2010-1215-man0060
万葉短歌0060 宵に逢ひて0045
宵に逢ひて 朝面なみ 名張にか
日長く妹が 盧りせりけむ 長皇子
万葉短歌0060 Shu1178 2010-1215-man0060
□よひにあひて あしたおもなみ なばりにか
けながくいもが いほりせりけむ
○長皇子(ながの みこ)=「天武天皇の七番目の皇子。母は天智天皇の娘大江皇女[(おほえの ひめみこ)]。弓削皇子の同母兄。…軽皇子(…文武天皇)擁立の時の対立候補。」(「…」は編者による省略部分)
2010-1215-man0060
万葉短歌0060 宵に逢ひて0045
宵に逢ひて 朝面なみ 名張にか
日長く妹が 盧りせりけむ 長皇子
万葉短歌0060 Shu1178 2010-1215-man0060
□よひにあひて あしたおもなみ なばりにか
けながくいもが いほりせりけむ
○長皇子(ながの みこ)=「天武天皇の七番目の皇子。母は天智天皇の娘大江皇女[(おほえの ひめみこ)]。弓削皇子の同母兄。…軽皇子(…文武天皇)擁立の時の対立候補。」(「…」は編者による省略部分)
2010-1214-man0059
万葉短歌0059 流らふる0044
流らふる つま吹く風の 寒き夜に
我が背の君は ひとりか寝らむ 誉謝女王
万葉短歌0059 Shu1178 2010-1214-man0059
□ながらふる つまふくかぜの さむきよに
わがせのきみは ひとりかぬらむ
○誉謝女王(よざの おほきみ)=未詳。一説に長皇子(ながの みこ)の妻。
2010-1213-man0058
万葉短歌0058 いづくにか0043
いづくにか 舟泊てすらむ 安礼の崎
漕ぎ回み行きし 棚なし小舟 高市連黒人
万葉短歌0058 Shu1178 2010-1213-man0058
□いづくにか ふなはてすらむ あれのさき
こぎたみゆきし たななしをぶね
○高市連黒人(たけちのむらじ くろひと)=第32歌参照。
2010-1212-man0057
万葉短歌0057 引馬野に0042
引馬野に にほふ榛原 入り乱れ
衣にほはせ 旅のしるしに 長忌寸意吉麻呂
万葉短歌0057 Shu1178 2010-1212-man0057
□ひくまのに にほふはりはら いりみだれ
ころもにほはせ たびのしるしに
○長忌寸意吉麻呂(ながのいみき おきまろ)=未詳。「人麻呂とほぼ同時代、持統・文武朝の歌人。黒人同様、人麻呂よりやや後輩らしい。短歌十四首を残し、戯曲笑の歌に秀でる。…<長忌寸>氏は、紀伊国那賀郡を本貫とする、漢の高祖を祖と仰ぐ東漢氏の一支族であったらしい。<忌寸>は渡来系の人に与えられた姓。」
2010-1211-man0056
万葉短歌0056 川の上の0041
川の上の つらつら椿 つらつらに
見れども飽かず 巨勢の春野は 春日蔵首老
万葉短歌0056 Shu1173 2010-1211-man0056
□かはのうへの つらつらつばき つらつらに
みれどもあかず こせのはるのは
○春日蔵首老(かすがのくらの おびと おゆ)=「もと僧。法名弁基(べんき)。」 さらに 01-0262歌釈注に「大宝元年(701)三月、勅により還俗。」 以下は講談社版『万葉集事典』記事。「大宝三(701)三還俗、姓春日倉首、名老を賜わり、追大壱を受く。和銅七(714)一正六上より従五下(…)。」弁基名1首を入れて8首。
2010-1210-man0055
万葉短歌0055 あさもよし0040
あさもよし 紀伊人羨しも 真土山
行き来と見らむ 紀伊人羨しも 調首淡海
万葉短歌0055 Shu1173 2010-1210-man0055
□あさもよし きひとともしも まつちやま
ゆきくとみらむ きひとともしも
○調首淡海(つきのおびと あふみ)=「壬申の乱(六七二年)の功臣。」
2010-1209-man0054
万葉短歌0054 巨勢山の0039
巨勢山の つらつら椿 つらつらに
見つつ偲はな 巨勢の春野を 坂門人足
万葉短歌0054 Shu1173 2010-1209-man0054
□こせやまの つらつらつばき つらつらに
みつつしのはな こせのはるのを
○坂門人足(さかとの ひとたり)=未詳。
2010-1208-man0053
万葉短歌0053 藤原の0038
藤原の 大宮仕へ 生れ付くや
をとめがともは 羨しきろかも ○
万葉短歌0053 Shu1166 2010-1208-man0053
□ふぢはらの おほみやつかへ あれつくや
をとめがともは ともしきろかも
○「中臣・斎部(いむべ)ら祭祀をつかさどる氏族の人びと」?
2010-1207-man0051
万葉短歌0051 采女の0037
采女の 袖吹きかへす 明日香風
都を遠み いたづらに吹く 志貴皇子
万葉短歌0051 Shu1163 2010-1207-man0051
□うねめの そでふきかへす あすかかぜ
みやこをとほみ いたづらにふく
○志貴皇子(しきの みこ)=「天智天皇[第七]皇子、母は伊良都売(…)。[子は]海上女王(…)、湯原(…)、榎井(…)、春日(…)皇子、光仁天皇・道鏡…。芝基・志紀・施基にも。天武八(679)五吉野の盟約に他の五皇子と加わる。…」(講談社「万葉集事典」)。「薨年を『万葉集』では霊亀元年(715)とし、『続日本紀』では霊亀二年とするが、霊亀元年が正しいと思われる。」(依拠本、第1418歌注)。
2010-1206-man0049
万葉短歌0049 日並0036
日並 皇子の命の 馬並めて
み狩立たしし 時は来向ふ ○
万葉短歌0049 Shu1149 2010-1206-man0049
□ひなみし みこのみことの うまなめて
みかりたたしし ときはきむかふ
○柿本人麻呂(かきのもとの ひとまろ)?=第45歌の詠者。
【編者注】「日並皇子」の訓、講談社版は「ひなみしのみこ」。草壁皇子。
くさ
2010-1205-man0048
万葉短歌0048 東の
東の 野にはかぎろひ 立つ見えて
かへり見すれば 月西渡る ○
万葉短歌0048 Shu1149 2010-1205-man0048
□ひむがしの のにはかぎろひ たつみえて
かへりみすれば つきにしわたる
○柿本人麻呂(かきのもとの ひとまろ)?=第45歌の詠者。
2010-1204-man0047
万葉短歌0047 ま草刈る0034
ま草刈る 荒野にはあれど 黄葉の
過ぎにし君が 形見とぞ来し ○
万葉短歌0047 Shu1149 2010-1204-man0047
□まくさかる あらのにはあれど もみぢばの
すぎにしきみが かたみとぞこし
○柿本人麻呂(かきのもとの ひとまろ)?=第45歌の詠者。
2010-1203-man0046
万葉短歌0046 安騎の野に0033
安騎の野に 宿る旅人 うち靡き
寐も寝らめやも いにしへ思ふに ○
万葉短歌0046 Shu1149 2010-1203-man0046
□あきののに やどるたびひと うちなびき
いもぬらめやも いにしへおもふに
○柿本人麻呂(かきのもとの ひとまろ)?=第45歌の詠者。
【編者注】歌の冒頭に、「反歌」ではなく「短歌」(『万葉集』に初出)。
2010-1202-man0044
万葉短歌0044 我妹子を0032
我妹子を いざ見の山を 高みかも
大和の見えぬ 国遠みかも 石上大臣
万葉短歌0044 Shu1142 2010-1202-man0044
□わぎもこを いざみのやまを たかみかも
やまとのみえぬ くにとほみかも
○石上大臣(いそのかみの おほまへつきみ)=石上麻呂(いそのかみの まろ)。「壬申の乱の功臣。…伊勢従駕[(おほみとも)]時はまだ大臣ではない。」
2010-1201-man0043
万葉短歌0043 我が背子は0031
我が背子は いづく行くらむ 沖つ藻の
名張の山を 今日か越ゆらむ 当麻真人麻呂妻
万葉短歌0043 Shu1142 2010-1201-man0043
□わがせこは いづくゆくらむ おきつもの
なばりのやまを けふかこゆらむ
○当麻真人麻呂妻(たぎまの まひとまろが つま)=未詳。「麻呂は四位か五位の官人」。