スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

ぶらっと逗子①

2009-10-21 | 鎌倉・逗子・葉山

秋晴れの日が続きますね
逗子の定番コースをぶらぶらと歩いてみましょうか。


JR逗子駅の近くに、緑の木々に包まれてあるのは
亀岡八幡宮

ご祭神は応神天皇・神宮皇后。 創建年代は不詳。
昔は清水八幡宮と称され、近くにある延命寺が管理していましたが
明治維新の神仏分離令以後、正式に逗子の鎮守となりました。

亀の甲羅のようななだらかな丘の地形から、或いは
鎌倉・鶴岡八幡宮に比して「亀岡」と称したといわれます。
現在の社殿は1919(大正8)年に建立されたものとか。


扁額には「正二位伯爵東郷平八郎 謹書」と。




境内の庚申塔群

左端の堅牢地神塔は、1832(天保3)年建立の大地を司る地天を祀ったもの。
2番目も同年建立で、日月・合掌姿の青面金剛像・三猿が刻まれています。
3番目の大きな石塔は、1671(寛文11)年の銘があります。
このような笠型はこの時代のものとしては珍しいそうです。
4番目は1913(大正2)年に建立されたもので、「馬頭観音」と刻まれています。


神社を出て、逗子湾の方へ行ってみましょう。


逗子海岸
遠くに見えるのは「葉山マリーナ」でしょうか。


今日も波は穏やか。 の~んびりお散歩には最適です!



湾沿いの道路を歩いていると、小さな公園が・・

さくら貝の歌碑」              「不如帰の碑
    
1949(昭和24)年に発表されたラジオ歌謡「さくら貝の歌」を記念する碑。
作詞者 土屋花情氏はこの逗子海岸で詩想を得たとか。
この海岸では、今でもさくら貝が見つかるそうです。

眼前の海中に建つ碑は、徳富蘆花氏の小説「不如帰」を記念するもの。
使われているのは少し先の大崎にあった鍋島石で、江戸城築城の折
石垣用に九州鍋島藩が伊豆から運ぶ途中、船が難破し放置された
ものではないかと言われているそうです。 1933(昭和8)年建立。
文字は兄の蘇峰氏の筆で、碑の下には氏愛用の
筆と硯が収められているということです。


湾に向かって小高い場所に建つのは
浪子不動

高養寺というお寺で「浪切不動」などと
呼ばれていましたが、此処が
小説「不如帰」の舞台となったことから、ヒロインに因んでこの名で
呼ばれるようになりました。 逗子八景の1つだそうです。

逗子八景の内「浪子不動の秋月」 昭和25年頃
(説明板の写真)


お堂の横から山に向かって階段が続いています。
上って行ってみましょう。
(続)

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2 コメント

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愛用の・・ (夜猫子)
2009-10-24 08:14:38
「不如帰」が書かれたのもその筆と硯なのでしょうね。
現代の作家さんは「パソコン」でしょう? 筆と硯で良かったですね(笑)
干潮のときは碑まで歩いて行けるようですよ。

kikyoさんの愛用のお品は‘何’ですか。
「大漢和辞典」?
猫は食いしん坊だから‘お箸’かな~

kikyoさんは今日はどの辺りをお散歩中なのでしょうね。


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いいお話 (kikyo)
2009-10-22 16:08:31
不如帰の記念碑は波打ち際でなく海中なんですね。珍しいし、碑の下に筆と硯が収められているなんて、いいあなと思います。

「さくら貝の歌」は、懐かしいラジオ歌謡で、よく聴きました。この海がうたのふるさとなんですか~。これもまたいいお話ですね。

こんないいお天気が続くと、毎日毎日、足が外に向いてしまいま~す。
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