玄徳道

道を語るブログです。

令和二年五月 三六九神示

2020-05-18 22:10:17 | 神示道
五四五四(いよいよ) 有り難くも厳しき日の出の神の御現れの時であるぞ。


登る日の出に闇の夜は、明け、世界の国々も人民も、つつみ隠しの出来ぬ、水晶の世の始めであるぞよ。

新型コロナウイルス世界に蔓延し、人民は恐怖の渦巻きの中で様々困窮しておるが。

この大節、皆、勇気を出して乗り切らねばならぬぞ。

世界の頭達、誰が悪い彼が悪いが原因と争いておる時ではないぞ。

日の出の神と、竜宮の乙姫つれそうて、必ずこの大節乗り越えさせてまいるぞよ。

人類が、地球に生まれて以来、ウイルスも細菌もつきものじゃ。共にΘ(かみ)から生まれた生きものじゃ。

恐れるばかりでは、先行きならぬぞよ。

これまで人類は、幾度もの疫病の流行や又、戦争も乗り越えて今日まで生き延びてきたのじゃぞ。

世の元の神々に生かされ、人の御魂の力、生命の力で今日まで生きて来た事、感謝せねばなるまいぞ。

始めは人類も少なく、地の恵みの自然の植物、動物、魚、皆で取り分け合いて仲良く暮らしておりたが、段々と人も増え、自然の動植物だけでは、食物足らぬようになり、土を耕し、農業を始め、牛や羊を飼いて、それも食料といたし、この地球の資源で、鉄や玉やガラスを作りて、それを金に替えて、物を売買し、段々と貧富の差も出来、物の奪い合いの争いも激しくなり来たのであるぞ。

強い者勝ちの、利己主義(われよし)の世となり、何度も戦争を繰り返す中、鉄砲大砲どころで無い、核兵器を造り出し、威嚇し合う世となったのであるぞ。

戦いの度に人類の知恵学は進み、他の生物を犠牲にし、人類だけの繁栄、栄華を目指した結果、今のような、豊かな楽な世の中となりて、人類は、物質文明の華に酔いしれて居るが、それが為に自然の力で浄化しきれぬ、恐ろしい公害を垂れ流しておるのであるぞ。

見た目は、結構な天国暮らしであるが、地球の生命、即ち、神の生命を吸い取りて築きた今の物質文明や金さえあれば、何でも自在になると思う経済の流れは、長い目で見れば、今の新型コロナウイルスより、恐ろしいものである事を知らねばならぬぞ。

この度のコロナウイルスで経済の流れも、人の交流停滞した事は、トントン拍子で浮き足立ちた、人類よ、ちと立ち止まりて、世界の流れ、我が身等の姿は、正しいものか、返り見よとの神の警告であるぞ。

人と人の接近を避けさせ、遊びほうけておる者も、外出を自粛させ、様々の行事やイベント、神賑わいまでも中止させ、人と人との間をおかせたのも、我が身一人に、ならせて、神と人、人と人との関係や縁の大事さをかみしめよと申すのであるぞ。

コロナウイルス感染を避けるだけの三密禁止と思うが、それだけの事ではないのであるぞ。

科学万能と思い上がりておりた事も、金の力で何でも自在になると大きな取り違へをして、人間としての優しさや良さを忘れておりた事にも、この度、氣づかねばなるまいぞ。

生まれる時も霊界へ行く時も一人であるが、生きておる間は、神に生かされて、親子兄弟夫婦、縁しある人々のお陰で暮らしてゆけるのであり、共に存し共に生きる事の大事さもしっかりと覚りてゆかねばならぬぞよ。

新型コロナウイルス感染の終息の日も未々だが、経済も下落し、困窮する者も多いから、これまで通りの金権主義のやり方に返そうとすると、様々の争いが一段と激しくなり、世界には戦争も起こり、天候の異変や災害も重なり、食料不足も起こるや、知れぬぞよ。

この度の新型コロナウイルスの試練で人類も少しは賢くなりて、共存共生あっての地球社会である事を、世界の国々も人民も思わねば、金さえあればと、金毛九尾の金権主義に振り回されておれば、それこそ、金の枕に死なねばならぬ事も起こるぞよ。

今の世に生きるには、未だ、金もいる物もいるが、欲のみに、走り道を外れてはならぬぞ。程を知らねばならぬぞよ。

共に助け合わねばならぬ。

それは、そうじゃと思いても、中々人の為に尽くす事等出来ぬのが、人間、利己主義の我欲であり、それが為、ころんだりすべったり、行き詰まったり、痛い目に合わねば真実の事が判らぬのが人間じゃ。

この年は。オリンピックの開催となり中国の習近平も日本に来たり、万々歳じゃと思っておりたであろうが、逆様の事となり、中々思い通りには、行かぬのが現の世であるぞ。

先を案じず、今に生きる事じゃ。

さあ、日本は世界平和の要とならねばならぬ国とくどい程申してあるが、それを打ち壊さむと世界の大国は迫り、日本の国の頭も戦争の出来る国になる事を願いておるぞ。

そんな事で、何とするのじゃ。

今、日本は、体主霊従の鬼に呑まれんとして居る。
もう、呑まれておる一寸法師の日本の国。
国の頭が目醒めずとも国民一人一人が一寸法師となり、針の刀を打ちぬきて鬼を退治するのじゃぞ。

コロナウイルスで総ての流れが止まっておるような中にも、神の四九三は次の段へと進めてあるぞ。

人類よ、この時の流れが止まったようなこの時に、思い上がり地球の生命を吸い取りておる今の文明である事に少しなりとも氣づかぬと、コロナウイルスは終息しても、人類に対する試練は重なるぞよ。

良く良く心して、大戦争等起こすなよ。

平成の世を終わり、三千世界に梅(埋め)の花咲く令和(〇輪)の世の開きは、ちと厳しいと申してありたぞ。

その厳しさも人類存続の為の三千年の禊である事覚らねばならぬぞよ。

言霊神也

令和二年五月八日

天橋道士龍華斎 修聖拝写。


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道院道 1。

2020-05-10 16:38:08 | 大道
中国最後の帝政であった清朝の末期、神仙道を修めた有名人に賈子羽という人が居た。
山東泰安県の人で、俗に賈神仙と呼ばれていたが、この人の仙術は中国語随一と称され、当時は世界的にその名をとどろかせたものである。

帝政滅びて中華民国となった初め頃、南方の神仙術の大家 粱仙がある日ひょっこりと訪ねてきた。

粱仙は、賈神仙の霊力を試そうとして、言わば他流試合にやって来たということであるかな。

賈神仙は、これを遇するに至れり尽くせりで、山東人にしては、見たことも聞いたこともない、新鮮な南方の果実を出して接待し、料理も百種に近いもの、すべて、北方には、嘗て見たこともない珍種を出して、客人の肝を冷やしたということである。

これは、仙術による部品ん引き寄せの法を用いたものである。

辞去するに当たって粱仙は、これに応酬する意味か、懐中より、一個の蜜柑風の大きな果物を出して言うには、「本日、席を侍る各員と、将来兄弟の交わりを結ぶ意味で、一包中の一房を分食して、包皮を剥がせると、室中、十二人の主客に相当する十二房が出て来た。一同は、手を打って喜び、一房ずつ分け与えて居るところに、主家の小児がヒョロヒョロと入って来た。

人々はどうするかと思って粱仙の手許を見つめていると、十二房の外に子房が一つ付いていたのを見いだして、これをその小児に与えて、満足そうに笑みをたたえて、辞して去ったとあうことである。」


老子の流れを汲むと云われたこの神仙術は、実に中国の社会に風靡したものである。
民国の始め頃から欧州に於いてにも、異常なまでに関心を持たれ、ヒットラー政権下のドイツ新聞社あたりが、しきりに賈神仙を訪問して来たものであった。

ある時。ジョッフルという新聞記者がやって来て、「賈神仙、何か珍しい話を聞かせてください。」といって、神仙の客間に通された。

賈神仙は、「何もないですよ、まあお茶でも飲んで世間話でもしましょう。」と賈神仙はコップに、香り高い中国茶を入れて、テーブルの上にポンと置いたと思ったら、そのコップがテーブルにめり込んでしまった。縁だけが僅かにテーブルの上に残っていたのを神仙はみて、「ああ、これは少し力が入り過ぎたかな、」と言って、それを引き出してやった。と云うことである。

「まあ煙草でもどうぞ。」といって、煙草入れの箱を押してやると、その箱は四本の足が生えて亀となり、記者の近くまでテーブルの上をノコノコ歩き出したと云うことである。

客が帰った後、弟子たちに向かって神仙は、その煙草の箱を裏庭の木の下に、三尺土を掘って埋めて置けと言った。

弟子達はどういう訳かを問えば、「霊気を入れたので、六百年後には亀となって生まれ出る」といわれたそうである。

このように、天下を唸らせる法術を行っていた。

中国随一の神仙術者賈神仙は、何千という弟子が雲集して、常に門前市をなしていた。

民国十年に山東泰安県の程遠からぬ済南府に、至聖先天老祖が現化降臨し、道院が発祥した。

賈神仙は、幾千の弟子達な中から、高弟として目された十人ばかりの人を選んで、老祖の弟子となるべく、道院に送って寄越したのである。
そして、その時、弟子達に言った言葉は、心して味わうべきである。

「道院こそが、人心を正し、天下を救う大道である。わが神仙道は、法であり術であって、この法術を以てしては、真に人の心を救うことは、出来ない。

汝らは、今後わがほう術を顧みることなく、大道を学び、天下を救うことを心がけよ。」と言ってその高弟を道院に送ったのである。



笹目秀和著「ストップ ザ 富士大爆発」より抜粋させていただきました。

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龍神道。

2020-05-07 20:31:15 | 龍道


ここで、述べる。龍神とは、鱗あり、蛇に角が生える存在を述べるのではない。

霊能力者は、龍神とは、八百万の色とりどりの龍神が存在し、天体や自然、宇宙の数程、それが、存在すると述べる。

一方では、龍神を守護神や、守護霊に持つと運気に溢れ、幸せな人生を歩むと。

その反比例としては、龍神を守護神や守護霊として、持つと、繊細できめ細かい、真実の日本神界と距離が出来、人間として

の幸せは得られないと。


また、龍神とは、神の眷族であり、龍神信仰をする存在は、欲得のための、稲荷信仰と同様に、信仰する間はお蔭を受けるが信仰を辞めると、祟ると。




はひふへほ~。

人が如何に解釈し、理屈を述べようが、それに関せず、龍は、その働きを全うする。

確かに人は、通力を発揮し、様々な天象事象に呼応し、その機能を発揮する。

しかし、人が知るは、人とするが、人の心はヤホヨロズ。まさに人は、多義に渡る。そして、未だに、人すら纏められない、人類が、神を語り、龍をかたる。

へへへ。ほほほ。永遠の茶番なり。

私。鬼雷も、永遠の発達障害者。幼稚園時代は、無垢で仲良く出来ても、小学生になれば、主従のごとく、強い人弱い人が出来、強い人にオベッカを使い、誕生日界となれば、お金の使い方が人により、変わる。強い者には高価を。

私は永遠の発達障害者。ゆえに、強い者にも安価なプレゼント。弱い者にも安価なプレゼント。

すみませんね。此処は龍神の話し。

龍とは理屈屁理屈を離れた、純真な、エネルギーの働き。

そこには、信仰により、そのお蔭を受ける事はない。なんせ。宇宙、地球の運行そのもの。

そんな存在に人々は、知識の木の実を食べて、龍神とは、人の使役する存在であると、妄想し、今に至る。
真の龍神を悟る者は、名も要らず、地位も官位も金も名誉も要らぬ存在である。その無慾なる存在にして、初めて龍の当体なる、真龍の心に、鱗氣に触れ、友となるのである。


これを悟り是を知れ。どうか、解って
頂きたいです。

コメント (3)
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