夜更けて つらつら思うこと。
ダメダメ、夜更けて 書き出しちゃダメ。
眠れなくなってしまう・・
しかし、眠くないから書いてしまう。。
遺体というものをマジマジと長時間見続けたのは、
今までの人生に一度だけ。父が亡くなった時だ。
九州や中国地方には多いが、
この地域では発症例のなかった成人性T細胞白血病によって、
父は入院3か月後に他界した。61歳だった。
3月下旬のある日、
具合いが悪そうな父を見て、異変を感じた母は、
父を大きな病院に連れて行かねばと思った。
しかし、電車で、だ。
母は遠くまで運転したことがない。
父はぐったりした様子で小1時間電車に揺られ、タクシーに乗って、
県立大学病院の診察を受けた。
東京に住む私の自宅の電話が鳴った。
お父さんが、今、入院になった。
思ったより具合いが悪くて、いろいろ検査をしてる。
大丈夫だとは思うけど、なんだか医者が難しい顔をしてる。
こっちに来れる? 無理しなくてもいいけど。
母の声が不安そうだったので、
明日の朝そっちに向かうよ、と返事をした。
翌日、私が東京から病院に到着したまさにちょうどその時、
父は急に危篤状態に陥っていた。
娘がその場にいることを知り、医師は私だけを診察室に呼んだ。
椅子に腰掛けるなり、医師が放った言葉は、
「今日、明日中の命です。対処方法を決断してください。」だった。
父の状態と対処法をごく簡単に話してから、こう言った。
ソレを試みるか、
このまま、意識のある時間を家族で過ごすか、
この場で、今、決めてください。
しかし、ソレをやれば、
意識が戻らないまま、亡くなる可能性もあります。
意識が戻る可能性は、半々か、それ以下です。
やらなければ、少なくても、今から数時間は一緒にいられるでしょう。
私は妊娠8か月半の妊婦だった。
医師らは、母親と叔母(埼玉からかけつけた母のすぐ下の妹)でなく、
お腹の大きな娘1人だけを診察室に呼んで、決断を迫ったのだった。
説明を黙って聞き終え、私は即答した。
「やってください。」
全く迷わなかった。
意識が戻れば、父との別れまでしばらくの猶予ができる。
その間に母は父の状態を納得していくだろう。
医師の言った言葉の、私にとって不必要な部分は、頭から消えていた。
何の疑いもなく、父は意識を戻すと直感した。
なぜだかは分からない。
私は少しも怖くなかった。
「わかりました。」
とだけ答え、医師はすぐさま動き出した。
私は廊下に出て、母にありのままを告げ、
だから、そうしたからね。
お父さんは、2、3日したら、目を覚ますよ。
と付け加えた。
この処置による、可能性が半分以下しかない最善の結果を、
当たり前の成り行きとして平然と話した。
処置から1日後、
横たわった父をながめながら、
様子を見に来た親類の1人が私に呟いた。
こんなこと、しなきゃよかったのに。
娘の耳元で、そう言える神経にゾッとした。
あけすけな本音だったろう。
意識が戻ったら困る、後が面倒だということだ。
礼儀を欠くとか、無神経だとか、冷血だとか、
そんな類いを通り越して、
なんて下卑な魂。
畜生界にも劣る魂よ。
私はあの言葉を一生忘れない。
それとも、あれは、
自然な形で死なせてやれば良かったのに、という、
父への情を含んだ思いから出た言葉だったのか・・
そう受け取れなかったのは、私が混乱していたためか・・
私は大きくため息をつき、
顔をそらして返事を返さなかった。
●夜が更け過ぎたので、続きはまた体力と書く気がある時に。
ダメダメ、夜更けて 書き出しちゃダメ。
眠れなくなってしまう・・
しかし、眠くないから書いてしまう。。
遺体というものをマジマジと長時間見続けたのは、
今までの人生に一度だけ。父が亡くなった時だ。
九州や中国地方には多いが、
この地域では発症例のなかった成人性T細胞白血病によって、
父は入院3か月後に他界した。61歳だった。
3月下旬のある日、
具合いが悪そうな父を見て、異変を感じた母は、
父を大きな病院に連れて行かねばと思った。
しかし、電車で、だ。
母は遠くまで運転したことがない。
父はぐったりした様子で小1時間電車に揺られ、タクシーに乗って、
県立大学病院の診察を受けた。
東京に住む私の自宅の電話が鳴った。
お父さんが、今、入院になった。
思ったより具合いが悪くて、いろいろ検査をしてる。
大丈夫だとは思うけど、なんだか医者が難しい顔をしてる。
こっちに来れる? 無理しなくてもいいけど。
母の声が不安そうだったので、
明日の朝そっちに向かうよ、と返事をした。
翌日、私が東京から病院に到着したまさにちょうどその時、
父は急に危篤状態に陥っていた。
娘がその場にいることを知り、医師は私だけを診察室に呼んだ。
椅子に腰掛けるなり、医師が放った言葉は、
「今日、明日中の命です。対処方法を決断してください。」だった。
父の状態と対処法をごく簡単に話してから、こう言った。
ソレを試みるか、
このまま、意識のある時間を家族で過ごすか、
この場で、今、決めてください。
しかし、ソレをやれば、
意識が戻らないまま、亡くなる可能性もあります。
意識が戻る可能性は、半々か、それ以下です。
やらなければ、少なくても、今から数時間は一緒にいられるでしょう。
私は妊娠8か月半の妊婦だった。
医師らは、母親と叔母(埼玉からかけつけた母のすぐ下の妹)でなく、
お腹の大きな娘1人だけを診察室に呼んで、決断を迫ったのだった。
説明を黙って聞き終え、私は即答した。
「やってください。」
全く迷わなかった。
意識が戻れば、父との別れまでしばらくの猶予ができる。
その間に母は父の状態を納得していくだろう。
医師の言った言葉の、私にとって不必要な部分は、頭から消えていた。
何の疑いもなく、父は意識を戻すと直感した。
なぜだかは分からない。
私は少しも怖くなかった。
「わかりました。」
とだけ答え、医師はすぐさま動き出した。
私は廊下に出て、母にありのままを告げ、
だから、そうしたからね。
お父さんは、2、3日したら、目を覚ますよ。
と付け加えた。
この処置による、可能性が半分以下しかない最善の結果を、
当たり前の成り行きとして平然と話した。
処置から1日後、
横たわった父をながめながら、
様子を見に来た親類の1人が私に呟いた。
こんなこと、しなきゃよかったのに。
娘の耳元で、そう言える神経にゾッとした。
あけすけな本音だったろう。
意識が戻ったら困る、後が面倒だということだ。
礼儀を欠くとか、無神経だとか、冷血だとか、
そんな類いを通り越して、
なんて下卑な魂。
畜生界にも劣る魂よ。
私はあの言葉を一生忘れない。
それとも、あれは、
自然な形で死なせてやれば良かったのに、という、
父への情を含んだ思いから出た言葉だったのか・・
そう受け取れなかったのは、私が混乱していたためか・・
私は大きくため息をつき、
顔をそらして返事を返さなかった。
●夜が更け過ぎたので、続きはまた体力と書く気がある時に。
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