玄徳道

道を語るブログです。

折り鶴道

2022-04-20 20:01:00 | 人倫
さて、私、鬼雷は、折り鶴は、小学生の時にしたのみ。

特に興味も無し。

今、世の中では、折り鶴をウクライナに送ろうととしたら、役に立たない。頭が悪いと。人はそう言う評価を与える。

然り。されど、道では無い。

道とは、自然の大道なり。大道とは愛道なり。

お互いを思いやる気持ちこそが道の真価である。

私は織り鶴の意を解釈しない。というか、出来ない。した事が無いから。

それでも、想像する。

折り鶴とは、夫婦と過程に似ていると。

お互いに役に立たない事を為すことがある。

なんせ、夫婦は赤の他人。

その中で、通じ合うのは、お互いへの愛あるのみ。

私で言えば、阪神タイガースをこよなく愛する嫁の好みは理解出来ないが、それもまた、良し。

たかが、紙で鶴を織る。

されど、古神道には、太古真法による神折符があり、和紙を一定の玄則によって折る事により神界の符則と合気し、神々の働きの為す働きがある事を示している。

たかが、折り鶴、されど折り鶴。

無駄無駄無駄のような行為が実に大地に安寧を与えている、御徳が確かにあるのでございます。

そして、人の世の誠の行いに、頭の悪い事も無く、無駄な事もないのである。

さらに、無為の中にこそ、神の感化は備わっているのでございます。


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コロナウイルスによる人の道。

2020-03-07 18:29:02 | 人倫



人がかつての偉人の言葉を守り、自己の道を示されれば、世の災いとされる、未知なるなるウイルスも人類への寄与でしかない。

しかし、人は、おののく。


ウイルスによる、病気を得るを恐れる。


やれやれだぜ。地球が開発される以上、埋もれるウイルスは、世に蔓延る。


三千世界一度に開く梅の花。

小長谷修聖老翁は、梅とは、埋められた御魂とされたが、埋められたウイルスでもある。

人類が地球上で生息する以上、ウイルスは、日々進化し、日々人を依り代とする。

人は死ぬ。寿命あり、病あり。


そして。けだし、人は、死する存在である。

我が愛する家族が死ぬ事を認めぬが、人の愛欲。


あまねく、人を襲うが病魔。これは、永遠の疫なる氣の発生。

この疫氣の発生は、地球回転と人類の行いに依る、ハーモ二ー。即ち因果応報である。


巨大な文明、万能感のある医療世界では、必ず、それに反抗する「抗魔」が働く。

今、コロナウイルスによる被害で隔離されるは、年配者、持病のある方。肺への攻撃は確かに厄介である。自然界に淘汰がある以上、コロナウイルス限界値が衰えるまで、養生を道とすべきである。

他の健康的な方は、大いにコロナウイルスを受け入れるべきであろう。

そこで死するは天命。生きるも天命でもある。

ウイルスは、人智を越える存在。その
仕組みは、悪魔の仕組みでもあり、神の仕組みでもある。

「小人、窮すれば、乱れる。」

これは、孔子の言である。そしてこう述べる。

「君子は基より窮する。されど乱れず。」

天子より庶民に、至るまで、いっしに修身を以て道とする。その元乱れて末治まるは、未だこれあらざるなり。

やれやれだ。

日本人にある本質と強さは、大和なる調和なる道。その基は、人々にある、自然への回帰なる道、自然への感謝する道。思いやる慈愛、仁道。日本原初よりの神道。

たかだか、新型のコロナウイルス。

されど、これにより、マスコミの煽る恐怖により、自己を見失う人々たち。

さらにさらに、やれやれだぜ。聞けよ。

日本の根源なる機能とは、咀嚼力。

日本土着の民族と数多の世界の多民族の血により、日本神界が顕現される。

島国日本とは、正に、地球人類合血の民。古代ユダヤを逃れた漂流民族の落とし子なり。故に神の国と、神が称するのである。

進化したコロナウイルス。これも、十分に咀嚼し出来るのである。雛型は、地球の八百万の宗教を受け入れた、奇跡があるからである。

何度も書くが、病魔を怖れる者程、疫魔は、因るのである。

是を知れ。




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愚かなる人道

2020-03-03 19:46:55 | 人倫


コロナは、五六七。

かつて、大本神業により、世の立て替え立て直しを唱えた、出口王仁三郎、尋仁聖師は、霊界物語にて、弥勒を五六七と数霊で述べられた。


是に意義を見出だすが人。


コロナウイルスの初期はかつての昔に発見され、今でこそ、超有名となっているが、今の世の新型、コロナウイルス。

それを弥勒の数霊である五六七に、その意義を妄想する。

真に神の道を歩む者に、虚言と語呂合わせに、真義なく、ただ、世の安寧を臨むのみ。


されど、今の日本人は、流言に惑わされ、人の糞を拭う紙をマスクと混同し、
我が糞を拭う紙を優先し、他人の糞を拭う紙を思いやる事なく、他人の糞を拭う紙を、奪うなり。

これを「我良しの世(体主霊従)。」と申します。


天知る地知る、吾が知る。


人類の終焉が、近いと言う事だ。


やれやれだ。


ノアの方舟は、人を生かす、神の機関。

いっそ、死んだ方がマシの氣幹。


三千世界、一度に開く梅の花。


国祖は、嘗ての世において、幾度の機会を示された。

人類は愚かで、幾度も何万会も、失敗する。


如何に、人の智能が上がり昇ろうとも、我良しの思考により、今まで得た糧が奪われ返るのである。

はあはあはあ、やれやれだぜ。
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やれやれだ。ぜ、道。3

2020-01-25 18:00:26 | 人倫
振り返れば、人の苦しみとは何なのであろうか。

苦しみ痛み、苦悩を慶び、艱難辛苦を我に与えたまえと、自己を研鑽、研磨する礎とされ大切とする、人は少ない。

なんせ、人とは、欲望の権化。我が一族、恋人のみの幸せが大切であり、見栄や地位や、お金、学歴が大切であると考える種族。

ははは、人は自らを苦しめる。

地位や名誉金や官位があろうとも、人は幸せにならない。

人が幸せに成らない理由とは、抑圧あるのみ。

それは、貧乏、男女の関係、苦しい病、借金や、人間関係、学歴、職歴、無限に広がる苦悩。

苦しみからの解放の為に、人が進める宗教やスピリチュアル、社会福祉、禅や神社参りをしようとも、苦しむが人。

苦しみからの解放の為に、瞑想しようがさらに迷走する。瞑想を苦悩からの脱却の扱えば、自殺者が増すばかり。

やいやい、苦しみからの解放を求めれば、それは、放棄あるのみ。

単純で簡単。全てを棄てれば良い。

されど、愛する人、家族、親族、友、恋人を持つ者、簡単には放棄出来ない。

では、どうすれば良い。

死ね。自己の意念を殺せ、自己の死、それを鶴鳴とせよ。自己が生きる
死人と限定すれば、即ち、無敵。なんせ、自分は、生きながら既に死んでいる。死人に恐怖が無く、只、目前を難敵、仕事を葬るのみ。

溺れる者は、藁をも掴む。ゆえに、永遠の苦悩に陥るのである。

溺れたら、じたばたせずに、死ぬこととを見つけたりと、溺れ、死人となれば、何れ浮き上がるは必然。

因果律とは所詮、陰陽における氣の働きでしかない。

あなたが、ドン底であるならば、死人となれば、何の煩いも無く、無敵なり。

各人。

此れを知れ。

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克己復礼への道

2012-07-03 21:06:47 | 人倫
修道とは自己を戒め、また学び、真実なる自分の道心(内在神)を顕わす道です。

その道を貫こうとすれば、最大の敵と対面せねばなりません。是は私への訓戒でもあります。

最大の敵とは、自分の中にいる、怠けようとしたり、ズルをしようとしたり、人へ悪口を言おうとする、もう一人の自分です。この心は常に自分中心のエゴであり、物事を自分の欲するままに妄想して捉えます。常に私を悪道へ誘い、誘惑します。

道を修める者は常にこのエゴと対面せなばなりません。異性に弱ければ様々な情報を得ようとし、快楽が真実であるように妄想させます。食べ物が好きな人は、常に美味しいもので誘惑します。娯楽が好きな人には道を修めることの愚かさを表します。

エゴであるもう一人の自分の欲しいままに行動すれば、欲望は自分の中で業火となり、自分自身を焼き尽くすまで消えることはありません。現代の人の大半は、快楽、娯楽が道であると勘違いして、本能や性欲のままに行動するのです。かっこいいとか、面白いとかでしか判断が出来ません。そして今、自分を焼き尽くされている事も気が付かないのです。

私達は、普通に生活するだけでも様々な知識と情報が入ります。この中で真なる自分自神、内在神を発露させるのは険しき道です。しかし、道を志す人は、エゴである自分と向かい立ち向かい、己に勝たねばなりません。人は、自分に優しく他人に厳しい存在です。是を逆にし、自分に厳しく、他人に優しくすることが道を歩む事なるのです。

己自身に打ち克ってこそ、真の自神を覚神することにもなり、自己救済の神霊の守護の始まりでもあるのです。復礼とは、真の内在神に回復し他人にたいして思いやりある形容を為すことが出来るということなのです。

自分の弱さ(エゴ)を克服する道で最適であるのは坐道であります。坐とは常に自分の内なる神に、心を合わせる為、エゴに意識が偏るのを防ぐ働きがあるからです。


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