ラナンキュラス(花言葉 貴方は魅力に満ちている)
今日は3月31日。
明日から進級・新入学・新入社などで、多くの人が新たな一歩を踏み出します。
緊張や不安、期待や憧れ、胸に去来するのは、どのような想いでしょうか。
ここ数日間、普段は雲や雨の多い富山県でも、春特有の爽やかな陽気が街を満たしています。
本格的な春の訪れには、心も体も華やぎますね。
僕(管理人)も、新入学生・社員のようなフレッシュな気持ちで、明日から頑張っていこうと思います。
その第一弾として、放置気味だったホームページのリニューアルを始めているところです。
とくに、季節商品である五月人形については、特設ページを用意しております!
こちらからどうぞ→ 五月人形特設ページ ←こちらからどうぞ
本格的な鎧兜から和紙やちりめんで出来た和小物まで、様々な商品を御紹介しています。
興味のある方はどうぞ♪
僕の友人知人のみんなは、もちろん見てくれるよね?
テンプレート(このブログの背景設定)も、こどもの日仕様 に変えてみました。
画面下でチャンバラ遊びをしている子供の絵が、密かなお気に入りです。
皆さんは、子供のころに戻りたい、やり直してみたいと思われますか?
僕はどうだろう・・・。
よく、こどもみたいだねと言われますが、それは喜んでいいのか 、悪いのか 。
子供の持っている純粋さとか想像力とか、そういったものは大切にして、生きていけたらと思います。
東北関東大震災の発生から12日。
死者・行方不明者は2万人を超え、今も多くの方が不自由な避難所での生活を余儀なくされています。
毎日、地震のニュースに心を痛めない日はありません。
しかし、そんな悲劇の土壌からも、多くの希望の芽は生まれてきているようです。
たとえば、被災地で頑張る子供たち。
家族や友達、他にも大切なものを失い、そのことを受け止めるだけでも大変なはずです。
生きていくこと、前を向くことは、彼らにどれほどの勇気と苦痛を要求するでしょうか。
そんな苦境に立たされながら、避難所で、地域やお年寄りのために、ボランティア活動をしている子供たちがいます。
誰かに包みこんでもらいたいはずのその手は、より小さな子供達を抱きしめ、守ってあげています。
僕は、彼らの姿に、激しく心を揺さぶられました。
思えば、子供の教育や規律のためと称して、多くの学校に存在する校則や制服ほど、いまの子供達に不相応なものはありません。
非常時に責任ある立場に立たされたとき、彼らは多くの大人たちより立派に、その責任を果たしました。
情けないことですが、厳格なルールが必要なのは、政府の一部や電力会社の役員達ではないですか。
子供達のことをもっと信頼してもいいと、僕は思います。
さて、希望の芽がどんなに長くしっかりと根を張っているとしても、被災地の復興の道のりは、大変に険しいはずです。
そのための支援を、僕たち被災地以外の住民がしっかりと担っていく必要があります。
世界中の眼もまた、強く日本に注がれています。
多くの支援や励ましのメッセージは、たとえ直接には届かなくても、確かな支えになるはずです。
私達人間には証明できるでしょうか。
世界が国境ではなく、人でつながれること、つながっているということを。
人は誰でも、誰かの役に立てるということを。
辛いときに差し伸べられる手が、必ず、あるということを。
3月11日(金)、宮城県沖を震源とする、東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)が発生しました。
時間の経過とともに少しずつではありますが、地震と津波の残した、あまりにも大きな爪痕が明らかになってきています。
言葉を失うとは、こうした事を言うのでしょうか。
「国難」や「未曾有の事態」といった言葉が飛び交っています。
しかし僕には、どんな言葉を用いても、この地震を表現することは出来ないし、充分だとは思えないのです。
大地震によって、お亡くなりになった方に、心より哀悼の意を表したいと思います。
そして、全ての被災者の方にお見舞いを申し上げます。
このブログを書いている今も、避難所では多くの方が、不安に駆られながら生活を送っておられます。
余震のこと、家族や友人のこと、不足する物資のこと、その心痛やストレスは察してあまりあります。
ガレキの下や海上で漂流している方や、連絡の取れない孤立した建物の中で安否不明とされながら、発見を待っている方もいるでしょう。
一刻も早く、そして少しでも多くの方が、無事に救出されることを、祈っております。
さらに、今回の地震では、福島県内の原子力発電所においても、大きな問題が発生しました。
周辺住民の方が被爆され、さらなる建屋爆発や炉心融解(メルトダウン)が危惧されています。
原発は、二酸化炭素の排出が少なく、電力の安定供給が可能という利点があり、総電力の3割を現在では占めています。
一方で、事故が起きた場合の被害は想像を絶するものがあります。
多くの原発が、電力の大量消費地である首都圏ではなく、地方に造られているのは、このことが一因です。
それだけに安全性の確保は、原発の至上命題とされてきました。
しかし、今回のことで、日本の原子力発電所の「安全神話」は崩れ、信頼が大きく揺らいでいます。
安全性を強化しながら、原発と共存していくのか
太陽光や風力・地熱などの自然エネルギーの一層の普及をはかり、原発からの転換を目指すのか
地震多発国である日本において、原発の存廃も含めた根本的な問いを、僕たちは突きつけられてるのではないでしようか。