1ヶ月ほど前の「みやざき中央新聞」の社説に掲載されていた話が、未だに頭から離れません。
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■頭から離れない話
10月27日のみやざき中央新聞の社説が、頭から離れません。
北九州市にある金剛寺というお寺の住職さんが書かれた話を紹介していた社説です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
和尚には、今でも脳裏に焼きついて離れない葬儀の場面がある。
遺族席には、10歳の長女、8歳の次女、5歳の長男だけが座っていた。
3人には、こんな事情があった。
住んでいた家が、道路の拡張工事で立ち退くことになり、二千数百万円の立ち退き料が払われた。
ところがその金を持って、父親が消えた。
残された母親と3人の子供は、行くところもなく畑の農機具小屋に身を寄せた。
電気も水道もない。
こんなところに子供を置いておけないと、母親は3人の子供を遠方の施設に預け、自分だけが残った。
その後母親は、糖尿病を悪化させ、治療を受けることもなくこの世を去った。
和尚は、3人の子供に
「強く生きていきなさいよ」
としか言えなかった。
その後も3人は、法要などで定期的に寺を訪れた。
あるとき抽選会があり、長男に1等賞が当たった。
長男は賞品を和尚に見せながら
「これ、お母ちゃんがくれたんでしょう?」
6年が過ぎ、長女は16歳になった。
幼い妹と弟を養わなければならない長女は、進学せず就職した。
長女はこう言った。
「大人の世界に入って思ったことがあります。
不平不満や文句を言える人は、幸せな人だと思います。
私には、そんな不平不満を言う暇はありません」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■不平不満が言えるということは
子供を粗末にする悲惨な事件が、連日報道されています。
世界に目を向ければ、生きていくことさ難しい子供達がたくさんいます。
不平不満を言えるというのは、それだけで生きている証、どん底じゃないんだと思います。
自宅に、ユニセフと国境なき医師団から、DMが届きました。
今年も、小額ですが寄付したいと思います。
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■頭から離れない話
10月27日のみやざき中央新聞の社説が、頭から離れません。
北九州市にある金剛寺というお寺の住職さんが書かれた話を紹介していた社説です。
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和尚には、今でも脳裏に焼きついて離れない葬儀の場面がある。
遺族席には、10歳の長女、8歳の次女、5歳の長男だけが座っていた。
3人には、こんな事情があった。
住んでいた家が、道路の拡張工事で立ち退くことになり、二千数百万円の立ち退き料が払われた。
ところがその金を持って、父親が消えた。
残された母親と3人の子供は、行くところもなく畑の農機具小屋に身を寄せた。
電気も水道もない。
こんなところに子供を置いておけないと、母親は3人の子供を遠方の施設に預け、自分だけが残った。
その後母親は、糖尿病を悪化させ、治療を受けることもなくこの世を去った。
和尚は、3人の子供に
「強く生きていきなさいよ」
としか言えなかった。
その後も3人は、法要などで定期的に寺を訪れた。
あるとき抽選会があり、長男に1等賞が当たった。
長男は賞品を和尚に見せながら
「これ、お母ちゃんがくれたんでしょう?」
6年が過ぎ、長女は16歳になった。
幼い妹と弟を養わなければならない長女は、進学せず就職した。
長女はこう言った。
「大人の世界に入って思ったことがあります。
不平不満や文句を言える人は、幸せな人だと思います。
私には、そんな不平不満を言う暇はありません」
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■不平不満が言えるということは
子供を粗末にする悲惨な事件が、連日報道されています。
世界に目を向ければ、生きていくことさ難しい子供達がたくさんいます。
不平不満を言えるというのは、それだけで生きている証、どん底じゃないんだと思います。
自宅に、ユニセフと国境なき医師団から、DMが届きました。
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私のところに来るお客さんの悩みも大抵は私より恵まれてるかも(笑)っと思えるものなんですよ~)^o^(
おはようございます!
生かされていることに感謝するようにします。
でも不平不満を言う人は絶対にそうは思えないでしょうね。
ポチッ!
命の危険性が少なく、雨風夜露を凌げて3食食べられる
そんな状況の人は世界でも少数だと思います
まず自分の足元から見つめなおしたいです
じ~んとくるお話です。
その通りですね。
不平不満を口にする人ほど、自分では何もやっていないことがよくあるものです。
私には不平不満を言っている暇はありません・・・
肝に銘じておきたいことばです。
ありがとうございます。
明日の朝、こちらは積雪の可能性もあるみたいです~ 一気に気温差がりすぎ!! でも、紅葉とともに降雪を見られるって前向きにとらえたいものですw
このことば重く受け止めたいものですね。そして、職場にはっておきたいとも思いました!!
当事者が我慢し、周囲が無関心を装っても、プロの目は誤魔化せないのです。
不平不満が言える人は贅沢でも余裕がある訳でもありません。我慢する事で、自分の意思決定を諦めてしまうからです。
この長男の様に「誰も助けてくれなかった=孤立無援」を経験すると、世間に対して諦めと見切りを付け「どうせ何を訴えても無駄だ。自分なんか小さい存在だ」と無力感に苛まれて現状を受け入れる様になり、希望をいだかなくなります。
人生で一番怖いのは「見捨てられる事」。
そして見捨てられない為には、何度でも訴える事。世の中には「本人が何も言わないのだから大丈夫でしょ」と見てみぬ振りをする「事なかれ主義」の人もいますが、「何も言わないのではなく、言えない立場に立たされているのだ」と察して和尚さんの様に手を差し伸べる思慮深い方もいます。
私や母が今の生活を手に出来たのも、自分で意思決定する事を放棄せずに何度も訴え続けたからだと思います。
その後母は法テラスに繋がり民事裁判で勝訴、財産分与と慰謝料を得て公的福祉支援で自活出来る様になりました。自暴自棄になりかけた母を回復に導いて下さったケースワーカーさんや主治医には感謝しています。
これが虐待から逃れる事が出来た私が、経験で培った処世術です。
我慢するのは自分自身が選択した事で、他人に我慢を強要するのはお門違いではないか。
辛い立場にある者同士が互いに抑圧して得をするのは誰でしょうか?客観的に考えたら分かりますが、問題の渦中にある人は「目の前の事に追われ考えている余裕がない」のでしょう。
我慢はあくまで応急処置でしかありません。
しかし早い段階で我慢させられている元凶と対峙し、我慢しなくても生活できる様に行動する方が長期的な人生設計が立てられます。
ここのコメントからも、余裕がない環境を強いられて不平不満を抱きながらも我慢せざるを得ないる人が多い事が分かります。
備えられた環境は人により違うし、それを受け入れるか拒絶するかも本人次第です。
「何故、自分は我慢しなければならないのか」「自分が我慢する事でこれから先の人生で何が得られるのか?」具体的に考えて行動する事が、自分の人生を主体的に生きる事ではないでしょうか。
仏教の開祖自身が、与えられた境遇に我慢せず我が道を貫いた結果、悟りを得たのです。
俗世で修行中の我々俗物も、仏陀に習って我が道を貫いた方が人生にとって何が大切かが分かる様になると思います。