玄徳道

道を語るブログです。

令和六年四月 三六九神示

2024-05-16 20:44:00 | 神示道
和合の道の開きに、素直にならねば救われぬと申しても、人の身は我を守り、生き通す為に素直になれば、我が身の負けと、自我強く我が意を通さむと、争いを起こすなり。

扨も、人の身はその昔、大海原に龍体と産みなされ、その龍体が玉を得る事によりて、人の身と進化する、道が開け、長い長い年月をかけ、龍は、海から陸に上がり、水中生活から、空気の暮らしとなり、段段と神に似せて、人の身と進化いたしたのであるぞ。

(注 脊椎動物の種は(細胞)は、海水より生ず。
人の身も母の子宮の羊水(塩水)の中で、長い精子(龍体)と卵子(玉)が結ばれて、人体となり、十月十日の水中生活から空気の世界へ生まれた来る。海原=産腹.子宮=龍宮)

龍体から人の姿と成る時には、神界は八百万の神々の神霊(みたま)を分けて、それぞれに御魂に相応の特技特性を授け、人の世が成りたぞよ。

長い年月、荒海の中で苦労いたし、その上、海中の龍体から陸に上がり、人の身と成るまでには、言うた言われん苦労いたしたから、人の身は、我を守らむ為に、やむをえず、自我や欲が強くなりてしまいたのであるぞ。

肉体の霊の自我や欲が、神授の御魂を押し込めておるから、中々、神の言う事を素直に聞けず、御魂の特技、特性も易く、発揮出来ぬので、あるぞ。

人の身が海中(塩水)の中から人として生まれる過程は、母の体内の水中生活から十月十日をして、空気の世界に生まれる事で教えておるのであるぞ。

(注 万物の種(細胞)は海中の水から生じ、末は水にかえる。)

龍体から苦労して、人の身と成り、生きてゆかねばならぬ故、自我や欲が強くなると申せ、人の身は我が身一人では暮らせぬものであり、家族あり縁ある人々、そして世界人類が時計の歯車の如く、かみ合い、助け合いて、人類社会が成りておるのであるぞ。

神には御魂や生命を頂き、生かされておると言えど、活きてゆくには、肉体の血の流れの中に伝わる様々の因縁(遺伝子)の浮上により、中々人生を楽に過ごす事が出来ずに、人それぞれ苦労があるが、それがとて、人をうらやみ、人の幸をうばうような事をいたしても、我が身が覚り、心改めぬ限り、争えば争うだけの因縁は深まりてゆくのであるぞ。

この日本の国も、よほど心いたして、政治の世界も改め、真を入れねばならず、経済も少し上向になりたとて、調子にのれば、これまで、以上に困らねばならぬ節目も来るから、常に引き締めて歩まねばならぬぞよ。

細かく申すようであるが、神が人類に任せた現の世も、神が構わねば行けぬ、ところまでなりて、おるのであるぞ。

このまま、世を持ち崩しては、世の元からの神々にも、祖先にも顔向けならぬ、事になるぞよ。

目先だけ、飾りた栄えでは、世は長続きいたさぬぞよ。

それぞれに、授けてある神授の御魂の特技特性を磨き、皆で活かしつつ、共存共生の世を開かねばならぬぞよ。

修聖には、小学五年生の頃、「ひろしま」と言う、原爆の映画をみて、焼けただれた、人々の右往左往する様を見て、恐怖心を起こし、こんな事になりたら、我も家族も世界の人類も如何になるか、真剣に重い、絶対に核兵器は、無くせねばと思い、それが神の道に入る、一つのきっかけにもなりたのであるぞ。

(注 映画「ひろしま」は、昭和二十八年公開、関川秀雄監督、原爆投下の映画、修聖、小学四年の三学期か、五年の一学期に見る。)

未だ世界各地で戦争は止まず、核兵器で威嚇し合い、国取り合戦や、宗教思想の争いを繰り返しておる有様であるぞ。

正月元旦、能登の地震もそうでありたが、地球の生命線、艮坤の神氣厳しく動き、各地に地震、天候異変が起こりておるが、神に任された責任を忘れ、我が世の春と有頂天になりておる人類の改心を迫る、神の警告であるぞよ。

早く、荒事は、現事(あらごと)、新事の始まりである事に気ずき、事ある度に地球を汚し、穢す事、人類相姦の悪事を改めてまいらねば、ならぬぞよ。

国々の頭(かしら)達も、我が身大事、国が大事と思うなら、核兵器、絶対使ってはならぬぞよ。

核兵器を如何にするか、人類発生以来の罪科を審(さば)く最後の審判の第一の課題であるぞよ。

その事を世界人類、真剣に考えねばならぬ、この時であるぞよ。

戦争に勝っても地球の人類が、滅びるような事となって、何とするのじゃ。

和の道じゃ。

話(わ)さねばならぬのじゃ。

腹の底から打ち開けて話すのじゃぞ。

良く考えよ、岩戸の開きとは、つつみ隠し無い言葉を発する事でもあるぞよ。

真の言葉(言霊)を発する事で、生命幸倍(いのちはきは)う道が開かれるのじゃ。

正しく生き、気の抜けておる、人類の生気を取り戻さねばならぬのじゃ。

枯れ木に花を咲かせる世

桃(百)の実りの世を開かねばならぬ

これからの世じゃ

さあ、闇の世を晴らす

日の出の神はすでに御現れであれど

それを覆う強い者勝ち

利己主義の黒雲を

祓わねばならぬのじゃ

天照国照日の出の神の宮が

天橋立籠宮じゃ

この年の四月の大祭には、久々に、日の出の神の大神輿も出でるぞよ。

皆々心の中の闇(病)晴らす、日の出の神を御迎えいたし、己が使命の全うに勇みて前へ進もうぞ。



言霊神也 ン。

令和甲辰六年四月二十七日

龍華斎修聖拝写。








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平成六年四月 小長谷修聖 三六九神示霊視篇(令和六年四月八日示)

2024-05-14 19:16:00 | 神示道
山上に残雪を頂き、美しい富士山と、その山下の桜の花も満開で、朱塗の社殿もあでやかな、木花咲耶姫命を祀る浅間神社が拝され、次に、伊豆半島の雲見にある、烏帽子山山頂の磐長姫命を祀る、雲見浅間神社が拝されました。

(注 木花咲耶姫命と、その姉の磐長姫命は、二人共、天孫瓊々杵の尊様の妃に上がらされたが、磐長姫命は、容姿がみにくいので返された。

木花咲耶姫命は、木や草だけで無く、万物万民、美しい花を咲かせ、栄えさす、神徳であり、その御栄えを磐の如く、末永く続く事を願っておられるのが、磐長姫命の神徳である。

木花咲耶姫命、磐長姫命一体となられて、花咲き実る末永き栄えの道が開けるとの神意であろう。)

次に、未だ、つぼみの広い、桃の林の中に、西王母に扮された、出口王仁三郎聖師が立って桃の木を見ておられました。

(注 西王母は中国の最も神聖な霊山、崑崙山に住まう仙女の長であり、東王父を厳の御魂とすれば、瑞の御魂であり、出口聖師と御魂通じる。

西王母は桃園の管理し、三千年に一度実る不老長寿の桃の実を持って下生され、その時は、地上天国成就の時と言う。

出口聖師は、瑞霊であり、地上楽土を開く先駆けをされたのであり、桃の実りは百(桃)の実りで、総ての事象の完成を意味する。

出口聖師は、大正十三年、五ヶ月にわたり、モンゴルで布教活動(東亜の天地を精神的に統一し、次に世界を統一する為。東亜とは、東アジアの事)をされる。

大本の、ある御神体(不明)を崑崙山に埋めてくるよう、笹目仙人(秀和)に預けられた。昭和十年、大本教弾圧の前か。)
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令和六年三月 三六九神示

2024-04-17 19:52:00 | 神示道
田ニ八(丹波 米+⬜︎)なる、男島女島の中程の、天と海との堺に、浮かぶ中津神の岩の上に、塩土翁が立ち、世界の行く末の事説いてて、ゆくぞよ。

(注 塩土神=海之御中主大綿津見神の変化。亦名を、全ての情勢を知れる故、知識大都知神(しりおおづち)とも称す。

鬼雷が述べる。かの神は、又の御名を住吉老人、又、南極老人とも、称されておられます。要所を悟る神でございます。)

今の世は、八頭八尾の八岐大蛇が荒れ狂いておるぞよ。

八つも頭(かしら)があると言う事は、地球の上には、この世界を自在にせんとする、国々の頭が、いがみ合い戦争をいたし、多くの人民が犠牲になっておるのが、当に、八頭八尾の八岐大蛇が荒れ狂いておるぞよ。

八つ頭があると言う事は、地球の上には、この世界を自在にせんとする国々の頭が、いがみ会い、戦争をいたし、多くの人民が犠牲になっておるのが、当に、八頭八尾の八岐大蛇が荒ぶる様であるぞ。

そこに、素戔嗚尊、八岐大蛇の退治なし、大蛇の尻尾より、一本の剣が出て、是を、叢雲の剣、後に草薙の剣と申し、国の祭政の要として、熱田神宮に祀りてあるぞよ。

大本の筆先に、七王八王あっては、世は治らぬ故、末は、一王で治めると申してあるが、国々の頭が.国取り合戦で争う時代が済みて、世界は一皇(すめらみこと)を中心に共存共生、世界一家(八紘一宇)の世となるのであるぞ。

もうそろそろ、国々の頭も、戦争の虚しさに氣ずき、諸刃の剣に示す、正しき、祭政、霊主体従(ひのもと)の道に帰らねばならぬぞよ。

日本は世界の型を示す国。

八岐大蛇退治も、日本に見せてあるが、世界の事であるぞよ。

我が我がで、頭達が争う体主霊従(からたま)の今のやり方を続けておれば、世界も行き詰まり、地球も滅びてしまうぞよ。

この年の元旦、能登の地震を世替わりの烽火(のろし)と上げて、警告いたしたが、金権主義の金毛九尾の悪狐に自在にされておる世界の人類は、今のままでは、滅びの道を歩まねばならるぞよ。

現の世の宗教は.一神教、多数教ありて、我宗教が、一番と宗教戦争も起こしておるが、真は、一神にして、多神、多神にして、一神が神理であり、これから、世界を治めるにつけても、総ての宗教を潰して、一色にするのでは無く、万(よろず)の宗教も、他を害する悪しきところは、改め、善き所は残し、それぞれの特性を活かしつつ、和して、宇宙は一つの如く、総ての宗教も、源元(もと)は一つのである事を覚り、主神教祖の世界の一つの宗教の道を開きてゆくのであり、宇宙大元主神の元へ、万教を結び、もどすのが、白山菊理比咩神である事を忘れてはならぬぞよ。

主神教祖の道を開き、万教も世界平和の為に、共存共生の道を開くのじゃ。

亦、世界の国々も大国小国あれど、それを認め会い、各国々も国魂の神より出る、特技特性を守り残しつつ、国取り合戦をやめて、世界一家の道を開く為、各国の頭も努力せれば、ならぬぞよ。

その末に世界のスメラミコト(皇)を御迎えして、七王八王あって、治らぬ世を一つの皇(おう)を中心と立て、万国万民共存共生の世を開くのじゃ。

経済も世界の御宝を我が一人じめし、自分等だけの栄耀栄華の為に使い、地球の恵みを貪りて、汚れ穢れのみを残す金毛のやり方は、止めにするぞよ。

この地球の資源、即ち神々の恵みを世界人類皆の為に活かしまつるのじゃ。

金よりも、人々の幸せを産み出す、龍宮の経済と変えるのじゃ。

龍宮が、御宝を集め、金勝要神が活用致すのじゃ。

金そのものに善悪は、無いが使い方により、善とも悪ともなる事を心得て、人々の倖せの為に活かして使わねばならぬぞよ。

さあ、天照国照日の出の神の御現れの世となり、夜の暗闇の帷が、上がると、これまでの人類が、思凝霊(しこりがみ)にあやつられ、強い者勝ち、利己主義(われよし)のやり方で、積み重ねて来た、様々の悪事が明るみに出て、ありやかに見えて来るから、これまで世を構いて来た、お偉方も弁解ばかり、いたさねばならぬ、恥ずかしい、今の世であるぞよ。

(注 これまでは、世の元からの神々、押し込める夜の世であり、闇に隠れて悪事も出来たが、日の出の神出現の世となり、悪事のツツミ隠しは出来ぬようになった。大本系の宗教は、夜から昼の世の転換にはたらいた。)

元旦に能登の地震で明け染めた令和六年の甲辰の年、真に大事な世替わりの節目の年と、なりたから、起こり来る事、おだやかにには、ならぬ事ばかりであるぞよ。

是まで、神界は、明治二十五年から、大本教に新しき世の様々、その型を出して見せ、又、様々の神示で大方の事は申して来たが、実地の現れる世は、これからであるから、世に出ておる神々も人民も、心して歩まねばならぬ、これからの時代であるぞよ。

お宝を一人じめにせんとして来た、者等も世間に顔向け出来ぬ事となるぞよ。

この日本も世界の国々も、政治経済、根底から、立直さねばならぬ時となりたのであるぞよ。

強い者勝ち、利己主義(われよし)のやり方で通れるのは、今しばらくであるぞよ。

恥ずかしい目にあう前に、改心が一等と先々、申してあるぞよ。

世界平和、万民至福の道の開きと申せども、それが為には、まず、隣人を愛し、隣人の喜ぶ事をする事であるぞよ。

小を積みて、大となるのじゃ。

千里の道も一歩からじゃ。


扨も世界人類共存共生の道を開くのじゃぞ。

そして、地球を大事にいたすのじゃぞ。


梅は先駆け桜散れど、西王母が桃花、実りの時を松の風、木花は総てに花咲き、実をつけさせる美しさ、磐長姫のはたらきに、巌の如く永遠に、栄を願う神心、盥(たらい)の水は、引けば去る、押せば返る理を知れよ、求めるばかりの思い捨て、慈しむ恵む心を忘るなよ、助けられたり助けたり、括り結びの道開き、ンの力で五六七(三六九)の世を開こうぞ。

言霊神也 ン。

令和六年三月三十日 修聖拝写。

(注 ン=四十八文字の締め括りのン=金勝要神の働き、雲仙はンにあたる。

磐長姫命と木花咲耶姫命は、姉妹。)

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平成二十八年 七月三十一日、白百合の華。

2024-04-15 20:10:00 | 神示道
善も悪も、使いて、現の世の四九三を進めてある、大芝居であるぞよ。

悪事を為す者もありて、舞台も変わり、次の四九三が起こるのじゃぞ。

この度の東京都知事、〇〇殿当選、それで良いのじゃ。

〇〇は、六甲の神に縁りの御魂であるぞよ。

白山菊理比咩の神、白百合の花を持ちて、出現と申してあるぞよ。

清浄明白でありたいぞ。

菊理比咩の本神霊の出現は未だ先であれど、今は龍宮系の女性の御魂が、段々と仕切るようになるぞ。

母の愛で無いと、荒びた世は治らぬ。

良い子は育たぬぞ。

香ぐわしき、白百合の花、咲く世を願うぞよ。

(注 西宮の甲山は、廣田神社の神体山であり、真名井御前の開いた神呪寺がある。

又、弁財天(瀬織津比売)や、役行者の伝承もあり、甲山と六甲山は、相通じる神氣で結ばれている。)

(注 鬼雷が述べる。それから、開いて修める、八年後、白百合の花は、如何にようなるのであろうか。

六甲山の主神は、瀬織津比売神。その眷属は、麁乱荒神。この眷属神(自然神)は、六甲山の霊気から生まれた、自然の霊神にして、人の正直を好むなり。自然に無き、あくた、悪意を嫌う癖あり。虚言をもって、自然を乱す(気を乱す)ものには、天罰を与えるなり。

人が、自らの行いで不幸になるのは、因果応報なり。人が自ら、悪意を振り撒くは、天が自ずから、咎めるのである。)
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令和六年三月 小長谷修聖 三六九神示霊視篇(三月八日示し)

2024-04-15 18:10:00 | 神示道
始め、和歌山県の熊野灘の波が寄せる、七里浜や、熊野川の河口が見え、新宮速玉大社の神谷体山中に坐す、神倉神社のコトブキ岩が拝され、次に那智の滝、そして、熊野本宮の故地、大斎原と熊野三山の聖地が次々に拝されました。

そして、大斎原には、朱塗りの大きな舞台が設けられ、その上で素戔嗚尊が八岐大蛇退治の大神楽が舞われており、その様を出口聖師が眺めておられました。

(注 熊野と地名は、丹後、出雲、紀伊と各地にあるが、熊野とは、隈野であり、遠く奥まった聖き地で、神や祖霊を祀る隠り国の音が変化したものであろう。

神倉神社には、彦火明命の御子、高倉下命(天香語山命)が祀られ、熊野を開いた、神とされている。大斎原は、熊野本宮の故地であり、本宮主祭神は、家都御子神(素戔嗚尊)である。

八岐大蛇は、大本教のお筆先に、「現の世は、七王八王あっては治らぬ、末は一つの王で治める。」ような意で示されている。

いまの世は、八岐の大蛇のごとくら世界を自在にせんとする、国々の頭が何人も相争っている。

それを、言向け和し、末は、世界を一王で、治める世となる事が、示され、それを為す救世神が素戔嗚尊であり、その霊統にあるが、出口聖師であり、日本の使命である。)

最後、白山の加賀(三馬場)、越前、美濃の三社が拝されました。

(注 白山の菊理姫により、八岐の大蛇の荒ぶる如き今の世を、頭を括り、結び、世界一家と治る日が来るのであろう。

されど、それは、未だ未だ先の事であり、この地球が世界一家と治るまでには、人類の試練浄化が未だ未だ続くであろう。)


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