幸喜幸齢 生きがい 日記!       

八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

江戸・長崎街道歩き旅(12日目)

2021年10月13日 | 江戸・長崎街道歩き旅24次(九州・小倉から長崎・出島へ)
10月12日 (火) 
 24/32℃(長崎県東彼杵郡千綿)
(12日目)長崎街道
 千綿ー松原宿ー大村宿

<行 程>
<千綿-松原宿ー大村宿> 
 千綿-大村湾ー旧道ー芝取石ー駕籠立場跡ー江の串橋ー江串三郎入道塚ー千部塔ーR34ー餅の浜踏切ー鹿の嶋弁財天ー旧松屋旅館(江戸小休憩地)ー松原宿⑳ー八幡神社ー郡川ー庄屋屋敷跡ー牟田家ー福重橋ー長崎 兵衛の墓ー極楽寺跡ー聖宝寺跡ー首塚ー胴塚ー八坂神社ー千葉卜枕屋敷跡ー獄門所跡ー斬罪所跡ー放虎原殉教地ー追分石ー妻子別れの岩跡ー鈴田牢舎跡ー正法寺ー観音寺跡ー水主町口石垣跡ー脇本陣ー高札場跡ー本陣跡ー大村宿㉑水主町口ー本町アーケードー軒灯籠「長崎街道大村宿」ー八幡神社

今日は曇り空 だが予想以上に気温が高く蒸し暑い💦
昨日歩き終えた無人駅のJR大村線・千綿(ちわた)駅から今日のスタートだ
絶好のロケーション   だが今日は曇天 お天気も良かった昨日にもっと撮っておけばよかったかな😆





可愛い無人駅、駅前にコンビニ1つない


大村湾が穏やかだ











稲刈りが終わり、この地域は昔ながらに天日干ししている光景が秋らしい

長崎街道を上る















峠からみる大村湾








再び下り、JR大村線踏切から海辺へ














松原から旧道を歩くと旧松屋旅館が見えて来る 江戸時代に休憩所として利用
松原宿は規模の小さな宿場で本陣や脇本陣がなく、諸大名が通行するときの小休憩所地だったようだ














松原宿の宿場に入る








































郡川を渡り国道を経て皇天宮、原口一里塚跡を過ぎると首塚跡がある

更に胴塚跡、獄門所跡、また斬罪所跡、妻子別れの岩跡、鈴田牢舎跡といった凄惨なキリシタン殉教史跡が続く 
天文18年(1549年)日本にキリスト教が伝わり、領主・大村純忠が日本初のキリシタン大名となり領内の布教を強く支援したことから領民のほとんどがキリスト教に改宗した 

しかし、豊臣秀吉、続く徳川幕府もキリスト教の禁教政策により改宗を厳しく迫られたが、隠れキリシタンとなり信仰を続けた人々406人が打ち首獄門となったという悲惨な歴史跡をみる


















大上川を渡り宿場の出入り口を示す「大村宿水主町口」の標識を経て脇本陣跡、本陣跡の標識を見るが、商店街の片隅に表示板だけで宿場時代の面影は無い




大村宿の宿場に入る

































(12日目)  21.08km 28.508歩
     累計(258.0km 352.013歩)

今日のドジ的気分😵‍💫
考えてみたらこの12日間、休みなしで毎日20キロ以上を歩いていたが、歩く事は問題ないが、この連日30℃以上の真夏日を歩くのは想定外🥵💦

ぎっくり腰からほぼ回復し、足腰肩も当初ストライキを起こしていたが徐々に立ち直り今は快調😃

問題は暑さによる水分補給過多で徐々に体調がおかしくなり、冷たいビールは飲めても珍しく食欲不振😩
時に頭痛とふらつきで熱中症か?
そうなれば大変と休み、よって今日は15時で歩き終えホテルで休養

まあこんな日もあるさ😆
それに今日は大村のキリシタン弾圧の凄惨な現場表示板を読み、その当時の現場に立ち、気分が落ち込み、さらに疲労を加速させたようだ😭 
人間はなんと惨いことをするのか・・・  これを書き出すとキリがないからもう寝よう😴💤

今日のランチは97円の露天みかん12個、食欲がない割によく食べたなぁ





コメント (2)
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