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「社会的連帯経済」への誘い2「創造集団440Hz」自分から始まる生き方を求めて

2021年07月17日 | 社会・経済

工藤律子(ジャーナリスト)

imidas 2021/07/14

    ジャーナリストの工藤律子さんが、人の暮らしと環境を軸に 「つながり」と「協力」に基づく新しい経済活動に取り組む現場を求めて、日本各地を訪ね歩く。

 閉塞感のある社会で、生きたいように生きる――「創造集団440Hz(以下、440Hz)」のウェブサイトのトップに掲げられている言葉だ。そこには既存の社会のあり様に疑問を抱き、自分らしい働き方を追求する者たちの覚悟が見える。440Hzは、現在、株式会社の形態をとっているが、利潤よりも人を、競争ではなく協力を大切にした職場を築いている。

現在、440Hzで活動しているメンバー。左から朝倉景樹さん、長井岳さん、石本恵美さん、信田風馬さん。撮影:篠田有史

不登校からの気づき

 メンバーは全員、フリースクール「東京シューレ」が、1999年に立ち上げた「シューレ大学」の出身だ。東京シューレは、不登校がまだ「登校拒否」と呼ばれ、不登校の子どもがひどく差別されていた時代からずっと、子どもたちが自分らしくいられる学びの場を提供してきた。そのシューレのスタッフが、18歳をすぎてからも自分らしい生き方をみつける学びを続けたいと望む若者とともに創ったのが、シューレ大学だ。
「そんなシューレ大にいた若者3人が、自分らしく、互いを尊重しながら、社会とつながるための起業をしたいと、440Hzを創ったんです」
  440Hzのアドバイザーである教育社会学者の朝倉景樹さん(55)は、そう語る。朝倉さんは、30年近く東京シューレのスタッフを務めた後、2020年10月からシューレ大学の発展型である「TDU雫穿(てきせん)大学Tekisen Democratic University(以下、TDU)」の代表となった。TDUは、440Hzと協力しながら活動している。
 440Hzは、2010年9月、映像・デザイン制作会社として産声を上げた。社名は、国籍や人種に関係なく、生まれたての赤ん坊の産声は440Hzだという話をもとに、「生まれたての赤ん坊がお腹の底から泣く時のような根源的なところから仕事をし、表現をして生きていきたい」という思いで付けられた。4人のメンバー(うち、1人は現在休職中)が運営に携わる。
 代表取締役で映像制作担当の石本恵美さん(40)は、中二で不登校になり、東京シューレに4年通った。

映像制作を担当する石本恵美さん。撮影:篠田有史

「そこで初めて学校に行かないという生き方もあるんだと知り、気持ちが楽になりました。それでもまだ、自分には『価値がない』と思い込んでいて、自信が持ちきれませんでした」
 そんな時、朝倉さんに声をかけられ、シューレ大の設立準備に参加することに。設立・運営に必要な予算、それに見合った学費、カリキュラムなどを、学生仲間やスタッフ全員で話し合って決める過程に関わった。
「主体的に、人と生きる楽しさを知りました。大学では、映像表現とも出会い、映像を通して社会と関わり、社会を良くしていきたいと思うようになったんです」
 その思いを叶えるために、仲間と440Hzで働く。

企画・ウェブ担当の長井岳さん。撮影:篠田有史

「僕の場合は、シューレ大のイベントで、ソーラーカーを作るという人の話を聞いたのが始まりです」
 そう話すのは、企画とウェブ担当の長井岳さん(44)だ。彼も中学時代、長髪だった友人のために丸刈りを強制する校則に反対したところ、誰にも味方になってもらえず孤立し、不登校に。「不登校になるのは弱い人間だ」と思いつめ、強くなるために働こうと、水道工事の仕事に就いた。ところが、労働現場にも学校と同じように「上が決めた仕組み」があることに気づき、しだいに追い詰められていく。その息苦しさは、地元福島から上京して夜間大学に通う間のアルバイトで感じた「枠に合わせないと排除される」という不安とともに増し、とうとう大学を中退してしまう。
「『不登校』をまずしっかりと考えなければ、自分の問題を乗り越えられない。そう気づいて、いろいろな不登校関係のイベントに参加するうちに、シューレ大と出会ったんです」

シューレ大のイベントでソーラーカーを製作していると語る不登校経験者の話を聞いて、不登校に対するイメージが変わった。
「不登校をした人でも、そんなすごいことができるんだ。そう驚くと同時に、一緒にソーラーカーを作りたいと思ったんです」
 シューレ大に入ってソーラーカー製作に挑み、仲間と鈴鹿耐久レースにも出場。その過程で「いろいろな人の思いを乗せたものを作る楽しさ」を知り、演劇にも取り組む。「特別な人間にしかできない」と思い込んでいたことは、誰にでも挑戦できることだと気づいたからだ。
「その頃からずっと(大学の講座「生き方創造」で始めた)『自分研究』を続けています。自分の中にある学歴コンプレックスはどこから生まれたのか、ということから考え始め、次第に世間の枠組みではなく自分の中の声を大切にできるようになってきました」
 働くのが辛いと感じていたのも、枠にはまった働き方しか思い浮かべなかったからではないか。そう考え、別の働き方を調べていくうちに、労働者が皆で出資、経営し、働く「協同労働」を知る。
「『自分研究』と『シューレ大で出会った仲間』、そして協同労働に見られるような自分から始まる働き方との出会いが、今の生き方を可能にしてくれました」

ともに考え、ともに働く

 440Hzのオフィスは、都内の小さなビルのワンフロアある。入って左手は、長方形に長机と椅子が置かれたミーティングスペース。右手には、「よくここでご飯を作っている」というキッチンと、作業スペースがある。一番奥には、もう一部屋、ミーティングルームが確保されている。
 作業スペースでは、石本さんが映像編集に取り組んでいた。440Hzが制作してきた映像作品シリーズは、世界の教育、放射能、平和といった社会的テーマを扱っている。どれも、メンバーがシューレ大で培ってきた問題意識に端を発するものだ。自らの体験を通じて湧いた学校制度・文化への疑問、東日本大震災で痛感した放射能に関する正しい知識の必要性、2003年のイラク戦争と人質になった日本人への「自己責任論」から感じた疑問などが、制作意欲をかきたてた。
「取り上げたい企画は、各自がプレゼンテーションを行い、皆で話し合って決めていきます」
と、石本さん。シリーズ作品は、主に大学図書館に販売している。ほかにインターネット・ケーブルテレビの番組制作なども行う。コロナ禍では、オンライン会議のサポートの仕事も増えた。
 同じスペースの奥では、デザインとウェブ担当の信田風馬さん(39)が、パソコンで仕事をしている。ウェブサイトやチラシ、パンフレット、カレンダー、名刺などのデザインを手がける。

デザイン・ウェブ担当の信田風馬さん。撮影:篠田有史

「僕の名刺も、440Hzでつくったんです」
と、長井さん。その名刺には、レンガ色の紙に白抜きで出身県福島の地図が描かれている。「透かしてみてください」と言われて光にかざすと、地図の真ん中右寄りに、人の形が浮かび上がった。「その辺りが僕の出身地なんです」。
 取材の日、午前中は広いミーティングスペースで、スタッフと朝倉さんがスケジュール会議をしていた。長井さんが進行役となり、グーグルカレンダーを使って、全員が日程表を共有しながら話を進める。大学のゼミのような雰囲気の中、各自が自由に発言し、進行中の業務の確認や今後の予定を話し合っていく。長井さんが「パンフレットの仕事が進まない……」と漏らすと、朝倉さんが「長井くんのやることを、皆で明日の夜にでも整理してみたら?」と提案、さっそく予定に入れられる。自己責任ではなく、支えあいが重視されている。
 この日の会議では、TDUの学生の状況や授業内容についても話し合われた。440Hzのメンバーは、TDUの学生の相談役的存在で、講師もしており、講座や行事の企画にも関わっているからだ。

原点「生き方創造」

 後日、440Hzメンバーの今に深く関わっているという講座「生き方創造」を、TDUで見学した。朝倉さんと学生15人(3人はオンライン参加)が、ロの字に置かれたテーブルを囲む。床に座ったり這いつくばったりして参加する人も。この日は2人が発表を行い、参加者と意見交換をした。
「私にとっての幸福は何か」という発表では、TDUで得ている生きる実感と、将来そこを離れた後の自分に対する不安、さらに「親の(学費)投資」に報いる形で生きていくためにレベルアップしなければと思うことなどが、語られた。共感する声や、「幸福は、自分がどう生きたのかをもとに考えるのが近道では」といった意見が出る。
 もう一人の「2つのわたし、ひと」という発表では、家族に否定されていた過去の自分に影響され、必要以上に他人の目を気にする今の自分の苦しみが、伝えられた。「価値のない人間とされている過去の自分を、今の自分が肯定的に捉え直してみては」といった提案がされる。
 講座の様子からは、440Hzの原点が見えた気がした。他者との対話を通して、自分の不安や苦しみのもとを探り、理解していくことで、自己否定から抜け出し、「自分から始まる生き方」をみつけてきたメンバー。彼らもかつて、この日の学生たちのように、仲間に自らをさらけ出し、理解され、理解しようとするなかで、自分の生きる道を探していたのだろう。その結果、仲間と学び、支えあいながら、働き、生きることのできる場を、自分たちで生み出した。

出会いとつながりの先に

 440Hzは現在、新たな事業として、不登校の子を持つワーカーズコープの職員とその子どもをサポートする「リゾームスクール(家庭など自分の選んだ場所で学んでいくプロジェクト)」を行っている。朝倉さんと石本さんが、不登校の子どもやその親が学校とどのように関わればいいのか、家庭学習はどう進められるのかなどの相談に乗り、子どもの自由な学びを支えるのだ。
 取材日の午後も、二人はミーティングルームで1時間ほど、相談に来た母親と話をしていた。
「いらしているのは、ワーカーズコープの方々なんです」
と、朝倉さん。440Hzは、数年前から「日本労働者協同組合(ワーカーズコープ)連合会(以下、連合会)」の人たちと連携しており、つい最近、連合会の会員にもなった。440Hzにとって、ワーカーズコープとの出会いは、新たな扉を開くものだった。約5年前、生きづらさを抱える若者支援組織の大会で声をかけられ、交流を深めるうちに連携することになったという。

「ワーカーズコープでは、働く人が主体的に自分の仕事を仲間と協同しながら創っています。その『働く』という部分を『学ぶ』に置き換えると、私たちが身につけた学びのあり方と一致するんです。そういう意味で協同できる面が多いと思います」
 石本さんはそう考える。
 冒頭で述べたように、440Hzは現在、株式会社の形をとっている。東京シューレに通った若者の働く場として、親たちが株主となって作られた会社の枠組みを引き継いだためだ。しかし、より多くの株を持つ者がより大きな発言力を持ち、利益を上げて配当金を出すという株式会社の形態は、本来、440Hzに合わない。「労働者協同組合」の方が、親和性があるのだ。
「ワーカーズコープにおいても、それぞれの事業はいろいろな悩みや当事者主体ならではの葛藤を抱えながら、運営されているように感じます。僕たちと似ている」
と、長井さん。石本さんも、
「同じ会議に出たり、一緒に仕事をしたりするなかで、互いのことがよりよくわかってきました」
と話す。
 6月中旬、連合会の定期全国総会の会場には、440Hzの3人の姿があった。オンライン併用で行われる総会の運営サポートを任され、石本さんがカメラ、長井さんが演出、信田さんがテロップと音声を担当している。隣に座った連合会本部スタッフと言葉を交わしながらパソコンに向かう信田さん、高い位置に据え付けたカメラを台に乗って操作する石本さん、連合会の人たちと気さくに撮影の段取りを確認し合う長井さん。
 会議終了後、連合会本部のスタッフに、「440Hzが作ったオープニングビデオ、とてもよかったです」と声をかけられた石本さんから、笑みがこぼれた。
「こうした出会いとつながりから生まれた仕事が増えています。仕事が多くなって、仲間が増やせるといいなと思います」
 とはいえ、440Hzメンバーの収入は平均収入と比べるとかなり少なく、そのわりに労働時間が長い。それでも彼らはこう胸を張る。
「私たちは、働くことと生活することが一緒になっているんです。お金につながらなくても大事な仕事もある。何より人生の時間の使い方を自分自身で決めているので、楽しいんです」

日本労働者協同組合連合会の定期全国総会会場。信田さん(中央奥)が音声とテロップ、石本さん(手前右)が映像撮影、長井さん(手前左)が段取りを確認する。撮影:篠田有史

株式会社 創造集団440Hz
設立年:2010年
人数:4人
事業内容:映像制作、デザイン、講座・講演・ワークショップなど
モットー:自分らしく、互いを尊重して働く


朝8時ころの気温。
すでに最高気温40℃・・・?
 今日も収穫と水やりで終わる。まだ沼の水があるのでいいが、水位はどんどん下がっている。井戸水もまだ出ている。

ハウス内。
ミニトマト通路左バジル、右スベリヒユ。


変革への闘い 「社会的連帯経済」への誘い1 未来を生きるための経済

2021年07月16日 | 社会・経済

工藤律子(ジャーナリスト)

imidas 2021/07/14

 

 パンデミックを生きるなかで、私たちの多くが、これまでの経済のあり方のおかしさに気づき始めている。脱成長、反グローバリズムなど、以前から一部では叫ばれていた「既存の資本主義経済を続けていてはダメだ」という声に、共感する人は増えているだろう。それは、気候危機を訴え、大人の対応の不十分さに怒りを示す若者たちの姿にも映し出されている。そもそも問題はどこにあり、どう乗り越えることができるのか。

パンデミックが明らかにした現実

 この5年余り、私は時折、大学生を相手に「雇用なしで生きる」というテーマで講義をしてきた。自給自足生活をせよ、と言っているのではない。正規であれ非正規であれ、会社に雇われて働くことだけが人生じゃない、未来を見据えた選択はほかにもある、という話をしているのだ。

 大学を卒業すれば、会社に就職して働くのがほとんど当たり前だった時代と異なり、今は、例えばテクノロジーを利用して起業するなど、より自由な働き方ができる環境にある。給料よりも社会貢献度を優先して職を選ぶ若者が増えているとも聞く。だが、それでも「就活」イコール「会社探し」と考えている者が、意外と多いことに驚く。「会社に雇用されなくても生きていけるなんて、思いもしなかった」。学生からはよくそういう反応が返ってくる。就活で内定をもらえなければ絶望的で、自分の存在まで否定された気分になりかねない若者が、大勢いるということだ。

 日本の子どもの大半が、いまだに「よりよい将来のためには、大学を出て、いい会社に入る必要がある」と周囲の大人に言われ、学校での競争を勝ち抜き、いい学校へ進学しようとしている。それが人として幸せになる道だと思い込まされているからだろう。その道を外れれば、苦しみと自己否定感に襲われる。しかも現実には、競争を勝ち抜ける人間は少数派で、多数はどこかの段階である程度の妥協を迫られることになるのだから、たまらない。

 そのモヤモヤ感、心から幸せだとは言えない日常。それは戦後、日本人が、豊かになるには資本主義世界の優等生である欧米の経済力に追いつき、追い越さなければと考えてきたことに由来するものだろう。政府は、その経済成長に必要な人材を確保するために、教育まで、経済政策を軸にデザインしてきた。効率的で生産性の高い、経済成長に役立つ「能力」を持つ人間を育てるために競争をさせ、勝ち抜いた者こそが社会にとって価値のある人間であるかのような空気を作り上げたのだ。その結果、子どもたちの間では、多様な人間同士の認め合いや助け合いがより困難になり、差別やいじめ、不登校が広がり、大勢の若者の人生を狂わせてきた。

 つまり、経済成長ありきの競争社会が私たちに植え付けた「常識」は、本当は「非常識」。非常識を常識と信じる大人たちが築いた社会は今、学歴、所得、ジェンダー、国籍、障がいの有無など、様々な違いによって、人々を分断している。分断は、数々の深刻な社会問題を生み出してきた。

 例えば、中高年まで続く引きこもりの長期化。劣悪な環境で働く外国人労働者への搾取。非正規雇用が多い女性やひとり親家庭の貧困。解消されない男女の賃金格差。「子どもをつくらないから生産性がない」といったLGBTへの謂れの無い差別。重度障がい者は生きる意味がないという人権無視の身勝手な論理で起きる殺人。どの出来事の背景にも、経済成長ありきで作り上げられた歪んだ社会が透けて見える。環境破壊と気候変動も、その歪みの産物だ。

 そして現在、コロナ禍が強いる新たな生活・労働のあり方は、すでにあった社会の分断を一層深いものにしている。非正規雇用労働者の多くは職を失い、生活困窮者は更に追い詰められ、エッセンシャルワーカーは休みたくても休めない一方で、自宅でもできる職種の会社員はテレワークで安全に働き、IT企業はかつてない利潤を上げる……。この矛盾だらけの社会状況は、パンデミックによってもたらされたのではなく、もともとあった経済格差や貧困、差別の問題を長く放置してきた結果だ。

 だからこそ、私たちは改めて自覚しなければならない。従来通りの道筋で会社に就職して働き、お金を稼ぐことが、豊かな暮らしと社会、幸福な未来を築く道ではないということを。「雇用なしで生きる」というのは、その自覚を呼び覚ますためのフレーズだ。

 では、これから私たちは、どんな道へと進めばいいのだろう。

「社会的連帯経済」の勧め

 実は、世界には、既存の資本主義経済とは異なる経済を創ることで、誰もが人間らしく、安心して暮らせる社会を築こうと歩む人たちが、すでにいる。「社会的連帯経済(Social Solidarity Economy)」と呼ばれる経済を形成する人々だ。

「社会的連帯経済」という言葉は、「社会的経済(Social Economy)」と「連帯経済(Solidarity Economy)」をつなげて作られた。「社会的経済」は、フランスやスペイン、イタリアといったラテン系欧州諸国を中心に広がっている概念で、「連帯経済」は、ラテンアメリカをはじめとする地域で環境保護などの社会運動と結びついて展開している考え方だ。どちらも、「既存の資本主義の論理に基づかない経済を創る試み」である点で一致していることから、結びつけて使われるようになってきた。そこで、ここでは「社会的連帯経済」を語ろうと思う。

 社会的連帯経済の主な担い手は、労働者協同組合(Worker Cooperatives)をはじめとする様々な協同組合やNPO、フェアトレード、有機農業、地域通貨などを運営する人たちだ。つまり、日本にも、その担い手は存在している。

 まずは、私が2012年から取材してきたスペインの社会的連帯経済を例に、話を進めよう。

 スペインは、欧州の中でも社会的連帯経済が盛んな国の一つだ。スペインの関係組織全体を代表し、政府や欧州連合(EU)、国際連合(UN)などに働きかける「社会的経済スペイン企業連合(CEPES)」によれば、2019年現在、スペインでは、人口の4割以上が社会的連帯経済に何らかの形で関わっており、その経済活動は国内総生産の約10%を生み出している。EU全体でも、社会的連帯経済は域内総生産の約8%を占め、約1360万人の職場となっているという。

 スペインで社会的連帯経済を推進する人たちは、どんな経済を目指しているのか。担い手たちにその質問をぶつけると、必ず返ってくる言葉がある。

「人の暮らしと環境を軸にした経済」

「人の暮らし」を軸にするということは、経済成長やそのための競争、利潤追求ではなく、人の暮らしを守ることを優先する経済を創るということだ。

「環境」という側面については、環境破壊をもたらしてきた既存の経済活動を、自然との共生を念頭に置いた経済活動に変える、という共通目標がある。環境破壊によって起きている気候危機は、その原因をつくっている私たち自身が対処しなければ解決できない、人類全体の課題だ。今まで同様の経済活動を続けていては、気候危機は手に負えない状態にまで行き着き、地球も私たちの未来も崩壊する。だから、私たちの手で、自然との共生を前提とした社会的連帯経済を創り、危機を回避しようというのだ。既存の経済活動が危機に加担していることは、パンデミックで世界中の経済活動が停滞した時期に、温室効果ガスの排出量が急激に減少したという事実からも明らかだ。未来を考えるとき、環境を軸にした持続可能な経済は不可欠なのだ。

 では、私たちは、具体的にどんな原則に基づく経済活動をしていけばいいのだろうか。スペインのシンクタンク「アルテルナティーバス財団」の研究所が報告書「社会的連帯経済 現状とスペインの展望」(2019年12月)で提示する社会的連帯経済の定義をベースに、わかりやすくまとめると、次のようになる。

1)地域や環境とのつながりを大切にする

 地域を豊かにすることに積極的に関わり、自然との共生を前提とした豊かな環境の維持を模索する。

2)競争するのではなく、協力する

 信頼と助け合いに基づいて、人と人、組織と組織がつながり、協力しながら働く。

3)資本ではなく、人を中心に置く

 利潤を増やすことではなく、人が安心して働き、働きながらも学び、創造力を発揮して、心豊かに暮らせるようになることを目指す。

4)民主的、かつ全員参加の運営をする

 皆が情報を共有し、対等な立場で議論に参加し、民主的な方法で物事を決める。

5)安定した生活を保障する

 誰もが仕事を持って一定の生活の質を保てる働き方、経済のあり方を実現する。

  こうした経済を創ろうとしている組織の中でも、その原則を最もよく体現しているのは、「労働者協同組合」だろう。スペインでは、労働者協同組合がこの新しい経済を築くうえでの中心的な役割を果たしていると考える。

「つながり」と「協力」を糧に

 労働者協同組合は、次のような特徴を持っている。

・組合員である労働者自身が出資し、事業を経営する。つまり、雇用・非雇用の関係がない。

・労働者同士、あるいは組合同士は、競争ではなく、協力を通して事業を行う。

・出資額に関係なく、一人一票の原則で、組合員全員が対等な立場で議論し、運営する。

 これほど民主的で平等な職場は、あまりないように思う。

「仕事の進め方も給料も、すべて自分たちで決めるから、とてもやりがいがある」

 スペインの労働者協同組合で出会う人たちは、大抵、そんなふうに話す。雇用主や上司の指示のもとで同僚と競い合いながら働くのではなく、誰もが対等な立場で、目標を共有しながら協力して働いていること。それぞれの個性を尊重し、皆で学び合いながら成長していること。労働を通して、より自分らしい生活を築き、人の役にも立てること。それらの事実からくる充足感だろう。

 労働者協同組合は、日本国内でも、パンデミック下でより多くの関心を集めるようになってきた。国内には現在、「日本労働者協同組合(ワーカーズコープ)連合会」と「ワーカーズ・コレクティブ ネットワーク ジャパン」の2つのネットワーク組織があり、合わせて2万5000人前後の組合員がいる。 

 スペインでは、労働者協同組合を含むあらゆる協同組合(農協、生協、漁協など)が、一つの「協同組合法」のもとに定義されている。この法律に則ってつくられた協同組合は、国の社会保障制度に組み込まれる。ところが、日本では、これまで労働者協同組合のための法律がなかったために、労働者協同組合は皆、実際にはスペインのそれと同じような特徴を持って運営されていても、NPOや企業組合などの形態をとらざるを得なかった。2020年12月にようやく独自の法律、「労働者協同組合法」が成立したところだ。この法律は2022年12月までに施行されるため、今後、正式に労働者協同組合として登録する組織が出てくるだろう。

 スペインの労働者協同組合は、パンデミックによる深刻な経済危機に見舞われた2020年、その特徴を生かして、互いのつながりと協力を糧に、支えあって生き延びた。「スペイン労働者協同組合連合会(COCETA)」によれば、25万人以上いる組合員の中には、サービス業従事者を中心に、政府が支給する「一時解雇(ERTE)給付金」を受けなければならない状況に陥った人たちがいたが、その76%は同年度中に受給の必要がなくなったという。全国の組合員の間には、解雇された者は一人もいなかったそうだ。それどころか、1300を超える組合が新たに誕生している。

 この事実は、社会的連帯経済のもとでなら、危機に対してもより柔軟な対応が可能で、未来へと歩み続ける力をより確実に得られることを示している。

未来を生きるための経済を創る

 未来を生きるために、私たちは、つながりと協力に基づく新しい経済を創っていかなければならない。私たちからしばしば生きる意味や、生きたいと思える未来まで奪ってきた既存の資本主義経済を離れ、足元から社会を築き直していくのだ。

 この連載では、日本でそんな活動に取り組む人たちを訪ね、実際にどんなことが行われているのかを伝えていく。訪問先を選ぶ基準は、先述の社会的連帯経済の原則に沿った活動を目指し、それを一定程度、実現していることだ。先に挙げた日本社会が抱える問題も念頭に、異なる分野で活動する取材対象を選び、観察し、課題を含めて紹介していきたい。

 取材対象には、労働者協同組合(ワーカーズコープやワーカーズ・コレクティブ)やNPOはもちろん、市民グループや自治体による取り組み、それら様々な組織のネットワークも含まれる。その多くは、おそらく「社会的連帯経済」という言葉や概念を知らないだろう。しかし、彼らは今この瞬間、その概念に基づいて活動するスペインや世界の人々と重なる思いを胸に、働き生きている。その姿を通して、より豊かな社会の未来像を共に思い描いていこう。

 

 この連載を始めるきっかけとなったスペインの社会的連帯経済と、それを取り巻く政治・経済・社会状況に関しては、拙著『ルポ 雇用なしで生きる スペイン発「もうひとつの生き方」への挑戦』『ルポ つながりの経済を創る スペイン発「もうひとつの世界」への道』(ともに岩波書店)に、詳しく紹介されている。また、2021年4月からは、同じ関心を抱く仲間で、社会的連帯経済ポータルサイト「つながりの経済」を運営している。日本と世界の状況について知りたい方は、ぜひこちらを訪問していただければと思う。


 朽ち果てた「資本主義」を脱出し、新たな「システム」を作り出していきたい。パンデミック後の新たな「システム」はもとに戻してはいけない。わたしの「農業」も、何かの役に立つのではないか?一緒に出来る人を探している。

 江部乙、とうとう30℃超えた。ハウスの中は37℃。まともな雨が1ヶ月近く降っていない中、カンカン照りの30度超えは干ばつを意味する。21,22日に付いた小さな傘マークはやはり消えていた。

ガガイモの花。


室井佑月「不思議でならない」

2021年07月15日 | 社会・経済

連載「しがみつく女」

週刊朝日 2021年7月23日号

 

 作家・室井佑月氏は、コロナ禍で行われる東京五輪を「上級国民だけの祭典」と批判する。

*  *  *

 7月5日配信の朝日新聞DIGITAL「【独自】開会式は無観客で調整 『五輪ファミリー』の観戦容認へ」という記事によれば、「政府は東京五輪の観客について、国立競技場で行われる開会式や大規模会場を『無観客』とし、それ以外の規模の小さな会場を条件付きで『有観客』とする方向で最終調整に入った。開会式で1万人程度とされる国際オリンピック委員会(IOC)などの関係者やスポンサーら『別枠』については、できる限り圧縮したうえで入場を認める方針だ」という。でも、「IOC委員などの『五輪ファミリー』や各国の外交関係者、スポンサーらは別枠として観戦を認める方向だ。開会式も入場できるようにする」なんだってさ。

 ん? つまり、東京五輪は基本、無観客で開催される。だけど、どうしても開会式やひいきするスポーツの試合を生で見たい「五輪ファミリー」がおる。だから、小さな会場を「条件付きの有観客」にし、あたしたちにそれでいいでしょっていいたいらしい。

 けど、これで納得できるか? 膨らみに膨らんだ東京五輪の開催費は3兆円を超えている。ざっと考えてあたしたちは1人3万円もの東京五輪の開催費を払わされることになる。6人家族なら、赤ん坊やお年寄りを含め18万円もの出費だ。

 新型コロナウイルスのせいで、生活が苦しい人は多い。貧困者や貧困スレスレになってしまった人をそっちのけで、上級国民だけの祭典に莫大(ばくだい)な税金を使っていいはずがないだろう。

 それに政府は、経済活動を再開できるよう、感染症対策をばっちりやった上で東京五輪を行おう、というのではない。五輪後の選挙のことしか考えていない菅首相が「とにかくたくさんの人にワクチンを」と音頭を取っていたが、それは五輪に間に合わず。てか、最近ではワクチンの数が足りなくなってしまった。いくら政府が感染症対策をやったところで五輪を開催したら、あたしたちが被るリスクは膨らむのだ。

7月4日投開票だった都議選は、東京五輪に厳しい批判をしている党が票を伸ばす結果となった。当然だ。

 しかし、この地獄の東京五輪を招致した戦犯の安倍前首相は、「反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対している」とある月刊誌の対談で述べていた。

 望むなら東京五輪を生で観戦でき、コロナに感染したら優先的に処置される人、税金の横流しを受けもうかっている者、カルトのような妄信的な応援団だけが愛国者だと?

 頭の物差しがおかしいとしかいいようがない。まだこの人を持ち上げる人が、結構いることが不思議でならない。

室井佑月(むろい・ゆづき)/作家。1970年、青森県生まれ。「小説新潮」誌の「読者による性の小説」に入選し作家デビュー。テレビ・コメンテーターとしても活躍。「しがみつく女」をまとめた「この国は、変われないの?」(新日本出版社)が発売中


リシマキアと紫陽花

ひまわり

クリの落花


内田樹「座視できない五輪の無理押し 今こそ再び、五輪中止を求める」

2021年07月14日 | 生活

AERAdot 2021.7.14 

 再び五輪中止を求める。「その話はもう飽きた」という読者もおられるだろうが、このまま五輪強行開催を座視することは私は市民として耐えがたい。最後まで五輪中止を訴え続けたい。

 5月に弁護士の宇都宮健児氏が五輪中止を求めるオンライン署名を始めた。35万筆が集まった時点で都知事宛てに署名簿が提出された。だが、都からは何の反応もなかった。署名簿をどう扱うかについて話し合いさえ行われなかった。開示請求に都はそう回答した。

 7月に入って、飯村豊氏、上野千鶴子氏ら13人が呼びかけて五輪の開催中止を求める別のオンライン署名が始まった(この署名には私も呼びかけ人として参加している)。

 首都圏では感染が再拡大している。第5波の到来も懸念されている。ワクチンの接種率も先進国最低レベルのままである。ワクチン不足で多くの自治体で接種予約がキャンセルされた(私もキャンセルされた)。選手団は次々と来日しているけれども、感染者が続出している。入国者と一般市民を完全隔離するはずの「バブル方式」がまったくの空語であることはメディアが報じている。このような公衆衛生上の危機の中で、五輪の「安心・安全」をどうやって保障する気なのか。説得力のある科学的根拠はいまだに誰も示してくれない。

 だが、安倍政権以来、為政者が「政治的判断について合理的根拠を示さない」ということに日本人はもうすっかり慣れてしまったようだ。日本人はある時点から政治家に「自分たちを説得してくれ」と求めることを止めてしまったらしい。「自分が下した判断についてその根拠を示さないでも罰されない者」のことを「権力者」と呼ぶ、ということがいつの間にか日本社会の常識に登録されてしまったからだろう。

 政府が国民的反対を押し切ってまで五輪の強行開催に固執するのは、そうすれば、自分たちがどれほどの権力を持つか、国民がいかに無力かを思い知らせることができると思っているからである。

 今回の五輪が無理押しできるようであれば、これ以後はもうどのような無法についても、国民は黙って従うだろう。

 

内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数

※AERA 2021年7月19日号

 

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バッハ会長広島訪問に抗議

広島県原水協

「しんぶん赤旗」2021.7.14

 

 国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が16日に広島市を訪問すると報じられたことを受け、広島県原水協は13日、広島訪問に抗議するとともに、今回のオリンピックの中止を求める声明を発表しました。

 声明ではオリンピックは「平和の祭典」であり、コロナパンデミックにより、世界的にかってない多くの死者が出ている中で、開催を強行することについては、国民の多くが「中止」「延期」を求めていると強調。

 更に「緊急事態宣言」が出されている東京から、バッハ会長が多数の人々を引き連れて広島へ移動することは、とうてい国民の納得を得られるものではなく、「政治利用」と批判されても仕方がないと指摘しています。


広島県原水協に赤いバラの花を!


週のはじめに考える 力を与える灯守りたい

2021年07月13日 | 教育・学校

「東京新聞」社説 2021年7月11日

 昨年、一人十万円の特別定額給付金が支給されました。その申請書類が送られてきた時の話です。

 「キューツキって何ですか」

 札幌にある自主夜間中学のスタッフは、生徒の一人からそう聞かれました。聞き直すと「キューツキ」とは給付のこと。役所の文面には仮名がありませんでした。

 生徒はスタッフの助けで無事申請できました。ただ、スタッフは過去に「字が書けず、投票に行けない」と話していた何人かの生徒の顔を思い出したと言います。

 多くの人には日常の所作でも、ハンディのある人には大きな壁になることがあります。それは社会参加を妨げ、人を孤立させます。

 壁となるのは身体上の困難に限りません。読み書きの力や学習体験がなることもあります。そうした学びの不足を補う場の一つとして、夜間中学があります。

◆夜間中学という居場所

 得るものは知識や学歴だけではありません。栃木県で夜間中学の設置運動に取り組む宇都宮大の田巻松雄教授(社会学)は「夜間中学は生徒が互いの苦労を共有し、語り合うことにより、生きる力を獲得する居場所」と語ります。

 夜間中学には、公立校とボランティアが支える自主夜間中学=写真は那覇市内の自主夜間中学で学ぶ人たち、2018年撮影=があります。前者は週五日で教科数も多く、無償で中学卒業の資格が得られます。後者は授業時間が限られ、卒業資格は得られません。

 一九五四年には公立校だけで、全国に八十九校ありました。貧しく通学できなかった人、在日コリアンからの要望が高かった時代です。その後、中国残留孤児たちが通った時期もありましたが、学校数は次第に減っていきました。

 しかし、近年、書類上は中学を卒業していても不登校だった人や外国人労働者の増加で、その必要性が再認識されてきました。

 二〇一六年には地方自治体に公立夜間中学の設置を求める教育機会確保法が成立し、翌年には文部科学省が全都道府県に一校は設けるという基本指針を示しました。

 二〇年一月の文科省調査では、全国で生徒数は千七百二十九人。八割が外国人です。年齢別では六十代以上が23%と最も多く、十六歳から十九歳が19%を占めます。

 しかし、公立校の設置はまだ十二都府県で三十六校です。自主夜間中学は全国で約四十校を数えますが、夜間中学のない県が多いのです。自治体の財政事情が許さないという声も聞こえます。

 それ以上に深刻な理由は入学希望者の不足です。全国には義務教育の未修了者が十二万八千人、不登校の児童や生徒が約十八万人、外国籍の人たちが約三百万人います。潜在的なニーズはあるのですが、学校の存在自体が必要な人にまだ知られていないのです。

 市民団体が周知に努めていますが、ここに来て心配の種がまた一つ増えました。コロナ禍です。

◆コロナ禍で生徒数減少

 コロナ禍で生徒数が減少しているのです。例えば、八校の公立夜間中学がある東京都の場合、総生徒数は一六年には四百二十四人でしたが、二〇年七月には二百十人とほぼ半減してしまいました。

 通学のための交通費などは生徒の自前です。コロナ禍による経済事情悪化で通学を断念する人が出てきました。特にコロナ解雇は外国人労働者らを直撃しています。

 懸念されるのは、現在の生徒数の減少がクラス数や教員の配置に影響を及ぼしかねないことです。田巻教授も「通常、クラス数などは簡単に減らされるが、回復は容易ではない」と気をもみます。

 感染症は人を選びません。貧富や肩書の違いにかかわらず、誰か一人でも感染している間は感染症の脅威は社会から去りません。

 だから「自己責任」をどれだけ強調しても意味をなしません。結局、困難を「お互いさま」と分かち合うことでしか克服の道はありません。コロナ禍で認識させられたことの一つですが、それは感染症に限った話ではないでしょう。

 「仲間を知ること。助けてと声を出せること。そうした力を夜間中学は与えています」。市民団体「夜間中学校と教育を語る会」の沢井留里さんはそう語ります。

 「新型コロナウイルスに打ち勝った証し」があるとすれば、それは世界規模のイベントの成功よりも、誰ひとり取り残されない社会の実現にこそあるはずです。

 そうした社会を目指す一つの場として、夜間中学はあります。コロナ禍の現在だからこそ、その小さな灯(ともしび)を守らねばなりません。


 「基礎学力は生きる力」なのだ。どれだけの子たちが「落ちこぼれ」ていっただろう。最初からスタートラインに並ぶことのできなかった子たちがどれほどいただろう。「1+1」がわからない。字が読めない書けない大人がどれほどいるだろう。「投票」など行ったことがない人も。風呂で10まで数えたことなく育った大人はどれくらいいるだろう。

オオウバユリもいつの間にか終わっていた。

ラズベリー

ひまわり


野党結集の邪魔者?「連合」と共産の「リアルパワー」。迫る総選挙に向けて数字で考えてみた

2021年07月12日 | 社会・経済

坂東太郎 | 日本ニュース時事能力検定協会認定講師

YAHOO!ニュース〈個人〉7/12(月)

 

 7月4日に投開票された東京都議会議員選挙について立憲民主党・安住淳国対委員長の発言が注目されました。同党と日本共産党が進めた候補者調整の成果を強調する一方で、共闘に反対した「連合」の東京組織の実力に疑問符をつけたのです。「リアルパワーは何なのか」とも。

 国政与党は自民・公明。「是々非々」を旨とする日本維新の会を除く立憲、共産、国民民主党、社民党らは本来一致結束して政権を獲りにいくべきです。ところが主敵の自民への陣構えの段階で相変わらずゴタゴタ。常に出てくるワードが「連合」。いったい何ものでしょうか。

 なお本稿では「連合」と共産党の間にあるイデオロギー(主義主張)対立の歴史は重要と認識しつつ最小限に止め、ここでは数字いじりを主に展開します。

組合員数700万人

 連合の正式名称は「日本労働組合総連合会」。労働組合の全国中央組織です。労働組合とは働く者を組合員として雇用を守り、環境改善のため賃上げを求めるといった目的を持ち、主として経営者と法に基づく交渉などを行う団体。連合の組合員数は約700万人です。

 大企業経営者らで作る経団連(日本経済団体連合会)などが自民を支持しているため、連合は立憲・国民両党を支援します。いわば応援団。

 終戦直後の「労働組合ブーム」の頃から共産主義革命を目指す団体と嫌悪するグループがさまざまな形で対立してきました。「連合」を構成するはおおむね反共。だから立憲が共産党へ接近すると露骨に嫌がるのです。

 ただ現有勢力で連合は共産を支持する中央組織「全労連」の9倍以上と圧していて「数の取り合い」は問題となりません。

「立・国」支持は約35%。自民支持が約21%も

 連合の大きな特長は「大企業・団体の正規雇用者組合」である点(最大勢力の「UAゼンセン」のみ異なる)。700万人といっても日本の雇用者数約5660万人の12.5%。有権者約1億660万人で比較するとたった6.5%に過ぎないのです。

 現在の連合が応援する立憲・国民の多くが民進党として1つにまとまっていた2016年参院選の比例区獲得票は約1175万。700万票が占める割合は約6割ですから、確かに得がたい支持母体ではあります。

 ただこの計算は組合員が執行部が打ち出した支持政党へ皆投票しているとの仮定に基づきます。19年に連合自身が行ったアンケート調査によると支持政党は「なし」が36.0%と最も多く、推奨される「立憲民主党+国民民主党」は34.9%に過ぎません。対して自民党が20.8%もいるのです。また棄権者は15%ほどいます。

 全有権者の「無党派層」が投票した先は16年参院比例区で自民と民進が各々約25%。連合組合員だから思い切って支持政党なしの得票先を倍の5割と推測すると18%。棄権者を除く分母は700万×(1-0.15)=595万人。ここに「立憲民主党+国民民主党」34.9%と18%を足した52.9%をかけると約315万票。このあたりが連合票の「リアルパワー」(安住氏)かと。他方、自民には約124万票がわたっています。

単純計算では共産票が連合票に勝る

 一方の共産党。16年参院選比例では約601万6000票を獲得。党員は約28万人なので圧倒的に非党員が選択しているのがわかります。同年の公明党は約757万3000票。最大の支持母体たる創価学会の公称の会員は約827万世帯ですから公明票を十分まかなえます。公共2党は拒否率(支持率の対置語)も高い政党として知られていますが、共産は意外と選挙になるとコア層(=党員)外の1票が集まっているのです。

 ここで単純比較すると連合票は約315万で共産票は近年の国政選挙から推定すると約400~600万。

小選挙区をわずかに譲れば約500万票が立憲へ

 もちろんこれは単純比較に過ぎません。比例区では共産もライバルなので野党が1つの政党(ないしは統一名簿)にならない限り600万票は「共産の票」ですから。

 しかし衆議院の小選挙区はどうでしょうか。共産党が単独で立てても野党統一がならない限り1人も勝てません。17年総選挙では維新を除く野党が立てなかった沖縄1区のみ議席を得ています。

 自公も同じ理屈で両党が同一選挙区に立てたら公明の勝ち目はゼロ。ゆえに8選挙区ほどで自民が立候補を見送って公明を勝たせているのです。立憲も真似をして3・4選挙区は共産公認候補を応援する形にすれば他の小選挙区で600万とはいわないまでも400~500万票の「見返り」を得られそう。

 この数だと連合票と大して変わらないと思うかも知れません。しかし共産票は雨が降っても槍が降っても投票所に足を運び間違っても自公には入らないのです。さらに民主集中制の党ですから一度「そうする!」と大号令がかかればバラけません。会長が支持を明言しても思うようにいかない連合票より頼りになりましょう。

上位産別が「原発ゼロ」へ反発する事情

 連合傘下の産業別労働組合(産別)を組合員数順に並べると次の通り

1)UAゼンセン(繊維・化学・スーパーなど流通、外食など)約176万人→国民支持

2)自動車総連(トヨタが約半数)約78万人→国民支持

3)自治労(地方公務員)約78万人→立憲・社民支持

4)電機連合(日立・東芝・パナソニックなど)約57万人→国民支持

 連合全体としては立憲支持が多いのですが、大きなところが国民を支持しているため国会議員数では圧倒的に少ない国民を執行部はソデにできません。国民支持の大産別が共産を嫌う以上「共産との連合政権などもっての外」と言わざるを得ないのです。

 では何で厭うのかというと前世紀から続くイデオロギー的いがみ合いが最大の理由です。しかし今回は除外。今日的な理由を探すと立憲が掲げ、共産も同調する「原発ゼロ政策」への反発があります。電機連合は原発事業に関わるため電力総連(約21万人。大手電力など)とともに反対。

 自動車総連はやや複雑です。世界的な脱炭素社会に向けて否応なく電動車へとシフトしなければならない環境下、電源構成が化石燃料から再生可能エネルギーへシフトしていくのはいいとして温室効果ガスを排出しない原発を「なくす」だけでは無責任と受け止めます。いくら電動車に切り替えても電源に化石燃料が相当量残っていたら売れない恐れが高いですから。立共が原発ゼロの代替案を具体的に示せるかがカギとなるでしょう。

 国民支持の産別も「これでいいのか」という悩みはあります。産別が国会で発言権を得る手法の代表は参院比例区に擁立した組織内候補者の当選。しかし前回の参院選では電機連合の候補が落選してしまいました。再編を経た現在の国民はさらに小さくなったので他の産別候補すら落選危機です。なお立憲は電機連合よりずっと少ない私鉄総連(約11万6000人)でも当選させています。「武士は食わねど」が貫けるでしょうか。

 といって安住氏のように「リアルパワーはどっちだ」と迫ると国民支持の産別は悲しい思いをするだけ。何か妙案はないでしょうか。

国民が立候補する8選挙区を共産が勝手に支援したら

 立憲と連合は「共有する『理念』について」という政策協定を結んでいます。5項目のうち4まではきっと共産も賛同しそう。問題なのは残り1つに「左右の全体主義を排し」「中道の精神を重んじ」るとしている点。共産党は「左」の「全体主義」だからダメというわけです。今の共産がそうかどうかはイデオロギーなので今回は除外。

 ただ国民や支持する産別も共産が勝手に投票してくれるのは構わないでしょう。そこで国民の次期衆院選候補者21人をみると立憲とは棲み分けが済んでいます。さらに自民現職が非常に強い8選挙区と国民現職が共産の動向に関わらず当選しそうな5選挙区を除くと残り8選挙区。いずれも「勝ち目あり」なのです。うち現時点で共産候補が出るのが3選挙区。まず残り5選挙区で「うちは出さない」と宣言し、3選挙区で引っ込めるだけでも当選の確率は高まります。さらに共産が「自民打倒のため今回は野党(=暗に国民)を勝手に支持する」と宣言すれば国民も恩義を感じましょう。誰の1票でも清き1票ですから。

 国民の衆院における現有議席は6(うち1人は比例選出)。ここに8とはいわずとも3~4人が共産の勝手協力で加わったら表向きしかめっ面でも本心は大喜びするはずです。

 共産としてさすがにそれはできないといつもの石頭ぶりを発揮するのであれば、せめて国民の強い5選挙区で引っ込めるのはどうか。「共産支持者は入れてくれるな」と公言しそうなのは前原誠司氏ぐらいです。

迫る総選挙を面白くするために

 後は立憲。さっさと共産との棲み分けを決めるべきです。前述のように3・4の小選挙区で「共産をやる」とすればパッとまとまりましょう。後はお互い何も言わなくても投票行動は見通せます。

 連合がああだこうだとくちばしを入れてきたら枝野幸男代表もあまりヘイコラせず「支援団体ののりを超えるな」と釘を刺すべきです(後でコッソリ謝っておく)。かつての野党第1党であった日本社会党は結局、労組依存から抜け出せず滅亡寸前。連合をよく思っていない労働者もたくさんいます。

 意外と頼りにならない連合に振り回され、反対に共産へは「票だけ寄こせ」と要求するのは都合が良すぎ。実はわずかな歩み寄りで野党結集は可能。総選挙を面白くするためにも一芝居打って……失礼、もう一段階努力してもらいたいものです。

 

毎日新聞記者などを経て現在、日本ニュース時事能力検定協会監事、十文字学園女子大学非常勤講師を務める。近著に『政治のしくみがイチからわかる本』『国際関係の基本がイチから分かる本』(いずれも日本実業出版社刊)など。


 なるほど、こんな考え方もあるということで紹介させていただきました。
ただ、「こんな自民党政治をいつまで続けさせるのか?」という気持ちです。安倍より悪いやつはいないだろうと思ったけど、いましたねぇ。もう、自民党自体がそうなのでしょうね。一刻も早い政権交代を望みたいです。

 隣の畑で大量の堆肥を使用しています。いつもその強烈な匂いに悩まされているのですが、昨日から大量のハエが発生し、追い払うのに仕事になりません。向かいのハスカップ狩りに来るお客さんも嫌な思いをしているようです。オーナーさん注意したそうです。
堆肥には様々な抗生物質やワクチン、その他の薬が入っているはずです。コンポストも同じです。これらの使用には十分ご注意ください。
フサスグリ


「どう喝」と批判を浴びた西村氏発言…それ以上に飲食店経営者を憤らせた菅首相のひと言とは

2021年07月11日 | 社会・経済

「東京新聞」2021年7月10日

 政府は9日、新型コロナウイルス対策で酒類の提供停止に応じない飲食店に対し、取引金融機関から順守を働き掛けてもらうよう求める方針を撤回にした。西村康稔経済再生担当相の発言を巡っては、飲食店だけでなく、金融機関からも批判が上がっていた。融資の打ち切りをちらつかせ、休業要請に応じない飲食店を従わせるよう政府から求められたと受け止めたためだ。西村氏は発言を撤回したが、「脅し」とも取れる手法への不信はやまない。

 「期間を定めて契約を結んでいる。取引先が休業要請に応じないからといって、融資を引き揚げることはありえない」。西村氏の発言を受け、ある銀行関係者は憤る。顧客の中心が中小事業者の信用金庫幹部も「金融機関は警察ではない」と戸惑う。

 政府はコロナ禍で、各金融機関に対して取引先企業に積極的な貸し出しをするよう何度も求めており、西村氏の発言はこれまでの政府方針と矛盾しかねない。銀行や信金などを監督する金融庁幹部は「今回の発言はまずかった」と認めた上で、「政府が金融機関の融資判断に口を挟む法的根拠はない」と明言した。

 批判の矛先は、9日午前に西村氏の発言を「承知していない」と述べた菅義偉首相にも向いた。東京都内の飲食店経営者は「(西村氏の発言は)どう喝なのに、菅氏の発言にはもっとびっくりした」と当事者意識のなさに憤った。(皆川剛、桐山純平)


「無責任内閣」ですね。

 今日も降りそうな天気にはなるのですが降りません。明日についてた小さな☂マークも消えてしまいました。

今日咲いた花。

ニワフジ

ミヤマクワガタ。

紫陽花。

ひまわり。

ミニトマト。


国民はうんざり 菅首相のニュース7占拠 ~NHK忖度報道で接触率半減!~

2021年07月10日 | 社会・経済

東京オリンピックの開会式まで2週間ほどとなった8日夕方。

NHKのメインニュース『ニュース7』が、またしても異様な報道となった。

専門家会議の了承を得て政府の新型コロナウィルス対策本部は、7月12日から8月22日まで、感染の再拡大が続く東京都に4回目の「緊急事態宣言」を出すことを決めた。

これで五輪は開催期間すべてが宣言期間に入ることになった。

菅首相は午後7時から記者会見を行った。

これに対応して『ニュース7』は、時間を延長し会見開始から終了までの約1時間をまるまる中継で伝えた。

しかしこの記者会見は、1時間に渡って中継するほどの緊急性とニュース価値があったのだろうか。

視聴データを精査すると、中身のないグダグダ中継にうんざりして、途中で民放に切り替えたり、テレビを消してまった視聴者が少なくないことがわかる。

視聴者の流出が止まらない

全国約285万台のインターネット接続テレビの視聴動向を調べるインテージによれば、普段の『NHKニュース7』は、7時のスタートから10分ほど接触率を上げて8%ほどとなる。

その後は徐々に数字を下げるが、番組終了時でも7%前後を保つ。

 

ところが4回目の「緊急事態宣言」発出を伝える菅首相の記者会見が中継された7月8日。

冒頭は同様の接触率で始まりながら、菅首相の会見が始まって2~3分で数字は下がり始めた。そして会見中継の間は数字が下がり続け、終了した8時までに3%ほどを失った。

普段の『ニュース7』のピークと比べ半減近い悲惨な見られ方だった。

この日は梅雨末期の大雨による被害が心配される日だった。

活発な梅雨前線の影響で、中国地方の各地で記録的な大雨となっていた。『ニュース7』直前の午後6時のニュースでは、「中国地方 記録的大雨 厳重警戒を」のタイトルで土砂災害と大雨への警戒を呼び掛けるニュースをトップで伝え、緊急事態宣言が正式に決まったニュースは二番手だった。

一方『ニュース7』では、首相会見の後にまわったため、3%ほどの視聴者が流出してしまっていた。

NHKが今年1月に発表した「NHK経営計画 2021-2023年度」では、冒頭に出てくる5つの重点項目の1番が、「安全・安心を支える “命と暮らしを守る”報道を強化」だった。

ところが内容のない首相会見を1時間に渡りダラダラ伝えたために、多くの視聴者は「厳重な警戒」を要する緊急報道を見そびれてしまった。

視聴者の流出ポイント

NHKが災害報道より緊急性および重要性が高いと判断した菅首相会見。

視聴者がどう見たかを、先のインテージによる流出率データで浮かび上がらせてみよう。どのタイミングでどれくらいの視聴者が番組から流出しているかの指標である。

この1か月、『ニュース7』は3回拡大版を放送した。

6月17日、7月3日、そして今回の7月8日だ。最初は、9都道府県に出されていた緊急事態宣言を解除することを伝える菅首相の記者会見だった。

2回目は、静岡県熱海市で起こった土石流の災害を伝える報道で通常の30分が1時間になった。

そして今回は、4回目の緊急事態宣言の発出にかかわる首相記者会見を1時間中継したための拡大版だった。

まず同じ首相記者会見で比べると、6月17日より今回の方が明らかに多くの人が流出している。

特に冒頭10分で、今回はより多くの人が逃げ出した。

また熱海市の土石流災害と比較すると、その差は明快だ。

冒頭の3分で、今回の流出は約4倍に達する。また最初の10分間、流出率は2倍ほど高い瞬間が大半だった。しかも会見が終了する最後まで、高い流出率が続いたのである。

この辺りは、SNS上のつぶやきで視聴者の気持ちが垣間見られる。

「NHK7時のニュース、また菅総理の発言からだよ。 どうなってるんでしょうか、この大本営発表的スタイルの定着」

「菅総理の記者会見は、無駄ですね。 NHKさんは、政府の広報機関ですか? 大雨災害のニュースが、プライオリティ高いでしょう」

「もう緊急記者会見とか要らんのでニュース7消した」

「これライブでやる意味ありますの?」

これらは番組が始まって間のない頃の投稿だ。

失望とNHKニュースへの不信が表れているツイートと言えよう。

「菅首相、 話は下手だし 滑舌悪いし よく噛むし 覇気ないし・・・」

「呂律が回ってなく何言っているのか?聞き取りにくい」

「スピーチは響かないし、質問にはまともに答えないというかダラダラ、ボソボソ話していて何を言いたいのか分からない」

「すごい。 菅総理が五輪開催の意義を語れば語るほど、五輪から気持ちが離れていく。 こんなに言葉に力がある総理はいない」

これなら民放のニュースが伝えるように、重要な発言だけを聞かせ、後は全体の要点をまとめてくれた方が内容はよく理解できる。

1時間ほどそのまま中継するのは、明らかに効果よりデメリットの方が大きいと言えよう。

報道OBの見方

菅首相の記者会見をメインニュースのトップで1時間に渡って中継する意味は本当にあったのか、NHK報道のOBに取材してみた。

「東京都への緊急事態宣言の発出と期間は、前夜に政府が諮問方針を決めており、段取りに波乱がない限り、多くの人にとって“既報”だった。まして政府の対策会議の正式決定も午後5時すぎに済んでおり、6時のニュースで菅首相の発言の音声も放送されているので、首相会見に緊急性はない」

「記者会見では『場合によっては前倒し解除』『飲食店への協力金先渡し』などに触れたが、トップで1時間かける内容とは思えない」

「何よりも、もう4回目となる緊急事態宣言に協力を求める首相の発言が、人々の心をとらえるメッセージだったかどうかだ。『東京を起点とする感染拡大は絶対に避けなければならない』『負担をお掛けするのは申し訳ない』などと述べたが、記者の質問にきちんと答えていないなど批判も少なくなく、人々の心にどれだけ響いたかは不透明だ」

そして記者会見中継の内容以上に大きな疑問は、ニュースオーダーという。

「この日は中国地方での大雨の方が大事なニュースでは無かったのか。直前の午後6時のニュースでは、それをトップで伝え、緊急事態宣言が正式に決まったニュースは二番手だった。『ニュース7』でも、首相会見が終わったあとすぐに大雨のニュースを入れ、緊急事態宣言はそのあとに回った。ならば首相会見をトップニュースとして1時間にわたり中継で扱ったニュース判断は疑問と言わざるを得ない」

ゴールデンタイムに進出する「菅首相記者会見」

実は菅首相の記者会見は、安倍前首相の頃と比べて大きな違いがある。

コロナ危機の時代ということで、2020年1月からの首相記者会見を首相官邸の記録でチェックしてみた。

安倍前首相は2020年1月から8月28日の退任会見まで11回のうち、『ニュース7』の時間と重なったのは2020年4月7日最初の緊急事態宣言を決めた記者会見が午後7時から8時過ぎまで行われただけだった。他は退任会見が午後5時から、伊勢での年頭会見は午後2時台、これ以外はすべて午後6時からだった。

一方の菅首相は、2020年9月16日の首相就任会見以来15回行っている。

親任式・認証式のあと行われた就任記者会見は午後9時からだったが、その後は午前中の年頭会見を除いて午後6時の開始と安倍政権を踏襲していた。

ところが1月13日、2回目の緊急事態宣言の対象地域に大阪、兵庫など7府県の追加を決定した記者会見を午後7時から始めて以降、ゴールデンタイムへの進出が目立つ。

『ニュース7』開始の午後7時からが今回を含めて5回、『ニュースウォッチ9』開始の午後9時からが1回、そのほか4回も午後8時前後からとゴールデンタイムだった。

これらの時間帯は、午後6時台に比べて視聴率は高い。

特に午後7時からの『ニュース7』は“老舗のニュース”で、政治に関心の高い世代の視聴率が高いという事情もある。首相サイドから見るとアピールの場としてはなかなかのものだろう。

しかしニュースを放送する側から見れば、大きな中継の塊で、ニュース編集の柔軟性が奪われる。

またニュースの時間とかち合わなくても、定時番組の編成に少なからぬ影響を与え、ゴールデンタイムだけに視聴者の苦情も増える。

現に今回も、「期待していた番組を見そびれた」旨のつぶやきがSNS上には少なくなかった。

首相官邸とNHK

行政府の長である首相の記者会見を、きちんと伝えることは、“人々の知る権利”に応えるものだ。

重要な会見は、多くの視聴者が見られる時間帯で伝える必要もあろう。しかし内容の乏しい記者会見だったり、首相サイドの一方的な主張の場だったりすれば、それなりの扱いがふさわしいこともある。

 

 

例えば安倍前首相の会見が1度だけ『ニュース7』と重なった2020年4月7日。

最初の緊急事態宣言の際だっただけに、視聴者の注目度は極めて高かった。中継中の接触率が14%ほどと今回の2倍以上だっただけでなく、途中で数字がほとんど下がっていない。

ニュース判断として、“人々の知る権利”に適切に応えたものだったと言えよう。

ところが菅首相になってからの『ニュース7』の中での会見中継は、低調なものが目立つ。

報道のOBは首相官邸とNHKの関係に変化が見られるという。

「かつての首相会見は、午後6時がいわば慣例になっていた。菅首相の途中から、午後7時や8時の会見が普通になった。菅首相はNHKに詳しいことで知られているが、このところNHKに対する影響力がいっそう強くなったのではないか」

NHKは放送法で会長が業務を総理(ママ)するとされており、編集権は会長に帰属する。

首相の記者会見はすべて生中継で放送しなければならないのか。記者会見の時間帯は誰がどこで決めているのか。『ニュース7』の編責か、報道局長か、編成局長か、それとも会長の意向か。

いずれにしても、このところのNHKニュースのやり方には疑問が尽きない。

『ニュース7』冒頭から首相記者会見の1時間中継が相次ぐことが、NHKが官邸サイドに忖度した結果や隷従した結果でないと願いたい。


 今日も明日も曇りの予報。もう1ヶ月近くまともな雨が降っていない。沼の水位もかなり下がっている。こんなときマツモが繁殖する。

今日は写真も撮らなかった。


「被爆国がなぜ参加しない」原点に

2021年07月09日 | 社会・経済

核禁条約、米の核抑止力頼みの「不都合」 

  朝日新聞デジタル連載取材考記記事

  2021年7月9日 

 広島と長崎への原爆投下からまもなく76年。国連総会で採択された核兵器禁止条約が1月に発効した今年は、唯一の戦争被爆国として日本の覚悟が問われる年になる。新型コロナに打ち勝った証しにと東京五輪に覚悟を示すなら、被爆国日本の使命を果たす証しとして、同じ覚悟を見せてほしい。

 4月末に夕刊「現場へ!」で「被爆国日本と核の行方」を連載後、読者からはがきを頂いた。「もし日本政府が核兵器禁止条約を批准したらどんな不都合が起きるのか」を、「取材考記」で答えてほしいとのご要望だった。

 日本政府は核保有国と同様、この条約に背を向け続けている。日本政府が掲げる「不都合」は、米国の核抑止力を頼りにできなくなるというものだ。条約に入れば、核兵器による威嚇も禁じられる。米中ロの大国間競争が激化して東アジア情勢も緊迫化する中で、「いかなる攻撃にも核で反撃するぞ」という脅しのカードを弱めたくない。そんな米国頼みが根底にある。

 日本は、来年1月の第1回締約国会議にオブザーバー参加するかどうか、いずれ判断を迫られる。安全保障政策の転換が簡単ではないにせよ、国際社会の現実の一側面となった条約に背を向け続けることの「不都合」も考慮すべきではないか。「核兵器なき世界」へ向けて安保環境の改善に尽力しようとしているかどうか、非核諸国やNGOは熱い視線を注いでいるのだ。

 6月にジュネーブであったバイデン・プーチンの米ロ首脳会談でも、共同声明で「核戦争に勝者はなく、決してその戦いはしてはならない」と明記された。レーガン米大統領とソ連のゴルバチョフ書記長が1985年に合意した、初の核削減と冷戦終結への起点となったものと同じ内容だ。再び熟すかもしれない核軍縮への芽を、日本が育てていく気概を見せる好機でもある。

 先の夕刊連載で、政権与党にあって条約推進に動く公明党副代表の斉藤鉄夫・衆院議員を取材した。広島が地盤だ。その原動力は「被爆国なのになんで参加できないのか」という支持者らの素朴な疑問だった。菅義偉首相の壁を越える難関があるとも語ったが、私たちもこの問いこそを原点としたい。


 予報では1日曇りのはずだったがなんとほぼ「快晴」。間違って雨が降ってきたのなら許すが「快晴」では許せない、そんな気分だ。

紫陽花とジャコウアオイ


公選法で不起訴 「厳正公平」でなくては

2021年07月08日 | 社会・経済

公選法で不起訴 「厳正公平」でなくては

「東京新聞」社説 2021年7月8日

 実刑判決を受けた元法相の河井克行被告(控訴中)夫妻から現金を受けた広島の地元議員ら百人を検察が不起訴とした。この判断はおかしい。従来の“基準”とは異なり「厳正公平」とは言えない。

 選挙は「公平」で成り立っている。それが民主主義の基盤でもある。票をカネで買うのは、その基盤を崩すから公職選挙法は処罰の対象としている。

 カネを受け取った側も当然、同法による処罰対象である。法定刑も、買収罪と同じ「三年以下の懲役」などと定めている。それゆえ検察も「厳正公平」に刑事処分をしなければならないはずだ。

 しかし、二〇一九年の参院選広島選挙区での買収事件では、河井夫妻は起訴のうえ、有罪判決を受けたが、東京地検はカネを受け取った地元議員ら九十九人は起訴猶予で不起訴、一人は死亡により不起訴とした。

 「地裁の判決でも、現金の受領者はいずれも受動的な立場だったと判断された。金額や回数など一定の基準で選別して起訴することは適切でないと判断した」−東京地検の説明だ。

 確かに検察は起訴・不起訴の判断に裁量権を持つ。明白な起訴基準はないものの、従来ならば起訴処分だったはずの者らまで今回は「不起訴」なのである。何しろ百万円、三百万円もの大金を受け取ったケースまで罪に問われないことには納得しがたい。

 しかも公選法を熟知している議員らであるうえ、法を守らねばならない立場にある。「日本型司法取引」は一八年に導入されたが、特定の財政経済犯罪や薬物銃器犯罪などに限られ、公選法は対象外なのである。

 検察の判断には異議を唱える。これでは「厳正公平」の鉄則が崩れてしまう。市民団体が不起訴を不服として、検察審査会に審査を申し立てるのは当然である。

 「地方議員らには現金を受け取らざるを得ない面もあった。巻き込まれた人たちまで起訴すべきではない」という事情を仮に酌んだとしても、全員一律に不起訴は到底、許されないことだ。

 これでは検察の意に沿う協力をした者は罪を免れると世間は受け取るだろう。それ自体が司法の姿をゆがめる。正しい証言をしたか疑わしくなるからだ。今後、全国の選挙で起こる買収事件の捜査実務を崩壊させうると危惧する。


「司法」の国民からの乖離はますます続いている。

 週間天気予報を見ても晴れもなければ雨もない。こんな事があっただろうか?今日も今にも降り出しそうな感じにはなるのだが1.2分ほどの霧雨で終わってしまう。このままで「回復」されたら困るのだ。

赤いバラも咲きそう。


国際課税合意 格差の是正につなげよ

2021年07月07日 | 社会・経済

「東京新聞」社説 2021年7月7日 

 日本のほか米国や中国を含む百三十カ国・地域が法人税改革で合意した。法人税の過剰な引き下げ阻止と巨大IT企業への課税強化が狙いだ。国際間の複雑な利害を乗り越えた合意は評価できるが、解決すべき課題も山積している。

 合意交渉は日米欧の主要国などが参加する経済協力開発機構(OECD)の主導で行われた。
 法人税については最低税率を15%とすることで企業誘致を目的とした引き下げ合戦に歯止めをかける。巨大IT企業を対象としたデジタル税関連では、当該国に拠点がなくても一定以上の売上高を条件に課税できるようにする。
 税制が国家の主権に委ねられることは当然だ。この原則を踏まえれば、国際協調を優先した今回の合意は極めて異例であり大きな一歩と評価すべきだろう。
 合意の背景には巨大IT企業の目に余る税逃れや国際的企業が法人税の低い国に拠点を移す動きへの各国国民の不満があった。今後、合意国はこうした民意を推進力に今年十月までに細目を煮詰め二〇二三年の実施を目指す。
 ただ合意の実効性を高める上で大きな課題も残っている。
 米IT企業を念頭に独自のデジタル課税を掲げる英仏に対し米国は反発しており対立は続いたままだ。中国は経済特区での最低税率の適用除外を強く求めているが、安易に妥協すれば特別扱いが火種になる恐れがある。
 米中が自国の利益を優先させ強硬な姿勢に転じれば合意は崩れかねない。米中には強く自制を求めたい。
 低い法人税率をテコに外国資本を受け入れているアイルランドとハンガリーが合意に加わらなかったことも懸念材料だ。両国に拠点を移す企業が激増するケースも想定できる。両国の参加を促すための説得作業を早急に本格化させてほしい。
 独占禁止法を活用したIT企業への監視強化を進める日本にとって合意は将来の税収増という形でも国益につながる。法人税の実効税率も現行29%超で下限設定は影響がない。各国間の利害調整役を買って出るなど大きな役割を果たすべきだ。
 公平な課税は世界的課題である格差是正の突破口になり得る。合意に魂を吹き込むため主要国がより柔軟で懐の深い姿勢で臨むよう重ねて期待したい。

 畑で仕事をしているとメガネに虫が止まった。「いやなやつ」と思いメガネを外してみると・・・

ヘイケボタル。この地域は10日頃が飛び立つ頃なので、そろそろかなとは思ってはいたが、昼間に見るとは・・・・
 
ハスカップ狩りへ
 向かいの熊澤農園さんに行ってきた。

 
 
容器はこの大きさで1.2kg(1200円)、この半分で600g(600円)。これだけでも格安だが、更に胃袋へ入れることも可。入園料なし。お得です。

雨宮処凛 生きづらい女達へ 事件は宴会で起きていた~飲み会や集まりの「ルール」が私たちを守る

2021年07月06日 | 生活

 

 

雨宮処凛

Imidas 連載コラム生きづらい女達へ

 2021/07/06雨宮処凛(作家、活動家)

 コロナ禍で変わったことはいろいろあるが、中でも大きいのは「飲み会が消えた」ことだろう。

 コロナ以前は、週に一度くらいどこかであった飲み会。何も覚えてなくても楽しかった飲み会。時々嫌なこともあったけど、それでも行ってた飲み会。それがなくなって、人生、随分味気なくなった。

 同時に消えたのが、酔っ払いによるトラブルだ。

 20年以上にわたる酒飲み人生で、酔っ払いに絡まれたこと数知れず。それだけでなく、セクハラ被害や暴言を浴びたりといった目に多々遭ってきた。

 しかし、3年ほど前から変化も感じていた。「嫌な思い」をすることが格段に減ったのだ。それは「#MeToo」運動などが浸透する中、男性たちの意識に大きな変化が訪れていたからだと思う。「セクハラ」的な言動に気をつける男性が、私の周りでは目に見えて増えたのだ。

 それまでは「酒の席でのことはすべて水に流す」的な男性が、「昨日は酔っ払って変なこと言ってごめん」と謝ってくるようになった。こっちは気にしていなかったのだが、自分の発言がセクハラにあたるのでは、と気を揉んでいたという。「時代は変わったのだ」と感銘を受けつつも、中には明らかにNGなことをしながらちっとも謝らない人もいる。「覚えてないのかな」と思ったけれど、明らかにこちらを避けているところを見ると気まずいのだろう。ならばさっさと謝ればいいものを、ただただ避ける。そんな時、「この人、謝れない人なんだ」と信頼はガタ落ちする。誰にだって失敗はある。重要なのは、それを認めて謝れるかどうかだと私は思う。

 そんな飲み会、コロナ禍で消えて「本当によかった」という声もある。全員強制参加の会社の飲み会。断れない上司の誘い。立場上、嫌でも笑っていなきゃいけない取引先への接待。みんなが楽しい飲み会ならいいけれど、そんなふうに気疲れするばかりの場であれば、確かにない方がいい。

「コロナのおかげでセクハラから解放された」という声もある。「結局、事件は宴会で起きてたんだよ!」という名台詞(めいぜりふ)も耳にした。ということで、今回は飲み会など人が多く集まる場でのハラスメントとルールについて、考えたい。

 2021年5月8日、東京・新宿で開催された「自由と生存のメーデー2021」のデモの前、あるガイドラインが読み上げられた。それは「セイファーガイドライン」。以下のような内容だ。

1 他人の身体的、精神的、感情的な領域/境界を尊重する。

・境界を保つ。たとえば相手の明確な了承なしに身体に触らない。

・相手の明確な了承なしに私的メール・SNSを送らない。

・相手の領域に関することで、相手が拒否している発言や行動をしない。

2 身体的、性的、精神的な暴力、虐待は一切しない。

・異なる考え方を尊重して、力や暴力での解決に走らない。

・支配的な言動や攻撃的・抑圧的言動をしない。

・セクシュアル・ハラスメント(他人に不快感を抱かせる性的な言動や、場のあり方のこと)をしない。

3 自分の行動の影響に責任を持つ。他者を不安に陥れる行動をしない。

・酒類のある場では、特に他人の安全への影響や迷惑を考慮する。

4 文書や発言の言葉の使い方は性差別、職業差別、年齢差別、民族差別、「病」者差別、などを含めてあらゆる差別が無いか確認する。

5 参加者の身体的、精神的、感情的な安全を大事にして、必要な人が必要な時に支援を求めやすい場をつくることにそれぞれが努力する。

・困ったときは、助けを求める権利が誰にもある。

6 行動の中で差別・排除やハラスメントが起きていると感じたら、それを指摘し表明する。また、それを指摘しやすい場をつくるよう誰もが努力する。

 さて、これらを読んでどう思っただろう。

「セイファーガイドライン」という言葉、初めて目にするかもしれないが、これは一言でいえば「みんなが安全にその集まりに参加できるためのガイドライン」だと私は理解している。

 このような「セイファーガイドライン」に出会ったのは、今から15年前の06年。私が「プレカリアート運動」(プレカリアートは不安定なプロレタリアートという意味の造語。非正規雇用者などを指す。このような人々が「生きさせろ!」とデモなどをする運動)に参加した時である。その時点で、運動内でこのようなガイドラインはすでに存在し、デモをはじめ、イベントやあらゆる集まりの場で読み上げられた。それだけではない。その界隈の多くの場では、ハラスメントが起きた際のことを想定し、被害者の安全が確保される「セイファースペース」も準備されていた。会場の一角や別室などだ。また、そうした「場の安全」に責任を持つ立場の人間として、「セイファー担当」も必ず選ばれた。例えばイベントだったら、司会、受付、時間配分、記録などと同列に「セイファー担当」がいるという具合だ。

 いつ、どのようなきっかけで、このようなガイドラインができたのか、詳しいことは分からない。気が付けばこの15年、「セイファーガイドライン」は私の周りには当たり前に存在するものになっていて、いちいち意識することさえなかった。が、今年のメーデーでガイドラインが読み上げられるのを聞いて、「これ、めちゃくちゃ使えるものじゃない?」とふと思ったのだ。いくら「#MeToo」などで意識が変わった人が増えたといっても、おそらくそれはほんの一部の話で、日本のあらゆる場所でハラスメントは起き続けている。特に「酒の席は無礼講」みたいな価値観の人はまだまだ多く、泣き寝入りしている人も多いはずだ。これは今だからこそ、世に広まるべきガイドラインでは?

ここで、セイファーガイドラインが活躍したある場を紹介したい。

 それは08年、北海道の洞爺湖で開催されたG8サミットに反対するキャンプだ。

 いきなり「主要国首脳会議」という壮大な話になってしまったが、G8やG7が開催されるたび、開催国には世界中からそれに反対する人々が集まり、キャンプをし、反対運動をするという動きがある。ものすごく簡単に言えば「たった8人(7人)で世界のことを決めるな」という主張で、世界の貧富の差や環境問題などに関心がある人々が世界中から集うのだ。

 そんな洞爺湖サミット反対のキャンプに、私もテント持参で参加した。世界中から、いろんな問題意識を持った人たちがやってくるのだ。ぜひ交流してみたいではないか。ということで、キャンプには国籍もバラバラで言葉の通じない人々がおそらく100人以上集まったのだが、この際も「セイファーガイドライン」は大活躍だった。

 何しろ、G8に反対してわざわざ海外から日本にやってくるほど、主張の強い人々が一堂に会するのである。言語も違えば生活習慣も何もかも違う。そんな人たちが「反G8」だけを一致点として一つのキャンプに集まり、寝食をともにするのだ。毎食、食事担当がみんなの食事を作り、様々な言語を翻訳しながら会議をし、デモなどに繰り出す数日間。そのような場では当然ルールが必要とされ、その際、「セイファーガイドライン」は皆に共有された。またセイファースペースも準備されていたので、野外のテントでも安心して過ごすことができた。

 それだけではない。今から13年前だが、ヨーロッパの活動家にはビーガンの人も多い。よってキャンプによっては(いくつかキャンプがあった)食事はすべてビーガンフードという配慮もなされていた。また、LGBTの人への配慮についても何度も議論が交わされ、キャンプ場内は当事者の意見を取り入れた工夫がなされていた。

 もう10年以上前のことだが、「多様性」の中にブチ込まれ、洗濯機でぐるぐる回されたようなあの数日間は、私の中で間違いなく宝になっている。

 さて、このように「セイファーガイドライン」は私の中では当たり前のもので、日常的に接する相手の多くもその概念を知っている。

 しかし、そんな界隈を一歩出ると、この世は無法地帯。まるで「野生の王国」のような光景に居酒屋なんかで出くわすことも少なくない。

 だからこそ、今、広めたいのだ。セイファーガイドラインを一言でいうと、「人の嫌がることをしない」ということに尽きる。当たり前すぎることだが、大人こそ、酒席こそ、そんな当たり前が通用しなくなる。だからこそ、このように明文化し、「何か始まる前」に改めて読み上げられることが大切なのだと思う。それだけで、大きな予防効果がある。「飲む前に、飲む」はウコンだが、飲む前に「読む」「配る」だけでOKなのだからお手軽だ。

 もちろん、このようなガイドラインがある場にハラスメントがゼロかといえば、残念ながら答えはノーだ。そしておそらく、このようなガイドラインは、先人たちの大いなる失敗と反省から生まれたのではないかとも思う。しかし、そういうことにみんなで気をつけようという共同体の方が、無法地帯より居心地がいいのは当然だ。

 そんな中で15年生きていると、様々な学びがあった。

 例えば過激な下ネタを言ったり、酔っ払って目の前にいる男女に「あなたたち、お似合いだから付き合っちゃえば?」なんて口にした人がきっちり怒られる光景を見てきた。もちろん、その場で怒られることもあれば、後日、「ああいうことを言われて不快だった」という告白がなされることもある。そういう言葉がスルーされず、話し合いが持たれるのだ。私自身、酔った男性に嫌なことを言われ、それを相談したところ、後日、人づてに謝罪の言葉をもらったこともある。

 そういう一つひとつの積み重ねが、「この場でちゃんと尊重されているんだ」という安心感につながる。セイファーガイドラインがあるだけで、「場」への信頼が高まるのだ。

 また、今改めて思う効果は「いじめが起きづらい空気」ができるということだ。どんな集まりでも、立場の高低は必ず生まれる。声が大きかったりリーダー的な存在はどこにでもいる。しかし、ガイドラインを全員が理解している場では、誰も強者におもねらない。「立場が弱い方」が「強い方」に対して「今の発言はおかしい、自分は不快だ」と表明すれば、それがガイドラインに基づく限り、強者であってもしっかり断罪される。

「今のは〇〇さんが悪いよ」「そう、セイファーガイドライン思い出してよ」という感じで、リーダー格であっても非は非として指摘されるのだ。もちろん、そんな場ではみんなすぐに謝る。

 人に「おかしい」と指摘し、指摘されたら謝るということへのハードルが思い切り低くなるという効果もある。世の中には、「セクハラだ」「パワハラだ」と言われた途端に逆ギレし、決して謝らない人もいる。そうして事態はこじれにこじれる。が、セイファーガイドラインがある場では、そこまでのハラスメントが起きる前に指摘され、指摘された方はすぐに非を認めて謝る傾向がある。そういう行為を日常的にしているため、日本社会ではなかなかできない「指摘」「謝罪」の練習ができているのだ。

 もちろん、万能ではない。どれほど素晴らしいガイドラインがあったって、人間がいる場では問題は起こる。

 それでも、いや、だからこそ、ルールは必要なのだ。

 あるだけで、読み上げるだけで、少なくない効果を発揮するもの。男女問わず、身を守ってくれる簡単な決まり。

「この場においてハラスメントは許されない」

 飲み会の場でだって、そう宣言することはできる。セイファーガイドラインがもっとカジュアルな形で広まったら、飲み会や人との集まりは、もっともっと楽しいものになるはずだ。



 朝、畑を見るとまだ乾いたところが残っていた。これでは根まで届かない。まだまだ欲しい。大粒の雨ではなく、霧雨のような雨だ。

ミニトマトが色づいてきた。

ズッキーニ。

不断草。


キヌサヤエンドウ。

エゾシカによる食害。
以下トンボの羽化したところ。(種類はわからない)




もうすぐ「絶滅する」というファッション誌 休刊ラッシュで失われる大切な「役割」とは

2021年07月05日 | 本と雑誌

何度も「投稿ボタン」を押してもアップできません。

少しづつ、ちぎってアップしてみます。

米澤泉 | 甲南女子大学教授

 YAHOO!ニュース(個人)6/29(火) 

今後はファッション誌を読むという習慣もなくなっていくのか。

休刊ラッシュが続くファッション誌

 集英社の女子中高生向けファッション誌『セブンティーン』が2021年10月号をもって月刊誌を終了することを発表した。1968年創刊の『セブンティーン』は半世紀以上にわたって女子中高生に支持されてきた老舗雑誌である。

 当初は『マーガレット』の妹誌としてスタートしただけに、マンガも掲載される総合週刊誌であった。しかし、88年にリニューアルし、ファッション誌『セブンティーン』に生まれ変わってからは専属モデルとなり、表紙を飾ることが人気女優への近道となっていった。過去の専属モデルには吉川ひなの、長谷川京子、木村カエラ、北川景子、水原希子、桐谷美玲などの名が並ぶ。

 かつての『オリーブ』のようにリセエンヌでもなく、『キューティ』のように個性的でもない。『non・no』の女子中高生版、「普通の女の子」をターゲットにしてきたからこそ、今まで続いてきたとも言える。しかし、その『セブンティーン』も今後は年に3~4回発行するにとどめ、デジタルに移行するという。

 また、同時に集英社は働くアラフォー世代向けのファッション誌『Marisol』も今秋以降、月刊誌を終了すると発表した。休刊になった『メイプル』の後継誌として2007年に創刊されて以来、川原亜矢子、SHIHOなどをカバーモデルに起用し、近年はエビちゃんこと蛯原友里も表紙を飾っていた。

 人気モデルを抱えていても、休刊せざるをえないファッション誌。コロナ禍の影響もあり、昨年からはファッション誌の休刊ラッシュが続いている。『JJ』『ミセス』『アンドガール』『グリッター』『Domani』『セブンティーン』『Marisol』・・・老舗雑誌も、一時代を築いた雑誌も、若者雑誌もマダム雑誌もどんどん消えていく。

 直接的なきっかけはコロナ禍だろうが、2010年代に入ってからファッション誌の売上げは低下していった。比較的好調だと言われる雑誌でも10万部に届かない。最盛期は100万部近くの発行部数を誇っていた雑誌ですら近年はこの有様だ。このまま紙の雑誌はデジタルに取って代わられるのか。もう私たちは紙の雑誌を必要としていないのだろうか。

紙のファッション誌が果たしてきた役割

 美しいグラビア写真で伝えられる最新の流行。現在の私たちが思い浮かべるファッション誌の原型を築いたのは1970年に創刊された『an・an』である。現在の『an・an』はジャニーズ、占い、健康などエンタメやライフスタイルを扱う週刊誌というイメージが強いが創刊時の『an・an』は『ELLE JAPON』でもあり、最新のモードを届けるファッション誌だった。翌年に創刊された『non-no』、75年に創刊された『JJ』とともに長年にわたって日本のファッションをつくってきた。

 洋裁からプレタポルテへ。70年代はおしゃれな既製服が次々と登場し、デザイナーやブランドが重視され始めた時代である。女性たちはどこに行けば、どんなブランドの服が、いくらで買えるのか、という情報を求めていた。もちろん、どうすればおしゃれに見えるのか、という服の着こなしを教えるのがファッション誌の重要な役割だった。モ○ルは憧れの存在となり、服の着こなしを指南してくれるスタイリストもスター化された。

 こうしてファッション誌は女性たちの欲望に火をつけていった。『CanCam』『ViVi』『Ray』『with』『MORE』「○○」『CLASSY.』・・・80年代には各出版社から続々とライバル誌や姉妹誌が創刊された。86年に男女雇用機会均等法が施行され、働く女性が増加した90年代になると、『Oggi』などキャリア女性ためのファッション誌も充実していく一方で、専業主婦に向けた『VERY』も創刊される。80年代には各出版社から続々とライバル誌や姉妹誌が創刊された。86年に男女雇用機会均等法が施行され、働く女性が増加した90年代になると、『Oggi』などキャリア女性ためのファッション誌も充実していく一方で、専業主婦に向けた『VERY』も創刊される。

 キャリアかマダム(専業主婦)か、オフィスで働くための服か、ママ友とランチに行くための服か。あなたはどちらの服を選ぶのか、どちらの生き方を選択するのか。ファッション誌の役割は単に欲望を喚起するだけではない。欲望喚起装置であると同時に服を通して生き方を導く、生き方の教科書にもなっていった。

 出版社も意識的にファッションと生き方を結びつけた。女の幸せは結婚と位置づけ、コンサバティブ(保守的)なファッションを提案し続けたのが光文社だ。『JJ』『CLASSY.』『VERY』『STORY』『HERS』と20代から50代までの「女の花道」を示していった。

 一方、キャリア女性のライフコースを描いてみせたのが、小学館だ。『CanCam』『AneCan』(2016年休刊)こそ、キャリア志向ではないものの、『Oggi』『Domani』『Precious』とこちらは20代から40代までの働く女性向けファッション誌を用意した。

 集英社は『セブンティーン』『non・no』『MORE』『BAILA』『LEE』『Marisol』『eclat』と10代から50代までの幅広い年代をカバーするだけでなく、キャリア向けの『BAILA』や『Marisol』、主婦向けの『LEE』というように、どちらの生き方にも対応するラインナップを取り揃えて対応した。

 2000年代になると『Sweet』『InRed』などキャリアでもマダムでもない、「大人女子」を掲げた宝島社のファッション誌が台頭するようになり、あらゆる生き方に対応するファッション誌が出揃うことになった。

デジタル化で失われる生き方の教科書

 だが、休刊が相次ぐことでせっかく出版社が築きあげてきたライフコースが途切れてしまう。かつては、大学入学とともに『JJ』の読者になってくれれば、あとは『CLASSY.』『VERY』『STORY』とそのまま読者はついてきてくれた。読者の側から言えば、いくつになっても次のステージが用意されていた。ある意味、安心して年をとることができたのである。

 しかし、もはや光文社の看板雑誌だった『JJ』はない。集英社の『non・no』はめでたく50歳を迎えたが、『セブンティーン』も『Marisol』もなくなってしまう。小学館の『Oggi』はあっても『Domani』はない。私たちに今日(オッジ)はあっても明日(ドマーニ)はないのだ。スマホでファッション情報を得ることが当たり前になり、もちろん若い世代は雑誌を読む習慣などないのだから、仕方のないことではあるが。

 紙の月刊誌を終了してもデジタル版は継続する、そちらに力を注ぐと各出版社は言う。確かに、モノのカタログ、情報誌としてのファッション誌の役割はデジタル版でも継続されるだろう。むしろ、デジタルの方が欲しいものがすぐに買えて、手軽な欲望をいっそう喚起するかもしれない。

 しかし、生き方の教科書としてのファッション誌の役割はどうなってしまうのだろうか。読者に寄り添い、年齢を重ねても新たなステージで常に水先案内人として読者を導いてきたファッション誌の役割は。30歳、40歳、50歳、節目の年齢を迎える度に立ち止まり、結婚、出産、育児と仕事の両立とさまざまな問題に思い悩む女性たちの背中をファッション誌は押してきた。「大丈夫、あなたの生き方は間違っていない。これからも頑張って」と。

 人生に必要なことはすべてファッション誌で学んだアラフィフ世代の私としては、生き方の教科書がなくなってしまうことに一抹の不安を感じるが、もはや杞憂なのだろうか。人生に必要なことはすべてスマホの中にあるのだろうか。あるいは、生き方の教科書などいらないほど、私たちの人生は自由になったのだろうか。

 

米澤泉  甲南女子大学教授

1970年京都生まれ、京都在住。同志社大学文学部卒業。大阪大学大学院言語文化研究科博士後期課程単位取得満期退学。甲南女子大学人間科学部文化社会学科教授。専門は女子学(ファッション文化論、化粧文化論など)。扱うテーマは、コスメ、ブランド、雑誌からライフスタイル全般まで幅広い。著書は『おしゃれ嫌いー私たちがユニクロを選ぶ本当の理由』『「くらし」の時代』『「女子」の誕生』『コスメの時代』『私に萌える女たち』『筋肉女子』など多数。


  かって、書店に勤めたことがあり、「雑誌」を担当したこともあるので懐かしく読んだ。私が担当していた頃は「創刊ラッシュ」の時代であった。「anan」「MORE」などの宣伝誌〈表紙だけが印刷されたもの)がまだどこかにあるはずだ。

 待望の雨だったが、肩透かしだった。今日の総雨量は2mmほどだ。無いよりはマシカ!これから夜と明日も雨マークになっているが期待しないほうがいいかも?

紫陽花がようやく開き始めた。

ジャコウアオイ

ポチポチ花が咲いてきたジャガイモ。雨不足のためか生育が良くない。

さてさて、困った。何度「投稿ボタン」を押してもアップできない。不適切な「言葉」があるらしいが、それが何なのかわからん。

ようやくわかりました。雑誌名でした。「○○」としたところです。


大越キャスターの退職で加速するNHKの「パペット・メディア」化

2021年07月04日 | 生活

立岩陽一郎 | 「インファクト」編集長

YAHOO!ニュース(個人)7/3(土) 

    NHKの大越健介キャスターが自身の退職を明かした。「区切りをつけたい」との意向だが、それを踏まえても、実はこれはNHKで現在起きていることと無縁ではない。今、NHKで報道を支えてきた職員の多くが退職を考え始めている。それは既に始まっている日本の公共放送のパペット・メディア化の加速を意味する。それはどういうものなのか?

大越キャスターの退職

「大越さん、辞めるようだが、連絡取れないだろうか?」

    6月29日、私はテレビ局の友人から連絡を受けた。NHKの大越健介キャスターが退職するので秋の改変でキャスターにお願いしたいとの話だ。その為に連絡を取って欲しいとの要望だった。同じ記者職だったとは言え、1年違えば先輩後輩のしきたりの厳しいNHKで私より5年以上先輩の大越氏のことを知る由もない。要望には添えないと伝えた。

    翌日、大越キャスターの退職が報じられた。60歳まで2か月での「定年退職」ということで報道によると、「間もなく60歳という節目ということで、自分自身も仕事に1つの区切りをつけたいと思います」と出演するラジオで語ったという。

    既に民放キー局の秋の改変で報道番組でキャスター就任が決まっているとも言われている・・・などと書くのがこの記事の目的ではない。重要なのは、大越氏の退職が意味するものだ。

    定年退職ということだが、延長は可能だ。大越氏の退職は、本人の説明はどうであれ、NHKの現状と、その今後を象徴するものだと私は考える。それは現場の若返りということになるが、それは同時に、NHKのパペットメディア化を意味する。以下、説明する。

報道の歴史は現場の裁量権の獲得の歴史だった

パペットとは、操り人間のことだ。「傀儡政権」などにも使われる言葉だ。パペット・メディアとは、表に出る人間、つまり画面に登場する人物を裏で誰かが操るメディアという意味だ。

    もともと日本のメディアは新聞、放送を問わず、その文化を色濃く持っている。それを壊して現場に裁量権を与える試みが幾度も行われ、その綱引きが続いてきた。NHKでは、夜9時台のニュース番組の開発であり、国谷裕子氏の「クローズアップ現代」の展開がそれだ。それは、キャスターに自分の言葉を持たせ、現場がニュースを斬る。あくまで現場の裁量と決断で放送を出すという取り組みだった。

    私は現在、「NHK研究」を連載しており、その中で番組制作を担うPD(プログラム・ディレクター)と呼ばれる職種の職員を主に取材している。その取材から、NHK報道の歴史が現場が裁量権を確保するための闘いだったことがわかる。国谷氏の交代に強く抗ったのはPDだ。大越氏が「ニュースウオッチ9」のキャスターを降りた後も、彼を支えたのはPDだった。現場の裁量が報道番組に不可欠であり、それには経験豊富なジャーナリストの存在が必要なことを彼ら、彼女らが知っているからだ。

    大越氏のNHK退職は、そうしたPDが支えて実現してきた現場よりも、更に魅力的な場所がNHKの外に有ることを物語る。現場を支えるPDの頑張りを上回るはるかに大きな力がNHK内で作用しているとも言える。そうした中での大越氏の判断は当然であり、仕方がないことだろう。

キャリアを活かせない現場

    実は、同じ状況はNHKの他の部署でも起きている。大越氏は政治部のエース記者だったが、社会部でも同様なことが起きている。

    長く社会部で福祉問題を扱い、国の問題にもメスを入れてきた後藤千恵氏がこの夏の異動で退職する。解説委員としても弱者への視点から政府に厳しい指摘をしてきたことで知られる。私の社会部時代の先輩で50代半ばだ。

    NHK内部から得た話では、後藤氏はこの夏の異動で地方の通信部記者といった職を提示されたという。後藤氏は地方への異動は歓迎したと言うが、問題は、裁量権の無い末端の記者としての役割だった。これは、突発事故が起きれば駆り出され、選挙となれば選挙区を回ることになる。日々、そうした作業を押し付けられる役割だ。それは彼女の長年のキャリアを活かせるものではない。そう考えての退職となったという。

    大越氏が50代の最後、後藤氏は50代半ば。これは前田晃伸会長が進めるNHK改革と無縁ではないと私は考える。前田会長は40代の職員を地方放送局の局長に抜擢するなどの組織若返りの改革を進めている。それはNHKを活性化させる上で、当然、好ましい側面も有る。しかし、その結果、これまでキャリアを積んできた50代が力を発揮できる場を失っている。そして場当たり的な人事が打診されている。そういう職場に日本の公共放送はなっている。私が知る限りでも、50代のPD数人が辞めており、記者、PD含めてあと数人は退職を考えている。何れもNHK内で実績を積んできた50代の職員だ。

    少し考えてみよう。例えば、「クローズアップ現代+」。若い男女のアナウンサーが司会を務める「クローズアップ現代」の後継番組だが、仮に大越氏や後藤氏がこの番組のキャスターを務めたらどうだろうか?もっと深く物事をつきつめていけるのではないか。そして、仮に2人がその職を打診されていたらどうだろうか?推測でしかないが、大越氏は、後藤氏は、NHKを退職していなかったのではないか?

    因みに、こうした人事について問われた前田会長は6月の定例会見で、「ベテランはベテランでいろいろな役割が有りますので、それにふさわしいところで頑張って頂きたい」と語っている。

    前田会長の「組織若返り」には矛盾も指摘されている。経営幹部の専務理事に67歳の板野裕爾氏を再任したのがそれだ。それは官邸の意向による異例の人事だったとの報道も有るが、私は確認していない。ただし、官邸の意向が有ろうが無かろうが、現場を若返らせ50代のベテラン職員を冷遇する一方で、70歳手前の経営幹部をその例外とした事実は重い。

    5月の会見でこれについて問われた前田会長は、「役員は通常の職員とは違う」とした上で、「私は年齢がどうかということではないと思います」とひらき直っている。しかし、その結果、どうなるのか?若い現場は、益々、年配の経営幹部に抗えない状況が起きる。組織の論理がトップダウンで貫徹されるということになり、これは前田会長がキャリアを積んだ銀行業界では好ましいことかもしれない。スピーディーな社会の流れに対応する「スリムで強靭」(前田会長)な組織ということだろう。しかし、その一方で、現場が経営幹部の意向を伝えるだけの「操り人間」になることを意味する。パペット・メディアだ。

NHKとは逆なアメリカのメディア

    これは当然のことなのか?例えば、トップダウンの本家のようなアメリカだが、報道界はそうした状況を受け入れていない。確かに経営幹部は皆若い。40代も珍しくない。そういう意味で前田改革と同じと言えなくない。しかし、アメリカの報道番組を視聴すればわかるが、現場は逆に、キャリアを積んだベテランが勢ぞろいしている。新聞、テレビともに、50代どころか、60代、70代のベテランが現場を仕切り画面で活躍している。

    CNNの「シチュエーション・ルーム」アンカーのウルフ・ブリッツァーは73歳、公共放送PBSの「ニュースアワー」アンカーのジュディー・ウッドラフは74歳。その経験を活かした報道で問題を伝え、権力に迫っている。彼ら、彼女らが仮に「この原稿を読め」と経営幹部から言われたら、恐らく辞任して抗議の声明を出すだろう。パペット・メディアのキャスターなど、民主主義社会のジャーナリストとしてはあり得ないからだ。そして、そこにアメリカの視聴者も価値を見出している。

    NHK内部では、前田会長の改革を「公共放送の銀行化」と評する声も聞かれるようになっている。ジャーナリストとしては発展途上の40代の職員を地方放送局のトップに据えるのは、銀行の支店長をイメージしたものとの指摘だ。それはNHKの組織人を育てるもので、組織を「スリムで強靭」にするかもしれない。しかし、現場に対する洞察が欠けているため、現場が獲得してきた裁量権を奪うものになる。

異論をはさめない現場

そして第二、第三の大越氏、後藤氏はNHKを去っていく。

    その結果、画面には若い職員が出て華やかなものになるだろう。しかし、同時にそれは、経営幹部の指示する内容を伝えるだけの放送があふれることを意味する。誤解が有るが、アナウンサーだから与えられた原稿を読むのではない。キャリアを積んだアナウンサーは原稿の問題を指摘し、現場で内容が修正されることもある。私は過去にNHKで、そういう場面を経験している。それがあるべき現場の姿だ。

    経営幹部の指示が政権の意向を忖度したものかどうかも、大きな問題ではない。現場から離れた経営判断で動くメディア、それは既にパペット・メディアだ。例えば、東京オリ・パラの聖火リレーで開催に反対する声を出さないよう経営幹部が指示すれば、それに現場は異論をはさまない。否、はさめない。パペット・メディアとはそういうものだ。

    パペット・メディア化が加速するNHK。それは国営放送としては良いかもしれない。しかし、民主主義社会の公共放送が進むべき道ではない。

※この記事にはNHK現役職員からもたらされた情報が使われています。本来は情報源は明示すべきと考えますが、それによって情報を提供してくれた職員に著しい不利益が予想されるため情報源を匿名としています。


 静岡県で大きな土石流が発生し犠牲者が多数出ているようです。被害に合われた方にお見舞い申し上げ、犠牲になられた方に哀悼の意を表します。まだ雨は続くようですので、これ以上大きな被害が出ないようお祈りいたします。

 こちらは雨を待っている状態なのですが、月曜日、日付が変わってからの予報が朝からに変更になり、今見ると昼からに変わっています。このまま逃げられはしないかと少々不安です。


危険性がますます明らかになっている東京五輪開催の中止を訴えます!

2021年07月03日 | 生活

キャンペーン · トーマス・バッハ 国際オリンピック委員会会長: 危険性がますます明らかになっている東京五輪開催の中止を訴えます! · Change.org

 

発信者:東京五輪開催に反対する作家/小説家/作曲家/学者/ジャーナリスト/元外交官の集まり 
宛先:トーマス・バッハ (国際オリンピック委員会会長)、5人の別の宛先

呼びかけ人(五十音順)

浅倉むつ子(法学者)・飯村豊(元外交官・幹事)・上野千鶴子(社会学者)・内田樹(哲学者)・大沢真理(東京大学名誉教授)・落合恵子(作家)・三枝成彰(作曲家)・佐藤学(東京大学名誉教授)・澤地久枝(ノンフィクション作家)・田中優子(前法政大学総長)・春名幹男(ジャーナリスト)・樋口恵子(評論家)・深野紀之(著述家)

賛同者:高橋源一郎(作家)・三浦まり(政治学者)

 東京五輪開催の危険性がますます明らかになっています。私たちは五輪主催者が状況をしっかりと直視し、開催を中止することを緊急に求めます。

この内閣総理大臣、IOC,  JOC、都知事への要望書にご賛同の署名を頂ければ幸いです。

 いよいよ五輪開催が予定される期日が迫ってきました。私たちは昨年の開催延期の決定以来、日本政府と五輪主催者が「安心安全」のスローガンをどのように実現するのか、国民に納得のいく説明を行うのを待ってきました。残念ながらそのような説明が行われていないどころか、逆に感染防止体制の様々な欠陥が明らかになってきました。また、現在首都圏ではコロナの感染者数が再拡大する傾向にあり、感染力の強いデルタ株の割合も増えています。高齢者以外の方々にあまねくワクチン接種をおこなうことも不可能であると報道されています。このように低いワクチン接種率で行うことになろうとは1年前に考えてもみませんでした。私たちの不安は急速に高まっています。

 私たちの怒りも深くなっています。日常生活の抑制を求めながら、数限りないコロナクラスターを無数につくる可能性を秘めた五輪開催を強行しようとする不条理に、また子どもたちから運動会を奪いながら観戦を求めようとする大人の身勝手に怒っています。

中止を訴えるデモや署名運動が各地で行われています。当然のことです。

 このように1年前に延期を決めたときと現在では、開催をめぐる条件が変化しているにもかかわらず、IOCと日本政府は開催ありきで、市民の声を聞く気が全く無いようです。市民の間には今さら何を言ってもと無力感が拡がっていますが、それでもこの切迫した時期だからこそ、最後のチャンスと考え、あえて言うべきことを言っておきたいと、私たちもこの署名をもって、その隊列に加わります。

 日本国民の健康と命、そして世界の人々の健康と命が守られなくてはならないと考え、政府に改めて訴えます。歴史的暴挙ともいうべきこの東京五輪が中止されることを求めます。

 心配しているのは日本人だけではありません。世界の人々が心配しています。それは感染のくり返しは新たな変異株を生み、世界中に広がるからです。菅総理大臣は、"安心安全"のオリンピックにすると言われますが、世界の方々も納得していません。日本は世界に迷惑をかけようとしています。この心配が海外のメディアから伝わってきます。これは「スーパー感染拡大イベント」だ、なぜ中止しないのかと。

 感染を防ぐためには入国、移動、競技場のアレンジ、選手村やホストタウンでの生活、病室の確保、保健所による体制作り等、極めてきめ細かな対策が取られる必要があります。

すでに海外の選手6名が実は陽性者であったとのニュースが流れています。これから10万人近くの海外の選手やオリンピック関係者が入国してくると何が起きるのかを予想させるのに充分です。「スーパー感染拡大イベント」にならないようにすることはほぼ不可能だと思われます。バブル方式は空想の産物です。

 もはや残された時間は少なくなってきました。私たちは切羽詰まったお願いをしております。遅くなる前にこの暴挙を中止する決断をしていただきたいと。


 30℃に満たない日でしたが、日差しが強くハウス内は35℃超え。ハウス妻面(ドアのある面)の右上1/4を開放した。

待望の雨が・・・、5日〈月〉に大きな雨マークが付いた。変わらないでほしい。

沼の水位も下がってヘドロが見えてきました。

桑の実も黒くなってきました。