玄徳道

道を語るブログです。

朱子訓、道心と人心。

2022-01-25 20:39:00 | 道院

心は神明の舎(やど)るところであり。一身の主宰である。

万善(全ての善)を抱合し、万里(すべての道理)を備えている。

また、五倫(仁義礼智信、五つの人倫の道)、百行(すべての行為)は、心に由って出てくるのである。

故に己自身を修め、人を度(すく)い、道をひろめ、世を救うには、心体の根本のところより、恒(つね)に主宰を存するようにし、そして、心術の隠微(自分が隠そうとする悪の部分)なところにおいて、真源を清め澄まし。妄念を取り去って、自らを救い、心を明らかにして、意を誠にすべきである。

それが、本来、心を正すことであり、又、心を治める最も大切な功夫でもあり、これらは、みな自らその心を養うところの所以である。

尚書で明示している、「人心惟れ危うく、道心惟れ微(かす)かなり、惟れ精惟れ一、允(まこと)に厥(そ)の中を執れ」の
十六字の心伝では、先ず人心と道心の危うさと、微かを示している。

性徳(天より授かった本性自然の徳)より発して、天理に純なるものを道心といい、物欲に引きずられて欲望に従うものを人心という。

本来は一つの心であって二つの名前を(道心と、人心)をもっている。

これらは、「操(と)れば、則ち存し、捨つれば則ち亡ぶ」のである。
(鬼雷述べる、操るとは、自己の本来の面目たる、自己の良神である。自己の良神を捨てれば、また、気付かねば、永遠に真の自己を悟れない。)

人として、この肉体を備えている以上、たとえ、聖人賢人といえども、人心が無いということは、ありえない。

また、人としての本性(天から授かった本質)を備えている以上、たとえ下愚(凡愚)といえども、道心がないということは、ありえない。

人心もこれを本性に収回(かえ)せば、道心となり、道心もこれを放失すれば、人心となる。

これによっても人心の危と道心の微の枢機(かなめ)、隠と顕の差異(ちがい)を知ることが出来る。

そこで、己自身を修める者は、片時といえども、これを養うことを忘れてはならないのである。

おもうに、方寸の間(心の中)には、天理と人欲が並び立って共存することはできないし、また、人と禽獣の異なる点は、ごく僅かである。

それは、道心を存しているか、否かによって人と禽獣とが分かれてくる。

すべて、善と悪、正と邪、誠と偽、信と妄、義と利、公と私がみなそうである。

本心の良知に於いては、いささかたりとも不純物を容れることは出来ない。

そこで、その動機発端の初めにおいて、どうして自分自身を欺くことができるのであろうか。

その心の出入、向背や危うき人心と微かな道心の移り変わりのキーポイントを追求して極めて行けば、すべてがこの心に基づくのである。

故に心を治めるとは実に心を養う事である。

孟子は、心を養うは、寡欲(欲望を少なくする)より善きはなしと。

人は欲望が多くてこれを節制することを知らない。

そこでその本心を失わない者はないのである。

故に能く天理(道心)の真に徹し、道化の善美を拡め、敬(一を主として、他に心が適(い)かない。)を立て、神を守り存し、独りを慎んで妄念に打ち克ち、中を守り、和を含み、善を楽しみ、義を集める。

など、これらは、みな、心を治め心を養うところの、精髄である。


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令和四年一月、三六九神示。

2022-01-23 18:23:00 | 神示道
さあ、丑歳を送り迎えた寅の敏であるぞ。

トラは、十🌀🌀(とら)じゃ。

十は神、神の氣の🌀🌀(うず)が巻くのじゃぞ。

世の元の艮金神、国常立大神、三千年の間、悪神邪神の如く、疎まれ艮の方に押し込まれても、辛抱致し、龍宮界の守りを受けて、現の世を陰から守護致してまいりたが、愈々、三千世界に梅(埋)の花咲く五六七(ミロク)の世の十来(とうらい)の時節となり、世界に一段と立替立直しの神氣が🌀🌀(うず)を巻くぞよ。

闇の世は、思凝霊や人民の悪事も、垂れ流しの汚れ穢れも見えなんだが、艮の金神の世の立直しの神権は、天照国照神(日の出神)と現れるのであるから、日が昇れば、闇は晴れ何かの事、ありやかに見えて来るのが今の世であり、物資文明隆盛の陰に、この地球に積もり積もった、罪科や汚れ穢れが、浮かび上がりて、びっくりせなばならぬ、今の世の様であるぞよ。

未だ未だコロナも終息せず、神界の岩戸だけで無い、地獄の釜の蓋も開きて、地獄の釜焚きのような、狂人巷に現れ、不測の事件が頻発し、世界は、大国を始め国々が我が我がの紛争、絶え間無く起こし、再び冷戦の様を見せておるぞよ。

前々より、世界を救うか滅ぼすかの鍵は台湾にあると申してありたが、先の大戦の真珠湾攻撃の暗号となりた、「新高山のぼれ」とは、台湾にある山(玉山)であり、日清戦争に日本が勝利した折、清国から割譲された台湾であり、毛沢東に敗れた蒋介石が中華民国を移した台湾であり、世界の興亡をかけた鍵が玉山に秘めてあり、今、白山菊理姫の神が玉山に立ちて、その鍵を守りてあるぞよ。

台湾は元の中国の島であるから、再び支配せんと中国は台湾に迫り、しめつけも激しく、自由をうばわむとし、台湾の人民には、苦労が重なるが、民主共生の道を何としても守ってもらわねばならぬぞよ。

今、台湾が中国の自在にされれば、世界は益々荒れる事となるぞよ。

されど、何事も無く現の世は、変わらぬから、やむを得ず🌀🌀(うず)を巻かせ、荒事の節を越さねばならぬのであるぞ。

神が現の世に荒事を起こし災をもたらすので無く、この三千年、凝り固まった人間の利己主義の思凝りが、くだけて消えてゆく為、ぶつかり合い渦が巻くのであるぞ。

中国とアメリカが睨み合い、今か今かと出番を待ちておるロシアであり、大国は虎視眈眈と世界の制覇をねらっておるが、神代の始めから、世を保つには、足らざるは、おぎない助け合わねば人の世は成り立たぬと四九三(しぐみ)てあるのであるぞ。

睨み合いつつでも和が保たれておる内は良いが、目から火花が散り争いとなれば、一国で世界を自在にするような事は許されず、戦争を続ければ、その末、共倒れとなるのであるから、世界の国々の頭は、よほど頭を冷やして、これからの道を考えねばならぬぞよ。

武力や金力、何程つぎ込んでも世界一人じめにはさせぬぞよ。

我が我がのやり方を押し進めば世界は行きづまりてしまうぞよ。

この年は、中国のオリンピックを開く予定もあり、中国もしばらくは、おとなしくいたすであろうが、その後、中国が世界を自在にいたす等と思い上がれば、内から割れてしまうぞよ。

中国には覇国(注 覇国は、他を圧する権力を、持つ物が、治る国。中国は次々と覇者が替わっている。
さらに、鬼雷が、述べる。中華の歴史は、一重に征服にあり。日本の様に、天皇を奉じることは無き。たまたま、侵略征服した覇者を、天子皇帝としたのみ。中華の在り方こそ、我よしと、強い者勝ちの世の形代でありました。)の因縁がある事を忘れてはならぬぞよ。


さあ、二つに入(亀裂、ヒビ)のいりかけた世界を立直し和と結びてゆかねばならぬのが、日本の神々や、人民の大役であるぞよ。

今、世界に大戦を起こし核兵器を使うような事となれば、真に世界は滅びてるぞよと、先の大戦で辛い目にあい、原爆まで落とされて、戦争はしてはならぬと体感させてある日本である事、決して忘れてはならぬぞよ。

令和の世とは、霊和の世であると申してあるが、体主霊従(物主人従)の道をひたすら走り、物質文明は隆盛し、これまでに無い楽な世となりたが、このままで世が進めば地球も汚れ穢れ人類も住めぬようになる時が来るのであるから、体主霊従の世を霊主体従の元の世へ返し、天地万物共生の世といたさねばならぬのが霊和(令和)の世であるから、世界の国々も人民も、我一人では生きてゆけぬ事を真剣に考えねばならぬ、これからの世であるぞ。

それは、共産主義の如く、一つの思想に皆が率うやり方で無く、自然界の如く、それぞれが自分の身魂の使命を果たしつつ、色とりどりでありても、調和してゆく道であり、その導きは、木花開耶姫の神の働きであり、それぞれの身魂の花を咲かせ、実をつけさせるのも、この神の働きであるぞよ。

人民、神に生かされてあると申せ、活きてゆくには、それぞれの苦労もある。

それは、我が身の因縁の浄化であり、身魂磨きであり、世に起こる事も因縁浄化の為の出来事である事を知り、苦しき中にも心を鎮め、希望を忘れす歩みて行けよ。

さあ、時の流れに舟浮かべ時津の風を帆に受けて、進みゆく人生航路じゃ。

常々に惟神霊幸倍坐世、祈りを忘れず歩みゆけば、御魂の親神、無難とはゆかずとも、大難を小難といたし守るぞよ。

さあ、時津の風に松籟さわやかな、天橋立真名井ヶ原、世の元の神、立ち給ふ。

富士と鳴門は艮坤の道、熊野の道は乾巽の立直しなる光の道。

今今今を大切に一歩一歩と進むのじゃ。

世界少し貧しくなるとも、辛抱忘れず、誠の道を歩もうぞ。

慈しみの心、忘れなよ。


言霊神也 ン。

令和四年一月九日 龍華斎修聖拝写。






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令和五黄壬寅四年一月八日 小長谷修聖 三六九神示 霊視篇

2022-01-20 20:31:00 | 神示道
始め台湾の新高山(玉山)3,952mの山頂に、白いドレスのような装束で、銀色の蔵の鍵と桃形の白い玉を持たれた女神が対岸の中国の方を向いて御立ちであり、中国の方には黒雲が立ち登っていました。

(注 新高山とは、日本統治の時代、最高峰であったので、新高山と称したが、本当の山名は玉山である。

昭和16年12月8日ハワイ真珠湾攻撃の暗号、[新高山ノボレ、トラトラトラ]に使われた。

だいぶ前の神示に、台湾に世界が伸るか反るかの鍵があるとの、神示があり、今台湾の問題で中国、アメリカがにらみ合い、中国から台湾の締め付けは、きついが、台湾は、民主共生平和の道を守ってほしいものである。

玉山に白山菊理姫の神立たれ、中国、台湾の和を保たれて来た御示しであろう。)

次に熊野の那智の滝が見え、その拝所に黒髪を風になびかせ、十拳の剣をぬいて持たれた、素戔嗚尊が拝され、その姿は、白衣白袴でタスキを掛けられた、出口王仁三郎聖師の姿に変わりました。

(注 那智滝の本体は、瀬織津姫神であり、その御現れは、救世神、素戔嗚尊であり、その顕身が瑞霊出口王仁三郎聖師となる。

瀬織津姫神は、天照国照日の出神の偶神であり、祓戸神の筆頭である。

素戔嗚尊は風の神でもある。

風水火世の浄め激しくなる暗示であろう。)

次に富士浅間神社、涌玉池のそばに、梅の枝を持たれた、木花開耶姫神が立たれ、姿を水面に写しておられました。

(注 三千世界に梅[埋め]の花咲く時代となった。

草木だけで無く、人類の身魂の花を咲かせ、実をつける神徳を有される神である。)

(注 太平洋戦争は、真珠湾攻撃に始まったように言われているが、陸軍は真珠湾、米国より、一時間五分早く、マレー半島に上陸、英国との戦いを始めた。)


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真の稲荷道

2022-01-11 19:05:00 | 神社道
稲荷とは、飯成りの神である。衣食住を司り、ス神が人間を思い遣り、人の為の神であられます。。。その神を宇迦之御魂神とよび、本体は、豊受大神とされる。




昔は、迷信が酷く、幽界の穢れが人の欲望に呼応し、狐蛇狸と化し、多くの人を騙し瞞し、欺した。

明治近年より、文明開化の流れにより、人から迷信が消えつつありました。

現代でも、その多くの盲信は消えつつあり、同時に狐狸に騙される人は皆無となりましたが。

されど、人は、常に自己や家族、己の一族のみを愛し、心配する。

そこに占う商売が、うまれるのです。

ある知人が、コロナ禍になる前に、インドの有名な星占術師者による占いで、仕事がはかどり、運気が上がる年と占って貰った人が、コロナ禍により、その年は仕事が出来なったなどと聞いた事があります。

占いとは、未来予測では、無いのです。

占いに執着する人間には親い人からのアドバイスよりも、占いして、金を払った人を信じるなり。

私は占いを、人への優しやであると捉えているのと、人への依存症を増し、自分自神を無くす、悪魔であるとも捉えております。

まあ、悪魔は、来たりて、魂を籠絡する。

善神は、人間独自の努力により、魂の発露を求める。


文明が発達し、迷信が無くなりつつある中でも、人間は、自然なる真神を観る事なく、自分が信じる宗教の神や占いを信じている有様ですね。。。まして、宗教教祖や霊能力者を神の如く見られる方もおられます。

近年より、伏見稲荷山には、多くの社台が存在する。

私などからしたら、伏見稲荷神社本殿が有れば善いと考えますが、実に人の欲望の数だけ、やしろは、存在します。

稲荷山自体にも多くの社台が存在しますが、近年の台風により、半壊しておると考えます。

人はいずれ死ぬ。参らなくなった、社におる、人の思念と呼応した霊は、どうなるのか。我が存在を明らかにする為に、祟るのであります。

祟るも祟らぬも、人の思念と行動次第でもあります。

人への優しさの顕現神である、飯成りの神、宇迦之御魂神は、祟らないのです。

人の欲望と感合した存在が祟るのであります。。。

人の衣食住を司る神が、狐霊と同様に扱われ、稲荷には、お願いしてはならない、お供をあげなくなったら、祟るとか、都合勝手の憶測がはびこっております。

私的には、如何なる神にもお願いはしませんが。

それと神は人の願望を叶える存在では無いと考えております。

では神社とは何の為に存在するのか。
その答えは、人それぞれであると考えますが、私は神に親しむ為にあると考えます。

出口王仁三郎聖師は、真の信仰とは神さまと恋愛する事であると、仰っておられたと思います。

神社の斎庭で神と無言の対話する、此処に神と交われる聖地は、ありがたいことであると考えます。


何度も書いておりますが、豊受大神、宇迦之御魂の神の眷族の狐霊は、神ではありません。ス神の意向の補助をしておる存在であります。

故に狐霊も祟りません。ただ、人間の欲望と悪心に染まり、思凝霊となったら、障りとなるだけの話しであります。

故に、一念三千。

己を愛する事は、よからぬ事のはじめとなるのでございます。




世の中の迷信者は多くして、狐をもって稲荷となし、誠の大神をさげしむ。愚かのいたりというべし。

稲荷の神というわけは、飯(いい)に成る神ということにて、つまり、食べ物の神と言う意なり。




宇迦逎御魂の命は、五穀や、養蚕の守り神、人の生命を繋ぐ為に、五穀をつくる事を教えたまいし神なり。(出口王仁三郎聖師、道の栞より。)










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十日恵比寿道。

2022-01-09 11:47:00 | 神社道
本日は、一月九日。この日から三日間は十日恵比寿と述べます。

恵比寿は戎とも呼ばれ、蛭子系と事代主系がおられますね。

共に同体異名なのか。







私は今宮戎では、何の感合も得られませんでしたが、西宮恵比寿では、色々な恩恵を頂いております。。。

西宮神社の恵比寿は蛭子であり、漂える神であります。

その本質は如何に。

蛭子とは、日留子であり、太陽神なのであります。鬼雷の独断と偏見と妄想ですが。

伊奘諾、伊奘冉の神々が最初な産んだ独り神は、太陽にして、宇宙を漂える最中の神、太陽として、独立します。

古事記では、伊奘諾の左目により、天照太大御神々が現れますが、それまでに太陽神や月神
がおられなかったとか、否。

太陽と地球、そして、月。それと北極星は、地球の生成化育、神々の斎庭として善も悪も進歩も後退も現れる奇蹟の星でございますね。当然に様々な星の干渉もありて惟神、かんながら。。。

常立系の神は宇宙神と地球神であり、その代表は国祖、国常立之大神であると考えます。

皆が知らない、至聖先天老祖も国常立尊と同体異名のされますが、また、地球神よりであり、また、北極神界とのパイプ役もあり、宇宙のス神の一柱でございます。

大本教の出口王仁三郎聖師は、戦後、聖師が亡くなるまで、大本から愛善苑と名を変えると同時に、「おおもとすめおおかみ、守り給え幸はえたまえ」の神詞を「しせいせんてんろうそ、守り給え幸はえたまえ。」と奏上するように、大本信徒に申されておられました。

この話しは、殆どの方は知らないようです。

聖師亡きあとは、二代教祖すみにより、愛善苑の呼称は大本にもどり、神詞も元に戻されるましたが。

十日恵比寿の時、蛭子も、また、東海龍王となり、功徳を授けられるようでございます。

光は、東方より。






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