玄徳道

道を語るブログです。

妙見道

2021-03-27 18:53:00 | 神業道



妙見菩薩とは、善悪や真理をよく見通す存在とされる。しかし、この妙見菩薩の真髄は、神呪(神咒)にある。


「吾れ、北辰菩薩にして称し、妙見と顕現す。神(秘)
 呪を説いて諸所の界を守護せんとす。」

吾が師。至聖先天老祖も北極神界の主宰神などと、述べる霊覚者もおられ、妙見菩薩と混同される向きもあるが、五十歩百歩であると考えます。

確かに吾が師は、数多の経や神咒を降ろされておりますが。

扨て。

私は、この関西の小松神社なる、星田妙見宮には御縁があるようで、何に数回、参拝します。何故ならば、此処も磐座信仰の聖地でもあるからです。








伝承に寄れば、弘法大師空海により、開かれた、妙見山とされており、星田妙見宮経典にも、空海が高野山を開かれた後に再び、この妙見山に登り、隕石の跡と、霊石を発見し、北辰妙見菩薩の霊岳(学)、神仙の秘宝、諸天善神回向の名山とし、権請したとされております。


空海とはこの世に不出現の天才である。

当時、伝教大師最澄が、大和朝廷の権限を持って、唐に渡り、その大金と権威を持って天台山に登り受法された。そして、空海より先に、日本へ初めて密教(雑密)を発表した。

しかし、空海は、ほぼ独自の財産にて、唐に渡り、独力により、滞在した。当然に留学僧として、遣唐使の船に乗せてはもらっていたが。

空海はたちまちその才により、唐の長安で有名となった。

密教の発祥はインドである。
二つの密教が古代インドに於いて発展した。
金剛経系と大日経系である。
同じ密教であるが、バラバラであった。

これが、中華で一つとなった。

両儀の秘儀を受けた、空海の師となる、恵果の存在である。

恵果は、インド僧不空三蔵の金剛頂経系の密を伝承し、更にインド僧善無畏の弟子、新羅人玄超の大日経系の密すらも、伝承された存在であった。

青龍寺、恵果から空海は求められた。。。

唯一の両伝の相伝者となった、青龍寺の恵果は、恵果の中華の弟子に誰一人として、継承させなかった、両部密教の真髄を空海、ただ、一人に伝承させたのである。

当時。伝承はタダではない。莫大な金銭がかかる。特に密教には法具が存在し、それらを受け入れねばならない。最澄はそれを国家予算で賄った。
空海は、一留学僧。その彼は、魔法のように、金銭を集め、独自の経済でそれを賄ったのである。

帰国後の空海は多忙であったであろう。膨大な量の経典の集積及び翻訳及び。統合。宝具の調整。製造。弟子の育成。国家密教としての階段。寺社建立による、寄付等や財政。寺社仏の建設と設計。宗教間による、政争。天皇に対する庇護と教政。


伝教最澄も自分が仕入れた密教が本物ではないと気づき、空海に教えを乞うが、空海の密教は体得にあり、最澄の経典寄りによる(筆授)思考と対立し、断絶する。

兎も角、天才、空海とは多忙の代名詞であったであろう。多くの昔話しや、伝承が弘法大師として、残されているが、多くは高野聖によるものと、私は考えます。






此処で経を誦し、咒を揚げ、磐笛をひたすら、吹く。

関西では、割と有名ですが、他の参拝者とごった返すこたがありません。

此処も、一つの、龍仙峡であるようです。






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令和三年三月八日示。小長谷修聖霊視篇

2021-03-19 18:46:00 | 神示道
愛知県、三河の一宮砥鹿神社の神体山(本宮山)が拝され、山頂に大きな鉾を持たれた、国常立尊が立たれ、国見をされていました。(注 私が始めて、三河へ入ったのは、昭和四十七年十二月四日の事であり、その折、始めに気になったのは、三河富士と称される村積山であった。天火明命や木花咲耶媛命の氣を感じる山であり、村積神社が祭られている。本宮山は三河一宮砥鹿神社の神体山であり、奥社と荒八八きの神[アラハバキ]を祀る磐座も祀られている。大本の筆先に美濃尾張の仕組みと言う事が記されてあり、戦国の世から太平の江戸時代への替わり目、美濃から、斉藤道三、明智光秀が現れ、尾張から織田信長、豊臣秀吉が現れるが最後、天下統一を計るのは、三河の徳川家康[松平]であった。三河の猿蟹合戦を国の姿に見せる国であり、是はアメリカ[猿]と蟹[日本]の争いの御伽噺であるが、国常立大神が世界を治める上で、大事な仕組みを、秘めた三河国である事を示されたのであろう。近江の方々によって三月七日本宮山参拝が行われる。)


次に尾形光琳の紅白梅屏風が見え、これが消えると、紅白の梅が咲きほこる中に美しい川が曲がりくねって流れる曲水の宴の出来るような広い庭園が、見え、不思議に、各所に、孔子、釈迦、キリスト、マホメットや日本の宗教の教祖と思える方が川の流れを見ておられ、最後の方に出口聖師の姿も見えました。(注 川の流れは三千年の時代の流れであり、各時代に現れた教祖開祖が時代の流れを見ておられ、命々、三千世界に梅の花咲く。艮金神の世になった事を見せられたのであろう。)

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令和三年三月 三六九神示。

2021-03-17 19:33:00 | 神示道
令和の世は霊和の世と申してあるぞよ。

三千年の体主霊従の世が霊主体従の世へ替わる大節となったのであるぞよ。

世の元の艮の金神国常立大神、丹後の女島(沓島)に隠棲して三千年。

明治二十五年、丹波の出口直殿の手を借りて、お筆先を現すまで悪神邪神の如く言われ、言うに言われぬ苦労いたしたが龍宮の乙姫の助けを得て、陰から現の世を守りて、炒り豆に花の咲くまで待ったのであるぞよ。

三千年の間、現の世は思凝霊により、体主霊従の世となり、神は下敷きに、何よりも物金が先に立ち、悪事も金の力で隠せたり、金の切れ目が縁の切れ目と言うような世となり果てたが、物の栄えが中心でありたから、科学は発達し、人民は穴倉暮らしから、金殿玉楼に住まう様な、結構な暮らしの出来る世となりたが、このまま、栄耀栄華の暮らしを続けてゆけば、人の世は滅びてしまうぞよと、くどいほど申して来たのであるぞ…。

この三千年は強い者勝ちの世。

物金を持つ、一部の者等に世界人類振り回され、嘘偽りの事を無理やり信じさせ、従われて来たのであるぞよ。

三千世界一度に開く梅(埋め)の花。

いり豆に花咲く世となり、再び、艮の金神が三千世界を構う世となり、日の出の神、龍宮の乙姫もつれそうて、御出坐しの世となりたのであるぞ。

これまでには、思凝霊が陰にかくれて、利己主義の、人民を使い、悪事を重ねてまいりたが、艮の金神、言の世の閻魔と、現れて睨みをきかし、見抜き見とうしの、水晶の世を開くのであるから、善も悪もありやかに、人民にみせる世と段々と変わりてまいるぞよ。


扨ても。

令和の世は三千年の体主霊従(からたま)の世から霊主体従(ひのもと)の世へと替わる、大節と、めぐりたのであり、その時は、西暦2020年
禊の数、ニニ(ふじ)の年。

令和二年子の年でありたぞよ。

令和二年から新形コロナウイルスの感染が世界に蔓延し始めたのも、その証でありたぞよ。

トントン拍子で来た世界も一休みとなりたであろうがな。

科学万能と思い上がりておりた人類も、目に見えぬコロナウイルスの為、振り回されたのであるぞ。

人類の思い上がりに氣づきた者は上々であれど、コロナ禍で錯乱する世の中を利用して金儲けいたすような者も現れるから、すぐ様世が治る事は無く、一たん世の中、掻き混ぜられ、泥海の如くにもなるぞよ。

その中に段々神理の判る、御魂の者が輝きて、世を立て直すのであるぞ。

嘘偽りの言葉で塗り固め、人類な目をふさぎ、悪事を重ね、何でも金で自在になるような世の中にした者等も、そろそろと、悪事が露見いたしておるが、未だ未だ、上面の事で、世の裏の真相が判りたら、皆、腰をぬかし、あいた口がふさがらぬぞよ。

世の改めもまだまだ。序の口であるぞよ。

これまでは、正直が馬鹿見る世でありたが、これからは、神が表に現れて正直の頭に神宿る世といたすのであるから、神が申してすぐ世は替わらぬが、今しばし、真実の事が判らずとも辛抱いたして、素直な、水晶の御魂と磨いて新しき世へ渡る用意いたしてくだされよ。

これからが、立て直しの正念場であるから、世界は、荒れ、あんな者がこんな者、こんな者があんな者、思いがけぬ、役者の入れ替えが、日本にもアメリカにも、世界中に起こりておろうがな。

梅の花咲く令和の世は、今日まで埋もれたいた、神々、

次々にお出ましになり、神が出れば、因縁の御魂の人民も浮かび上がりくるから、旧き世のやり方を良しとする者と、新しき世を望む者との争いが世界に広がりてまいるぞよ。

一部の者が金の力で世界を自在にせんとするから、争いも起こり貧富の差も起こるのであり、皆が恵みあい助け合う心と少しでも起こせば、地上天国の道も開けるのであるが。

人間の我欲の岩戸は中々の開かず。

皆の改心の出来ぬのが難しいところであるが、それが成らねば、コロナが終息しても又、元の如く世界は善くならんぞよ。

日本がしっかりせねばならぬのに、今は腑抜けじゃ。

和の道、大和の道、日本魂、奮い起こさねばならぬぞよ。

さあ、それぞれの歩み来た道、嬉しい事ばかりでは無い辛い事、悲しい事もあり、それを越えて今日があるのじゃ。

神に生命頂き、皆と助けおうて来たのじゃな、喜びも悲しみも、皆、宝物じゃな。

これからも、清く明るく、日の出の心で歩むのじゃ。

人の身は、先祖親から受けど、それは器であり、衣であるのじゃ。

その器に親神から御魂を頂いて、霊止(人)となるのじゃ。

肉体は御魂の生宮じゃ。

時来れば土となり。水に帰るが御魂は消えず、霊界でも働くのじゃ。

現の世で御魂の使命果たし親神の元へ帰るのが、まことの霊止(人)の道であるが、我欲にとらわれて生きておるとそれが成らぬ。

霊界は一八一段階ありて、現の世の想念相応の世界へ行くのであるから。現の世で神を信じ、心の内に地上天国開いておかねばならぬのじゃ。

扨も、大きな時代の替わり目となった事を氣づかねばならぬぞ。

体主霊従の道を選ぶか、神々と共にある霊主体従の神理の道を選ぶか。

それぞれ自由に任せるぞ。

良くよく、御魂、鎮めて思いなされよ。

神は強制はいたさぬぞ。

自由が神の審判であるぞ。


言霊神也

ン。


令和三年三月九日


龍華斎修聖拝写。





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御本尊道。

2021-03-10 18:27:01 | 宗教
日蓮による、教え。戦後、その教えは、発達し、日本に、有力な宗教を催された。

仏の教えの御本尊。

南無妙法蓮華経の真髄である。

南無とは、仏の詞で尊敬や崇敬を意味するらしい。

言霊学で述べれば、なんも、なり。

なんも。とは、かつて、北海道に住まうアイヌの言語で、感謝を意味する。

ふふふ。インドで生まれた、言語が仏のマントラであり、弘法太師空海が、そのマントラを日本流に受け入れた。

空海とは、出口王仁三郎聖師と同様に、神スサノオの御魂のもちぬし。

スサノオは、古事記に因れば、アマテラスと仲違いしたように溶かれておられるが、それは、人族による、思想変化による誤りである。神スサノオは、地球ソノモノ。常に太陽と伴にある存在なり。

話がそれてごめんなさい。

南無妙法蓮華経。

日蓮の生きた時代。

貴族による神道や、その他の仏教も、領地や僧兵を持ち、民の為の教えを発揮せず、多くの民を損なっていた。民を害していた。

ゆえに、日蓮は、人を救える道、救済への道を学び、法華経こそが、この国、日の元御国を救うと信じ、広宣流布を実践された。

日蓮が当体とした、御本尊とは、如何に。

国祖国常立尊、地球神である。


天人合一。


今の多くの人。御本尊とは、幸せを呼ぶ、宝だと思考される方が多い。

お金が多く入れば、幸せ。人付き合いが巧くいけば幸せ。信仰し、病気が治れば幸せ。同じ考え方、同じ、神や仏を信ずる者が集まれれば幸せ。

まあ、人の幸せは、人の欲望だけ、存在する。


此処で述べる。日蓮は、自己の幸せの為に、御本尊を感得、感化、感合しては、いない。

日本国、救済と良心の為に、法華経の真髄、観音力を得たのである。

日蓮の御本尊とは、日蓮の誠。誠心に、地球自体が感合された。

故に、日蓮の発する、「南無妙法蓮華経」は、人智を超えた奇跡を現したのである。


多くの宗教信者は、知らないかも知れないが、御本尊とは、外から来た存在では無い。学んで、拝む存在でもない。

自己の道に因り、感得する、吾が生きて来た道の集大成であり、吾が内在する、神であり、我自身の本当の姿、魂の存在なのである。

それが、御柱となり、仏では、大灯明、大法灯となる。

これを日蓮は、御本尊と呼ぶ。

是を知れ。












































































































































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