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生きづらい女子たちへ 夫婦別姓に反対したり「家族」を強調するわりには、家族を大切にしてるように見えないという謎

2021年04月06日 | 生活

雨宮処凛(作家、活動家)

Imidas連載コラム 2021/04/06

    森喜朗氏の「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる」という発言が大炎上していた頃、私はあることを思い出していた。

 それは数年前、飛行機で森氏と同乗した時のこと。ある野党の女性議員と一緒に地方講演に行く際のことで、彼女とともにビジネスクラス的な座席だったのだが、そこに偶然、森氏も乗り合わせていたのだった。

 その日、私はミニスカートを穿いていた。そんな私を見るなり、一面識もない森氏はニヤニヤしながら「そ〜んな短いスカート穿いて」と言ったのだった。挨拶も何もなく、突然ニヤニヤしながらミニスカートに言及されるというのは、これまで「通りすがり系の変質者」的な人にしかされたことがなかったので面食らっていると、森氏は悪びれた様子もなく、同じ台詞を繰り返した。

 その時、思った。「こういうの、久々に経験したな」と。人間としてではなく、ただ純粋に「女体」としてしか見られないという経験だ。しかもそのような台詞を口にする男性は、女性の服装を自分への「サービス」と思っているような節さえある。まったくもって一切全然、1ミリたりとも関係ないのに。

 同時に、閃いた。もしかして、このような言動をするのは確信犯なのかもしれないと。私と一緒にいたのは、フェミニズムに造詣の深い野党の女性議員である。そういう人の前で連れの女性にそんな発言をしたということは、遠回しに「フェミニズムとか言ってる女どもがいるが、俺にはそんなこと関係ないぜ」というあえての「尊厳踏みにじり行為」なのかもしれない。しかし、そのわりには森氏はずーっとニヤニヤしている。

「この人、確信犯なのか本当に何も考えてないのか全然わからないな……」

 世の中には、「深読みするだけ無駄」ということが多くあり、また「深読みしないほうがいい人」というのも存在する。

 そんな騒動があった後、今度は別の自民党議員を巡ってもやもやすることがあった。それは「丸川珠代議員、国会にて人を小馬鹿にしたような爆笑」問題。

 五輪担当大臣であり、男女共同参画担当大臣である丸川氏だが、彼女は選択的夫婦別姓に反対の立場。が、そんな自身の「丸川」という姓は旧姓で、そのように「通称」を使用することは実質的には夫婦別姓ではないのか? という突っ込みも多くある。自民党の女性議員には、彼女のように選択的夫婦別姓に反対しつつ、自身は旧姓を使っている人が多い。

 そんな丸川氏の「爆笑」は、3月3日、福島みずほ議員からの質問の時間に起きた。

 この日、福島議員は丸川氏に、「なぜ別姓に反対なのか教えてほしい」と追及。それに対し、丸川氏は「大臣として答弁に立っており、個人の意見を申し述べる場ではない」と回答を拒否。自民党議員が夫婦別姓に反対するのは「別姓は家族の一体感を無くす」などの理由が多いのだが、この日、福島議員は「家族の一体感、無いんですか?」と追及。すると丸川氏は突然「わざとらしい爆笑」をしたわけである。

 ちなみに、選択的夫婦別姓に賛成する人は69%(「選択的夫婦別姓、賛成69% 50代以下の女性は8割超」、『朝日新聞』2020年1月27日)。私の周りにも、これまでの専門職としてのキャリアや業績が、名前が変わることによって途切れてしまうという悩みを抱える女性が少なくない。決して男女共同参画担当大臣が爆笑しながらはぐらかすような話ではないのだが、マトモな答弁はなされなかった。

 本題に入ろう。

 丸川議員が夫婦別姓に反対な理由はよくわからないが(本人が説明しないため)、自民党は「家族」が大好きな政党である。改憲草案 に「家族は、互いに助け合わなくてはならない」という一文が入っているのは有名な話だし、森氏も「家族」を形成しない女性には手厳しい。過去には「子どもを一人もつくらない女性」を以下のように非難した。

「自由を謳歌して楽しんで、年とって、税金で面倒を見なさいというのは本当はおかしい」

 子どもを一人もつくらない女性の中には、欲しかったけどできなかった人もいれば、婦人科の病気を抱える人など様々な事情の人がいる。が、森氏にはすべて、「フリーダム!」と自由を謳歌している存在に見えるようだ。

 このように、家族をもって一人前、とにかく家族が大事、という感覚は自民党に色濃く見られるものであるが、一方で違和感も抱く。自民党議員たちが本当に「家族を大事」にしているのか疑わしいからだ。なぜなら、そんな当人が子育てに専念したり、親の介護に奮闘しているという話を私はほぼ聞いたことがないからだ。

 例えば16年、のちに不倫で有名になる宮崎謙介衆院議員(当時)は、男性議員として初めて育休を取ると宣言。女性たちからは「自民党議員が育休を取るなんて素晴らしい」と歓迎の声も上がったが、それに苦言を呈したのは自民党の先輩議員たちだったことは記憶に新しい。宮崎氏自身、当時、先輩議員から連日罵声を浴びせられるなど凄まじいパタハラ、パワハラを受けたことを語っている(小酒部さやか「自民党先輩議員たちからのパタハラ&パワハラが苦しかった。宮崎謙介元議員が今だから言えること」)。

 なぜ、家族の大切さを主張する政党が、ここまで「男性議員が育休を取ること」に反対するのか?

 では親は大切にしているのかというと、例えば積極的に親の介護をしているという自民党議員の話も耳にしたことはない。介護保険が導入された当時、自民党政調会長(のちに国民新党)だった亀井静香氏は「子どもが親の面倒を見るという美風を損なわない配慮が必要」と訴えたが、「子」が男性の場合、実際に介護をしているのは多くがその妻である。

そんな亀井氏は、2021年2月18日に放送されたNHKのドキュメンタリー番組「ETV特集 夫婦別姓 “結婚”できないふたりの取材日記」にて、別姓を望む夫婦に「付き合ってられない」と発言。それ以外にも「国家の恩恵を受けたいなら、ルールに妥協しないと」「夫婦が『姓が一緒だ、別だ』と言うこともない。みんな天皇の子だから一緒」などと「どこから突っ込めば?」的な発言を連発。そういえば森氏も以前、「日本は神の国」と言って炎上したのだった。

 さて、子どもや親を大切にしているところがなかなか見えないので、ならば妻は大切にしているのかと言えば、このコロナ禍の緊急事態宣言下で東京・銀座や高級ラウンジを飲み歩いて離党した国会議員4人のうち3人が自民党。別に銀座通いが妻を大切にしないこととそのままイコールだとは思っていないが、飲食店に時短要請が出され、ステイホームが呼びかけられる中、政治生命を失う覚悟で通う場所となると、いろいろと勘ぐってしまうのは私だけではないだろう。

 さて、ここまでくると、自民党が大切にしている家族とは誰なのか、それはエア家族、もしくは概念としての家族なのか、それとも非実在家族なのかという疑念がこみ上げてくる。

 それでは「助け合う家族」が美しいものかと言えば、そうとは言い切れない現実がある。例えば19年、福井県では夫と義理の両親の3人を殺害したとして71歳女性が逮捕されている。女性は長年70代の夫と90代の義理の両親の介護を献身的にしており、「村一番の嫁」と言われていた。が、自身も体調を崩すなどし、限界が訪れたのだろう。女性には今年1月、懲役18年が言い渡されている。

 どれだけ「いい嫁」でも、1人で3人を介護するのは絶対に無理だ。そのような「介護殺人」は、これまでにも多く起きてきた。家族が助け合うことは「美しい」ことではあるが、密室での介護が続いてしまうと、時にこうして悲しい事件に発展する。だからこそ、困難を抱えた家族こそ、「開かれる」べきなのである。

 ここで参考になるのは、難病の人たちの取り組みだ。例えば、れいわ新選組の舩後靖彦議員はALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病を患っているが、全身麻痺になり、話すこともできなくなる病気だけに、ALS界隈では様々なノウハウが作り上げられてきた。

 呼吸器をつけたALSの人を自宅で家族だけが介護するとなると、過酷な日々が待っている。基本的な介護に加え、定期的に痰の吸引をしないと窒息死してしまうからだ。その介護が家族だけで担われていたとしたら、私だったら1日で音を上げるだろう。仕事どころか外出もできない。それどころか睡眠をとることも、入浴だってできないだろう。トイレだって一瞬で済ませなければならない。

 そんな日々が1カ月も続けば、「早く死んでくれないかな」と願ってしまうかもしれない。どんなに大切な人であっても、「家族介護」は時にそこまで人を追い詰めてしまうのだ。だからこそ、他人介護が必要だということを、私は難病の人たちとの付き合いから学んできた。

 例えばALSの母親の介護をしていた日本ALS協会元理事の川口有美子さんは、介護を始めて8年目、自分で介護派遣会社を立ち上げている。ALS患者にヘルパーを派遣する会社で、ヘルパーを育てて派遣するほうに回り、母の介護も他人介護にシフト。そうしてどんどんヘルパーを要請することで、仕事のない人に仕事を提供するという雇用創出ができ、家族は介護から解放されるのだ。

 それだけではない。ALSの人たちは、これまで様々な交渉をすることで24時間介護を勝ち取ってきた。そこには多く公費が投入されているので自己負担は少なくて済む。

 そのような取り組みの果てに、ALSの人の中には一人暮らしをする人も増えている。「全身麻痺でどうやって?」と思うかもしれないが、24時間ヘルパーがいるから安心だ。

 実際、舩後議員は議員になる前も今も一人暮らしである。また、ALSは知能には影響がないので、わずかに指などが動けばパソコンを操り、仕事をすることができる。よって、患者の中には自身がヘルパー派遣会社を経営している人も少なくない。舩後さんも議員になる前はそのような形で福祉関係の会社の副社長として経営に関わっていた。

「嘘みたい」と思うだろうが、難病者たちはこのように家族の手を借りずに生き、働き、稼ぐノウハウまで作ってきたのだ。

 その何が利点か。それは「家族に勝手に代弁されない」ことだろう。例えば自力で話すこともできなくなった時、家族しか周りにいなければ、あなたの意思は尊重されるだろうか。

 今、この原稿を読んで、もし一人暮らしをしたいと思った全身麻痺の人がいるとしよう。その思いを周りに伝えても、家族は「いやいやうちの子/親には無理です」と勝手に代弁しない保証はあるだろうか。それどころか、日常の「小さな代弁」によって、あなたの要望は常に歪められていないだろうか。これはあなたが事故や老いによって寝たきりになった時に必ず直面することでもある。しかし、相手が家族ではなくプロであれば、勝手な代弁はしないはずだ。あなたは一人の人間としての意思を尊重される。

 昨年、SMA(脊髄性筋萎縮症)の海老原宏美さんと週刊誌の座談会で話した。その時、彼女は以下のように言っていた。彼女も難病でありながら一人暮らしをしている。話すことはできるが、日常生活のいたるところに介助が必要な車椅子ユーザーだ。

「当事者としても、家族に介護されていたら、あっという間に抑圧されるし、我慢させられます。だから私は家を出たのです。障害者と家族が一緒にいると『利用者』と『ヘルパー』でしかありませんが、離れたら普通の家族になれる。これは大事なことです」(「人工呼吸器、着ける?着けない?『生きている意味』を問わない社会へ」、『週刊金曜日』2020年11月20日)

本当に家族を大切にするために出した結論が、多くの場合、「家族と離れる」だったこと。そして他人介護のフル活用だったこと。ここには、これからの高齢化社会を生きるヒントも隠されている気がするのだ。

 そんな先駆者たちのノウハウこそ、政治の場で取り上げられるべきことではないか。

 が、この国では選択的夫婦別姓すら認められないままで、しかもその夫婦別姓について、自民党は21年3月10日、男性議員だけで論点を整理することを発表した。

 その後3月25日、別姓に賛成する自民党議員らによって議員連盟が立ち上げられたようだが、一体どうなるのか。しっかり見ていきたいと思っている。


いい天気でしたが、風が強い。昨日のうちにビニールをかけて正解でした。
積雪0と言ってもいい状態です。

室内の君主蘭は散り始めました。