ソロ活女子というテレビドラマを観た。
面白いといえば面白い。
ソロ活のアニメが流行るとそれが流行だとか、それでいいんだとかと洗脳される。
一人で行動することは今始まった行動様式ではない。
以前もあったし、今後もあるだろう。
一人で楽しみを探しあちこち行動することか。
まぁそれは老若男女誰でもする行為だ。
そこを敢えて今始まったかのような印象で報じるのは如何なものか。
やはり印象操作性を感じる部分がどうにも消せない。
他人の感受性がどう感じてるかは知らない。
私には印象操作の印象がどうにも強く感じる。
それがタイトル性、番組タイトルのラベリングがそうさせるのかもしれない。
「ソロ活」
そう言えば「孤独のグルメ」という番組もある。
それもタイトル性が人の気持ちを惹きつける。
「孤独のグルメ」の言葉を逆転して悪い方に捉え直したら「たった一人の昼食」なのでなんの変哲もない事になる。
「グルメ」という言葉が何かいいことが起こってるような印象操作を持つのだろう。
「ソロ活」も「○○活」という言葉を引用するから何か流行り物のように印象付けられる。
じゃあ「ツイン活」「トリプル活」でもいいし、もっと違う言葉も考えられる。
まぁタイトルなら語呂が良くないと受けないだろうけれど。
昔で言えばそういう仕事をするのをコピーライターとでも言えるかな。
目を引く、或いは耳を引くタイトル言葉を作る仕事。
それで一眼を集める仕事だ。
「ソロ活男子」は無いのかな。
まぁ、そっちは特に目を引かない。
普通だろ、という印象があるからか。
まぁ女性が一人で楽しみを探しあちこち行動すること。
そういう物語はイイし、面白い。
けれど、それを鑑賞した多くの女性が勘違いして「今はそれがトレンドだ」と思わされることが起こる。
それに対して違和感を持つ。
特別に「今それがイイ」という「潮流に乗らねば感」があるように思う。
まぁ、そういう扇動行為に対する不和雷同を拒否したい。
日本は識字率が世界的に高い国だが、国民意識が低い。
太平洋戦争戦後のままだ。
みんなでやれば怖くない。
そういう協調性とは違う同調圧力というかやはり不和雷同だな。
みんなと一緒なら破滅の未来でも安心という奇妙な意識を持ってしまう。
ちょっとソロ活女子とはズレた内容になったけれど。
ただ、それもイイけれど、本来の、もっと重要な事に目を向けるのも必要であり、そこに向けて扇動してほしい、と感じた。
私は、というかたぶん多くの人がそうであると思うけれど、テレビの内容を素直に見れないで別の感情を持って観てしまう。
そういう傾向が私にはある。
だが、きっと多くの人がそういう違和感を最近は感じてるのではないだろうか。
誰も感じていないかもしれないけれど。
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