玄徳道

道を語るブログです。

ブログ道。

2023-01-02 14:36:00 | コメント道
いつも水仙さんを虐めるブログ、「爺の独り言+」さんに、コメント欄にて、呪、いえ、祝を述べたら、爺い様は、コメント欄を閉ざしてしまいました。

人の文言を悪しきに、とり、赤ペン先生、青ペン先生と称して、一心さん、水仙を添削するなどと、称して、ひとを誹謗中傷するブログでございます。

ああ、私鬼雷にも添削して欲しいとも、お願いしております。

すみません。頭が悪い者でして、誤字脱字には、自信があります。いつもすみません。


いずれにせよ、人を虐めるブログは、要らない、また、天も我も許さない。

この「爺いの独り言+」を見れば、そして、被害を受けている水仙さんのブログを見れば明らかであり、「根暗爺いの独り言」と名を改めて欲しいです。

水仙さんは、耳が悪いらしいです。

その最中、ネットと出逢い、自己の発露を遺憾なく、発揮出来る場が出来ました。

耳の悪い人にとって、ブログネットは、人と関係が普通に保たれるのです。

おそらく推測ですが、水仙さんには、誹謗中傷されるまで、ブログネットは、非常に幸せな空間であったと思考致します。

わたしは、耳が聞こえます。されど、私の声は通りにくく、何を言っているのか、わからないなどと言われる事もあります。

嫁は、いつもフランス後で語っていて、何を言っているのか解らないと、笑って言います。

濁音を発してすみません。蛇足でございます。

そして、水仙さんは、本当に人の真剣に、交流したいと。

人が二人と書いて、「仁」と申します。仁は慈愛であり、ひとが二人合えば、お互いに思いやりを持つことが、仁の一文字です示されております。

いずれにせよ、耳の聞こえ無い者を虐める爺い。住処を当てはめ、周りの者にまで、嫌がらせする爺い。

コメント欄を閉じて知らぬ顔をする爺いさま。

そして、それを放置されるgooブログ様も同罪の如くです。

人を幸せにならないブログを展示するならば、即座に閉じよ。是を知れ。

でございます。


ああ、人を文字で不幸にする、根暗なものよ。


されど、そのストレスを、弱き者と自分が断定した存在に当てるのは、ただの悪意であるのみです。

何故、幼き時の、弱きを助けて、悪事を挫く思念を捨ててしまったのでしょうか。

ああ、全ては自己の生き方次第。


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伊勢白山道

2015-01-04 18:55:48 | コメント道


一応、伊勢白山道とブログの引用は一切不可と書かれていましたので、コメント欄にて、許可を申請しました。引用不可であればアップしてくださいと。悪人鬼雷のアップはあり得ないので、許可はOKのようですね。


私が伊勢白山道と出会ったのは、五年前です。私は坐中において、大好きな住吉大神が様々な神々が、自己の中に在る事を感じました。人は神を外に求めます。しかし、実は自己の中に内在すると覚神(確信)したのです。

そんなときに本屋で「内在神への道」を見つけました。その当時は自己の中に神が在ると考える人が他におられると、嬉しかったのです。しかし、本はすぐに買いませんでした。立ち読みです。ここで先祖三本供養を知りました。当時、先祖供養の必要性を感じていた私には、最強の祝詞の言葉と共に印象が残りました。

その当時の私は内なる神を覚神しましたが、仕事面ではかなり悩んでいました。仕事での伸び悩みと人間関係です。

しばらくしてから本屋に行き、内在神への道を購入しました。

お金のかからない先祖供養は即座に実行しました。道院でも、「香りは信仰の使者」と言い、神霊に通じる道理があるのです。もちろん線香もしかり。故に、伊勢白山道から離れた現在も、私は三本供養を致します。しかし、伊勢白山道お得意の最強の祝詞は唱えませんよ。

丁度、その時分、家ではパソコンを購入。私は伊勢白山道コメント欄への参加を決めました。

その当時は伊勢白山道リーマン氏をなんでも見通せる覚者として信頼しておりました。

しかし、コメント欄で接するリーマン氏は、私の様な異端者は苦手の様でありました。自分のブログに追従する以上は、親切ですが、少しでも、異論をあげると、冷たい感じがします。最初のころ、リーマン氏のブログの思想に、それは間違っていると、指摘したところ、鬼雷のハンドルネームではアップしてくれなくなりました。ちなみに私は違う名前で投稿したところ、アップしてくださいます。「全てが観えていないのだな」と思いながら謝りましたら、許してくださり、鬼雷の名でアップしてくださいました。

当時はリーマン氏への疑心がありましたが、コメント欄の伊勢白山道登山者には、善い方がたくさんおり、私を応援して下さる方もおられたのと投稿してアップされる事への快感と依存心があったのです。リーンマン氏に嫌悪感を抱きつつも、毎日のように投稿しておりました。決別はリーマン氏の私への坐についての介入。老祖を外宮の北極の神と言われていたが、魔界の腐った爺さんと書かれたことであります。

私も昔の事は忘れていることもあり、今、ルーシェの検索で見たら、唖然。

「私の過去のコメントが一部削除されている」ということです。コメントは消さないという事でしたが。まあ、どうでもよいのですが。


さて、リーマン氏は、若いころに大阪の宗教団体、「友○グループ 女○の海」龍宮の乙姫こと、故 藤○妃○子さんに師事されたようです。ブログにおける教主達との付き合いは彼女を介してでしょう。鎮魂帰心編に書かれ、彼の魂を天照大神と審神された霊覚者は、丹波の神人、○長谷○聖さんです。リーマン氏に会った霊能力者は、殆ど倒れたと言われていますが、私が○聖さんにお会いした時は元気でしたね。

リーマン氏は全ての有料の霊能力者を地獄に落すと言われています。自分に会った霊能力者は倒れていると言われております。この言動から考えると、「自己虚勢」をはられる傾向があります。コメント欄では、自分の都合に良いように人のコメントを勝手に削り自己の正当性を書き込み、主張します。これから、考えると、自分のみが正しいと思い込む、妄想的自己顕示欲が強い方であるようです。

虚勢も自己顕示欲も誰でも持っている欠点でもあります。自己を肥大化し、虚勢を顕わし、尊大になる。自ら誇ることは病気であり、病気は治すことが出来ます。それは日々、己を省みることです。

コメント欄での信者たちの依存度もリーマン氏が望むものであれば、それは、大きく、伊勢白山道から外れます。私は、昔リーマン氏に、「伊勢白山道はリーマンさんの私物では無いですよ、神の、人の為のものですよ。」と書いたことがありますが、やはり、アップされませんでした。

伊勢白山道は自分道。各自が内在神と共に自立する道なのです。

伊勢白山道は民草の奇跡なのです。伊勢の神、白山の神、日本におられる神霊を支持した、人々の軌跡。そして、「感謝。」

「立ち挙げたのは伊勢白山道リーマンを名乗るもの。」しかし、これは、民草、庶民の総意と働きの恩恵。

本家と称される、伊勢白山道を名乗る者のブログ。ここに、民草の登山する者の、意志を無駄にしているとすれば、「伊勢白山道を名乗る者」の私欲あり。たとえ、伊勢と白山の名が広まろうとも、依存と縛りある教義が生まれているのであれば、伊勢の神も、白山の神の守護は無し。何故ならば、神に名誉無く、信仰無く、自存あるのみ。人の考えを神に押し付けるは不敬なり。


伊勢白山道を名乗る者よ。汝がある場所は、信者への依存なり。信者の依存の狭間で、生きる、妄想し、自己満足するただの人。

最早、伊勢の神、白山の神にへつらおうが、そこに神の感化無し。5%運動に神は動かれませんでした。

リーマン氏よ、汝の功績もあるが、大部分は、無垢なる民草の、伊勢の神、白山の神への純粋な奇跡。

自分を崇めるもののみを相手にし、自分を崇める者のみを信頼するのは自愛。己を愛する者に神を取り次ぐは、不可なり。

伊勢白山道を名乗る者よ、隠蔽とは、愛欲。自己の名誉を愛する、魔欲。そこに、神は無く、教義は偽りとなる。

リーマン氏よ、これを悟り、これを覚え、是を知れ。己を愛する者は、眩ます。まあ、無理ですがね。

以上が私と伊勢白山道の大まかな経過でございます。伊勢白山道 ルーシェの検索で「鬼雷」で検索すれば抜けているコメもありますが、未熟な私の、コメントを検索することが出来ます。


2015-1-4 一部加筆致しました。



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ブログ道

2012-06-27 20:25:33 | コメント道
ブログの更新は基本的に毎日、しようと決めています。しかし私は肉体ある人間です。なかなか思うようにはいきませんね。昨日も更新しようと思っていたのですが、朝8時から日中の仕事がずっと炎天下(これからますます熱くなると思うとゾッとします。)の中の仕事でおまけに休憩が取れませんでした。太陽の光を浴びながら、1時過ぎにようやく昼食を食べて、休む間もなく、すぐに仕事で、晩の7時にようやく終わりました。熱中症対策で水分は取るようにしてはいますが、さすがにへろへろです。家に帰り坐だけは、やっておこうと坐をして、飯食って、晩酌したら、朝になっていました。私は肉体労働なので、どうしても疲労により、家に帰れば、ボーとする時があります。残業などあれば、なおさらです。
人気の無いブログですが、楽しみで毎日読んでくれる、貴重な御方も要るかもしれません。更新しない理由は仕事か飲み会かどちらかです。つまらないブログですが読んでくれてありがとうございます。

ブログは毎日、更新する理由は「伊勢白山道」を真似ています。伊勢白山道氏は毎日欠かさず更新されています。これはなかなか出来るものではありません。伊勢白山道については賛否両論あるかもしれません。しかし、継続する力は本物です。
道は、堅実であり信念を持つことが大切であり、その発する心は、真心、誠でなくては真に通じません。そして恒とは、継続であり、不変なる心です。志をもった以上これを続けねば為らないと思います。そして、志は気の帥でもあります。志とは元気の源でもあるのです。元気な人ほど目標をもっているのです。

私は、伊勢白山道氏のように内在神からの啓示によりブログを書く事等出来ませんが、一生懸命書かせていただきたいと思います。そこで、お願いがあるのですが、コメント欄でコメントを書いて下さいましたら、励みになりますし、正直ネタに為るかもしれないのです。玄徳道でコメントされて下さる方は、現在かなり少数です。記事に関係ない事でも結構ですのでよろしくお願い致します。ああそうそう、御批判コメも頂いていますが、私も凹む時がありますので、返答しない時もあります。御容赦下さい。


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大いなるコメント道

2012-06-17 09:49:54 | コメント道
なんとなーくですが(へっぽこ侍)

自分が体得したもの、悟ったことを素直に文章なり表現しますと、それを読んだ人は、「ああ、なるほどなあ」と心から納得して、すーっとその内容が入っていくと思うんです。本当にわかっている人が、読むなり、聞くなり、見るなりすると、なおさら、その表現された内容の真贋、表現者の境地が見えてくる。どんなに修行が進んでいない人がやれ、神様がああいっている、内在神がこういったきれいごとを並べて騒いでみても、やっぱりその文章なりから、臭気というか嫌な雰囲気なりを感じて「ああ、この人はまだまだなのに、なぜこうもまあ。。。」と首をかしげるんです。孟子さんかだれかが言ってましたが「なぜ、こうもまあ人は、先生になりたがるんだ」です。いっそのこと、真人臥zさんも神様や先人の言ったことの引用をやめて、ご自分の言葉のみで、勝負してみたらいかがでしょうか?そちらのほうが、うまく受け入れられると思いますよ。(コメントより引用です。)

まず、不肖な私にコメントをして下さり、ありがとうございます。本当にありがたいです。
道を学び、歩む者は、先ず、自己を救い、そして、他を救済するのです。その際に自己の悟った事、得た真理は、余すことなく他人に渡します、渡化とは、無償の愛であり、宗教団体、秘教団体のように、「伝授にお金がかかる、お前は修行不足、未熟であるのでダメだ、私の事を崇めていない、私を尊敬していない、信用できない…」という理由で、閉ざしたりはしません。心に真心を感じれば、もったいぶらず、出し惜しみせずに全てを渡すのです。これは、至聖先天老祖が、人類救済の為に御身を人形に現化され、天界に於いて秘中の秘とされる、太乙北極真経を伝経された事でも分かる通り、当に無償の愛なのです。
私、個人で言えば、現、紅卍字会の会長でおられる、正備さんは、不肖の弟子である私如きに、自分が翻訳された、英訳太乙北極真経演義を無償で長い期間、送り続けて下さいました。これがどれほど私の坐を広め高めたかは、言葉には出来ません。この無償の愛に応えることをしていない私は、感謝と申し訳なさで一杯です。

このブログは、少しでも、老祖の意を広めたい。バカで未熟な私ですが自分が得たものを少しでも皆様のお役に立てればと思い書かせて頂いております。
当然に先生になろうと思いませんし、成れません。私は永遠に求道者であるからです。修道は、あくまでも自分が主役です。他人に偉そうなことは、言うべきではないのです。
自分の感じた事、自分の言葉のみで書く事は、自分に酔う危険もあるのかもしれません。伊勢白山道氏も初めは、自分が感じた事、悟った事、霊力の一端を純粋に示されたようですが、信者から称えられ、崇められると、遂には自分のブログを神示と称し、自分のコメ欄を神社、特別な結界があるように言いだしました。
私は、一人の求道者として、このブログを書いております。自分の感じた事も書かせて頂きます。ブログを書くにあたっては、いろいろと文献を調べたり、学びながら書いております。そして、学びがあるから道があるのだと思います。
先人の書や叡智は読むたび驚かされる事も多いです。荘子さんは、先人の教えに真が無い様に書かれておりますが、私は、そうとは思いません。書物に真はありませんが、真を得られる自分自神が在るからです。
へっぽこ侍さん、自分に偏らない為にも、先人の言葉は、ブログに書かせて頂きたいのです。
どうか、これからもよろしくお願い致します。

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コメント道

2012-05-31 22:36:30 | コメント道
自己の宇宙をより燃焼し爆発させる。人は、誕生以来、小天地であります。
人間は愛する人に文を書き、自己を表現します。憎い相手にも文を書くこともあるでしょう。それぞれ感情を発露させます。

始めに言葉ありき。自己のその時、その時の道を表現し書くということは、新たな自己を知る原動力ともなるのです。
志(こころざし)は、詩です。詩とは自己の宇宙を表現する言霊です。イスラムの聖典コーランがアラーの賜物と言われるゆえんはその詩的な表現にもよります。

最初この玄徳道のブログに来られた方は、36IPでした。道院紅卍字会に老祖が降臨された時の信者も36人でした。これは、ただの偶然です。正道に不思議はありません。しかし、数字が示す偶然を嬉しく思いました。

もしかしたら機縁ある人同士が自分の宇宙を顕わしたら、お互いに感化し、上乗し高めあうのではと思います。

私もスピリチュアル一位のブログに参加したことがあります。その教祖とは犬猿の仲になりましたが(笑)。しかし、書き込むにもいろいろ調べたり学びになるのも真実です。

ここで、皆さまにお願いです。コメ欄に参加していただきたいと思います。その時の題名など関係無いコメントでもかまいません。自己の宇宙を表現する。自己の道をあらわす、事が課題となります。私は批評しません。同じ立場として参加するかもしれません。ケンカや悪口は、しないでほしいです。己を高めあうことが主題です。道は、家庭の事、仕事も学校も含みます。

まあ私のブログは人気がありませんので参加する人は少ないと思いますが、勇気を以ってどうか参加して下さいませ。

基本的にコメは消去しません。お下劣過ぎるのであれば考えます。

「万有に通ずる真(まこと)の神力は自信の光に如く者は無し。」

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