R204(金沢街道)の「大御堂橋」の信号を右へ入ると
「大御堂橋」
下を流れるのは「滑川(なめりがわ)」
橋を渡ったところに
「文覚上人屋敷跡」碑
碑の前の道が「田楽辻子(でんがくずし)のみち」と呼ばれています。
「田楽」は平安時代に始まった民間芸能でしたが、鎌倉・室町時代に
大いに流行し、幕府の武士達も競って田楽師を抱えていたようです。
この辺りに、そうした田楽師が住んでいたことがこの名の由来とか。
「辻子」は、通り抜けできる小路のことだそうです。
川沿いに道を左へ進み、ほどなく右側の小路に入ります。
谷あいの静かな住宅地の中を100mほど行くと、左に
「勝長寿院旧蹟」碑
「阿弥陀山 勝長寿院」は、鎌倉初期に源頼朝が父 義朝の菩提を
弔うために建立しました。運慶作の本尊 金色阿弥陀仏などが
並ぶ壮大・華麗な大寺は、鶴岡八幡宮・永福寺とともに鎌倉の
三大寺社とされていましたが、室町時代に廃寺となりました。
碑の傍らに、2基の五輪塔
平治の乱で敗れ東国へ逃れる途中、知多半島で謀殺された
源義朝と腹心の鎌田政清(のちに政家)の供養塔といわれます。
元々あったとされる主従の墓が失われたため、昭和になって
地元の有志の方たちによって再建されたものだということです。
少し先の右手に見えるのは、寺ゆかりの石塔?
住宅の奥で、行けないので確認できませんが・・
嘗ては御堂のほか三重塔や釣り殿なども有した壮麗な大寺が
あったこの谷も、現在は山裾の住宅地に変貌しています。
「この先 行き止まり」の看板があったので引き返して・・
再び 田楽辻子のみちを進むと、途中で右折する道が
「釈迦堂口」へと続いています。
何年も前に、釈迦堂切通しの岩の洞門を通ったことがあります。
その後 崩落の惧れがあり通行禁止になったと聞きましたが
今はどうなっているのでしょう? ちょっと行ってみましょうか。
こうなっていました・・ この奥ですね。
今では通行はおろか、見ることも出来ません。
もう少し田楽辻子のみちを行ってみましょう。
「上杉朝宗及氏憲邸跡」碑
上杉朝宗は犬懸上杉氏の2代で、足利氏満・満兼を補佐した鎌倉執事。
氏憲はその子。 この犬懸ヶ谷辺りに邸宅を構えていたようです。
碑から右折する道を上っていくと、衣張山へのハイキングコースです。
碑の向かい側に「田楽辻子のみち」の説明板
道は「宅間ヶ谷」の方へ続いていますが、今回はここまでにして
駅への帰り道に、ちょっとまた寄り道をしようかな・・
歴史を伝えるものでしょうね。
こういうことにもちゃんと説明を入れてくれるのが夜猫子さんならではだと感心させられます。
「広辞苑」には‘途子・図子’で「横丁・路地」とありますね。
こちらも初めて知りました(笑)