玄徳道

道を語るブログです。

室生なる龍道

2021-07-26 08:09:00 | 神業道
世間ではオリンピックの祝日があったようですが、現場作業は休み無しでした。いえいえ、日曜日は流石に休みですよ。

おまけに暑く、暑く、ひたすら暑く。しかし、空調服があるので、かなりマシです。

三年前迄は、夏の暑さは、ひたすら辛抱し耐えるのが。男。漢とは、ひたすら、忍と思っておりましたが、背中の汗疹がケロイド状となり、仲間から空調服を着てから、汗疹が出なくなったと聞き、それ以来、会社支給の空調服を着てみれば、凄く涼しく快適でした。
頑固な心は捨てねばならないと反省もしましたね。
奈良県宇陀市には、室生寺と室生龍穴神社がございます。

近鉄室生大野口からバスで室生寺行きに乗ります。
室生寺の参観時間は九時からなので、先に室生龍穴神社へ向かいます。











相変わらず、優しき龍氣でございます。






龍穴神社の祭神は、高龗神です。

まあ、またの御名は、善女龍王。善如龍王。

人は恐らく知らないでしょうが龍に性別はこざいません。

何故、善女を名乗るのでしょうか。

女性が最も神に近き存在でもあり、その女性を守護する為でございます。

参拝後は奥宮の龍穴に向かいます。


崖崩れがあり、車では行けなくなっております。






龍穴神社の天の岩戸でございます。




室生龍穴神社奥宮、龍穴に到着です。










龍穴に向かい、磐笛咒経祝詞を奉唱します。

大周天。

一応、崖崩れで立ち入り禁止なのですが、多くの人々も参拝されております。

なるべくなら、経や磐笛を誦している最中は一人が良いのですが、多くの人に磐笛を知って頂き、興味を持って下さるように、人前でも無心で吹きます。






近くの室生川です。

以前に貫通した磐笛をマル一日かけて探しましたが、見つからなかった事もありました。

龍穴神社から室生寺へ。
















此処が女人高野こと、室生寺でございます。






室生寺の開基は、役行者なる役小角でございます。
彼は前鬼後鬼の式神使いとされておりますが、実際は、彼の弟子であり、差別されておられた、鬼とされた、人々を救い導いておられたのです。

彼を呪術者や陰陽師、修験者とするが、彼は開明的であり、当時、人民が差別され、貴族による人民の奴隷的風潮を一新された人間でもある。

彼からしたら、貴族皇族、その差別化する動きは、悪でしかなかったであろう。

彼は生まれ持った人の生命、魂の本質を悟っておられました。

人の魂に貴賎無く、人とは、神に愛される子であったのみ。

小角とは日本神仙界の主にして、その使神なのでございます。

小角なる 神の使いが 光臨し 鬼とされた 人を救わる。

室生寺は勿論、弘法大師空海とも所縁があり、師の惠果から授かった、如意宝珠を弟子の堅慧に託して、善女龍王の棲む精進峰に納めたとされております。






弁財天。


金堂。

弥勒堂。

本堂。


五十塔。


室生寺の奥の院に向かいます。















木が岩に生える。木は水性であり、如何なる大地にも根付きます。

天地創世記、人もまた、水から生まれ、木から生まれました。

岩の本質は火性です。

火と水が交わる処に神(火水)が宿るのでございます。




ふふふ。トカゲ、蚯蚓を喰らうなり。

気分が悪くなる方申し訳ございません。

私は今もですが、幼き日は発達障害であり、人間の行いが理解できませんでした。

当然に友達も少なかったのですが、トカゲだけは、大好きで、捕まえに毎日雑草や藪に日参しておりましたね。









奥の院。

善き風邪が吹かれます。

この山の当体は、善女龍王でございます。


扨て、空海が詠んだ歌がございます。

我が身をば 高野の山に とどむとも 心は室生に 有明の月。

空海の女人への思いやり、真心が伝わってきます。

帰りのバスの時刻を見ると一時間半待たねばなりません。
待つのは嫌いなので、歩いて駅に向かいます。バスならば、二十分ですが徒歩だと一時間二十分かかります。

テクテク歩いていると。



松を発見。ラッキーでございます。室生の山では一切、松が生えていませんでしたので。

松さんに取っても良い処を聴きながら収穫します。
家の松の在庫がなくなりつつあり、六甲山へ行かなければと思っておりましたので丁度良かったです。

お土産を頂き帰路に着きました。

















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令和三年七月 三六九神示

2021-07-24 19:46:00 | 神示道
天に七り、地に七ると示す、七月七日、龍華館の七夕祭も事無く終えたな。

昭和五十九年六月二十七日、丹後の小富士山神社で、七年間開けてはならぬと麻緒で封をさせた、玉手箱開きの神事に仕えさせたのが七月七日七夕の日であり、龍華館の神祭りの始めであるぞよ。

但馬より、丹後へ帰らせたのは小富士山の木花開耶姫命の御図りでありたぞよ。

それより、三十七年の月日がたち、昭和より平成の世を経て、令和の三年となりたぞよ。

神の四九三は、時の流れと共に世に現すのであり。

神人和楽の誠を忘れ、人間だけの都合勝手の為に地球を汚し、穢し、自ら身をあやうくいたして居る人類の改心を急ぎ、地球の浄化を急がねばならぬらこの時であるぞよ。

天の河の水を雨と為し、この地球に降りそそぐ、それを天知迦流美豆比売の神と称え、世に降りるは、大小の河川の流れと池となり湖となり、それを瀬織津姫神と申し、仏事では、八臂弁財天とも申すぞよ。

万物に生命の源の水を恵み。汚れ穢れは大海原へ持ち出でて、海に到りては、龍宮乙姫とも名を替えて汚れ穢れを浄化なし、新しき生命を生む、真に奇霊なる水の恵みであるぞよ。

神の御魂は、和魂荒魂と働くのであり、和魂の優しく豊かな恵みによりて、万物は育てはぐくまれてゆくのであり、有り難き水の恵みともなるのじゃぞ。

荒魂は修理固成の荒々しき神業であり、厳しき浄めとなるのであり、あの有り難き、水の恵みも、激流となれば、岩をも砕く土石流となり、あの有り難き水が、人民を恐怖に落とし入れる事ともなるのであるぞ。

この度も、熱海の伊豆山で龍が山から海へ駆け降る如き土石流が起こりたが、そこには、大雨だけで無く、人間の不正な行いもあっての事であり、神は人民を苦しめる氣は無いが、人民が自然を汚し穢したり、不正な工事をいたして危険な造成をいたして、危なきところに住んでおるから、やむえず、修理固成や浄化の風雨によりて、思わぬ災いに、会う事となるのであるぞ。

人民は、有り難き神の和魂の恵みに甘えて、荒魂の厳しさや恐ろしさを忘れて、人間だけの栄えの為に、好き勝手の事をいたし、山を崩し、川や海を埋めて、昔は、人の住まぬような所に住み、一時の悦楽を喜んで居る今の世であり、これからも、よほど心して人の住居も造らねば、思いがけぬ災いに会わねばならぬ事となるぞよ。

今は日本も世界も人口が増えて、大雨が降れば、山崩れな会うような所や水害に会うような所に大勢の者が住みておるが、次々に見せる神の警告を、おろそかにせぬように、いたしてくれよ。

災いに会いて神をうらみても後の祭りであるぞ。

荒魂の厳しさを恐ろしさ、神の働きには荒和のある事を忘れては、ならぬぞよ。

生命の源とも申せる有り難き水が時に、恐ろしき土石流となるのじゃぞ。

是は火も同じ事じゃ、有り難き火が時に総て焼き尽くす火事となり、山も吹き飛ぶ噴火とも、なるのじゃぞ。

人民は、神とは、人間の都合勝手の願い事を聞き、適えてくれるくらいものと思いて、かなわぬ時の神頼みの信仰をいたしておるがら真の神は、人間の都合勝手の願いばかり聞かぬぞよ。

我れ良しの願い事を易く聞いてくれるのは、思凝霊であるぞ。

困った時の神頼みの信心で無く、空気も火(日)も水も、食物も、そのもとは、豊受大神(国常立尊)を始め、天地の神の恵みであり、その恵みの中に、善き世といたす為に生かされてある事をしかと、思い、感謝為し、人間だけの繁栄の為、神の恵みをむさぼり、争い、都合勝手の事を積み重ね、この地球を汚し穢して来た事の反省をいたさねばならぬぞよ。

神の法則は、原因結果と現われらのであり、如何に祈り願い立派な祭りをいたすとも、我が身が善き思いとなり、好き言葉を使い、良き行いを為さねば、真に神の意には通じぬのであるぞ。

心言行。

誠信の道に通じなば、どんな大望な願いも適えてやろうぞ。

心言行を正す事は、神の御魂を分けて頂く、人(霊止)の道の要であるぞよ。

嘘をつき、人を騙し、利を得て栄える事が出来ても、それは一時の仮の栄えであり、必ず、原因結果より、崩れてゆくのであり、個人の事から世界の事とて同じであり、権力で人民の自由を押さえ世界を一国の自在にしようとするような独善の道は、必ず、自ら崩れてゆくぞよ。

それ、誠とは、心言行の一致であるぞよ。

さあ、オリンピック、如何なる国の内に治らず、新型コロナの終息も見えぬ中、無理矢理開催いたし、良い顔を見せたいところであろうが、さあ、どうなるか、無理をし世界に恥をかかさぬようにいたさねばならぬぞよ。

様々の流言飛語の飛びかう中、利己主義のみちに迷いてはならぬぞよ。

皆が和となり、手をつなぎ助け合いつつ、かの大節を越えてゆくのであるぞ。

言霊神也 ン

令和三年七月九日

天橋道士龍華斎 修聖拝写。


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令和三年七月八日 小長谷修聖 三六九神示 霊視篇

2021-07-22 19:54:42 | 神示道
昭和五十二年六月二十一日(旧五月五日)綾部大本教神苑金龍海の神業の様が見え、池の上に龍宮乙姫の御姿で出口直刀自が一巻の筆先を持って現れになり、その筆先を持って現れになり、その筆先を修聖に授けられました。

(注 霊的の事であるので、池のそばの、ゆずの葉一枚、玉手箱に入れて帰る。

同年六月二十七日、先のゆずの葉に、「おおもとの、ゆずのことば十四うけて、かがやくひので、いやさかのみち」と墨書し、丹後旭より出し玉石も箱の中に入れ、丹波小富士山神社で、七年間開けてはならぬと麻の緒で封をする。

七年後但馬豊岡から丹後へ帰す。

五十九年七月七日、玉手箱の開きの七夕の神事に奉仕す。

尚五十二年八月一日、豊岡市伏の白髭すえ氏より、出口直様直筆の筆先、「りゆう九んのおとひめひのでのかみとあらわれるせかいのとどめのことであるぞよ。」一巻、修聖のもとへ届く。)



次に昭和五十四年七月一日、籠神社や大本教の神出現の男島女島、中津神の岩の神業の様が見へ、その様を女島より、出口直様が見ておられました。

(注 中津神の岩は、石の種蒔きの神業の納めし行う。

出口直様は龍宮島、又、鬼門島と称される、女島に明治三十八年五月十四日より、十一日間籠られ、龍宮の門を開き、龍宮乙姫を海底より、陸上げお迎えする神事にお使えになられ、帰島の二日後に始まる、ロシアとの日本海海戦も、龍宮の守りで勝利する事を予言される。

石の種蒔きの神業は、昭和四十九年六月、丹後旭の岩窟より出し玉石を神業の度、鎮めた御用、玉石[魂意志]。)





次に出口王仁三郎聖師が紫陽花の咲く庭に立ち、色を変えてゆく花をながめておられました。

(注 紫陽花は七変化と言われる如く、変わりゆく世の様を見ておられる様であろう。)
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神社参拝道2

2021-07-13 04:30:00 | 神社道






大阪市西区にあるサムハラ神社。

祭神は天之御中主大神。

バイクで来ました。ここは、パワースポットとして、神代文字が御神体であるためか、有名であります。

参拝も皆さん並んでおられます。私は並ぶのが面倒なので、横から賽銭を入れ、3秒で参拝を終わらせます。

サムハラ神社には、奥宮が岡山県津野町にあるようです。そこに、おそらく当体が坐し、此処にはその眷族神がおられます。

天之叢雲九鬼サムハラ龍王。

此処の龍神さんは、いつもくたびれておられます。神代文字による、勅命なのか、盟約誓約なのか、人の邪な(お陰信仰、我良し)心に寄り添っておられます。

やれやれだ。この文字を誰が、外に漏らしたのであろうか。

天網恢恢疎にして漏らさず。

この龍神を解放し、思いやるのであれば、その文字の全てを廃棄、滅するか、もしくは、人類が滅びねばならない。



サムハラ神社の裏側です。この隣には警察署があります。
此処に来ると磐笛による癒しをお願いされるので、磐笛と経咒祝詞を誦します。人が多い神社ですので、気を使います。

眷族神曰く、感謝のみの人は一割もおられないとか。











大阪府堺市にある宿院頓宮。

祭神は住吉大神。大鳥井瀬大神。









公園の中にある飯匙掘。

眷族神一柱坐す。

此処には山彦海彦の神話に出て来る、潮干珠が埋まっていると、言われております。

住吉大社の境内社、大海神社の井戸には、潮満珠が埋まってあると呼ばれ、潮干珠、潮満珠を揃って参拝出来て嬉しい限りでございます。

ここで、磐笛と経咒祝詞を奏上。不思議に大祓祝詞を唱えていると、雀が隣で、大祓祝詞が終わるまで、歌ってくださりました。

次にすぐ近くの開口神社へ向かいます。












大阪府堺市開口神社です。祭神は塩土之翁。素戔嗚尊。生国魂命です。
この神社は塩土之翁を祀っている事から、住吉大社奥の院とも言われております。

弘法大師空海や行基とも縁があられるようで、通称は、大寺さん。


金龍井です。ここで、磐笛達を沐浴してもらいます。水業の御水も頂きます。龍神ゆかりの井戸水でございます。

磐笛は本殿を住吉大社の磐笛にて、吹き、天津祝詞を奏上。
金龍井では、三輪山の磐笛を吹き、咒を奏上。






三宝荒神社(竈神社)にて、麁乱神の磐笛を吹き
咒を奏上。


豊竹稲荷神社では、伏見稲荷山、大磐大神の磐笛を吹き、稲荷秘文を奏上。

稲荷とは飯成りの神であります。人間の衣食住を司る神です。御神名は、宇賀之御魂と申します。

国常立尊から豊受大神から宇賀之御魂神へ、その命がございます。

世間一般に言われる、稲荷とは狐霊では御座いません。宇賀之御魂は、神霊の一柱。そこに眷族神である、龍神や、5柱の狐神。眷族の狐霊がその働きを全うしております。これは、神からの無償の慈愛でございます。

しかし、何故、狐霊が乱れる現象が起こるのか。人間は狐霊を稲荷神であると迷信、盲信する所以があります。

狐霊を神の如く崇め、礼賛供物を捧げ、欲望を叶えて貰う人間。人の我良しの悪心は、狐霊をも悪化させ、邪気を生じさせ、悪霊の如く堕ちさせてしまうのです。

一度神使の座から堕ちた狐霊は邪霊となり、なかなか元に戻りません。全て人間の悪業の想念が招いた悪因悪果であります。

霊能者は祓ったり、説得したり、封じ込めたりしますが、全て元の木阿弥であります。

吾が心正しく、清らかなればこそ、孤霊を感化し、元の神使と為す。

金儲けの霊能者が説得するは、不可能でございます。

昔から狐霊を祓い、封じ込める法力もありますが。

百術は一清に如かず。

そして、悪を化すは、至善に止まる、善なる働きに因るのみ。









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大鳥大社道

2021-07-11 21:31:00 | 神業道


大阪府堺市、JR鳳駅より徒歩五分から十分の場所にある大鳥大社です。
 
祭神は、大鳥連祖神。


と、日本武尊。



日本武尊を祭神とするため、武家の尊崇が熱く、熊野参詣の途中に、平清盛、平重盛親子が立ち寄ったとされているようです。






本殿鳥居です。

拝殿隣の神木です。



拝殿です。
本殿です。

この地に当初祀ったのは、大鳥連、中臣氏の祖神、天児屋命(大鳥連祖神)であった。一時期、天照大神であったらしいが、大鳥と言う名称が白鳥と繋がり、大和タケルと繋がり、祭神とされたらしいです。

この地には、太陽の道があり、伊勢の神島から室生寺。三輪山。大鳥大社。そして、淡路の舟木石上神社へ繋がっているらしい。

此処は神界がございます。三輪には三輪神界、高知県津野山に津野山神界があり、伊勢には伊勢神界があるように、関西圏の神界、住吉大社をも含み、御神霊、御眷族神は、ももよろず。私の感化を遥かに越えられており、眷族も数千体おられます。

確か七、八年前にも、大鳥大社に来たことがありましたが、その際は、何の感得も得られませんでした。故に磐座磐境、一辺倒となり、道を偏ってしまいました。最近、自己の道の過ちに気付かされ、反省し、神社への道を歩まさせて頂いております。




根上がりの大楠です。

松の木です。


何処かに、磐笛を吹けそうな所無いかなとさがすと、本殿の裏に鳥居がありました。


祠がありますが、何も案内がありません。





此処は、人が寄り付かない地場なようで、水業を為し、嬉々と磐笛、経、祝詞、咒を奉唱致しました。
ちなみに、この祠の中の石には、真ん中に大きな穴が空いております。

ネットで、調べると、明神影向石といい、祟り神らしいです。私は、祟り神大好きなので、良きかなです。

人間は、祟りを恐れると言う。

大本教の艮の金神も祟り神として、忌み、嫌われて来ましたね。

今、多くの人は、魄が魂を覆い、内なる神が表れていない。故に魄は躍り、悪業と寄り添っているのである。
祟りとは、人の心に住み着く、悪業、悪意である。
人の魔惑、迷妄が自身をカルマへと追い遣り、業火、劫火により、自らを焼き、苦しめ、悩まされるのである。 

神は決して人を祟らない。人が自ら、祟りを迎い入れるのである。自ら苦しめている以上、霊能者に頼ろうが、依存心のみが盛んとなり、多くは解決しないのである。

蓋し、人が自らの魂に、内なる神に目覚め、魂が魄従えれば、魔劫は去り、迷信を退け、自らが、祟りの真実、因果律を悟るのでございます。










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