いくらなんでも気づけよ

2006-06-29 00:15:33 | 日記・エッセイ・コラム

ちょっとまえ、会社の人に
「司馬遼太郎の本は話が回りくどすぎて、いまいちおもんない」
と言われたことがあった。

もちろんその人は私が司馬遼太郎の大ファンであることを知らないで言っている。
もともとあまり時代劇ものは読んでなかった人で、ちょっと興味がわいたらしく、どういう選択だったのか『覇王の家』を読み始めた感想だった。
それもたった一冊目の半分ほどのところで、この感想を言うのでちょっとあきれたが、まぁ人それぞれ好みがあるので仕方のないことと思い、話は聞いてあげた。

まわりくどいというのは、どうやら司馬遼太郎著作の特徴である『余談』のことを言ってるらしい。確かに余談は多い。『余談の余談だが』といった書き出しでけっこう行を使っているのもあるし、ストーリーの主人公とは違う人物に数ページかけることだってある。

司馬遼太郎が好きな人は、好きな理由のひとつが『余談』だと思うのだが、それが嫌いならまぁどうしようもない。

その人のもっていた『覇王の家』をぺらぺらと少しめくってみた。三河武士団を率いて天下をとった徳川家康の話だ。これけっこうおもしろんだけどなぁ・・・

「そうですか・・・」

と本を返そうとしたとき、ふと気づいた。

「あれ?まだ一冊目の途中っていってましたよね?」

「そう」

「これ読んでるんですよね?」



「そう」



「これ、2巻目ですやん」



「あれ!?!」

苦笑(´ヘ`;)ハァ

ほんまにちゃんと読んでるのだろうか?話聞いて損した・・・。



コメント
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