色というものにはピンクやオレンジや赤といった細かい分類分けがある
他にも、それぞれの色において、細かい分類分けとそのネーミングがされている
でも、味は辛いという表現には、カレーという食材の味覚の表現として、その辛さについて、スパイスが辛いのか、わさび辛いのか、からしで辛いのか、などの「辛さの識別」が言葉として成り立っていない
それはどういうことなのか
ただし、色のグラデーションは非常に曖昧で区分けできない部分も必ずあると思う
ネーミングをひとくくりにすると言うよりも、中間色の中間色の中間色と言うようにグラデーションには境目がない
多分、味についてもそうだろう
味だけではなく、臭いについてもそうだし、音についてもそうだ
ただ、音については、音符がある
しかし、音や色と違う部分が辛さとか匂いにはある
それは個人が個人単位で接触あるいは匂いを嗅ぐしかないから
色や音は、行動を伴わなくても、そこの空間で同時に感じることができるものである
ところが、味や匂いは直接に個人自身の味覚機関を使ったり、嗅上皮を使ったりして感じなければならない
そこが区分けができない原因なのか
あるいは、辛さについての定義というものがなされていないだけなのか
いずれにせよ、感覚と言うものは、グラデーションがあって、非常に曖昧なものだ
人は生きる上で感覚が基本になる
その感覚が、個人単位によって非常に曖昧だ
それをひとくくりにラベリングして決めてしまうと言うには、相当な無理がある
でも決めないと共存できない
動物における感覚は、個人単位の所有物となる
ところが、人間に関しては動物とは違って、それを他人と同一化するという行為が存在する
自己統一性とも違う
他者との同調力と言って良いのだろうか
しかしながら、やはり個人と言うものは存在する
したがって、現代社会のように同調力だけが先走って社会を支配してしまうとなると、個人の感覚と言うものを置き去りになってしまう
色を区別するのは構わない
しかし、その色をどう感じるかについては個人のものであると言うことを認めないといけない
感じ方、認識のあり方は人によって様々なのだから
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