豊川稲荷本殿の裏側に続く小道。

今では通行不可となってますが、一昔前まではここも境内の散策路として開放されていたんですよ。

しかも、私が幼稚園の頃は通園路としても使用していました。
私の通っていた豊川幼稚園は昭和15年に設立された豊川市では一番古い幼稚園で、当時はロバが馬車を曳いて園児を送迎していた珍しい通園方法の幼稚園でした。

当然、馬車は園児に大人気で、他の園に通う子達からも随分うらやましがられました。
そんな大人気の馬車でしたが、すべての園児が毎日乗れるはずもなく、みんなが平等に乗れるようにと馬車通園の日と徒歩通園の日にわけられていました。
園は豊川稲荷の裏手にあった為、馬車に乗れない徒歩通園の日には私達はこの小道を通って通園していました。

そして、本殿を囲むこの石垣は今でも当時のままの姿で残っています。

この石垣の絶妙ともいえる出っ張りを見ていると、つい足を掛けてみたくなりませんか?

もちろん、当時の悪ガキ達は先生の言うことも聞かず、通園途中に上ったり下りたりを繰り返し怒られたのを覚えています。
ちなみにそんな悪がきの一人だった私は今、三人の子供もお世話になったこの幼稚園の理事をさせて頂いてます。

今では通行不可となってますが、一昔前まではここも境内の散策路として開放されていたんですよ。

しかも、私が幼稚園の頃は通園路としても使用していました。
私の通っていた豊川幼稚園は昭和15年に設立された豊川市では一番古い幼稚園で、当時はロバが馬車を曳いて園児を送迎していた珍しい通園方法の幼稚園でした。

当然、馬車は園児に大人気で、他の園に通う子達からも随分うらやましがられました。
そんな大人気の馬車でしたが、すべての園児が毎日乗れるはずもなく、みんなが平等に乗れるようにと馬車通園の日と徒歩通園の日にわけられていました。
園は豊川稲荷の裏手にあった為、馬車に乗れない徒歩通園の日には私達はこの小道を通って通園していました。

そして、本殿を囲むこの石垣は今でも当時のままの姿で残っています。

この石垣の絶妙ともいえる出っ張りを見ていると、つい足を掛けてみたくなりませんか?

もちろん、当時の悪ガキ達は先生の言うことも聞かず、通園途中に上ったり下りたりを繰り返し怒られたのを覚えています。
ちなみにそんな悪がきの一人だった私は今、三人の子供もお世話になったこの幼稚園の理事をさせて頂いてます。