遊ちゃんと2人だけの夜

・・自分記録の独り綴り・・

SNSむかし話

2019-12-07 21:43:47 | 風の音
東京時代の親友カズが電話してきた。

楽天日記で出会って以来の親友だ。



⬆︎知る人ぞ知る老舗SNS。今でいうブログ。
2000年になるかならないか、なってたかな、の頃の話である。
あの頃は良かった、と言うOB &OG多し。

まだネットは前人未到のどこに行き着くかわからない密林アマゾンで、

いや、あの圧倒的勝者の、今のAmazonを言っているのではない。

単に、昔のジャングルを指すアマゾンだ。


デタラメでした、ネット世界のあれこれ。



しかしね。
今と違って「人」は生々しく存在してた。

今みたいに、襟を正したお利口さん達は少なくて、
かといって、人を上手に騙す策もまだ身につけてなくて、


画面に写真を貼るにも、
文字拡大や色変えたりするにも手間だった。

未開のジャングルを、
ナタで切り裂く開拓者の後をついていく、
野放図なバックパッカー達みたいな、
今より愉快で気楽な世界だった。




これ書いていいのか知らんけど、
あのホリ⚫️モンとかの会社、
とんでもねー!
社会に通用しないデタラメ若造会社でした。



ま、私のブログ読む人少ないからいいけどさ。


広告代理店の知り合いとか、
紙からネットに乗り出した後輩の会社とか、

みーんな大ブーイング。
飲むたび愚痴る愚痴る。話にならんと。


常識を外れてデタラメだったのに、勝ち上がった。

創世記って、それで通用するんだなあ。


そういえば、アリババが、
中国で始めた頃のショッピングサイトも酷かった。

そこからの切磋琢磨、進化のスピードが、
驚異的に凄いけど。



しかしね、そういうのはさておき、

いい時代だったのよ、ネット未開のアマゾン期。


あの楽天ですら、たいした人数がやってないから、
皆さま、けっこう日記に本音を書いてた。


それでも素性はもちろん隠したけどね。
書いてた内容が濃かったし熱かった。

インターネット上に載る危うさを理解はしてたけど、

なんたって、やってる人口がまだ少ない、
ってことも当然頭にあった。

デスク並べる同僚も、自宅の隣近所も、気にしなくていい時代。


あの頃書いてた、日々の出来事日記や、
日々から離れた、わたし個人的書きたいことを書いたもの、

あれら、今から見ると、

今よりずっと面白い。




書くことにも年齢は影響するのかもしれない。



感性が瑞々しい時期は言葉も世間も知らず、
時に揉まれ世間にやられ出すと吐き出す言葉を身につけ、
さらに痛めつけられて、出口をさがして吐露し始める。


子育てに追われて、
書かねば息が出来ない時期だった。





だから、あの時期書いたものは、
たぶん、一番、人が読んでも面白かった。


アクセスした人の「足跡」が残った。
無防備はなはなしく、
名の知られたトコが名前ベッタリついていたりもした。

たまに来る訪問者の中には、何これ?なのもあった。



今は政府のめんどくさいトコにいたりする人、
その頃はどこぞこぞの大使館員だったりする人、
夜中にまたかよ!とスクランブル発進してたりする人、

そーゆー人も「友達」だったから、

私でなくて、そーゆー人を監視してのアクセスなのか、
どこぞの機関もクッキリと足跡をつけていった。
ある意味、セキュリティーの甘い良き時代なのであった。


欧州の、物価が安い国に赴任してた大使館員は、

「さっき、例のがうちに来てたけど、あなたの所に来てますか?」
「来てますよ。●✖︎◆▲でしょ?」
「ヤバイですね。僕ですよね、見張られてるの」
「そうでしょ。わたしは一般人で見張る価値ないから」


みたいなことも何度かあった。
真相は知らない。

例えば、そーゆー機関の人だって、
仕事中にヒマ潰ししてたのかもしれないし、
夜勤で、ネットで遊んでたかもしれない。

知らんけど。私には関係ない。


私の日記や書き物にはアクセスが多かった。
しかし今でいう「友達」にはならず、足跡だけ残す常連が多くいた。

私は心が広くないから、

表にコメントして来ないのに、
裏だけでメッセージしてくる人には、ほぼ返事しなかった。



中には、何を思ったか、
50代夫婦間のセックスの嗜好を、何回も細かく書いてきてきたり、
子育ての悩みを、カウンセラー宛みたいに、長々愚痴吐いてきたり、
実際の私を知らないのに、アレコレ忠告してきたりする人がいた。


「友達」以外のメッセージは無視した。

ネット上、表だって交流もないのに、
一方的に親近感を持ったり相談相手にされるのは困る。

そんなの知らん。


だいたい私にだって生活があり、
いちいち相手にしていたら時間がかかって日常が回らない。




ただひとつ、
少年犯罪の、サカキバラ事件について、
冤罪説の観点から書いた本の感想を書いた時、

サカキバラ少年の近所に住む女性からメッセージが届き、
その人も私には「知らない人」だったけど、


あの子は幼い時から異常だった、
あの子を知る人なら、
ついにやったか、と思ったはずだ。
あの子が犯人に間違いないと皆思ってる。

という主旨の長い長い文章を入れてきた。


あれは衝撃だった。


インターネットで繋がる世間の広さと狭さを痛感した。

ご近所の人が見てきたサカキバラ少年像が、
どんな本より実物に近いだろうと思った。




話が逸れて逸れて、どこかにいった。



20年来の、ネットから現実の親友になったカズと
今日午後、2時間も電話で長話してる最後に、
オステオパシーの治療を受けた、と話していた。

それを書こうと思ったに、

もう長くなったから、やめる。


おやすみ、わたし。














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