母との2泊3日間

2024年05月13日 | 日記
先日、実家から母を私の家に連れて来た。

といっても2泊3日間だけだけど。

昨年、残酷な難病、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症してしまった84歳の母。

現在はまだ寝たきり状態ではないけど、いずれこの難病はそうなる。呼吸さえいつか自発では出来なくなる。

今は話すことはまったく出来なくなり、それでも手はまだ動くので筆談でのコミュニケーションを取っている。

立つこと歩くことに関しては、自力では出来ない。


働き者だった母、じっとしてることなんてなかった母が、気力も薄れ表情も乏しく、日中をほぼソファーで過ごしている。

外に出るのは通院の時ぐらい。

それで私は母を私の家に連れて来て、変化を感じて欲しいと思った。

ただ、ちょっと遠い。

実家からウチまでは車で片道2時間弱。

病気になってからというもの母は、ひとが変わったように怒りやすくなった。

長い時間の車の中で、イライラするんじゃないかな。心配。

でもまあ、それは大丈夫だった。

車の中であれこれ会話をしながら(母は筆談)無事に家に到着。

一泊目は私の息子にも来てもらっていた。

この春息子は、車で更に1時間半行った町に就職した。

連休中は、お付き合いしている彼女と楽しく過ごしていたようだが、おばあちゃんが来る日は帰って来てくれた。

私が母を連れて家に到着した時息子が居たのはかなり助かった。

何しろちょっとした段差が上がれない。

私一人では玄関さえも大変だったと思う。

ちなみに帰りの日は私一人でもなんとか大丈夫だった。上がるのと降りるのとではやっぱり勝手が違う。


…と、あら、なんか母が来た時のことを書き始めたら、このままじゃ長ーい内容になってしまうなあ😅

いろいろ割愛。

書きたいことたくさんあるけど省略😅✋


母と過ごして大変だったこと二つ!

まずは排泄介助。

実家のトイレだと、広いし、掴まる所も作り、介護用トイレに改修して、なんとかトイレは自分でできてるようだ。

でも、私の家のトイレは狭いし介護用じゃないし、掴まる所も無い。

これでは母一人では出来ないから、介助に私も母と一緒に入った。

が、狭い。

身動きが取れない😣

しょうがないので、トイレには入らず、紙パンツに用をしてもらい、立った状態で私が交換することにした。

しかしながら交換中にいろんなモノが私の手や腕にタレてきたり😅、短時間で替えないとヨロヨロしてる母だから、転んだら大変と毎回焦った💦

ついに娘にこんなことをさせるようになってしまったかと、きっと母はそう辛く思ったと思う。

母のプライドを守りたかったけど、仕方がない。

せめて安心して頼ってもらいたくて、

「お母さん、私はヘルパーの資格を持ってるんだから、ぜんぜんこういうことは慣れてるんだよ😄」

と、言った。母はうんうんと頷いていた。

とまあ、排泄介助はそんな感じでやったけど、今回何が大変て、母が夜寝なかったこと😱

ウチはちゃんとしたベッドが無い。

でも、息子が大学時代アパートで使っていた脚つきマットレスがあったので、それに寝てもらうことにしていた。

だが、スプリングがボヨンボヨンと弾むもんで、母は寝心地を嫌がり、ソファーに寝ると言う。

私は普段2階で寝ているが、母が居る期間は私もリビングで寝ることにしていて、私がソファーに寝るつもりだった。

でも私がベッドに寝ることになった。多少ボヨンボヨンするけど、ソファーよりはのびのび寝れるんだけどなあと思いながら寝た…

が、母が「あー、あー、あー」と声を出してすぐ私を起こした。

何?と聞くと、「そっちのソファーに移りたい」と筆談で言って来た。

ウチには古いソファーか二つあり、別のソファーに移ると言うので支えて違う方に移動した。

「じゃあおやすみなさい」と寝たのだが、数分後にまた「あー、あー、あー」と呼ぶ。

何?と言うと、やっぱり違うソファーがいいと言う😱

もぉー、と多少イラつきつつ、また母を支えて移動。

そして寝ようとすると、また数分して「あー、あー、あー」が始まる😱

いっそ寝たふりをしてみた😅

すると、今度は怒ったように「あー!あー!あー!」と大声。

何よ~?と聞くと、「オムツ濡れたから交換して」。

はいはい、それはしょうがないねと、交換して、やっと寝せたと思ったら、またしても私を呼ぶ。

なんとまあまた別のソファーに行きたいとのこと。

「いい加減にしてよ!」と、つい怒ってしまった。

でも、可哀想だからまた支えて移動。

そしてその後すぐ、オムツ交換したいと言って来て、交換して寝たかと思うとまた起こされ、

結局一睡も出来ずに朝を迎えた😱

私は頭痛いわフラフラするわだけど、息子に母の相手してもらっている間に朝食準備。

母のはすべてミキサーにかけ、トロミを入れる。母は飲み込みの力も弱っているから、誤嚥しては大変。

食事の後は、引き続き息子におばあちゃんを預け、食材の買い物をして来た。

そうそう、母が寝なかった夜中、実は母を支えて立たせる時、眠くて私と母の力が弱っていたのか、1度母がソファーからズリ落ちた。

床に倒れた母を私は起こすことが出来ず、寝ていた息子を呼んで起こしてもらった。

やっぱり力仕事は男が居ないとねぇ、とその時は良かったのだが、

なんと2泊目の夜中も同じ事態になった。

しかし息子は二日目は次の日から仕事なので帰ってしまっていた。

どうにかして私が起こすしかない。

あの時は我ながらすごかった。火事場の馬鹿力とはこのことか!て気合で母を抱えてソファーに戻すことが出来た😭

あれをもう一回やれと言われたら無理だわ。どこからあんな力が出たんだか。

そんな2泊目の夜は、1泊目の夜よりは母が頑張って私を起こさないようにしてくれた。

とはいうものの4.5回起こされたけど😅、まあ1泊目に比べたら。

ただ、2泊目の夜も起こされた時、またしてもつい母を怒ってしまった😢

「寝せてくれないとさすがに二晩徹夜は私だってキツいよ!明日はお母さんを送って運転しなきゃならないんだよ!危ないことになるじゃない!」って。

「眠れなかったら本でも見て!」って言って、昔買ったシルバー川柳の本を母に渡した。



なかなかユニークな川柳が載っていて、きっと母もクスッとしてくれるんじゃないかなと思った。

その後、私は3時間ほど眠れたけど、母はやっぱり起きていたようだ。

しかも明け方誰かに電話をかけていた。

私は半分眠りながらその光景を見ていた。

喋ることが出来ないのに、誰に何処にかけているんだろう…

と思いながらまた眠った。


そして翌日、母を実家に送って行く日になった。

たった2泊3日間なのに、寝不足のせいかどこからが一日の始まりか終わりかわからないような長い2泊3日だった。

帰る途中、「花苗を買いたい」と母が筆談で言うので道の駅に寄って、車イスを借り、母を乗せて見て廻り、母が選んだ花苗をいくつか買った。

ちょっとの時間だったけど、母にとっては花を選ぶなんて久し振りで嬉しかったんじゃないかなと思う。

実家に無事に着くと、同居のお嫁さんが言った。

「今朝4時に、お義母さんが家に電話をよこしたんだよ!」

え…😅

今朝の電話は実家にだったんだ。

何も喋ることが出来ないけど、ただ実家の電話のベルを鳴らした母。

私に怒られ、ホームシックになったのだろうか…

もっと優しくしてあげれば良かったなあと反省しつつ家に帰ったあと、母と過ごしたリビングを見渡してなんだか涙が出た😢

そして、ウチに滞在中、母が筆談で使っていたメモ帳を見た。

え!

シルバー川柳に書かれていた中から
母がこんな句を書き写していた。

なんでこんな句を…

涙が止まらなかった。

























明日、母を迎えに行く

2024年05月04日 | 日記
昨年、難病ALSを発症した母。

実家の弟家族(母からみれば長男家族)と暮らしていて、私は時々帰って母を看ている。

今の症状は、もうだいぶ前から喋れなくなったことに加え、手足、特に脚の筋力もかなり落ちてきて、自力での歩行が難しくなった。

食事は流動食。でもそろそろ口からは限界が近づいているようにも見える。

排泄に関しては、流動食ということもあるためか、膀胱の筋力の低下のせいか、トイレの回数がかなり多い。漏れもあるので夜間だけではなく常に紙パンツになった。

そういう身体的なことだけではなく、気力も無くなり、そうかと思えばイライラして怒りやすくなった。

病気をする前は、いつも明るく元気で笑顔が多い母だった。

病気が母の性格まで変えてしまった。

もしかしたら鬱にもなっているかもしれない。

そりゃあ鬱にもなる。

こんな残酷な難病にかかってしまい、筋力を徐々に失ってきて、普通に出来ていたことが出来なくなっていき、母はどれだけ絶望していることか…

今はまだ寝たきりまでにはなっていないけど、一日の大半をソファーで過ごしている。座ったり横になったりの繰り返しだけ。無表情で…

本当に辛い。

なんで私の母が…


今は病院に行く時しか外出の機会が無い母。

明日は私が泊まりに行くのではなく、母を私の家に連れて来ることにした。

車で片道二時間、大丈夫かな。

長い時間車に乗っていて、イライラされそう💦 

「疲れた」「お腹空いた」「トイレに行きたい」って怒りそう。

そんな母じゃなかったけど、病気になってからは、わがままな子どものようになってしまった。

そして喋れなくなったもんだから、「あー!あー!あー!」と叫ぶ。伝わらないと怒鳴るように、或いは泣き叫ぶように。

そして1番心配なのはトイレ。

前、実家の方に介護保険で車イスをレンタルした方がいいよと言っていたのだが、まだレンタルしていないようだ。

車イスが無いなんて本当に困る。道中、トイレにも連れて行けない。

家の中のトイレならまだしも、出かけ先のトイレまでの距離は、私が支えても歩けない。

ホントに車イスをレンタルして欲しい。


さて、私の家に連れて来て、今回は2泊させてみるつもり。

なぜ2泊って、母は夜、眠りが浅すぎて、ほぼ私は徹夜になる。私ひとりでは2泊が限界💦

実家に泊まりに行くと私は母の部屋で寝るのだが、なんと5分おきに、「あー!あー!あー!」と、私を呼ぶ。

何かしら用事を筆談で言って来るのだが、トイレ介助等だけならまだしも、たまに「今何時?」とか時計見ればわかるでしょうよーって思うことまで聞いてくる。

更には私を大声で呼んでいながら「なに?」って言うと「なんだったか忘れた」って答えることもあり、寝かせてくれーってさすがに私もちょっと頭にくることも😣

今はそんな母だから、明日からどうなることやら。
 

でも、大変、辛い、苦しい、悲しい、という感情は心の奥にしまっておき、できるだけ明るく過ごそうと思う😄

そうじゃないと介護は滅入る。

母にも伝わってしまうし。


まずは片道二時間の珍道中(?)も含め、

母よ、私がついている、大丈夫。(←ホントに?😅)




































レコードどうしようと考える昭和の日

2024年04月29日 | 日記
先日実家に帰った時に見つけた、ゴミ袋に入って捨てられる寸前になっていた私のレコード。

レコードプレイヤーも無いし、そのまま捨てられてもいいかなと思ったけど、

やっぱりなんとなく救済して連れて来てしまった。




小学3年生の時に、テレビで初めて見た瞬間、ファンになった私の永遠のアイドル。

初めて買ったレコードは、やっぱり郷ひろみで「裸のビーナス」。4年生の時だった。

LPレコードを並べてみた。


あれ?少ないな。こんなもんじゃなかったぞ。



ゴミ袋の中のレコードを全部出してみたけど、あれも無いこれも無い。

中学生の時、この世の全てのレコード作品においてナンバー1だ!と思い込んで陶酔した原田真二の「フィールハッピー」も無いじゃないのよ!(そんなに好きならなぜ実家に置きっ放しにしてた)

あと、私が中学生の時、世は洋楽ブーム。洋楽は私もいろいろ買った。それも無いわ。

そっか、レコードが入ったゴミ袋、もう一袋あったんだな。既に捨てられたか。

仕方ない。諦めよう。


洋楽や昔でいうニューミュージックもたくさん持っていたけど、やっぱりアイドルレコードも。

ちょっと70年代の物の一部を並べてみた。



どうよ!(何が)


天地真理とかファンだったわけじゃないけど、この「思い出のセレナーデ」がアイドルらしからぬ名曲でね、片平なぎさのこの曲も名曲。




郷ひろみ郷ひろみと言いつつ、豊川誕とか荒川努とか川崎麻世とかも当時ちょっとファンだった😝

わかる人はわかる、メッツとかジャニーズジュニアスペシャルとかのもある!


それはそうと、

どうしよう。このレコード達…

捨てるべきか捨てないべきか、

それが問題である🤔

レコードプレイヤー買う?

いやいや今さら…

それとも売りに行ってみる?

写真にある70年代だけじゃなく、80年代ものもたくさんあるから、80年代ものなら少し売れるかな。

でも持って行って売れなかったらちょっと恥ずかしいな、すごすごと持って帰って来なきゃならないのが。

いや、でも捨てるよりは試しに持って行ってみようかなあ。

ああ、でも郷ひろみのLPでまた聴きたいのもあるなあ。

安いプレイヤー探して買おうかなあ。

うーん…




















賢治さん、ワタクシもそれ思ってました😅

2024年04月17日 | 日記
咲き始めたかなとおもったら、一昨日いっきに満開になった今年の桜。

肌寒かったのに突じょ初夏のような暑さになって、桜さん達も慌てて咲いたのかも。
















先日、新聞の或る記事を見て知ったんだけど、あの有名な宮沢賢治は「或る農学生の日誌」という作品の中で、

ぼくは桜の花はあんまり好きではない。

朝日にすかされたのを木の下から見ると
何だか蛙の卵のやうな気がする。

と書いているそうだ。


ちょっと!賢治さん!僭越ながら私も同じことずっと感じていました😅



私が撮ったこの写真からはそこまでじゃないけど、もっとこうソメイヨシノの花ががモリモリと連なって重なったのを見ると、まさに蛙の卵。

宮沢賢治さんもそう感じていらしたとはなんか嬉しい(?)


ただ、私は桜の花は好きだけど😄









昨日、息子のアパートに最後の引っ越しの荷物を運んで来た。

この年度末&年度初めに引っ越し屋さんがどこも超混んでいたので先月3回に渡って私と息子で荷物を車に乗せて運んだのだが、

なにせ私達の車は軽自動車で大きめの物は乗せられず、昨日やっと引っ越し屋さんに来てもらって最後の荷物を運んだ。

仕事で居ない息子に代わって私がアパートに向かい、荷物入れに立ち会った。

これで息子の引っ越し完了!

ホッとしたような寂しいような…

ふとアパートの壁に目をやれば宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の最後の一節。

難病になった私の母が昨年秋に入院中、6人の孫たちに一節ずつ書いた物の一つ。

6人の孫が1枚ずつ持っている色紙。


孫たちを想い、そして孫たちもおばあちゃんを想い…










今日は私のHappy birthday

2024年04月12日 | 日記
4月12日、ついこの前還暦を迎えたと思ったら、もう1年経った。

61歳!

母に、「今日は私の誕生日です。61年前の今日、産んでくれてありがとう」とLINEをしたけど、何も音沙汰はなかった😅

この前母に会いに行った時、スマホが重く感じると言っていた。いや、厳密にいうと言ってはいない。母は話が出来なくなったから。

スマホが重く感じると、ジェスチャー的に表していた。

スマホを持つだけでも疲れるなんて、病気が進んでいるんだろう…

そんな中、実家を継いでいる弟が、やたらと家の断捨離を始めてる気配。実家に置いていた私の物も捨てている様子なので、残された小さい頃の写真は捨てられないように持って帰って来た。



ザ・昭和って感じの母と私。

いくらババーンと顔をブログに載せようとも、大昔の母と私。二人とも今は超変貌してるのでね。

私は3歳ぐらいじゃないかな。
んまあ可愛い!自分で言う。

母はおそらく26歳か27歳。若いなあ😄


もう母は私の誕生日なんて意識にもないだろう。

寂しい気もするけど、私が寂しがっているのを感じたのか、就職で離れた町に暮らす息子が、「ご飯を食べに行こう」と帰って来た。

しかも、付き合っている彼女を紹介するのを兼ねて!

そしてさっき、ついに会って来た。

洒落たレストランとかではないが、びっくりドンキーで気軽に一緒に食べて来た。

冬に偶然チラッとは見かけていたが、話をしたのは今日が初めて。

ほぼ初対面なのに物怖じしない、私と同じぐらいよく喋るお嬢さんだった。笑 

顔はちょっと地味め(いや失礼だろ私)だが、私の息子にツッコミを入れるような明るい彼女だった😄


息子もやっと彼女を私に紹介できて、ホッとしたんじゃないかな。