考えてみれば、全く不思議なネーミングである。
「自動」で動く「車」。
そこで、「自動」を辞書で引くと、「自然に動くこと、自分の力
で動くこと」(広辞苑)と書いてある。
自然に動く車?
確かに、坂道でサイドブレーキをきちんとかけていないで駐車し
ていると、自然に動き出してしまうことがないとは限らない。
事故にもなりかねないから、要注意である。
しかし、それはあくまでも特殊な例だ。
暴風で車が吹き飛ばされることもあるが、それなら「自然に」で
はなく、「自然によって」動く車となる。
したがって、この場合には、後者の「自分の力で動くこと」とい
う解釈を用いることになるのだろう。
しかし、これもやはり変である。
一般的には、人がキーを差し込み、エンジンをかけ、アクセルを
踏んではじめて動くのだ。
どう考えても、車に意志があって、自分の力で動いているように
は思えない。
もしそんな車があったら、大変である。
中には、凶暴な車があって、群集の中に突っ込むやつもいるだろ
う。となると、駐車場などうかうか歩けなくなるではないか。
どうも、「自動」で動く「車」と解釈したのが、間違いのようで
ある。
「自分で動かす車」。
これなら分かる。しかし、免許を持たず、いつも乗せてもらう私
の場合には、どうみても「自動車」とは思えない。
むしろ「他動車」と呼んだ方が、ぴったりくるような気がする。
となると、「自」や「他」を頭に持ってくるのは、あまり意味が
ない。
そこで、いっそのこと取り払って、「動車」にしてもいいはずだ。
しかし、ちょっと待てよ。動く車?
それなら、「動かない車」は何と言えばいいのだろうか。
人間を速やかに移動させる機能を果たしてこそ、意味があるはず
である。
もはや動く機能を失った車は、車ではなくただの物体に過ぎない。
つまり、車と言えば、「動く車」のことだけを指すのだ。
こうなると、「動く」という言葉を切り捨てるのに、もう何のた
めらいも感じる必要はない。
かくして、「自動車」は、「車」と呼ぶのが最も合理的であると
いう結論に達するのである。
下関駅に行くと、「忘れ物市」というのをやっていました。
それにしても、いろんな物がありますね。
定番のカサ、かばん、スカーフ、時計、カメラ、つえ、ベル
ト(わざわざ車内ではずしたんでしょうか?)……。
「自動」で動く「車」。
そこで、「自動」を辞書で引くと、「自然に動くこと、自分の力
で動くこと」(広辞苑)と書いてある。
自然に動く車?
確かに、坂道でサイドブレーキをきちんとかけていないで駐車し
ていると、自然に動き出してしまうことがないとは限らない。
事故にもなりかねないから、要注意である。
しかし、それはあくまでも特殊な例だ。
暴風で車が吹き飛ばされることもあるが、それなら「自然に」で
はなく、「自然によって」動く車となる。
したがって、この場合には、後者の「自分の力で動くこと」とい
う解釈を用いることになるのだろう。
しかし、これもやはり変である。
一般的には、人がキーを差し込み、エンジンをかけ、アクセルを
踏んではじめて動くのだ。
どう考えても、車に意志があって、自分の力で動いているように
は思えない。
もしそんな車があったら、大変である。
中には、凶暴な車があって、群集の中に突っ込むやつもいるだろ
う。となると、駐車場などうかうか歩けなくなるではないか。
どうも、「自動」で動く「車」と解釈したのが、間違いのようで
ある。
「自分で動かす車」。
これなら分かる。しかし、免許を持たず、いつも乗せてもらう私
の場合には、どうみても「自動車」とは思えない。
むしろ「他動車」と呼んだ方が、ぴったりくるような気がする。
となると、「自」や「他」を頭に持ってくるのは、あまり意味が
ない。
そこで、いっそのこと取り払って、「動車」にしてもいいはずだ。
しかし、ちょっと待てよ。動く車?
それなら、「動かない車」は何と言えばいいのだろうか。
人間を速やかに移動させる機能を果たしてこそ、意味があるはず
である。
もはや動く機能を失った車は、車ではなくただの物体に過ぎない。
つまり、車と言えば、「動く車」のことだけを指すのだ。
こうなると、「動く」という言葉を切り捨てるのに、もう何のた
めらいも感じる必要はない。
かくして、「自動車」は、「車」と呼ぶのが最も合理的であると
いう結論に達するのである。
下関駅に行くと、「忘れ物市」というのをやっていました。
それにしても、いろんな物がありますね。
定番のカサ、かばん、スカーフ、時計、カメラ、つえ、ベル
ト(わざわざ車内ではずしたんでしょうか?)……。
