玄徳道

道を語るブログです。

平成三十年十一月九日 Θ三六九神示

2018-11-30 19:08:28 | 神示道


大元の真名井の宮も建直り、月日の神おそろいなされて、大宇宙天之御中の北斗神界の氣は、一段と強く真名井ヶ原に降る時とめぐりたぞよ。

改めて新しき道の始まりであるぞよ。

神々の御現れ、埋(梅)の花咲く世は、結構であれど水晶の清き神氣が強くなる程、体主霊従と化し、利己主義となり果てし人民の世界には、浄化厳しくなりてまいるぞよ。

綾部の大本教も、青森の大和山も国常立大神が地上に理想の世界を開く為、型を現し世界の型が写る地場として開かせたのであるが、教祖亡き後は、体主霊従と化し、乱れておる世界の型を現して居るぞよ。

中々にして神界の意を地上に実らすのは、むずかしい事であるぞよ。

焦りても時節まいらな事は成らぬぞよ。

世界は今、三ッ巴となり渦巻き争いて居るぞ…世界の大国、我が我がで世界を自在にいたさんと、あらん限りの知恵をふりしぼり策謀をめぐらせておるが、神理に外れたやり方は、必ず、捻れを生じ、我が身で我が身の首を絞めるような事になるのであるぞ。

人類は、千年も万年も昔から、少しでも楽な住みよい世を開く為、知恵をしぼり努力を重ねて来たのであるが、豊かな世になる程、元の神の意を忘れ人間の自我や欲が段々とふくらみ、貧富の差も出て不平不満が争いの固となり今日に到るまで大きな戦争を繰り返しまいりたぞよ。

金が世の中自在になす世の中となり、人民は物の栄に酔いしれて、天地の神の恩を忘れ、人間の知恵学が最高のものの如く思い上がりてしまいたのであるぞ。

そのすきに金毛九尾が入り込み、益々世界は、金力武力のある者が自在にいたす強い者勝ちの世となり果てたのであるぞ。

人間の自我や欲の思凝りが魔界から金毛九尾を現の世へ呼び込んだのであるぞ。

物金なければ、何も出来ぬ今の世であるから、金毛の力は強く世界の国々も宗教も人民皆、自在にされて居る今の世であるぞ

見た目はこれまでに無い結構な世であれど、その裏には、核兵器山積みて何時滅びてもおかしくない今の世の有り様であるぞ。

神界は乱れ荒ぎ滅びの道を歩む様を見るに見かねて…国常立大神の図らいで、龍宮神界に縁ある者を使いて埋もれた神々を興し人類の改心を促し、核兵器も無き世を開かんとすれども、金毛九尾の金の力で押さえ込まれてしまうのであるぞよ。

早く人民、御魂の目を開き真実が見えるようにならねばならぬぞよ。

荒事の災害が起これば物金や人の助けがある…人の身の病も不幸も医師の医術や人のなぐさめもある。

それで、現の世や人の身は、苦から脱する事が出来、それも良いのであるが、形ある現の世や人の身体の救いだけでは、霊界のある事を思えば、真実の救いとはならぬのであるぞ。

霊なる世界のあって形ある現の世も人の身もあるのであるぞ。

苦しみや悩みのある時は神に助けを求めるのは、神が元の現の世であるから、当然の事でもあるが、かなわぬ時の神頼みだけではならぬぞよ。

常日頃より神を祈り感謝をし、神より授かりし、御魂の力を弱らせぬようにいたすのが神交(信仰)の大事であり、御魂の力が輝いておれば、善からぬ霊にあやつられる事も無く、悪しき因縁が浮かびても大難は小難といたす神の守護は必ずあるぞよ。

御魂の親神、我産みし子の御魂を常に見守りてあるのであるぞ。

形ある物しか見えぬ人民はその事が判らぬのであるぞ。

親神、もどかしいところであるぞ。


扨ても神界の岩戸は開け、月日の神、そろいなされて、宇宙の御中の北斗神界の神氣が真名井ヶ原を要として、地球に一段と強く降る世となりたから、世界も人の身も、現の世始まって以来の善きにつけ悪しきにつけ因縁が浮かび上がる世とめぐりたから、何事も無く平安に暮らしたいと願いても、思いがけぬ事も起これども、決してうろたえてはならぬぞよ。

総て因縁の浮かびて浄化される様であるから、祈るのじゃ。

祈りとは、来るものを受けてたつ覚悟であるぞ。

真の神に祈れば、御魂の親神の守護で道は開けるぞ。

宇宙大元の神の氣は、宇宙隈無く満ち、神氣の降る要の地場が天之橋立真名井ヶ原である事を証す、三六九神示であるぞ。

その事が判るか判らぬかは、御魂の因縁によるものであるぞ。

艮金神、国常立大神や龍宮神界に縁りある者でありたら判る事であるぞよ。

国常立大神、丹後の女島に隠栖の砌、御守りいたしたのが、龍宮乙姫でありたぞよ。

その仕組みが陸に現れたのが、丹波の大本教でありたぞよ。

大元の真名井宮は、建直りたと申せ、未だ未だ真名井原の体制は、整わぬが、人知の限りを尽くし策謀をめぐらせ、戦い疲れた、世界の人類が和を求め救いを求めて集いて来るのが日の本(霊の本)の国であり、その要が天之橋立真名井原であるから…多勢の者が集いて来る時節が参るのであるから、宇宙大元の天之御中の神氣が降る真名井原を誠在る者は、しかと守らねばならぬぞよ。

世界も日本も真名井ヶ原も改めて新しき門出の時とめぐりたぞよ。

人類一日も、早く滅亡の淵から、はい上がり、それぞれ授けられたる身魂の特性を活かしつつ、和となりて、天之御中の神氣、豊受の地上天国開けよと神界は願いておるぞよ。

言霊神也




平成三十年十一月九日

天橋道士 龍華斎修聖拝写。
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磐笛呼応道

2018-11-23 13:59:35 | 奇道
何億万年前の地球創造により、磐や石に穴が空くる。それを神縁ある人が手に取り、音霊を発声する。

ああ、億万年の奇瑞。磐笛とは、人との呼応によりて、その真価を発揮するのである。

たかが石。その石に貫通する穴あり。。。中途に留まる穴あり。。。人により、息吹を通せば、天地にこだまする、音功を発する。科学適見地によれば、発す音は、人に影響を与えるらしいが、此処ではどうでも良い。


なんせ、磐笛って科学では、とらえられない。

人の科学ってさあ、未だに、癌化を癒せない。風邪すら、治せない。緩和するのみ。人の病を治すは、あくまでも自身の免疫力を含む人間機能のみ。


望めば与えるは、悪魔。それでも、欲心に添えるのみ。悪魔に癌の完治を望めば、如何に。それにソナワセル、希望を与える。そして、死なせる。

まあ、人間は老若男女、何れも死するなり。


磐笛を吹くのは、如何なる人なのであろうか。 

多くは、天地を創造した、龍神の化身。その身魂である龍男龍女であられます。


此処で龍による因縁が存在する。


龍は存在するのであろうか。

霊長の生物として、鳳凰、麒麟と共に存在する。

人に見えるのであろうか。

人には見えない。不可視なり。

霊視により、見えるは、あくまでも霊界の想念界であり、龍を見たと称するは、使神や眷族神により、特別な因縁により見せられており場合もある。普通は見えない。

されど、霊能力の虜となった人の多くは兇頭界妖魔界により、ハッキリとした、姿や一片の鱗まで魅せられる。そこで霊能得意となり、増長する。そして、その人の魂を蝕ばれ成長力を無くすなり。

何故、龍に近しい魂が、磐笛を見出すのであろうか。

天地を創造し、運行し、自ら、血みどろになり、海、地、山を切り開いた由縁である。

ここにヨリシロとして磐座磐境が存在する。

多くの磐座に神氣宿るは、その開けし岩戸渓流に因るのである。龍なる神霊と、その守護者として、麒麟が存在するのである。

磐笛も磐境のヨリシロとして、産まれた神簫であられる。

山界の守護者である仙界と天狗界は、法螺貝を得意とすると、同様に、龍神界、鬼神界は、磐笛を以て道とするのである。



私個人の磐笛を述べて恐縮ですが。

参考までに。
天橋立海岸、真名井大神より初めて賜った磐笛。
奈良の丹生神社下社、丹生川より複数賜り、丹生姫、瀬織津姫の巫女へ。そして、吾が磐笛、龍顔石を以て神業の奉仕とする。
伊勢の五十鈴川の磐笛は、太陽の巫女へ。
貴船神社の貴船川の磐笛も、呼応する磐笛を除いて、数多の神人のもとへ。

mixiの方から賜った、木化石の磐笛。

住吉大社より塩土之老翁から賜った磐笛。
西宮廣田神社にて六甲姫より賜った磐笛。
六甲山、観音山、友なる麁乱神に賜った磐笛。
伏見稲荷山、大磐大神より賜った磐笛。
奈良、三輪山、三輪大神より賜った月日の模様の磐笛。
巻向山、ダンノダイラの神霊より賜った磐笛。
天河神社、天河神域の四石三水八つ杜の船丘杜にて賜った磐笛も太陽の巫女へ。

最期がどうか。いちおう止め。

玉置神社、玉置龍水社の神霊より賜った、磐笛。

私の神業は、この十一の磐笛を以て、道とする。いや、幇助してくださる。 

磐笛とは、私の友である。


磐笛を友とするなんて、現実世界でどんだけ、人の友達がいないのであろうか。


ははは。人は人。


確かに私には人の友が少ない。

それでも、私は多くの、磐笛の友に恵まれているのである。
磐笛は無機質なる石である。無機質ゆえに、草花と共に精霊が宿るのでもある。










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良(ラ)神の巫女の神言 4「桃源郷」

2018-11-11 21:06:40 | 神示道
桃源郷はユートピアではない

桃源郷は目的を持ったものがいけない場所

心の外に目的を持ち求めるものには けして見えない場所

桃源郷は魂の中にあり すでに知っている場所

魂の中にあるものを 外に探しに向かっても見つかる術はどこにもない

自分を見つめ 今をきちんと生活し 感謝の祈りを捧げ 寿ぐ命を全うする

桃源郷はたどり着く場所ではない

今ある魂である

衣を脱ぎ寿ぐ言葉を頂く場所となる
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