スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

茅ヶ崎・旧相模川橋脚跡

2022-06-26 | 神奈川


『鎌倉殿の十三人』のドラマ、行ったことのある場所が 屡々 出てくるので
例の 「しとどの窟」以来、「今回は何処?」と 楽しみに 観ています。


今夜 頼朝さんは あっけなく お亡くなりに なってしまいましたが、
因縁の 「相模川橋脚跡」も 以前 見学に行ったことが あったなぁ と。

十数年も前のこと、「茅ケ崎市立文化資料館」を 訪ねた折に 偶々
「史跡 旧相模川橋脚 特別展」
を見て 興味を持ち、行ってみたのでした。




関東大震災で 水田に9本の檜の柱が 出現し、調査によって 鎌倉時代に
相模川に 架けられた 橋の橋脚であることが 判明しました。

当時の様子


橋は 源頼朝の重臣 稲毛三郎重成が 亡妻(北条政子の妹)の
供養のために 架けた と いわれ、頼朝は その落成供養に 出席。

帰途に、頼朝の乗った馬が 突然 棒立ちになり、
頼朝は落馬。
重傷を負った末に 翌年に 死亡した と 伝えられています。


見学したときの様子

プール状の池に 展示されているのは 復元された レプリカで、実物は
防腐処理を施し、地下2m65cmの所に 保存されている との ことでした。



頼朝の死因には 諸説あるようですが、当時 馬が 突然 暴れたのは
義経主従の亡霊に 怯えたからだ という話が 広まったとかで・・


「鶴嶺八幡宮」参道前の 大鳥居手前を 右に入ったところに

「弁慶塚」
   
義経らの怨霊を 鎮めるために 里人達が 建立したものだと いわれます。

また 同じ理由から、南湖にある「西運寺」境内には
「義経の御霊社」がある と いうことです。



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