ホームオーナー(社長) が 2月17日永眠されました。
昭和の激動期を逞しく生きぬき、地元で立ち上げた建設業を大きく広げられました。福祉の世界にも目を向けられ 息子さんの手がけたグループホームを譲り受け積極的に関わっていただきました。
yoyoが辞令を受け取った時、とても顔色が悪く 声も絞り出している様子、そのまま入院となりました。「ホームを頼む」 と云われた事が心に残っています。
いろいろな方面で御活躍され、どの分野でも一生懸命取り組まれておりました。お通夜・告別式も 多大な参列で今までの業績がしのばれます。働きとおした80年・・・。
主軸を失って 今後がとても不安なのですが 弱音を吐かず、できる事から取り組んでいきたいと思っています。どうぞ安らかに・・・ 今まで同様 いつでもホームに立ち寄ってくださいね。
昭和の激動期を逞しく生きぬき、地元で立ち上げた建設業を大きく広げられました。福祉の世界にも目を向けられ 息子さんの手がけたグループホームを譲り受け積極的に関わっていただきました。
yoyoが辞令を受け取った時、とても顔色が悪く 声も絞り出している様子、そのまま入院となりました。「ホームを頼む」 と云われた事が心に残っています。
いろいろな方面で御活躍され、どの分野でも一生懸命取り組まれておりました。お通夜・告別式も 多大な参列で今までの業績がしのばれます。働きとおした80年・・・。
主軸を失って 今後がとても不安なのですが 弱音を吐かず、できる事から取り組んでいきたいと思っています。どうぞ安らかに・・・ 今まで同様 いつでもホームに立ち寄ってくださいね。
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