「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「俺とお前七坂越えて」

2021年07月06日 22時03分30秒 | オリジナル作詩
 意気込んでみても良い結果がでるものではない。
それはこれまでの幾多の経験からわかる事

 青少年期は夢多き年頃、恋に憧れる年頃でもあり、あらゆる詩集をむさぼり読んだ。
加えて、俳句、短歌の類までも・・・。
だが、いま詩を綴ろうと思ってぺンを取ると、出てくる言葉はありふれた言葉ばかり。
何一つ血となり肉となっていなかった。つまり「吟」じていなかったのだ。
「あの頃に戻りたい」というタイトルでブログに綴ったことがあるが、その「あの頃」
に戻り経験したかった「初恋」。
 恥ずかしながらその体験がない。思春期、青春期、最も恋をしたい年頃なのに精神未熟児な自分。
そこで「初恋」の詩を綴ろうと、藤村風に、いやゲーテ風に・・・。
だけど浮かぶ言葉は「麗しき君よ」「君の面影白百合のごとく」「肩を寄せ合い星空見上げ」
「この胸のときめきは」等々、ちっとも面白くないそこいらに転がっているダサい言葉ばかり。
 これではつまらない・・・せっかく書き始めたのだが止めてしまった。
昭和歌謡のような七・五調で並べれば「歌」ができると思ったが、はや挫折。
 恋歌はもう少し先にすることにしよう。
 ということしで、妻との会話でいつも出てくるのが新婚時代の秋田暮らし。
「歌」には書かないが波乱万丈の5年間の生活だった。苦労七坂「えんやこーら」で、ここの暮らし、仕事に耐え抜いた事が内らを強くしたのよね、と妻が時々口にするし、子や孫たちにも語っている。

そんな思いで深い秋田の暮らし。そして我が人生の出発点でもあった。
先ずは初心者、気取らず「いろはにほへと」からははじめよう。

「俺とお前七坂越えて」

凍てつく吹雪に身を縮め
私の帰りをじっと待つ
新婚時代の雪国暮らし

この地に来たのは秋の頃
砂丘に建つ我が家の前に
秋桜の花の群生と月見草

丘陵を上がると牛舎とサイロ
乳牛農家がポツリと一軒
その向こうは日本海

都会育ちのお前には異国
ようやく住み慣れた翌年に
まちに待ってた子が生まれ

小野小町かわが娘
秋田の里の我が家に春が
それから3年家族が増えて

これから続く長き旅
喜び悲しみ幾年月も経て
苦労七坂喜び八坂

俺が居たから七坂越えて
お前がいたから喜び八坂
共に離れず寄り添って

まだまだ歩もう気は若い
白髪のお前と薄毛の俺と
八難九喜これからも
越えて行こうよ黄泉までも




                     京都府 美山町
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「赤いポストの散歩みち」 作詩は難しい

2021年07月06日 00時24分23秒 | オリジナル作詩
 「よーし、いっちょやってみるか」
意気込んでみたものの詩作りは難しい
エッセイやコラムのようには思い浮かばない
「うーーーむ」考え込んでも浮かばない
「気取って作ろうと思うからダメなんだよ」って自分に言い聞かせ小雨降るベランダから景色を眺めていると、ふっと閃いた。
「そうだ、ウォーキングの事を書いてみよう」
そう思うと、いつも歩く景色がスライドのように浮かんでくる。
ありのままを映像化すればいいのだ。
でも、ちょっとだけ空想を・・・

「赤いポストの散歩みち」
赤いポストの蕎麦屋の角を
右に曲がれば紫陽花小径
緩やかに下れば落合橋へ

水面を見つめて煙草つけて
ツバメが二匹弧を描く
紫煙を残して長い上り道
老いには辛いウォーキング

若い夫婦に追い越され
敗けじとなんだ坂こんな坂
坂の上にはぽっかり雲が
子熊になって消えてった

上りきって左に折れれば
楓と桜の公園見えてくる
藤棚のベンチに腰おろし
ポケットのお茶を一口三口

広場に子たちがバスケット
木陰で親子がピクニック
汗も引いたし疲れも引いた
帰り道は駅行きバス通り

マクドに四川ラーメン店
右手にコンビニと幼稚園
喧噪のなかを20分
赤いポストが見えてきた


・・・一気に3編もできたが、恥ずかしいしこれだけにしよう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする