玄徳道

道を語るブログです。

平成三十年九月十二日 Θ三六九神示

2018-09-29 20:03:33 | 神示道
さあどうじゃ。荒れると言う事は、現れる事と申してあるぞ。

八月八日の神示には、北海道大雪山から、屋久島へ通る艮坤の奇路事が示してあろうがな。[注  三六九神示には、小長谷修聖氏による取次による文字と霊視による神示があり、この北海道大雪山の記述は、霊視篇による。]

この度、北海道の地震は、艮坤(北東南西)の氣の発動であるぞ。

被害にありた者は氣の毒あれど、これでも大難を小難にいたしてあるぞ。

この度の地震は、関西空港の浸水とも関係あるぞ。

人民には判らぬ事であるが、雨風嵐、地震、雷、噴火も皆、神の御現れであり、龍神の活動であると申してある事、これからは、特に忘れてはならぬぞよ。

これまで人類は、苦労と努力を重ね、見た目は、地上の天国の如き世界を築きて来たが、体主霊従の物質文明の中に酔いしれて、御魂の眼は閉じたままであり、胞衣(えな)の中の目の見えぬ水子のようなものであるぞ。

これから、臍の緒を切り、胞衣の世から、神理(真現)の視える氣の世界へ生まれ替わりて、真の霊止(人)と成らねばならぬのであるぞ。

高天原の神々は、大宇宙満天の星、又、この地球の万物と現れ生命を恵みてあるが……その恵みに甘えるばかりで、神意を覚ずに来たこれまでの人類であるぞ。

電気が止まれば、どうする事もできぬような今の世の中であるぞ。

総ての源の神等、そっちのけで、人間だけ、何事も無く平穏無事である事を願い、栄耀栄華の暮らしに酔いしれて、自ら活きる力を弱らせておる今の人類であるぞ。

人類の生活を脅かす、災害と思うであろうが、真の神々の御現れであり、世の浄化、修理固成の神業であり、人間の活きる力を増す為であるぞ。

ここまで人間共が汚し穢したこの地球…人間は、何事も無くと願いても、この地球浄化の為、これからも何が起ころうやしれぬぞよ。

その中で如何なる事が起ころうとも、神への感謝忘れず、共に助け合いてゆく、不屈不撓の大和魂と鍛えておかねば、物質の力に頼るだけでは、これからの節は越せぬぞよ。

平成の世も災害はありたが、未だ平穏でありた。

次の世は、世の立替立直しを急がねばならぬから、天災地災の荒事は激しくなるのであるから、今の内に神は有り難いものであり、又、厳しいものである事を肝に命じておかねばならぬぞよ。

人知人学で、何でも自在になると思い上がりておる人類であるが、この度の北海道の地震、厚真の、あの山崩れを見て何と思うか…一瞬にしてあれだけの事を起こす力が神にはあるのであるぞ。

彼の東北の大津波にしても、この度の関西空港の浸水にしても、人知のおよばぬ事が起こるであろうがな………神界は、様々な荒事を見せ人間の思い上がりを諌めておれど…自然の力で済ませ、奥にある神意等一つも氣づかぬ今の有り様であるぞ。

世界の様を見て見れば、大国は世界への対面上、鉄砲や大砲の戦争は出来ぬから、核兵器の量で威嚇しあい、貿易の関税の値上げ合戦で争いてみたり、子供にも劣る愚かな有り様。

最後はどちらも困らねばならぬ事は目に見えておりても、金権主義の権化、金毛九尾にあやつられておる今の世は、行くところまで行かねば氣づかぬか。

神界は人民可愛いと思う故、龍宮界を先鋒に立て、共に恵み助け合う、共存共生の世を開けと勇むのであるぞ。今の世は、物金もいる、経済も大事であるなれど、何時までも強い者勝ちの世は続かぬぞよ。

神代の昔、体を持った人間を生み、御魂を授け、地上天国を開かんと神界は、願いたのであれど、人間は我を守らんとする我欲強く神の恵みを奪い合いつつ物質文明は隆盛させたが…今や、神の子どころか地球の寄生虫の如くなり。

地球を弱らせておる事に早く氣づかねばならぬぞよ。

満天の星も、地球の万物も、菊理比咩の神の神徳により、今のところは調和が保たれているが、あまりにも人間の勝手が過ぎると、菊理比咩(括り秘)の神の怒りが爆発し、地球も万物も吹き飛んでしまうぞよ。

形ある物の栄えのみ求めて来た人類であるが、形ある物は、人の身とて必ず滅するのであるぞ。

これからの世は、たとえ火の中、水の中、如何なる事があるとても、滅する事無き御魂の存在をしかと覚り、そこに真の安心の道を見い出し、精神物質、霊体結びの真文明を開かねばならぬのであるぞ。

これまでの世は、形ある物の栄えのみに走りた、体主霊従(からたま 物主心従)の世でありたが、これからの世は、御魂の存在を真とした霊主体従(ひのもと)の世を開かねばならぬのであるぞ。

その道開きの要とならねばならぬのが、この日の本(霊の本)の国の神命であるのに、トランプあそびの相手をいたしておるような事で、何とするのじゃ。

物金だけでは、九分九厘までしか事鳴らぬ。

天地自然と美事な調和の世を開き世界に亀鑑(かがみ)を見せてゆかねばならぬ神命忘れる事無く、五用に立てと申すぞよ。

天橋立阿蘇海より、金青(金精)龍王現れて、日の出の神の差し添えいたし、立直しの神業進めてまいるぞよ。

(注 金青龍王=一の宮深秘に阿蘇海の底に龍宮城の如き社壇ありと記されている。その社壇に鎮まれる、金龍乙姫即ち金青龍王として現れ給う。昭和五十年代の神示に金青龍王の名が出ている。陸上にては江之姫社と現れ給う…善如龍王の事でもある。)

言霊神也

ン。

神光照天地

平成三十年九月十二日

天橋道士龍華斎 修聖拝写
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伏見稲荷山道

2018-09-18 17:42:44 | 神業道
稲荷とは、飯成りの神であり、人の世の衣食住を司る神である。

されど愚かな人間は稲荷を狐の神、商売繁盛の神、願望成就の神とする。

さらに自己の欲望の為に供物を捧げ、願望成就の為に使役しようとする。

結ばれる果あり。

狐霊を敬っている間は、福徳に恵まれるが、血筋の代が替わり粗末に扱われれば、逆に祟り、不幸や病気の連続性を示す。

豊受けの神、即ちウガノミタマは、人間に寄り添われる希有な神でございます。すべからく、国祖国常立尊の意向と霊性を兼ね備えられて居られます。


人が稲荷の神をウガノミタマ、豊受之神として、通じるか、狐霊として通じるかでは、、、三千世界の一度に開く梅の花の根本的な魂、霊主体従の御魂の持ち主か、あるいは、霊性を無視した、体主霊従の人間的な弱肉強食の御魂であるのかの、道分かれとなります。

ウガノミタマに眷族神あり。それは、狐霊でもあるが、神化されれば、龍神と成られる。ウガノミタマの眷族神を祟り神とし、除霊や封じ込め、狐霊を迫害される宗教団体もあるが、必ずしも、主神の意向を汲んではおられません。

霊界の狐界の消息は、人間の想念が入り込み、乱れに乱れている。されど、至純なる眷族神もおられるのである。


信仰とは血の繋がりにより、受け継がれる人もおられるが、信仰とは、自己の覚神の道開きでもあり、親より受け継がれたのは、あくまでも洗脳の部類に入るのかも知れない。

されど、きっかけは、親の信仰によっても、自己本来の主神への信仰に目覚める者もおられるので一概には言えませんが。

全ては御魂相応であります。

そして、稲荷信仰により狐霊を信じ、恵みを受け、恵みと子孫にその信心を残しても、時節と共に、残るのは祟りのみかも知れません。

信仰とは強制や受け継ぐモノに非ず。己自身の覚醒への道標であることを悟るべし。

私は、神に願望を祈らない。神とは、そもそも、人の願いを叶える存在であらざるから。


伏見稲荷の主神は、人類に優しき稀有の神なり。故に、伏見稲荷山には様々な祠に様々な神が祭られておられるのかも知れない。


今や海外からの観光地として有名な伏見稲荷大社。私の目的は稲荷山であります。
奥宮です。
稲荷山遥拝所です。ここから、稲荷山へ。

伏見神宝神社です。此処は稲荷山へ登るとすぐに脇道があり、そこを登ると現れます。伏見稲荷の管轄でない神社です。私は此処では、龍神さんを感じます。ここから、戻り、赤い鳥居の列に戻るのが正式なルートなのでしょうが、この道をさらに登っても稲荷山へ行けます。伏見稲荷の派手さが好きでありませんので、私はここから、大磐神社へ参拝し、そこから稲荷山へ向かいます。しかし、ここからのルートには様々な滝の行場がありますが興味を持たず、意識は主神へ。

大磐神社、磐座。かつてこの大磐の神より、稲荷山にて磐笛を賜りました。

この大磐神社の磐座をさらに登れば稲荷山の頂上付近に出られるのですが、今回は非常に強い台風の被害、倒木により、山道が消えてしまい、登れませんでした。
元来た鳥居の道まで、戻り頂上をめざしました。



稲荷山頂上付近には、ウガノミタマの磐座がございます。たぶん私しか参拝しておりませんが。磐笛、祝詞経神咒を奏上致します。

稲荷山を参拝される方は、必ず自分に合った祠があるとされます。
私は人間が造った祠に興味がありません。メインは大磐神社の磐座と伏見稲荷山頂上付近の磐座のみでございます。されど、なぜか、この天龍神社には、惹かれてしまいます。故に、此処の御手水を水業のお水として拝受致します。


国常の 神の心に 通えれば 誠の道を 示し開けくる。

豊受けの 神の心に 通えれば ウガノミタマは 共に歩まれる。
コメント (3)
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