米国のTKと呼ばれる男性は4歳で脳死と診断されたが、2004年に亡くなるまで21年間にわたって生存した。身長は150センチ、体重は60キロとなり、髭が生えるなど第二次性徴も現れた。死後、脳を解剖したところほとんどが溶けて液状化しており、残った脳幹部分も石灰化していた。
2・1・2022
人は、何をもって「死んだ」とされるのか。現代社会では、「死の3徴候」に基づいて医師が判断する。「心拍の停止」「自発呼吸の停止」「対光反射の喪失・瞳孔拡大」だ。これらは死を科学的に定義した基準ではなく、「蘇生する可能性がない」との臨床医学の経験則に基づいている。3徴候が一定時間続くと死亡が確認される。
近年、事件や事故を報じるニュースで、被害者について「心肺停止状態」という言葉が聞かれるようになった。この心肺停止状態と、病院での死亡の確認とはどのようなちがいがあるのだろうか。
法医学者として多くの死と向き合ってきた千葉大学大学院医学研究院法医学教室の岩瀬博太郎教授がこう語る。
「心肺停止とは心臓の規則的な動きと、呼吸が止まった状態ですが、蘇生する可能性がある。速やかに心臓マッサージを施さなければなりませんが、3分以内というタイムリミットがある。3分を超えると脳の神経細胞は死んでしまいます。救命できたとしても後遺症がある程度残ってしまうことがあります」
法医学者はさまざまな死と向き合う。痛ましいのは自殺者の遺体だ。例えば硫化水素中毒による自殺は、体全体が緑色になってしまう。一方、練炭などを使った一酸化炭素中毒による自殺は赤みを帯びて、生きているような顔色に見えるという。
「赤血球のヘモグロビンに硫化水素がくっつくと血液が緑色になり、一酸化炭素がくっつくときれいな赤色になるからです。激しい火災などで一酸化炭素の濃度が高くなると数秒のうちに意識を失う。どちらもむごい死に方ですし、二次被害で他人を巻き込む恐れもあります。本当に思いとどまってほしいと思う」(岩瀬教授)
一方、「脳死」を人の死と判断するかをめぐっては、今も議論が続いている。1997年に成立した臓器移植法により、日本では臓器提供の場合に限り、脳死を人の死と認めるようになった。脳死とは脳幹を含む全脳が不可逆的に機能停止した状態を指す。判定基準は深い昏睡、自発呼吸の停止、平坦な脳波など6項目が定められている。だが、東京大学大学院客員教授(生命倫理学)の小松美彦氏は「脳死は人の死ではない」と主張する。
脳死を人の死とする論理は、81年に米国の大統領委員会で形成されたという。(1)「有機的統合性の消失」を人の死と定義。有機的統合性とは、体温や血圧、免疫など体の機能が一定に保たれていることだ。(2)その唯一の司令塔は脳であり、(3)脳の機能が停止すれば有機的統合性は消失するので、脳死は死の判定基準になる──という理屈だ。
だが、脳死状態のまま生き続ける人は少なからずいる。
米国のTKと呼ばれる男性は4歳で脳死と診断されたが、2004年に亡くなるまで21年間にわたって生存した。身長は150センチ、体重は60キロとなり、髭が生えるなど第二次性徴も現れた。死後、脳を解剖したところほとんどが溶けて液状化しており、残った脳幹部分も石灰化していた。
小松氏が解説する。
「脳がそんな状態になっても、TKは成長して生き続けたのです。後に米国は大統領委員会の公式論理の誤りを認めています。脳死者の体に触れれば温もりがあり、脈も取れます。脳死は専門医にしか判断できず、肝心の遺族は死から遠ざけられてしまう。従来の『3徴候』による判断基準で大きな問題はなく、墨守するべきだと考えます」 (本誌・亀井洋志)
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