自分の死をだんだんと近くに感じるようになった
最近富に難しいことができない
楽な生活を選択するのが正解だと感じる様になった
今まで過信しすぎたおのれの肉体と頭脳
それもそろそろ終わりを感じる
死は放っててもやってくるから考えてもしようがない
けれど生き残る子孫はどうなんだと思う様になった
息子と娘がいて、まだ孫はいない
息子と娘
彼らももう良い加減成人して年月が経った
自分たちの若い頃なら既に「結婚できない人」と言われる年代になった
しかし、彼らは意識がまだ若いままの様にも感じる
自分もその年代はそうだった
意識が幼い
まぁ、私は今でも幼いけれど
自分はできない、と思い込むのと、それと臆病なのと恥ずかしいという意識が強い
自分の場合はその後開き直った
とりあえず結婚してみよう仕事はもうイイや、と
だから黙って会社の寮から出て隠れて職場の近所のアパートに住んだ
会社には言わないで職場の近所にアパートを借りた
職場での仕事は成果は出ようが出まいがただ出社して仕事をしてるふりをした
そして、仕事はしない、とまずは考えてお見合いや紹介を乞うてまわった
お見合い、紹介で女性に会う時間を作るのを自分の仕事として捉え、そこを最優先事項とした
だから仕事はとにかくイイ加減にするのを前提とした
自分は女性と会うために生活するという基準に変えた
仕事はその間の時間を消化するだけの出来事と捉える
一応仕事はしてますよ、という考え
だからまだ会社の寮にいる頃からでも同居の同僚の電話も勝手に使ったことがある
アパートを借りる前のこと
そういう本来NG行為も必要ならやった
お金はそのためのもの、と考えた
得意先に「紹介してくれ」と恥も外聞も無く言った
そういう活動をしてますよ、とおおっぴらに言った
それでイイやと思った
自分の環境をそこに置いた
そういう人ですよ、と自他共に置いた
でも、そこからなかなか先に行かない、行けない
相手がいることは自分の思う未来とは全く違う
自分も思ったように動けないし、動いてないし、考えもついていかない
未知の出来事だらけだった
相手の女性の反応はさまざまだけれど、往々にして繊細なことを追求された
大雑把な自分の意識には到底到達不可能なことだらけだった
自然の中で育った自分は野生の動物的な感覚で育った
戦時中を通過した両親の意識は粗末な生き方を受け入れていたから、そういう意識を持って自分を育てた
むしろ、それは姉や兄であって、自分は放置状態で育った
だから、人間としての生き方はそもそも教わるということが無かった
山育ちと言える
ただ成長しただけだった
身体が大きくなっただけ
ましてや現代の都市化された人の中で生きる術は持たないし、むしろ怖かった
臆病さはそういうジレンマから来てるのかもしれない
自然と都市の違いを受け入れる事を未知として、不可能と感じるのかもしれない
しかしやらざるを得ない
だから開き直った
「どうせダメもと」
そういう気持ちで10人ほどお見合いをした
同時に仕事の得意先にすら紹介も頼んで回った
意識は「誰でもいい」に近づいた
しかし、やはりまだまだ意識が「ほんとに誰でもいい」までは行ってないくらいで終わった
思えば、若い頃は色々あった
今の配偶者と出会う前、20歳代にも二人ほど結婚を意識する女性との出会いもあった
先方から結婚を前提に意識された女性
そこで終わっていたろう出来事もあった
でも、ダメだったのは、まだ意識が幼かったから
そう思う
従って、自分の経験を参考にしながら、進んで欲しい
DNAは半分受け継いでるはずだろうから
臆病と成長の中で自分の生き方を受け継いでるだろうから
ただし、遺伝は半分くらいか
しかし、今の世の中の環境もある
コロナで狂ってしまった環境もある
そこを通過しないといけない
それも加味して進まなければならない
一番の伝えたいことは
何かを為すためには、今の一番大事な事も捨ててかかる事だろう
そこまでの覚悟の気持ちを持って進める
それが大きな効果を出す唯一の違い
今までとこれからの生き方に変化を加える最重要な事
そこにはどうしても覚悟が必要だった
仕事も家族も捨ててかかる、という覚悟
やりすぎると犯罪者になる直前まで覚悟すること
犯罪だけは避ける必要は当然ある
そこまでの気持ちを持たなければなかなか進まない
そういう気持ちになるまで自分を追い込むことができるかどうか
今の「親としての課題」はその辺りかな
しかし、それも一歩間違えば大きな狂いを齎す(もたらす)
慎重さも必要か
せざるを得ない環境に身を置く様にせざるを得ないか
難しい
難しいけれど
しないと、できない
だ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます