
中央公論新社

 

■白頭の人

平馬(大谷吉継)は、頭脳明晰な佐吉(後の石田三成)とは大の親友。

二人は秀吉にかわいがられ、手柄もたてはじめる。


順調に出世の道を進む平馬だったが、次第に顔にはしこりができ頭は白髪になり、やがて指先や鼻の肉がこけ落ちだす。 自分でも恐ろしく思う顔になった平馬は、白頭巾をかぶり自ら「白頭」と名乗った。

数々の功績を上げ出世する平馬だが、病状はますます悪化するばかり。


秀吉主催の茶会での出来こと。 茶碗を回し飲みするルールだが、大名たちは平馬が口を付けた椀を受け取りたがらない。

それを見た秀吉は、椀を受け取り一気に飲み干す。


秀吉や上杉に愛され、家康を尊敬した平馬。 しかし最後は、親友佐吉(石田三成)のために西軍を率いることになる。

負け戦と分かっていながら・・・。


■ハンセン病

この小説では、茶会で平馬(大谷吉継)の椀を飲み干したのは秀吉になっていますが、別の説では佐吉(石田三成)と言われています。

だから平馬は、関ケ原で石田三成側についたと。


ハンセン病といえば、松本清張原作、野村芳太郎監督の映画「砂の器」が頭に浮かびます。

当時高校生のワタクシは、こんなつらい病があることを初めて知りました。


そして今年、ハンセン病家族補償法が成立しましたね。

ようやく。

患者、元患者そして家族のみなさんのご苦労は大変なものだったと思います。

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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (chiro)
2019-12-18 17:49:28
こんにちは。
大谷吉継は、確か大河ドラマに出たこともあったんじゃないでしょうか。
顔を覆う頭巾をしていました。
ハンセン病だったんですね。
知りませんでした。
返信する
Unknown (イヴォンヌ)
2019-12-18 18:05:20
そうか~平馬はハンセン病だったんですね。
昔はいろいろな病があって悩んでいた方ってたくさんいましたよね。
最近風貌であまり驚くような人を見かけなくなりました。なおる病も増えてるのでしょうね。
返信する
Unknown (にっしー)
2019-12-18 20:43:53
こんばんは。

白頭・・・。

むむ??

小倉駅前の白頭山がすぐに脳内に浮かびました!! これも何か関連があるんでしょうかね??
返信する
Unknown (みかん農家)
2019-12-18 23:06:04
そういうことだったのですね。
ドラマでもそのことには触れていなかったので
今まで知りませんでした。
応援ぽち2.
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Unknown (小肥り)
2019-12-18 23:28:18
「ベンハー」もそうでしたね。
返信する

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