玄徳道

道を語るブログです。

鎮心経道。

2024-05-05 14:01:00 | 大道
世を済(すく)い、民を経(たす)ける。これを経世済民と呼ぶ。

実際の意味は、世の中を治め、民衆を苦しみから、救済すること。です。

故に、どうしても、経をたすけるとは、呼ばない。

経の意味は、筋道をたどるとされて、おります。

北極真経では、七経とされ、七つの霊的器官(チャクラ)を現しております。

先天坐を修めれば、七つの経は、自らを助ける為に、働く。

なんせ、人が動かねば、七つの経は、動かず。

私の独善的思考では、経とは、また、仏典の御経も、人を救わないが、人を助ける存在であると、今の私では、思考しております。

また、神は、絶対に、人を救わないが、自ら動く存在を必ず助けてくださります。

私の神は、人の願いを叶いません。人を救いません。戦争があっても、人のカルマのままに、されます。

されど、自然力あり、けれども、人の悪意よりも、人の誠に善く繋がり、自助力を与えるのみと。


扨て、悪しき予言類、それは、夢であったり、胎内記憶による予言。

神様は、他人に生まれ変わるのに、人の記憶は残さない。

人の魂には、記憶が無い。

魂とは、方向、悟りて得た、性質、本性の在り方を示すのみ。

そこに記憶は無い筈です。

胎内記憶を宿すと称する、親を観ると、スピチュアルを学んだ人が多く、赤子から、以前、お腹に宿った瞬間から、言い聞かせが多すぎる。

お腹に宿ってから、教育するも、道でありまずか、それを度を越して過ぎれば全ては毒となるが、自然であります。

胎内記憶とは、人の妄想なのでしょうか。

否、確かに存在される。

前世の記憶が魂に深く根ざしておりますが、それは、脳の記憶に宿っているというよりも、感性感覚。

それは、不思議でもなんでもなく、母の胎内に宿ってから、脳が育って来たならば、その感覚を掴むのかと。

また、大日月神示を示されておる方は、胎内記憶とは霊による憑依の可能性もあると述べられておらます。

まさに、人間は生まれてから、すべからく、自然、環境、先祖、カルマ等等に、よって思想か定められる、悪癖があるのは、確かです。

しかし、胎内記憶や夢で観た、津波、天変地異などの予言類は、悪しき存在からの憑依であるのかも、知れません。
未来を予知する胎内記憶等には神様は働きません。

自然災害とは、地球の働きあり、また、人心(霊界)の悪意が積もり、溜まり、滞る故に、天は荒れ、地は揺れ、人も更に、悪意を育てる故に、起きるのでございます。

人は、天と地の間にあり、実に地球経綸の主体であり、天地運行のカナメ(要)となる働きが、あるのですが。

しかし、世界多くの人は、そこまで意識できておりません。

オカルトスピチュアル好きな方は、ハイヤーセルフ、守護霊云々が導き、また、悪魔、悪霊云々が邪魔をするなんて、想念しております。

故に、人の妄想を更に作るのが、スピチュアルや宗教なのかも知れません。。


故に、全ての蒙昧(宗教的観念)を打破すべきであると考えます。


人が自らを正義として、自分は、間違いが無く、正しいからと善悪、天使悪魔とタテワケル(自然には善悪は皆無)から、それが、悪因となり、カルマを造り、真善と真逆に働くから、宗教間の争いは絶えません。


扨て、鎮心経と云うお経があります。

私は、三十年前ぐらいに、当時銀座にあった東京総院にて鎮心経の存在を教えてもらいまたした。

当時の事務局の方が仰るには、「白光真宏会の幹部の方が、その宗教では大々的な催し事(神事、修行)をすると、結果、事故が必ず起きて絶えない、しかし、鎮心経を催し事の前に誦えると、事故が起きる事が無くなった。」

今の白光真宏会は知りませんが、創設時の教祖も、その養女も、共に、老祖の弟子でありました。その由縁により、幹部の方も老祖の弟子になられた方も多かったと考えます。

鎮心経。

老祖の弟子のみが誦える事が許され、世の刧劫を化する事が可能。

故に絶大な効果を発揮する為に、戯れで誦える事は許されません。

しかしこれは、道院に無断にて、書籍になりました。

私的には、鎮心経とは、老祖の真体でもあり、先天坐、後天坐ともに、坐による静寂を悟る者ならば、誠こころにより、誦える資質があると考えます。

また、一方、正当な道院の教えでは、道院から生まれた、経、咒は、老祖の弟子(修方)のみが誦えることを許され、修方以外の方は、誦えるのは許されておりません。

その理由は、一般の人が咒を挙げると神を穢すとも、神様に不敬になるとも言われております

道院の咒や、経、全てが、神伝(フーチ)による由縁であるからです。

確かに、かなり昔、深〇〇山さんが、強🔵と言う書籍にて、道院の咒を無断で公開されました。道院関係者からそれは、まずいと言われた、〇〇さんは、あわてて、香港総母宗に呈判(神様にお願い)し、お金を寄付して、理由を述べて、認めてくださいとお願いしましたが、却下。

「求修(老祖の弟子)もせず、また、誠のなんたるかを明らかにしない、一般の者が、どうして咒を信じ、誠によって感じることが出来るのであろか………たとえ、求修して長年にわたり、誠をもって咒を誦し、劫を化する事が出来る者であっても、多くの人がこの原理に不明であって、先天の大道を宣べ明らかにするに至っては更に論ずるまでもないことである。」

ちなみに、強🔵と言う書名も、「宇宙の主神に祈祷するのであるから、「強」の字を用いるのは宜しく無い。「誠運」と改めるべきである」とおっしゃっておられました。



扨て、日本道院紅卍字会とは、日本人には、厚い夙縁が無い限り、見向きもされません。

中国式のお祈り(九拝礼)がどうしても馴染めないと言われる方もおりました。

日本の神社のように誰でも気軽に参拝出来ないようです。

昔、大本教と提携していた、時代は、大本皇大神、即至聖先天老祖で、大本人が道院に来ても、神道式で祝詞を唱えたり、される方もおられたようですが、それは、出口聖師存命の間のみでしたし、日本人には、神社のように、親しみが全くありません。

また、道院日本紅卍字会自体も、修方以外の方には、公にできない事も多くあり、修方、老祖の弟子と成りたければ、東京総院まで、足を運びその上で、四誓顔の儀式を行わなければなりません。

また、フーチ(神示)の時代は終わり、自らの責務で物事を為される事を老祖がのぞまれておられます。

故に宗教にありがちな、御陰が貰える信仰でもありません。

坐と誦経と慈善活動を行うだけです。

言わば、神様を頼らずに、人自らが、その誠意により、道(坐道)を歩まねばならないのです。

故に、多くの日本人には広まりません。


その中で、先天坐の指南書「生きる意味と方法」や、「鎮心経」が道院という、組織に関わらず、世に出回ったのは、日本神界の働きが多少あったとも考えます。

地球には、人が生誕してから、人の思いが刧劫となり、積もっております。

人の歴史を見れば明らかで、お互いに争い、殺しあった事実があり、善き歴史もありますが、殆どが、奪い合う戦争の歴史であります。

人の思念か清からず、悪しき意図が増えて、それがカルマとなり、自然破壊も含めて、それが積もり、地球が苦しんでいるのであります。

その刧劫を祓い、清める為の法は、神国日本には、昔から降ろされております。(皇室の祭祀、古神道等)

また、出口聖師の「霊界物語」、道院での「太乙北極真経、午集正経」(これも修方が道院内でしか、誦えることを許されておりません)が活気的あります。

霊界物語などは、誰でも買え、誰でも音読すれば、効果があるとされます。

物語が長過ぎるため、根気が必要でもあります。(もしかしたら、必要な一巻を臨機応変に唱えれば善いのかも知れませんが)

故に、ここで鎮心経が道院に関係無く、世に出る、奇跡も、解る人には、判るかと思います。

言わば、世界と地球は、危機に瀕死ていると言う事であります。

ここで、鎮心経の書籍が発行(十年前)された、正否は、問いません。

ただ、坐や瞑想により、自身を回光し、誠心にて、鎮心経を誦えれば、自分の為には、なりませんが、地球の為になる事を明記致します。







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神の真通力道

2024-04-24 17:26:00 | 大道
梅で開いて、松で治めるのが、神の御心。


人には、魔法が存在します。

黒魔術、白魔術などは、悪魔と天使から授かったとされる方もおられるかも知れませんが過去の妄想(呪い、嫉み、破壊、自己幸福、利己主義)として、生まれた類のもののような、感じが致します。

全ては、想像。妄想なのかも知れません。

人の起源より、億年の産物。

人を魔法で呪い殺すには、生霊を憑けても、神社にて、藁人形に五寸釘を打ち付けても、人は決して、殺せません。

されど、暗示を与えれば、人は自らを殺める。

人の生死とは、言わば、天命、自然によります。。。天災地災人災すべては、自業自得に因るのかも知れません。

天命を得る者は、「生とは天が我を労するなり。死とは、即ち天が、汝を安んずるなり。」と感じるでありましょうか。

天命を知らぬ、存じぬ者は、災害により、病で死に、人により、戦により、人間関係によりて、死ぬもまた、自死するも、全ては、「私は悪く無い」と念を残されます。

それが、現存される、幽霊なのかも知れません。

また、呪術とは、多くが妄想であるので、人を殺したいのであれば、物理法則の中で、動けば、確実でございます。

なんせ、人間は脆く、小指一本、えぐれば、出血と痛みで、朦朧とする。

人とは、人の心とは、また、肉体も実に脆い。

故に、護る為の行いは、実に堅実となる。

堅実とは、真の、誠の神に通じる事でございます。

何をもって、堅実と言うのでありましょうか。

生きるなかで、大切な事は、生かされている存在への感謝、また、魂と心のままに、嘘をつかない、正直さ、そして、生きる為に必要な食べ物へのあり方。

扨て、余談。

戦後、花粉症が興ったのは、牛乳と小麦粉の弊害による。

それに、伴う、癌化。

私の妻が乳癌となった所以は、パンを好み、乳製品(バター、チーズ)好む癖に依る。

戦後、白砂糖により、人の鬱化が始まった。

甘いお菓子は、その場限り、脳に幸せを与えます。その後は、それを過剰に欲しがり、糖は、血液を濁し、神経の判断を狂わせる。

自然界の甘いものは、全て、酸っぱいが有る由縁でございます。

堅実な人は、ひたすら、米を愛し、納豆を好み、味噌汁に親しむなり。

さて、人の世に、魔法があり、神通力がある。

魔法とは、先に述べた通り、人の私欲が本であります。

されど、通力とは、神による、奇跡。

それは、神が人を信じて、人を通して行う。

ゆえに、それを扱う者は、自らをお取り付ぎとされ、自らの能力(ちから)では、無いと称されます。

神様から得た通力とは、けっして、その方の能力ではありません。

ゆえに、神様が人を信じる所以は、一重に、誠心あるのみ。

例えば、ぎっくり腰を指、1本、据えるだけで、ぎっくり腰を治療する人が、現実に存在します。

過去には、イエスキリスト、空海、出口王仁三郎聖師なども、有名ですが、原因不明な病人を多く治した実績を持つ者は、熊野の神人、松下松蔵さんでございます。

おおくの難病を通力にて、治療されました。

松下松蔵。

彼は、医者ではありません。農業を営まれた方でございます。

松蔵さんは、何時までも(年齢では、四十五歳)父親に何時も、何処でも、殴られて、おりました。

かれは、無学。育った環境では、農作業をする為に、育てられました。

田舎の君子は、教育、しつけとして、殴り、殴り、殴り、拳骨を落とすのは、当たり前でありました。

まっぽうさん、こと、松蔵さんは、逆らわず、ひたすら、恭順し、父親に従い、母を大切にされ、嫁を慈しみ、五人の子供を愛し、ただ、農作業をされておりました。

彼が、四十五歳の時に、何時も暴力をフルウ、父に「父上、私も本年は、四十五歳になりました。子供も既に五人あります。私を殴られるのは、私の至らぬからで、致し方ありませんが、ただ、子供の手前がありますから、子供の前では、殴らないでください。」と申されました。

父親は「うんそうか。」といって、打つ手を納められました。

松蔵さんは、父からの暴力を、全て受け止めておりましたが、それが、父の罪となると、悟ったが故に、父親に、衷心いたしました。

もともと、この父親は、唯我独尊にして、村人には、善人ぶり、家庭では、頑固にして、全て気に入らなければ、荒ぶり、子や妻を殴り、痛ぶるをもって、世間の不満を発散される癖があったようです。

されど、松蔵さんの、言霊により、父は、松蔵さんの示す、親慈(おやじ)のなんたるかを悟りました。

扨て。
かれの修行とは、瞑想せず、鎮魂せず、霊能者に仕えず、ひたすら、ひたすら、親に孝行を尽くされた。

松蔵師の神通力の秘儀とは、「親孝行。」あるのみ。

今の世には、霊能者開発セミナーや、セッション、セミナーなどがあり、自分が、神様に通じている、自分は霊能者と、勝手に思っている方が多いのであります。

かれら、かのじょ等は、それを(霊能力)金銭に変えておられる。(金銭によって得て、金銭の為に使う。)

また、霊能力開発セミナー、神法御得会、セッションにより、多額の金銭を払い、その金銭の恩恵にて、超能力を得られたと、幻覚している。(想念の扱いにより、それを超能力と錯覚。)

松蔵師と彼ら彼女らとの違いは、「松蔵師は、どんな、難病ですら、癒した、真実があります。」

霊能者自称は、自然の治癒を自己が為したと誇張するのみ。今の医者と、同じ、むじなにて、自己回復の自然力をされる人へ、「私が医者として、治した。」と述べる。

病とは、治るも治らぬも八卦なり。

人には、自然治癒力あり。

松蔵師は、自ら、農業を為して、親に孝行され、妻を愛し、子を慈しみ、神に敬虔であるが故に、奇跡を起こされた。

人間は、霊能を求める。それは、ひたすら、自己顕示欲の為に。

他人より、尊き自己でありたいと、願う欲望。

他人に、尊敬されたい、愛されたい、親しんでもらいたい。

松蔵師は、暴力をフルウ親ですら、尊敬し、食欲に左右されず、他人への施しは、当たり前にして、誰も妬まず、望まず、ただひたすら、生真面目に、しんどい農業に従事し、生きて来られました。

神通力を神から、通され、開示された、後も人柄も変わらず、ただ、ひたすら、難病を得られた、人々を救われた。

松蔵師の神通力の正体とは。

「私は、親孝行の為に力を得た。私は、決して顔(祈願)をしたのでもなく、行(修験)をつんだものではない。

唯、生まれつき、親孝行をする事が好きである。

一度も親に口答えせずに、そむいた事も無かった。

元来人間は、親あってこそ、自分の体がある。

生まれたのも、育ったのも、皆、親の恩である。

親あっての自分で、我が身を大切なら、親はなおさら大切で、ことに、親の子に対する愛情は、無限である。

それを思うなら、どうして、親を大切に思わずいられよう。

親孝行が人間の根本だ。

今日、私が神通自在の力を、神様から授かったのは、親孝行の一事からである。

如何に利口な人でも、偉い人でも、親孝行をする事を忘れたら、その人は無価値である。

私は何神様を信ぜよとか、仏様は何様を信ぜよとか、決してそんな事をすすめるのでない。

世の中は、親孝行が第一で、親孝行さえするなら、成功もでき、出世と出来る。

親孝行の心無い人は、病気もするし、運も悪い。

これは.現実のことだ。

孝の功徳は、広大無辺だ。

俺には、学問がある、親は無学だ」と、親を親とも思えぬ不心得者や、親は親、子は子だと、西洋流の個人主義的思想にかぶれ、孝道の大徳を忘れている人が多いのは、実に嘆かわしい。

私の教えは、孝行せよ、その功徳は偉大であると言う事にある。」

(鬼雷述べる。北極真経にも、源水木本として、自己の源(親や先祖、また、祖は神に基づくゆえに、神様。)を大切にしなければ、道無く、修道から、外れるとされております。

神通力とは、神様が通される人を選び、選ばれた方が、それを取り継ぐのみ。

奇跡により、難病を治癒するのは、神の機能でありますが、それを通せる人とは、素朴に、素直に、親を大切にし、人を大切にされる方。そこには、高額セッション、霊能開発にもなく、金銭も発生しません。)








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菜根譚道

2024-03-20 18:20:00 | 大道


「硬い野菜の根っ子も、よく噛めば食べることが出来るように、苦しく辛い、環境の中々いても、耐え忍ぶことによって、志を成し遂げる事が出来る。

いや、そう言う意味もあるが、そうでも無い。

硬い野菜の根っ子にこそ、栄養がある、そして、林檎や、バナナ、蜜柑、人が排斥される、皮の部分にこそ、価値がある。

今のわたしならば、こう言うであろう。

イエスや釈迦、数多の聖人教祖。

かれらは、硬く、不味く、根っ子のように、人に忌み嫌われる人であったのであろう。。。

なんせ人の枠に収まらない。

常に権力や権威に媚びない。

菜根譚道の魂を持つ者は、得てして、他人の価値観に左右されない。

それだけ。


私は幼少期より、邪悪であり、発達障害もあり、弱き者を虐めるのを、好む癖あり。

例えば、蟻を見ては、踏み潰す、幼き我あり。

多くの蟻を踏み潰した私には、幸せはやって来ません。

然り。

当然に、天罰覿面。

神様は、悪しき行いをしたら、当然に、運気を堕とす。

世には、因果律あり。

それでも、ひとたび、回光、改心、すれば、神様、実に、噛めば甘い、存在となり、栄養も豊富に与え、応援して下さります。

菜根譚。

そして、どこにでも、神様は宿っておられる。

翻れば、どんな、糞みたいな、私のような人間でも、何かの役に立って立つ事もある、可能性があると言う事でございます。

どんなに捨てられる、根であっても、その価値を見出す者には、貴い価値となる。

菜根譚。


これは、知人が送ってくれた本です。


人間の価値観とは、釈迦や、イエス、また、多くの聖人、賢人、哲人により、左右される面もございます。

人により、出逢いがあり、、感銘を受けた存在を、それを聖人、神人とし、それを盲信する。

ゆえに、自己の深奥なる根神を思想、想念を潰し、多くの人は、自己の神性を明らかにする事が出来ない。残念至極。

人間てさあ、生きているだけで、多く人は、目に見えない事柄に苦しんでいます。

外国から見た、日本人ってさあ、みんな、安全な、国にいて、とても幸せに見えるけど、日本人は精神を病み、自ら命を捨てる者が本当に多い。

次元界、痔が限界、地獄なり。(ふかみせんせい。)すみません。

逆に、スラム街、砂漠の生活にて、心底苦しむ生活をすれば、ハングリー精神が湧き、幸せを得ようと努力するのかも知れません。

戦争も無く、平和な日本。

いや、古今東西の大震災が興り、鎮まり、また、大地の怒りを受ける日本人。

人間自身ののカルマにより、地球を穢し揺れを引き起こす事ももある。

当然に、穢される地球にも、その大地の主なる、地球神にも、怒り、悲しみもあり。

自然には、本当に、思想はありませんが意識がございます。

人の想念は、地獄でもあり、天国でもあり。

それを垂れ流す人は、自然に、自ずから、我が身に受け入れる。(人に取っては、病となる。また、人に取っては、善き福徳が起きる。)

一念三千。

悪しき念は、穢れとなり、自己を汚し、地球を穢すなり。

人の穢れが大地に溜まる(人に因る)。故に、浄化の為の躍動がある。(大地震、台風、津波、雪崩、土砂崩れ、雷合。)

それだけである。

それにより、人は自然災害を受けて、個人は滅びる。



扨て。
カルマを造るは、人にあり。そして、人が、自分に苦しむ理由は、他人あり。

そして、他人が苦しむの理由は、自分にあり。

人なる種族は、魂の発する根本が違うからか、イガミ合う。

歴史を振り返れば、人は人を殺す、戦争を永遠に行ってきており、また、現在も殺し合っているのが真実。

人間の思想は、簡潔明瞭では無く、他人の口から出た、どうでも良い事柄も、受ける人は、死にたくなる感想を持たれる人もおられる。

本当に、人間って面倒くさい。

単純に仲良くは出来ない。

そして、多くの人格に愛が、あれば善いのですが、残念ながら、彼らの思想(優劣、人気)は、弱肉強食の中の憎しみと虐めとなります。

「三千世界一度に開く梅の花」

「梅で開いて、松で治める」

此処述べた、梅は、厳しき寒さであっても、一輪の花を咲かす。

松は、年中、暑さ寒さの厳しき環境でも、人々の薬剤となるうる、松の葉を示す。


さて、人の心は、脆く危うく、優しく老婆心ある人は、他人に気を使い過ぎます。

思い遣る心あるゆえに、気を消耗し、疲れる。

疲れは穢れであり、願わくば、多くの人は、疲れないで、物事を為して欲しいですね。

そして、気を使わずに、疲れない人もおられます。
それは、使命感あり、神を身近に感じる人。

それよりも、能天気な人。

ああ、人って能天気になれる人こそが、本当に幸せ。

能天気になるには、法があり、それこそが先天坐法。

ただ、1日、16分、黙って座るのみ。

三年もしたら、能天気な気質を得るのでございます。(私的には、いつも大いに悩み葛藤し.早く死にたいと、考えます。なんせ、死とは、本当に永遠のの安らかであるから。

私が坐する所以は、そこに、一時の安らぎがあるから。)

しかしだ、この、地球に住んでいる人にとって、未曾有の危機が、先天から示されている。

能天気を吹き飛ばす程の試練が墜ちて来る。

やれやれ過ぎる。

いずれにせよ、盛者必衰は、自然の流れ。

奢れるもの、久しからずや。

金持ちに成れば、幸せの時代は、過ぎて、儲かりません。人を騙しても。

お金を得ても、幸せに直結しません、今の世は。


扨て。戦争をかたれば。

ロシアウクライナ戦争では、プー〇〇が魔王であり、ゼ○○○○○○は、被害者か、正義の使徒のように、感じている方もおられるが、お互いに、贅沢三昧をしている。これが真実。

戦争し、多くの人民を、殺している両首脳。

罪は、ゼ○○○○○○が八割を越え、地獄に、堕ちると、考えております。

国主が戦争をしたければ、自ら、戦域に立ち、配下の為の弾除けとなり、死ぬが上乗なり。

そして、プー〇〇は、まだ、ロシア国民の為に尽くそうとされている。

ユダヤのゼ○○○○○は、戦争の兆しを煽り、米国の犬となり、ヨーロッパを引き込み、ロシアとの戦争を臨んだ。

彼は、戦時化の最中、我慢せず、贅沢されておられると感じます。

もっと、痩せろ。

いずれにせよ、戦争により、罪穢れは、億万と為して、彼らの死際は、苦しむあるのみ。

もし、ゼ○○○○○○、硬い根の持ち主であれば、身命を遂げて、戦争を起こす兆しを(鬼畜米国による唆し)、排除したでしょう。

甘言に乗せられた結果の閣下のこのザマ。

もし、国主に菜根譚の思想あれば、常に、根である国民を守るのみ。。。

かつての昭和天皇のように。。。

日本が犯した戦争とは、神の一つの仕組み。

それでも、昭和天皇は、全責任を負い、国民、民草を護ろうとされた。


世界の国民とは、愚かであり、賢しであり、民草であり、善悪正邪過去未来のカルマを経て、皆が道を目指して、あゆむ。

扨て、 この「菜根譚」を随筆された、洪自誠は、神仙であり、適仙として、中華の明国に生誕されました。

彼は明国の優秀な官僚で役人でした。

当時の明国は滅亡の危機にあり、彼もまた、酷い裏切り、権力闘争、愛する者の死を体感して来ました。

その最中でも、彼は人の根には、必ず、善なる箇所があると信じ、他人を排斥せず、より親しんだのであります。

悪鬼なる不良にも、信じられざる、正義あり。

善き天使のような、人格にも、最後に裏切る、暗転される、悪魔存り。

人に正義がある。それは、利己主義。我れよしの正義なり、といっても過言ではありません。

太古の時代は、人が人を裏切ることはありませんでしたが、縄文から弥生に至れば、西洋から、キリストが、生まれ、かれの奇跡は、その本質よりも、奇瑞として宣伝され、また、キリストの教えが、国により採用された、人が、隣人を愛して、幸せになる、法を得ようと、したとたん、権力により、利用されました。そこからは、暗黒の世界。

神とは、人にとっての宗教。即ち教えなり。

それに従う者は、天国に行き、従わない者は地獄なり。

神様とは、従うも従わないも信じるも信じないもあらざる。

神を裏切るとは、常に、神の名を騙る権力者による。

言わば、権力とは、悪魔の働きである。

簡単に言えば、権力を魅せる宗教全ては、悪魔が主催する。

権力を持たずに、真面目に、世を救い、民を助けようとし、権力が存在する宗教から、救世主と示されても、権力ある宗教は、それをサタンとされて、お互いに傷つけ合う。

それが、権力ある宗教。

宗教とは、簡単に言えば、地獄発生装置になりを

皆さん、救世主は、単純に多く居ればいるほど、良いのであります。

多くの自称、他称は、拒まず、多くの救世主の出現があれば、地球は穏やかに、活動される。

そして、宗教の解釈、神示の預言などは、クソ喰らえ。

人が人を救いたい気持ち、これを感じる者、全てが、救世主なり、です。

多くの、適仙、聖人賢人、イエスキリストも救世主の一人。マホメットも、然り。ヤマトタケル、空海、最澄、日蓮、白隠、明治天皇、王仁師、日出麿師、昭和天皇。五井昌久師、長沼妙佼師……。かれら、彼女らは、真に神が降し、人の心を救うために存在されました。

女性の数が少ないのは、縁の下の力持ち。

聖人に関わった女性全て、月神界から、自ら降りられた、身魂。

名も知らず地位名誉も官位まお金も必要とせず、真心を誠心を尽くす、変人的な、貴い存在なり。

月の御魂とは、弥勒大神であり、人の生活、生誕、全てに培うのは、月。

月神を、伊豆売之御魂と申します。

その御魂は、すべからく、女性とされるのでございます。

扨て、生まれて、死に、死んで生まれて、また、死んで、生まれて、死んでまた生きるが輪廻です。

その最中、幼き、人が、生まれる以前の記憶を持つと言う人が増えていて、役割があるとある言う。

そんな、記憶があるのは、、自然です。

私なんかは、修羅地獄にあって、闘争そして、滅びて安息、再生し、更に闘争、敗れ、安息、また、甦り、闘争へと、その痛みをしっかり記憶しております。

しかしだ、人間の記憶は魂に宿らず。

人の前世記憶は、霊が宿す。

それは、眷属神であったり、精霊であったり、先祖や、宇宙精霊であったりと。

その感化、感覚を縁ありて、受ける由縁に、覚えるのであります。



最近は、生まれる以前の記憶ある子供を紹介され、また、そこに利益があるのであれば、辞めるべし。

赤子や幼子の言葉を捉えて、金を儲ければ、カルマとなる。儲けれども、利用すれば、業となる。

幼い子供は、自己意識よりも普遍意識を持つは、自然であるから、現実なる荒波を、知らずに、素直に、生まれる以前の事を言い、親からすれば、褒められているのみ。

善と子供の素直な、道で、金銭を得る者は、滅びは近い。(それで、有名となるは、罪。幼き者は、必要以上に尊ばれ、有名となれば、堕ちる因果となる。)

子供を食い物(金銭)にする人は、過去未来通して、堕ちる。

そして、残念ながら、地球に生まれた、御魂は、平等であります。
生まれる以前の記憶があろうが、無かろうが、すべからく、神の神子であるのみ。

それが特に不思議なく、特異なく、日の元御国の自然なり。(神を純粋に受け入れるのは、日本人に生まれた由縁なり。)

ここで、その前世の記憶を持つ、子供たちの不可思議を予言を飯の種にする者は、自らの滅びを短縮される働きとなる。(すみません、彼は、何処に去るのでしょうか。地獄なり。得てして、自らの生命が削られる。故に、短命。)

此処に、幼き者の、言動を興味津々で、取り上げる者は、愚かなり。

星々から、生誕された者は、自己霊力あり。

何故、それがわかるのか、理解出来ずとも、無に還る先天坐を成せば、それが教えられ、記憶では、ない、ストリーを教えられるからでございます。

私達は、全て知って生まれているのです。

知って忘れて、忘れて、覚える。

すべらかく、なんくるあいさあ。



菜根譚。

いろいろな、解釈がありますが、私は、誰も、食べたくない、根っこが好き。

根っこは、不味い。と、称される。

それでも、根っこは好き。私は美味しく感じる。

それと、同様なのか知れませんが、私を好きになってくださる人もたまに、おられる。

私は、会話は苦手で、喋れば面白くなく、また、人間は嫌いですが、誠人は好きで、社会人として、生きて行けないレベルです。

それでも、奇特な妻をはじめ、尊い人がおられる。

幼少期より、人類を滅ぼさねば、この星、地球の為にならないと、妄想していましたが、私を好きになってくれる、稀有な人(微数)がいて、子供なんて、、、滅びる地球に子供なんて、いらないとしつつ、子供が生まれて、出産に立会い、「お前を待っていたと。」わけのわからん、想いに、かられて。

子供が生まれる神秘は、ありがたし。感謝あるのみ。

子供の誕生とは、両親にとって、本当の奇跡なり。
そして、日本人に生まれた、不思議を感じるこの頃。

善き国日本。悪しき国日本。

未だ、精神の狭間にあり。

霊主体従。体主霊従。

そして、天災の兆しあり。

世界は滅びる。

いつでも、どこでも、世界は滅亡する。

私は、覚悟は、いつも有していて、「天地人、滅びるは、当たり前だのクラッカーと」しています。

地球も滅びるは必然的と思っています。

されどもし、子や孫がうまれたら、どうなるか。

例え、神に逆らっても、地球を存続させる。

幼少期の思いを滅して、人類が弥勒の世となるように、働くのかも知れません。

真に、硬い根の人は、誰からも、理解されず、人と交わらず、ひたすらに、根を保つ、道を歩んでおれれる。

それでも、何かの役に立つ日が来るのかもされません。

かつて、西郷南州翁はこう述べた。
「名も要らず、地位も名誉も金も、官位も要らぬ人ほど、始末に終える者ではない。しかし、その、始末におえぬ者で無ければ、真の国家の大業を為すことは出来ない。」

言わば、欲を削ぎ落とさねば、天地国家の役には立たないと。

そして、身を修める者は、政治は、相手にならず。

私が相手にするのは、吾が心の働き。

自分自身。

私が相手にするのは、人の真心。

金持ちや、奢れる者には、決して、交わりません。


人にとって、価値があるは、一重に、誠心。


誠心とは、対する人が気持ち良くなることでもありますが、菜根譚での価値は、自己を貫く、真実の、自分を現すこと。

即ち、菜根譚とは、他人には、理解出来ず、他人が嫌う、なんかがあるけど、その人に、注視してしまい、知らんけど、光がみえる。

なんて、考えます。

菜根譚。

たとえ、嫌われ者でも、他人から、相手にされなくても、故に、真に価値があるのである。

是を知れ。


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老祖の弟子とは、弭化の道を歩む者。

2023-10-17 18:39:00 | 大道
やべえ、忘れとった。

自分が、老祖の弟子であることを。

ちなみに、不肖の弟子。

近頃は、コロナ化の洗礼。

人が作り出した、化学ウィルス。

否、人たる一部の悪意が創造したウィルス。

ただ、悪意をも、弭化すれば、悪しき洗礼も善き洗礼ともなりうる。

そして、ロシア、ウクライナの戦果。

現在、ウクライナへの寄付金の多くは行方不明となり、その国の最高頂点の政治家のふところが潤っているらしい。

私から言えば、現場の責任者は、自ら矢面に立たねばならない。

兵士が盾では無く、自らが兵士の盾にならねばならない。

ウクライナへ贈った武器がハマスへと流れるとも聞く。

全ては、金力主義(おもいのまま)による思想なり。

大国の戦略、ネオコン、グローバリスト。

日本とは、未だに、大国の奴隷。

まあ、そんな話もあるのかも知れないが、忘れてはいけないのが、私達、この地球には、神々存在し、人類の思惑を越えた、活動を行っていること。

また、日本は、太古、三つあった、神の国の生き残り。

ムーもアトランテスも滅んだが、日本島のみが健在する。

そして、日本とは渡来人と縄文人との混血であり、日本の産土様が縁を施したならば、渡来人でも日本神界に籍をおくのであります。

日本は神の島であり、全てを咀嚼し、神ですら、噛む。嚼む噬む擤む。神む。かむながら。

ゆえに、すべてを大和出来る。

東瀛。

日の出が起こる神国。

その日本に住まう、老祖の弟子。いや、国祖の弟子とも言ってもよい。

なんせ、至聖先天老祖とは、国常立尊であるから。

老祖の弟子ならば、世の潜伏する劫(地震、ハリケーン、火山活動、津波、兵劫、戦争)、を弭化しなければ、ならない。

災いが人に降りかかる前に。

そして、自身に、如何なる災い禍いが墜ちようとも、挫けず、世の安寧を乱す、劫を消さねばならない事を。

忘れていた。


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道院道 1。

2020-05-10 16:38:08 | 大道
中国最後の帝政であった清朝の末期、神仙道を修めた有名人に賈子羽という人が居た。
山東泰安県の人で、俗に賈神仙と呼ばれていたが、この人の仙術は中国語随一と称され、当時は世界的にその名をとどろかせたものである。

帝政滅びて中華民国となった初め頃、南方の神仙術の大家 粱仙がある日ひょっこりと訪ねてきた。

粱仙は、賈神仙の霊力を試そうとして、言わば他流試合にやって来たということであるかな。

賈神仙は、これを遇するに至れり尽くせりで、山東人にしては、見たことも聞いたこともない、新鮮な南方の果実を出して接待し、料理も百種に近いもの、すべて、北方には、嘗て見たこともない珍種を出して、客人の肝を冷やしたということである。

これは、仙術による部品ん引き寄せの法を用いたものである。

辞去するに当たって粱仙は、これに応酬する意味か、懐中より、一個の蜜柑風の大きな果物を出して言うには、「本日、席を侍る各員と、将来兄弟の交わりを結ぶ意味で、一包中の一房を分食して、包皮を剥がせると、室中、十二人の主客に相当する十二房が出て来た。一同は、手を打って喜び、一房ずつ分け与えて居るところに、主家の小児がヒョロヒョロと入って来た。

人々はどうするかと思って粱仙の手許を見つめていると、十二房の外に子房が一つ付いていたのを見いだして、これをその小児に与えて、満足そうに笑みをたたえて、辞して去ったとあうことである。」


老子の流れを汲むと云われたこの神仙術は、実に中国の社会に風靡したものである。
民国の始め頃から欧州に於いてにも、異常なまでに関心を持たれ、ヒットラー政権下のドイツ新聞社あたりが、しきりに賈神仙を訪問して来たものであった。

ある時。ジョッフルという新聞記者がやって来て、「賈神仙、何か珍しい話を聞かせてください。」といって、神仙の客間に通された。

賈神仙は、「何もないですよ、まあお茶でも飲んで世間話でもしましょう。」と賈神仙はコップに、香り高い中国茶を入れて、テーブルの上にポンと置いたと思ったら、そのコップがテーブルにめり込んでしまった。縁だけが僅かにテーブルの上に残っていたのを神仙はみて、「ああ、これは少し力が入り過ぎたかな、」と言って、それを引き出してやった。と云うことである。

「まあ煙草でもどうぞ。」といって、煙草入れの箱を押してやると、その箱は四本の足が生えて亀となり、記者の近くまでテーブルの上をノコノコ歩き出したと云うことである。

客が帰った後、弟子たちに向かって神仙は、その煙草の箱を裏庭の木の下に、三尺土を掘って埋めて置けと言った。

弟子達はどういう訳かを問えば、「霊気を入れたので、六百年後には亀となって生まれ出る」といわれたそうである。

このように、天下を唸らせる法術を行っていた。

中国随一の神仙術者賈神仙は、何千という弟子が雲集して、常に門前市をなしていた。

民国十年に山東泰安県の程遠からぬ済南府に、至聖先天老祖が現化降臨し、道院が発祥した。

賈神仙は、幾千の弟子達な中から、高弟として目された十人ばかりの人を選んで、老祖の弟子となるべく、道院に送って寄越したのである。
そして、その時、弟子達に言った言葉は、心して味わうべきである。

「道院こそが、人心を正し、天下を救う大道である。わが神仙道は、法であり術であって、この法術を以てしては、真に人の心を救うことは、出来ない。

汝らは、今後わがほう術を顧みることなく、大道を学び、天下を救うことを心がけよ。」と言ってその高弟を道院に送ったのである。



笹目秀和著「ストップ ザ 富士大爆発」より抜粋させていただきました。

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