夢子のひぐらし日記

心にとまったシーン、季節の花々や風景などデジカメ写真を交えて綴ります。

(写真の無断転用を禁じます)

春なのに…

2011年04月12日 | 日記

3月11日午後2時46分、緊急地震速報がけたたましく鳴った。
勤務先は、郡山駅前の古いビルの4階。
事務所は日中いつも私ひとりの勤務となる。


携帯を開けると、強い揺れに備えて下さい(気象庁)
ただならぬ事態を察知した私は、すぐに机の下に潜った。
すぐに凄まじい縦横地震に揺さぶられ、悲鳴を上げながら必死で耐えた。
激しい揺れはしばらく止まらず、恐怖に慄いた。
外からは、人々の悲鳴やざわめきが聞こえた。
ああ!私はここでビルの倒壊の下敷きになるのだな…そう覚悟した。


どれほどの時間が経ったのだろうか…とても長い時間に感じた。
揺れの収まりを待って、携帯だけを持ち必死で階段を掛け下り外へ逃げた。
気がつけばバックも持たず、コートも着ていない。
晴れていた空は一転、雪が舞っていた。
恐怖と寒さに震えながら、避難してきた人たちと心をひとつにしていた。


携帯からは何処にも電話発信が出来なかった。
娘から『無事ですか?』のメールが届き、
お互いの無事を確かめホッと胸を撫で下ろした。


その後、頻繁な余震が続きビルには近づけなかった。
ガス漏れが発生したらしく、周辺はガスの臭いが漂う。
県外営業先への上司にも連絡が取れず、不安と戦いながら時間が刻々と過ぎていく。
外でブルブルと震えながら、19:30まで待っていたが帰って来なかった。
全員無事とのメールがようやく届いたので、私は歩いて帰宅した。
道路は、あちこちに塀が倒れていたり、歩道に障害物があったりで怖かった。
後日聞いてビックリしたが、全員が帰宅できたのは夜中の12時を過ぎていたそうだ。

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あの悪夢の日から、一ヶ月が過ぎたが…
続く余震、緊急地震速報は毎日鳴り響く。
想定外とされる原発の脅威に逃げ惑う人々。
これまでも、度々ずさんな管理体制が指摘され続けている東電。
関東の電力の1/3は、福島原発で作られていた。
福島県民の使う電気は、東京電力ではなく東北電力なのです。
原発で作られた電気は、全て専用の送電線で関東に行くことを知っていますか?
なぜメディアは、事実を放送しないのか?
東電が一番のスポンサーだから?


原発も国策だから、国も東電も仲良しこよしは当たり前なのだろう。
何を誰を信用すればいいのか…


なぜ東京に原発を作らなかったのか?
東京で使う電力は東京で作るべきなのに…
それは、大きなリスクがあるからです。
大地震・大津波がきた時の非常時対応策の会議議事録を見ても、
その時は『想定外』としようということで終わっている。
莫大なコストがかかるから、想定したくなかっただけだ。
原発事故は、レベル7に引き上げられ歴史に残る最悪な事態となった。
クリーンエネルギーは、脆くも全人類の信用を失った。


誘致した一部の地域は、原発産業で恩恵を受けてきたことは確かです。
今も、原発関係に携わっている方も多い。
恩恵を受けてきた方々は、人災とは言わず天災と受け止める方も多いと聞く。
だが、他の福島県民は何の恩恵も受けず、甚大な環境破壊で苦しめられています。
家にも帰れず、仕事も奪われ、劣悪な環境での避難所暮らし。
地震だけなら、一歩一歩復興に強く前進出来るのに…
収束のめどが立たない明日が見えない毎日です。
野菜農家の方が、悲観して自殺したというニュースもあります。


春なのに…
桜の咲く春なのに…
桜を愛でる人もちらほら…
震災を受け、原発に苦しむ傷に桜色がやさしく染みる
今を一生懸命、笑顔で頑張るしかありません
苦しい生活の全ての人に、一日も早く笑顔が戻りますように…