yoyo独り言

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セネガル便り-11-

2006年11月02日 | セネガル便り
エンドーさんの一日 第2章が届きました。
第2章
さて、セネガルは今、"ラマダン" と言って 朝6時~夕方7時頃まで 何も食べる事も、飲む事も出来ない イスラムの行事。これが30日間続きます。
驚くかもしれませんが、夕方、夜、早朝(暗い時)しっかり食べます。考え方によっては 年1~2回、健康の為(胃腸)には良い事だと思います。
スタッフとのミーチングを終え、今日は隣村、"クールアブドン・ンドイ"村に行きます。ここは日本の草の根無償援助で 2つの井戸(ポンプ付き)を作りました。それの使用状況とメンテナンスの為です。
Cayar(カイヤール)から 約5KM、足は車、(セットプラスといって乗用車7人乗り)、ここではドアが壊れていようが、窓ガラスが無かろうが、バックミラーが無かろうが、お構いなし。車に傷? ハァ?何処が傷かわからないくらいボロボロ。これ走るの? 逆に日本人が乗ったら楽しめるくらいです。
家から発着所に行く間に 道行く人々に 「エンドー、ヤンギ ウォーロ?」(ウオロフ語) {エンドー、貴方はラマダンしているか?} 「ウァオ・マンギ ウォーロ」{私はラマダン中だ}「ヤンギ ギス サマビール」{私のお腹を見てみろ}「ドーレックダラ」{何も食べていないよ}  道行く人々は 含み笑いしながら去って行きます。彼らは知っているのです。私が嘘をついている事を・・
私は家に帰ればしっかり食事を取ります。しかし、ラマダン中は ナンチャッテ・イスラムを演じていると便利なのです。(仲間意識) チェッ!からかいやがって・・・。
発着所に着くと 例によって時刻の無い車を待ちます。 今度は "タリベー"と言って(日本で言う物乞いの子供達) 空き缶を持って目の前で お祈りを唱えられます。セネガルではこういう子供が沢山います。(両親のいない、施設も無い) 彼らが悪いわけではありません。生きるためにそうしているのです。その日暮らし。 今ある自分の環境に感謝!この子供達の明日はどうなってしまうのだろう?1人2人じゃないのです。4~50人位。彼らをうまくかわし、さぁ出発。
あれ?運転手が何か言っている。エンジンがかからない。{押してくれ。} これがアフリカなんです。 乗客皆でまず車を押し、さぁ出発。人やら羊やら鶏やらをかきのけて、10分位で到着。 先ずは村長の所に行って挨拶と目的の許可を貰う。
村人に「アナ シェフド ビラージュ?」{村長は何処にいる?} ここで畑に居ると言われたら 今日の目的の半分は駄目になる。 畑まで村長を捜さなければならない。車は通らない、たまに見るのがロバの荷車、遠い畑まで歩くしかないのである。この辺が都会と田舎の違いで連絡がつかない。村のしきたりで村長を通さないと何も始まらない。まして我々はよそ者(外国人)。仁義を守らないと。 「ムギチビ」{家に居る}。 ラッキーこれで今日の目的の半分は達成である。
「アッサラ マリコム」 「マリコム サライ」 で始まるイスラムの挨拶、{身体の調子はどうか? 両親は元気か? 家族は元気か? 仕事はうまくいっているア? 家畜はどうか?} 等 延々と話します。しかも毎回、儀式のようなものです。ここで日本人なら時間を気にするのですが、彼らには全く関係ありません。{お茶でも飲んでいくか?}と言われたら、それだけで約2時間位つぶれるのです。ゆっくり時間をかけて3杯飲まないといけない儀式。タイミング良く丁寧にお断りして、すり抜けます。
始めの頃は うまく断れず(村にとけ込む為、コミュニケーションの為) お昼頃までおしゃべりをして 何もせずに家に帰ったことが 何十回と有ります。 これを苦労とか遊んでいるとか言われても困るのですが、自分では 必要な無駄と心得ているつもりです。
さて仕事、仕事と 井戸の有る所へ、ああ、やっている。村の女、子供、約80人位が、いっせいに洗濯をしています。 以前はバケツに紐を付けて汲んでいました。
バケツも紐も家から持参です。日本も(一昔前は)同じだったのかもしれませんね。ここでは乾かす際、地面に並べます。{折角洗ったのに土で汚れるじゃないか?}{乾いてしまえば問題無い。} と言って 彼らは笑います。私は未だにその件については慣れる事は出来ません。 遠眼で見て、子供達が楽しそうにポンプをカチャカチャと動かして水を汲んでいる様子。 ポンプが無くても水は汲めます。しかし、辛いことを楽しんで出来るようにした事に、(この仕事について)良かったと思います。
第3章に続く。  まだ半日です。後,半日と夜があります。
どんな1日になるのでしょう? 楽しみです。


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