元単身赴任ミドルのブログ foggy

40代の単身赴任中間管理職の頃に始め、60歳を過ぎた今は思いつくままに書いています。大分県日田市出身、福岡市在住

今晩のTVは、河井継之助でしょう

2005年12月27日 | 中年のオフ
今晩9時、日本テレビ系列で河井継之助の長時間ドラマが放映されます。リアルタイムの視聴は難しいのでビデオ予約しておきました。


■河井継之助(つぎのすけ)

幕末、長岡藩の家老です。
継之助を知ったのは、20数年前、司馬遼太郎の小説「峠」でした。
その後、継之助に関する本を5~6冊読みましたが、「峠」がベストですね。

1868年に始まった、戊辰戦争。
薩長は官軍になり、北上して行きます。
継之助は、薩長につくか、戦うかのジャッジが迫られています。
「今、長岡藩が薩長につけば、長岡藩は安泰。しかし、徳川幕府に背を向けることはできない」。

結局、そもそも開明派であった継之助は、「永世中立国」を目指し、国内には流通していなかったガトリング砲(大型の機関銃)を購入し、国を固めます。
万一、形勢が不利になった場合、藩主を朝鮮半島に逃亡させる計画も練ります。

いよいよ薩長との戦闘が始まります。
当初は、最新の武器と周到な戦術で戦闘は有利に進みますが、薩長の圧倒的な物量に最後は屈してしまいます。
継之助に対する評価が分かれるのは、結果的に戦で長岡の町を火の海にしてしまったことです。

YHは、時代に流されず、義理をとおし、最大限の準備を図った継之助が好きですね。
「峠」で印象に残っているシーン。
藩と地元の任侠間にトラブルが発生し、継之助が単機乗り込み、見事解決します。
任侠の親分が、
「武家にしておくのは惜しいな。任侠だったら、大親分になれたのに」。

5年前、新潟出張の際、墓に行きました。ごく普通の墓でした。
さ、今晩の勘九郎・継之助は如何に。


《以下、アマゾンにある「峠」の紹介文》

開明論者であり、封建制度の崩壊を見通しながら、継之助が長岡藩をひきいて官軍と戦ったという矛盾した行動は、長岡藩士として生きなければならないという強烈な自己規律によって武士道に生きたからであった。西郷・大久保や勝海舟らのような大衆の英雄の蔭にあって、一般にはあまり知られていない幕末の英傑、維新史上最も壮烈な北越戦争に散った最後の武士の生涯を描く力作長編。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 忘年会はババ・ガンプ・シュ... | トップ | これで見納め「東京ミレナリオ」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿