水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

生活短編集 86 再利用

2014年10月31日 00時00分00秒 | #小説

 篠川は次の日曜、家の小屋の壁面をペンキ塗装し直そうと考えていた。常々、考えていたのだが、雑用と所用に追われ、延(の)ばし延ばしになっていたのだ。それが、ようやく実行できる運びになったのである。完全な日曜大工の部類だが、気がかりなことをそのまま放っておくのは篠川の性分に合わなかったから、彼はウキウキ気分でテンションを高めていた。
 この手の補修は過去にも経験済みだったから、自信はあった。失敗もあったが、その都度、工夫したりする経験値は高まった。
 朝から始めた作業は順調に捗(はかど)り、昼前には大方は塗装を終えた。さて、昼に…と、刷毛(はけ)を洗おうとしたときだった。裏庭の垣根の杭(くい)が篠川の目に映(うつ)った。それらの杭は先端が雨に打たれ、少し朽(く)ち始めていた。木製の戸にはクレオソート油を適当な時期に塗っていたから、杭にもついでに塗ってはおいたのだ。ただ、杭の場合、切断面が真上になるから、雨滴が直撃して腐食し易(やす)いのだ。はて? と篠川は思い巡った。すると丁度、上手(うま)い具合に、空(から)になった塗装の空(あ)き缶が多数あった。何かに使えるだろう…と踏んで、捨てずに残しておいたものだ。よし! これを杭の先端に被せて、ついでに塗装しよう…と決断し、ただちに実行した。ペンチで空き缶の持ち手になっている針金(ハリガネ)を外(はず)し、すべての杭に被(かぶ)せた。続いて、被せた空き缶を塗装した。腹は減ってきていたが、ハングリー精神で我慢し、乾いた上を二度塗りした。空き缶は再利用され、第二の務めを果たすこととなった。人間も、かく有りたいものだ…と、篠川は、つくづく思った。
『どうも…』
 篠川がドアを閉め、家の中へ戻(もど)った途端、空き缶達は小声で、そう言った。そのことを篠川は知らない。

                                   完


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生活短編集 85 フライパン

2014年10月30日 00時00分00秒 | #小説

 寿(ことぶき)は台所で収納したフライパンを出そうとした。そのとき、異変は起きた。
 寿の家には、ある程度新しい鉄製フライパンと古いステンレス製のフライパンがあった。新しい方はIHクッキングヒーターを電化店で買ったとき、粗品として貰(もら)ったものだ。そして古い方は、かなり昔のステンレス製のフライパンで、こちらは寿の幼い頃からある年季ものである。だが残念ながら、取っ手の硬化プラスチック部分が割れ、接続ネジが取れていた。寿がなんとか接着剤で接着し、もたせておいた物だ。それが、たび重(かさ)なる戸棚(とだな)からの出し入れのため、少しずつ接続部が緩(ゆる)んだのだろう。今日、スポッ! と抜ける異変が起きたのだった。寿は、こりゃ、もう駄目だ…と一端は捨てようと思った。だが次の瞬間、いや、待てよ…と思い返した。小学生の頃の遠い懐かしい記憶が一瞬、寿の脳裡(のうり)に甦(よみがえ)ったのである。それは、家庭科の実習でフライパンを学校へ持って行ったときの微(かす)かな記憶だった。寿は、これは捨てられんぞ…と考えを変えた。ともかく、もう一つの鉄製フライパンを出し、急ぎの調理を終え、その場は終息を見た。
『ふぅ~、危ないとこだった…』
『ヒヤヒヤしましたよ。もう少しでしたね、先輩』
『ああ…』
『でも、よかったです』
『いや、この身、明日はどうなるか分からん。あとは頼んだぞ!』
『ぅぅぅ…先輩!』
 2ヶのフライパンは接触点でチチチ…と微妙に震え合いながら咽(むせ)んだ。そんな寸劇が戸棚の中で交(か)わされていようとは露(つゆ)ほども思っていない寿は、呑気(のんき)にサッカーのW杯を観ていた。
「ハットトリックか…これはすごいぞ!」
 そう独りごちたとき、寿はふと、何かやり残しがあったな…と、思った。だが、どうしてもその内容を思い出せず、試合を観続けた。
 時は流れ、寿が夕飯の準備をしよう…と戸棚を開けた。そのとき、寿はし忘れたことを思い出した。今度は忘れまい…と夕飯準備が終わると同時に、寿は修理を開始した。
『さらばじゃ! あとは…』
『先輩!!』
 こんなフライパン同士の会話が寿に聞こえる訳がなかった。寿は、まずボンド等で、緩んだ部分を固定化し接着しようとした。だが、その第一段階が終わるとともに、すぐフライパンの取っ手はグラついた。これは駄目だ…と、寿は第二段階として針金で固定しようとした。しかし、この策もグラつきは止められず徒労(とろう)に帰(き)した。寿は、サッカー選手のように両腕を組んでテレビポ-ズを作り、しばし巡った。そして、決断すると、木の切れ端を取っ手型にサンダー[自動研磨機]で成形し始めた。第三段階である。ある程度、削れたところで金槌(かなづち)でフライパンに差し込んで叩(たた)いた。あとは接続ネジを2ヶネジ込んで固定するだけだった。だがネジ釘(くぎ)が長すぎた。寿はサンダーで削って短くした。そして、インパクト・ドライバー[自動回転式・衝撃ドライパー]で締め付けた。ついに上手(うま)く固定し終えた。あとは、持ち易(やす)いように軽く角(かど)を成形して丸くし、作業を終えようとした。だが、取っ手の部分が黒だったものが木肌がモロに出ているのが気に入らなかった。寿は黒マジックで付けた新しい取っ手を塗った。そして、まあ、これでいいだろう…と戸棚へ修理を終えたフライパンを戻(もど)した。
『ぁぁ…よかった! お帰りなさい、先輩!!』
『なんとか、帰れたよ…』
『手術は成功したんですね?』
『ああ、そのようだ…』
 フライパン同士は歓喜(かんき)のあまり、微(かす)かにチチチ…と、うち震え、再会を祝した。寿にはそんな会話が聞こえるべくもなく、彼はW杯を冷えたピールを口へと運びながら、観始めた。辺(あた)りには夕闇が迫ろうとしていた。

                                 完

 ※ 本作には後日談がございます。漏れ聞くところによりますと、後日、取っ手の黒マジックの上に、二スが数度、塗られたそうにございます。^^


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生活短編集 84 間違[まちが]い

2014年10月29日 00時00分00秒 | #小説

 腕を見て田所は、しまった! と思った。車のハンドルを握(にぎ)っていれば、まだ迂回路(うかいろ)を走り、なんとかなったのだ。だが時すでに遅し・・で、鉄道を選択した以上、どうにもならなかった。この時間、その場に着いていないのだから完全な失態で、取り返しようのない間違(まちが)いに思えた。梅雨末期の豪雨災害が災(わざわ)いし、土砂崩れで線路が寸断された。その結果、新幹線に乗り継ぐ駅に出られないまま、田所は列車内に閉じ込められたのである。出がけに携帯を車へ置き忘れていた。そんなことで、取引先との連絡が取れなかった。昼までに取引先の会社へ着かねばならなかった。契約が整った直後で、契約書の受け渡しがあったのである。
「どうなんですかっ?!!」
 田所は客室乗務員に詰め寄っていた。
「どうって言われましてもね…」
 自分自身にも、先の見込みが分からなかったのか、客室乗務員は語尾を濁(にご)して暈(ぼか)した。
「困るんですよ! 昼までに着かないと…」
「ははは…昼は無理でしょ。この状況ですよ」
「あなた! 今、笑いましたよねっ!」
 田所は少しムカッとしたのか、客室乗務員に詰め寄った。
「いえ! 決して、そのような…。どうも、すみません」
 客室乗務員は、嫌な客に当たったな…という顔で謝(あやま)った。
「やっぱり笑ったんだ…。笑えるんですか!!? 今の状況で…」
 客室乗務員は制帽を取って田所にお辞儀した。
「… そこまで、してもらわなくても…」
 田所は怯(ひる)んだ。客室乗務員は、はてっ? と思った。床に切符が落ちていたのを見つけ、腰をかがめたのだ。田所は、自分に謝ってくれたんだと早とちりして間違えたのである。客室乗務員は切符を拾(ひろ)うと背を伸ばして田所に訊(たず)ねた。
「これ、お客さんのですか?」
「えっ?」
 田所は攻め手を失い、客室乗務員が差し出した切符を見た。そして、自分のポケットを弄(まさぐ)った。田所は入れたはずの切符がないのに気づいた。何かの拍子(ひょうし)で落としたか…そういや、さきほどポケットからハンカチを出したことを思い出した。その時、落としたんだ…と思えた。
「はあ…有難う」
「それじゃ」
 客室乗務員は笑顔で敬礼すると歩き去った。今日は間違える日だ…と、田所は、すっかりネガティブになった。そして半日後、田所はようやく、取引先の会社へ着いた。約束した昼は疾(と)うに回り、三時近くになっていた。
「すみません、遅くなりましたっ! …田所です!!」
「やあ、田所さん。どうされました? そんなに息を切らせて?」
「だって、今日は契約を…」
「はあ? 契約は明日ですよ?」
 田所は一日、契約日を間違えていた。

                                  完

 


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生活短編集 83 危ない危ない…

2014年10月28日 00時00分00秒 | #小説

 兼竹豪商に勤める課長補佐の石渡(いしわたり)慎吾は注意深い男である。いや、彼の場合はそんな生半可(なまはんか)な慎重さではなく、いわば一種の病的な臆病さだった。何をするにも三回は確認してからでないとその企画を起こせない慎重さで、課の部下達はそういう石渡を少し煙(けむ)たく思っていた。
「石渡君、これ明日までに頼むよ」
 課長の迷川(まよいかわ)に言われ、預かった企画立案に関する書類だったが、慎重さが災いして、まだ手も付いていなかった。その企画に対する膨大な資料は石渡の書斎の上にうず高く積まれてはいた。ただ、どれも企画書として提出すると失敗する危険を肌に感じ、石渡は企画とはしなかったのである。その企画原案は15以上にも上(のぼ)った。
「いや、これは危ない危ない…」
 そして、今朝、石渡は迷川に呼ばれ、課長席の前に立っていた。
「出来たかね? 石渡君…」
「いや、それが…。考えてはみたんですが、どれも今一、危険性を伴(ともな)うようでして…」
「えっ! 出来てないんだ…」
 迷川は、しまった! と思った。石渡が病的に慎重過ぎる男だということを、ついうっかりしていたのだ。迷川は軽率な判断をした自分を悔(く)いた。だが、時すでに遅し! である。そのとき、石渡の横のデスクに座る課長代理の果敢(かかん)がヒョイ! と立ち、スタスタと歩いて石渡の横へ躍(おど)り出た。
「課長! それ、昨日、聞こえてましたので、念のため考えておきました。これです!」
 果敢は手に持っている企画書を迷川のデスクの上へ置いた。迷川は、助かった! と思った。逆に石渡は危ない危ない…と思った。今まで、果敢の仕事ぶりを見てきた石渡としては、彼の積極的な行動はすべて危うく映っていたのである。事実、果敢の仕事結果は会社に膨大(ぼうだい)な利益を齎(もたらし)たこともあったが、反面、多大の損失を計上したこともあった。概(がい)して、大きなリスクが伴(ともな)う企画となっていた。それに比(ひ)し、石渡は慎重の上にも慎重を重んじたから、結果は必ず出た。ただ、慎重な分だけ時期が遅れ、その利益は軽微(けいび)で、よくても中程度の営業成績となった。
 果敢の企画書を手に取って見る迷川は、その構想の大きさに唖然(あぜん)とした。莫大(ばくだい)な出費を必要とする企画案だった。ただ、成功すれば、その倍の利益は見込めたのである。
「石渡君、どうかね、これ…」
 迷川は課長の風格をチラつかせ、少し偉ぶって石渡に企画書を渡した。石渡は、その企画書に軽く目を通し、すぐ思った。危ない危ない…と。
「…どうなんでしょうか」
 石渡の口から出た言葉は、Yes,でもNo,でもなかった。内心では警報の赤ランプが激しく点滅し、脳裡(のうり)で警報音がけたたましく鳴っていたが、彼は暈(ぼか)した言葉を口から吐(は)いた。
「そうか…。まあ、考えておくよ」
 迷川も果敢に対し、迷って返答を暈した。石渡は内心で危ない危ない…を繰(く)り返した。

                               完


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生活短編集 82 浄水器物損事件?

2014年10月27日 00時00分00秒 | #小説

 いつもは意識せず使っている浄水器から出る微妙な音に彦上(ひこがみ)は、ふと気づいた。蛇口を捻(ひね)ると、浄水器が接続されているから濾過(ろか)された水は当然、浄水器の先端から勢いよく吹き出る。彦上はもっぱら飲料水用として使用していたから、食器とかの洗浄とは区別して使っていた。言い忘れたが、彦上の洗面台の蛇口は2ヶ所あって、片方は洗浄用の普通の水、そしてもう一方が浄水器を接続した飲料用の蛇口となっていた。
 浄水器には濾過された水ホースと、もう一方の排水されるホースがある。彦上が微妙な音に気づき、浄水器を注視した。すると、排水ホースの先端からその音がしていることに気づいた。蛇口は締(し)めてあるのだから、水が出る訳がないのだ。それが、排水ホースの先端から時折りブクッ! と泡(あわ)と僅(わず)かな水が出ているのだった。彦上はおやっ? と思った。以前からこうだったんだろうか…と。もし、そうだとすれば、彦上が気づかなかっただけなのだから、取り分けて問題視することはないのである。ただそれが、他に問題があるなら話は別である。浄水器、蛇口、その他の原因を探(さぐ)らねばならないのだ。彦上は犯人を解き明かす辣腕(らつわん)刑事(デカ)になった気分で洗面台の捜査を開始した。浄水器物損事件? である。
 一時間後、ゴチャゴチャと一応、細かなところは調べたが、めぼしい手がかりは見つからなかった。要は、原因不明でお手上げ状態・・ということである。行き詰(づま)ったか…と彦上は思った。原因が判明しない以上、仕方がない。彦上は気づかなかった態(てい)で意識しないようにしようとした。ところが、である。今度は微細な冷蔵庫の音に気づいてしまった。彦上はふたたび、こんな音、以前したか? と冷蔵庫を眺(なが)めながら巡った。そういや、していたぞ…いや、していなかったーと迷いが生じた。事件? は意外な方向へと進展を見せ始めたのだった。
 彦上がしばらく冷蔵庫のドアを開け閉(し)めしていると、冷蔵室に隙間(すきま)が出来ていることを発見した。彦上は収納物を一端、出して入れ直した。すると、ピタリと音はしなくなった。結果、この一件は割合、早く落着したのである。さてそうなると、残るは未解決の浄水器だった。彦上はもう一度、浄水器を注視し、蛇口に接続した浄水器を外した。蛇口の先端からポタポタッ・・と、水が漏れていた。蛇口内のケレップのゴム製パッキン部分が摩耗(まもう)している…と考えられた。彦上はプライヤー、ウオーターポンプレンチと呼ばれる修理工具を出すと一端、水道の元栓(もとせん)を止め、ケレップを付け替えた。すると、何もなかったかのように浄水器のホースは、先から水を出すことをやめていた。当然といえば当然で、犯人は擦(す)り減ったケレップのゴム製パッキン部分と判明した。なんだ…初めから気づいて付け替えていりゃ事件にはなってなかったのか…と彦上は、あんぐりした。

                                      完


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生活短編集 81 やる気

2014年10月26日 00時00分00秒 | #小説

 年金を減らされ、心が萎(な)えたところへ、健康保険料の増額である。春には消費税が上がり、本岡はトリプルパンチの支出増にすっかりやる気を削(そ)がれていた。
「所得税でとればいいのにな…」
 本岡はポツリと呟(つぶや)いた。彼の心には、かねてより一つの思いがあったのだ。どうも国力が萎えているぞ…さ生意気に思った。本岡ひとりで解決できるはずもない途方もなくドでかい発想だったが、本岡は自分の考えは間違っていない…と、確信していた。
 本岡の考えは、こうである。国の人口は次第に老齢化しているという。それに伴う年金支給額も増加しているらしい。結果、財源の捻出(ねんしゅつ)に新たな国債発行に依存せざるを得ない・・となるようだ。国の今の制度は、年金支給対象の老齢者が働けば年金を減らす! としている。ここが間違ってるんじゃないか・・と本岡は発想したのである。老齢化しているなら、①として、老齢の働ける人には門戸を開けて、大いに働いてもらえる環境を作ればいいじゃないか! という怒りの発想である。②は、年金はその人が働いてきた積立金+長年の労働に対する感謝とお礼じゃないのか? 働いたからといって年金を減額するというのは間違っているという怒りの発想である。さらに③は、それに関連した発想で、大いに働いてもらった税は所得税で納めてもらえばいいじゃないか! という怒りの発想なのだ。こうすれば、国民生活も向上し、国の財源も潤(うるお)って国力は強くなる…と本岡は確信していた。藩政を改革し、米沢藩の財政をを立て直した江戸期の藩主でして経済人だった上杉鷹山[治憲]を深く敬愛する本岡は、現在の国の現状をいろいろと考えたのだ。そして辿(たど)りついたのが、この発想だった。
 いつの間にか夕方近くになっていた。本岡は法人税を下げても国力は回復しないぞ…と思う自分がアホに思えた。自分一人の身も処(しょ)せない自分が、考えることではない…という思いに至ったのである。ひとりのことを考えよう…そこから、すべてが始まるのだと…。本岡にやる気が、ふたたび出ていた。意味なく笑え、悟(さと)った思いで湯呑(ゆの)みの茶を啜(すす)った本岡だったが、茶は熱すぎ、舌を火傷(やけど)した。ヒリヒリする舌で、本岡のやる気はまた失せた。

                                   完


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生活短編集 80 曇天[どんてん]

2014年10月25日 00時00分00秒 | #小説

 小丸(おまる)が目覚めてトイレの窓から外を眺(なが)めると、梅雨の中休みでもないのだろうが、空は今にも降りそうで、渋(しぶ)とく持ち堪(こた)えていた。さ~て、どうするか…と、小丸は迷(まよ)った。というのも、天気がよければ伸びた枝の整枝作業をしよう…と、昨夜から密(ひそ)かに思い描いていたのである。ところが、今朝のこの空模様である。降るようでもあり、降らずに一日が終わる可能性もあった。こういう中途半端は困るのである。小丸は便秘ぎみの便を出そうと必死にいきみながら、「困るよ、そういうのは…!」と、空を眺めてひとりごちた。
 一時間後、小丸は結局、剪定(せんてい)用の高枝鋏(たかえだばさみ)を握って作業をしていた。朝も食べず、トイレを出て、作業にかかったのだった。心の奥底には、降る前に…という警戒心があった。最初は朝の冷気が残っていたから気分よく作業は進んだが、九時を過ぎると、蒸(む)し暑さが肌に纏(まと)わりつくようになり、事態は一変した。ジトジトと汗が小丸の身体を覆(おお)っていったのである。曇天(どんてん)はコレだから…と、小丸は見えない相手に怒った。
 結局、作業は程(ほど)よいところで中入りとなった。腹が減っていることに小丸は気づいたのである。食べるのを忘れるのは増加気味の体重を減らすには丁度いい作業なのだが、さすがに汗は拭(ふ)かないと風邪をひいて藪蛇(やぶへび)だろう…と図太い小丸にも思えたのだった。ただ、小丸の性格上、途中で作業を放っぽらかしておくのは彼の心が許さなかったから、家の中で他のことをやっていても、なぜか心が落ちつかなかった。
 夕方、小丸はふたたび作業をやり始めた。少し気温が下がり湿気が失(う)せたのと、曇天のまま降らなかったこともあった。ほとんど終わったとき、ポツリポツリと雨粒が落ち始めた。七時前にはなっていたが、まだ充分、外は明るかった。小丸は、空を眺め、「よくやった!」と、持ち堪えた空と自分を褒(ほ)め讃(たた)えた。

                                     完゜


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生活短編集 79 ゾォ~っとする

2014年10月24日 00時00分00秒 | #小説

 とにかく冷えたい…と今里は思った。今年はすでに六月から暑いのである。それも、猛暑日すら出る地方があった。これでは、とても今年の夏は越せそうにないぞ…と、今里は漠然(ばくぜん)と思った。
 今里は氷柱男で、冬場の寒さには滅法、強いのだが、反比例して夏の暑さには、めっきり弱く、解けて痩せ衰える体質だった。その夏日が梅雨も明けないというのに、すでに今里を攻撃し始めていた。日中、30℃を超えた昼下がり、今里はパタパタと怨(うら)めしげに団扇(うちわ)を煽(あお)りながら、部屋の窓から空を眺(なが)めてゾォ~っとした。彼は、今すぐにでもマイナス数十度以下の冷凍庫に入って凍(こお)りつきたい心境だった。今里の額(ひたい)から、氷が解(と)けるように汗がポタポタと滴(したた)り落ちた。今里は腰に下げたタオルで汗を拭(ぬぐ)った。
「上空の気流の蛇行が変化しており、そこへ南からの暖かい…」
 納得が行く理由はあるもので、テレビに流れる気象庁の天気分析では、どうも異常な天気状況が原因のようだった。そんなことは、どうでもいいんだ…と、今里は思った。この現状をなんとかしてくれればよかったのである。こうも暑くては、今日、支給される年金を引きおろしにも行けやしない…と切実に思えた。熱中症にでもなって倒れれば大ごとだ。水筒持参だな…と、今里は水筒を収納棚から出して氷水を入れて出た。玄関を施錠(せじょう)して道路を歩き始めたとき、袋に入れたはずの肝心の通帳が見当たらず、今里はゾォ~っとした。幸い、袋へ入れ忘れたことに気づき、慌(あわ)てて家内へ戻(もど)ってホッとした。ふたたび、袋を持って出かけた。汗は流れるが、これはまあタオルで拭(ふ)けば済むことである。もう、ゾォ~っとすることもなかろう…と、郵便局へ入って、通帳を自動現金支払機に入れた。お金を袋へ入れ、通帳を見たとき、今里はふたたびゾォ~っとした。支給額が減らされていた。

                                    完


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生活短編集 78 弱らない男

2014年10月23日 00時00分00秒 | #小説

 池辺はタフな男である。誰も彼が弱った姿を見た者がない。というか、彼の前ではそういった事態は起きなった。池辺が、いとも簡単に熟(こな)してしまうからだった。
「池辺さん、お願いします!」
「おっ! 分かった…」
 池辺が数人前、やってしまうことは工場内の誰もが知っていたから、手に負えない仕事量が舞い込んだときはすぐに池辺にお鉢が回った。その分、池辺は事務所の休憩室で寛(くつろ)ぎながら悠然と休めるのだ。池辺だけに適用された、いわば変則のフレックスタイム制だった。
「ウワァ~~!! すっげぇな! さすがは池辺さんだ…」
 工場の同僚(どうりょう)達から歓声が上がった。池辺が腰を上げ、事務所を出てからまだ十分も経(た)っていなかった。池辺は頼まれた仕事量を終え、悠然(ゆうぜん)と事務所へ戻ってきた。息を切らして疲れる素振りなどは一切なく、元気そのものなのである。
「おい! あの人、人間だよな?」
「そら、人間さ。見てのとおり…。だろ?」
「なんだい、お前も疑(うたぐ)ってんのか?」
「ははは…実のところは、な」
「そうだよな、あの怪力と素速(すばや)さには参るよ。とても人間とは思えん」
「ああ…。プロの格闘技や大相撲なんかで十分、通用すんじゃないか?」
「俺もそう思う…」
 同僚の二人が遠窓越しに池辺を見て言った。池辺の体格は、そう目立った大柄ではない。彼のタフさは幼い頃から両親を驚かせ、将来は大物になるに違いない…と期待させたりもした。だが、弱らないだけで出世できる世間ではなく、気づいたとき、池辺は町工場で働いていたのである。場違いに思えたが、タフさ以外、これといって他人より抜きん出た特技がない以上、相応なのか…とも思わせた。
 そんな弱らない池辺が活躍する場が出来た。
「お前、オリンピック出ないか?」
 池辺は幸か不幸か、運動能力に長(た)けていた。言われるままトライアスロンに出場し、すぐ頭角を現した。そして、訓練と練習によりメキメキと腕を上げ、世界の頂点に君臨したのだった。超人的な池辺を、世界中のマスコミは偉大な人物として書きたてた。だが彼は、そんなプレッシャーにも弱らず、強い男として工員を続けた。

                                 完


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生活短編集 77 さて…

2014年10月22日 00時00分00秒 | #小説

 竹川が雑用を終えると、一瞬の間合いが出来た。次にすることを予定していなかったからである。一瞬の間合いは行動を停止させてしまう。瞬間に出来た隙(すき)であり、油断でもある。剣道や柔道…いや、それらに限ったことではないが、その間合いを突かれると、脆(もろ)くも崩れ去ることになる。古くは、油断を突かれた桶狭間の戦いなどが具体例である。
「あなた! 何もしてないなら、お布団、叩(たた)いてよ」
 天気がよいというので、客用の座布団を虫 干(むしぼ)しがてら干した妻が、停止して座った竹川を呼んだ。
「んっ? ああ…」
 別に先の予定がない竹川は、仕方なく緩慢(かんまん)に立ち上がると庭へ向かった。庭に広げられたビニールシートの上には、何枚かの客用座布団が干されていた。布団叩きの棒も、お願いします! とばかりに、都合よく置かれていた。まあ、よく考えれば竹川には都合悪く置かれていたのだが…。これで叩くのか…と、竹川はウンザリした気分で布団叩きを手にした。叩こうとした竹川は次の瞬間、待てよ…と思った。叩けば、もろに埃(ほこり)を吸い込むことになる。竹川は、さて…と、停止した。マスクは? また部屋に戻(もど)って出さないといけないか…と、竹川は、すっかり気重(きおも)になった。幸い、妻の目は届かないから叩いたことに…と竹川はズルをしよう思った。しめしめ、である。さて…と、ほくそ笑んで中へ入ろうとした竹川だったが、そうは問屋が卸(おろ)さなかった。
「あなた、これ…」
 妻が奥からマスクを持って現れたのだった。敵もさる者である。狙(ねら)った獲物は逃がさないか…と、竹川は観念した。
「あ…、今、取りにいこうと思ってたんだ、ありがとう」
 妻に真逆の礼まで言わされ、さっぱりだ! と、竹川は怒る対象もなく、内心で怒れた。が、仕方がない。竹川はマスクをすると、布団を叩き始めた。妻はそれを見ると、中へ引っ込んだ。とんだ休みだな…と竹川は座布団を一枚ずつ叩きながら思った。
 叩き終えたとき、竹川は、さて…と腕を見た。まだ昼には少し時間があった。竹川は庭の椅子に座り、欠伸(あくび)をしながら青空を見上げた。木漏れ日が眠気を誘った。心身ともに疲れが溜(た)まった竹川は、いつの間にか眠っていた。

                                   完


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