情報は多いほど便利だが、その反面、アレコレと思案させるから疲れる。^^ なぁ~~んだっ! 知らなくてよかったよっ! ははは…なんてことも多々ある訳である。^^ 昭和30年代前半は心が疲れることもなくいい時代だった。それはなぜか? と、原因を探(さぐ)れば、答えは歴然(れきぜん)としている。残念なことに、情報が洪水のように氾濫(はんらん)しているからだ。なら、どうするっ!? という話になるが、今日はその辺(あた)りを馬鹿馬鹿しく語りたい。例によって、聞きたくない人は美味(おい)しいものでも食べていて欲しい。^^
ここは僅(わず)かに二軒残った、とある村である。その民家の老人二人が話をしている。
「おい達は、もう、年だからのう…」
「そういう気疲れするこたぁ~言うでねぇ~! うらも疲れるでねぇ~かっ!」
「ははは…すまねぇ~すまねぇ~。まっ! 宅配は送ってくるってこったから、食いもんの心配はねぇ~がなっ!」
「そうじゃ、そうじゃ! 情報は、へえるしのう…」
「そのことよっ! 最近の情報じゃが、悪い話が多いで、わしゃ~テレビ、見とりゃせんが…」
「それ、それっ! 離れたとこの情報、聴いてものう~」
「気が滅入るだけじゃ…」
「よけい、疲れるっ!」
「お前とこの婆さんも息子夫婦のとこへ行かんしたからのう~」
「ああ、婆さんの千切り大根も食えんようになったがっ! 食えん情報より千切り大根が食いてぇ~」
「上手(うま)いっ! わしゃ~鯖(さば)の煮つけがええがのう! わははは…」
「おう! それもよかっ! わははは…」
二人は疲れることなく笑い合った。
今後、時代が進むにつれ、気分が疲れる情報は濾過(ろか)して捨てる必要に駆られそうだ。^^
完
輪ゴムは疲れるとプチン! と切れる。人も疲れると、体調を崩(くず)しやすくなる。^^ 人の場合、ケア[手入れ、管理]することで戻(もど)すことができるが、それとて、老いれば切れてチィ~~ン! と他の人に叩(たた)かれ両手を合わされるのである。^^ 輪ゴムも人も、その意味では同じなのだ。今日はそんな輪ゴムのお話をしたいと思う。^^
とある普通家庭である。この家の長男で幼稚園児の佑基(ゆうき)が予期せず切れた輪ゴムを訝(いぶか)しげに見つめている。
「妙だなっ? 昨日(きのう)、伸(の)ばしたときは切れなかったのに…」
そこへ父親の佑介(ゆうすけ)が現れた。
「どうした、佑基?」
「昨日はね、ちゃんと伸びたんだよ。それが切れたの…」
「ははは…輪ゴムさんが疲れたんだ、それはっ!」
「疲れると、切れるのっ?」
「ああ、疲れると切れる」
「じゃあ、疲れないようにすればいいんだね?」
「ははは…それは無理なんだな。必ず疲れるように輪ゴムさんは出来てんだっ!」
「ふぅ~~ん。不便なんだね。パパはお風呂で疲れなくなるのにねっ!」
「んっ!? ああ、まあな…」
佑介はそれ以上、説明できなかった。俺もいつか切れるんだな…と一瞬、思えたからである。
物はすべて、疲れると切れるのである。切れると使えなくなる。^^
完
大人になれば邪気(じゃき)が増し、疲れることも多くなる。アレになるだろうからコレか? いやいや、コレじゃなくソレになるかも知れん! …とすれば、ナニかっ! などと気を回し、気疲れする訳だ。^^ そこへいくと子供は無邪気で疲れることがない。邪気なく何も考えないから気疲れせず、遊び回れる訳だ。まことに羨(うらや)ましいかぎりだが、私もご幼少の砌(みぎり)はそうだったな…と記憶している。^^
ということで、今日は疲れる原因となる邪気について、少しお話してみようと思う。^^
とある家庭の一コマである。今年、一年生になった孫の星矢(せいや)と庭の縁側(えんがわ)で遊ぶ祖父の星太郎の姿がある。
「星ちゃんはアレかい?」
「んっ!? アレ? アレってアレ?」
「ああ、そのアレだよ」
「アレはソレじゃないから嫌(いや)なのっ!」
「なんだ、ソレじゃないから嫌なのか…。だったらソレに変えたらいいのかい?」
「うんっ! ソレならいいよっ!」
「そうか…ソレで手を打ってくれるんだ」
そう星太郎が言うと、星矢は「うんっ!」と応じ、無邪気に手をパチン、パチン! と叩(たた)いた。星太郎も孫に従うようにパチン、パチン! と手を叩いた。いつしか星太郎の邪気は失(う)せ、無邪気になっていた。
邪気は増せば増すほど疲れるが、無邪気には案外弱く、消え去るようである。^^
完
義務というのは、考えるだけでも実に疲れる。^^ むろん、考えずに聞いただけで疲れる方もおられるだろう。^^ では、義務を課せられ疲れないためにはどうすればいいか? という解決法の問題となる。今日はそんな一例になるお話だ。^^
とある町役場の町民課の窓口前である。二人の老人が待つでなく待合用の長椅子に座り、語らっている。対峙(たいじ)して窓口に座る窓口係も、『あんたらっ! ここは喫茶店じゃないよっ!』とは思うが言える訳もなく思うにとどめ、迷惑げな下目線で二人をジロリ! と一瞥(いちべつ)する。
「ははは…確かにっ! 国民の三大義務ですからなっ! 仕方ありません…。ただ、疲れますなっ!」
「ははは…疲れます。教育の義務[26条2項]、勤労の義務[27条1項]、納税の義務[30条]です」
「偉(えら)く詳(くわ)しいですなっ!」
「私、こう見えましてな、実は元検事でして、法律方面は少し五月蠅(うるさ)いんですよ、ははは…」
窓口係は、『えっ! あんた…元検事っ! 見えない、見えないっ!』とは思うが、言える訳もなく思うにとどめ、迷惑げな下目線で二人をジロリ! と、また一瞥する。
「ほう! さようで…。ご縁(えん)とは不思議なものですなっ! 私、こう見えまして、実は元弁護士ですっ!」
窓口係は、『えっ! あんた…元弁護士っ! 見えない、見えないっ!』とは思うが、言える訳もなく思うにとどめ、迷惑げな下目線で二人をジロリ! とまたまた、一瞥する。そして、『見えない、見えないっ! 二人とも見えないっ!!』と確信して、またまたまた二人を一瞥する。一瞥し過ぎて疲れる訳である。^^ 語る二人は納税の義務を果たした後(あと)だからペラペラと語り続け、義務の疲れを発散したのか疲れることがない。
「おっ! こんなところで長話(ながばなし)をっ! 迷惑になりますから、そこら辺(へん)でお茶でもどうです?」
「いいですなっ! それでは、参りますかな…」
二人はようやく長話をやめ、町役場を出ていく。窓口係は、『迷惑、迷惑っ! もう十分に迷惑っ!』と、またまたまたまた、二人の後ろ姿を一瞥する。
義務で疲れる場合には、二人で語り続ければいい・・という解決法の一例である。^^
完
心理[メンタル]面も含め、荷(に)は重いより軽い方がいいに決まっている・・というのが、重荷(おもに)に対する普通の見方である。今日はそんな重荷のお話だ。^^
とある空港近くの喫茶店である。二人の観光客らしき二人の男がコーヒーを啜(すす)りながら話をしている。
「次の便まで、まだ50分ばかりありますよっ!」
「私にそんなこと言ってもらってもっ! バスが遅れちゃったんですから…」
「まあ、そらそうなんですがねっ! …それにしても大きな荷物ですなっ! 重荷になりませんかっ!?」
「ほっといて下さいっ! 私ゃ、これくらい持って出ないと安心できない性分なんですからっ!」
「そうでしたか…。知らぬことで、どうもすいません」
「いや、謝(あやま)ってもらうほどのことでも…。それにしても、あなたの方は小さな荷物ですねっ!」
「はいっ! 私は持って出るものが多いのが重荷で、疲れるんです」
「ははは…軽荷ですか。私は軽いと疲れるんです。まったく逆ですなっ!」
「確かに…」
二人はその後、コーヒーを二度ばかりお替りして旅立った。
重荷になるのは、軽い場合もある・・というお話である。^^
完
最近、覚えた言葉に罹患(りかん)という言葉がある。^^ 知らないと疲れないが、知ってしまうと疲れることが実に多いというのは困ったものだ。雨の一日、今日は病院からこんな馬鹿馬鹿しいお話を書いている次第である。^^
とある公園である。すっかり春めいた快晴の昼過ぎ、一人の老人が傘をさしてベンチに座っている。晴れた気候なのだから、誰の目にも奇妙に映(うつ)る景色だ。そこへ、もう一人の顔馴染みの老人が近づいてきて、さも当たり前のようにベンチへ座った。
「やあ、どうもっ!」
「ああ、いつもの方ですな、ははは…」
「今日は雨傘の方ですか?」
「んっ? あっ、しまった! 間違えました。今日は日傘でしたな、ははは…」
「罹患ですなっ!」
「罹患っ!?」
「ははは…最近、医者の孫から教(おそ)わった言葉です」
「お孫さんはお医者様で?」
「はい! なにやら、ゴチャゴチャやっとります…」
「罹患ですか…。私もいい勉強が出来ました、ははは…」
「小難(こむずか)しい言葉は疲れるもんですなぁ~」
「はい、さようで…」
「知らない方がよかったですな。罹患しましたよっ!」
「ははは…疲れましたか?」
「はい、罹患ですっ! ははは…」
「何かにつけ、知らん方が罹患しませんなっ!」
「はいっ! 疲れることがないっ!」
全(すべ)て知らない方が罹患せず疲れないで済む訳だ。^^
完
金属が腐食(ふしょく)すれば錆(さび)を生じる。専門家はこれを疲れた・・と表現する。金属も疲れるのである。^^ まあ、腐食しない金属もあるが、私も含め、人もそうありたいものだ。^^ 材木だともっと深刻で、ボロボロになって朽(く)ちて滅してしまうから疲れている場合ではない。では、人の場合の腐食は? ということで、今日の話を起こすことにしたい。^^
夕闇が迫るとある家の玄関である。中年サラリーマンが自宅したところだ。
「ただいま…」
サラリーマンが革靴を脱いで玄関を上がったところで、妻らしき女性が台所から現れた。
「お帰りなさい…。今日は早かったわね」
「ははは…俺だって早く帰る日はあるさっ! 少し疲れたから今日の残業はなしだっ! 俺もすっかり錆ついて腐食しちまったなっ! 20年も前は、こんなじゃなかったんだが…。最近は、よく疲れる…」
「もう、年なんだから…」
「ああ、それは分かってる。分かってはいるが、仕事がいろいろあってな…」
「で、解散なのっ!?」
「馬っ鹿! 今、解散されたら、答弁用に準備した資料がオジャンになるだろっ!?」
「スタッフは大変なのよね…」
「ああ、キャストを支えるスタッフの長は腐食しやすいんのさ、ははは…」
「明日はお休みだから、今日はスキ焼にしたわよ。お肉の柔らかくて安いのが入ったから…」
「肉は腐食する少し前が美味(うま)いっていうが、物はすべてそうなのかな?」
「あなたはどうなのよ?」
「俺か? ははは…俺はまだまだ美味くないさっ!」
サラリーマンは妙なところで自信ありげに断言した。
人は疲れる。その疲れが蓄積(ちくせき)すれば、やがて腐食し、身体(からだ)に不具合を生じる。腐食を避(さ)けるにはその事実を考えて無理しないことだろう。^^
完
物事が変化するには、すべてにそうなるだけの原因が存在する。病気になるには病気になる、疲れるには疲れるだけの原因があるということになる。病気の原因を取り除けば病気は完治(かんち)するし、疲れる原因を取り除けば、疲れないで済む訳だ。ただ、男性がもてない、女性が好きだと告白されない・・という原因までは、今、流行(はや)りのAIでも個人的な細々としたデータを集積したとしても分からないだろう。^^
春めいた一日、ポカポカと暖かな日差しが射し込む午後のひととき、二人の老人が縁側廊下の座布団に座り、茶を飲みながら話をしている。
「うちの息子がそう言っとりました」
「ほう! 倍、疲れると?」
「なんでも世間はコロナ、コロナで、仕事が難(むずか)しいそうですわっ!」
「そういや、世間もマスク、マスク姿ですなっ!」
「はいっ! してないと変な目で見られ、倍、疲れますっ!」
「ははは…してる方が変なんですがなっ!」
「まあ、変なことが罷(まか)り通るご時世ですから…」
「それは言えますっ!!」
「正義が勝つ訳ではなく、勝った方が正義という話によく似てますなっ!」
「そうそう! むろん、近隣で蔓延(まんえん)している場合は別ですが…」
「原因はなんなんでしょう?」
「原因ですか? 原因は治療法が見つからないからでは?」
「いやいや、もっと根本的な原因があるように思いますよっ!」
「どんなっ?」
「菌が強くなった原因ですよ、ははは…」
「なるほどっ! その原因を取り除かないと、また発生しますかっ?」
「はいっ! おそらく…」
二人の老人は沈黙して餅(もち)を頬張った。
「そういや、原因は分かりませんが、この餅、スーパーで見かけなくなりましたなっ!」
「すると、これが最後の餅ですか?」
「ええまあ、そうなりますかなっ!」
原因とは複雑で、解明するには孰(いず)れにしろ疲れるのである。^^
完
細胞が疲れると死滅(しめつ)する。死滅した細胞だらけになれば人は死ぬが、そうはさせまいっ! と頑張って新しい細胞が増産されるから人は命を維持して生き続けられる。しかし、その増産する力が追いつかなくなると、少しづつ細胞の数が減る。それが老化である。新校舎の廊下(ろうか)が前ほど滑(すべ)らなくなったなぁ~…と感じるのも、廊下が老化したということになる。^^
とある病院である。知り合いの二人が待合室で話している。
「おたくも随分、寂しくなりましたなぁ~」
「はあ、そうなんですよ。ばあちゃんに続いてじいちゃんも、ですからな」
「いや、そうじゃなく。あなたが、です」
「わたしが? わたし、寂しそうでしたか?」
「ええええ、そらもう。頭の方が…」
「ああ、頭の毛ですか? はい、すっかり寂しくなりました。もう、賑(にぎ)やかにはなりませんでしょうな?」
「ええええ。それは無理かと。シャッター通りになったこの町の商店街と同じですなっ!」
「確かに…。町も疲れるんですな。疲れて年を取る。ところで、おたくは、どちらさんでしたかな?」
残り少なくなった毛の老人は、妙なところで納得すると、訊(き)き返した。もう一人の老人は、『はは~~ん、疲れると脳も老化するんだな…』と感じた。そう感じた老人自身も老化で疲れることの多い自分を肌で感じていた。
年とともに身体が疲れると老化していくが、老化すると、その老化を肌で感じやすくなるのである。ああ、嫌だ嫌だ。^^
完
物事をやっていて、その先(さき)がどうなるか分からないと、不安定でおぼつかないから安心出来ない。安心できないと当然、疲れることになる。^^ 流行性の病気が蔓延(まんえん)しているという巷(ちまた)の報道を知れば、その先が不安になり、疲れるのは人の常である。誰だって見えない病(やまい)は怖(こわ)いが、その先がどうなろうと気にせず、なろうとままよっ! と心太(ところてん)のように太い心の持ち主は疲れることが全(まった)くない。今日はそんな先の話だ。^^
とある繁華街である。一人の老人が、いつもの時間にいつものコースを、いつものように歩いている。
「妙だなっ? 人の気配がしない…。いつもだとザワザワ人が通るんだが…?」
老人は辺(あた)りをキョロキョロと見回しながら歩(ほ)を進めた。そのとき、交差点の信号が赤に変わり、老人が立ち止まっていると、そこへ別の老人が、これまたいつものコースをいつものように散歩して現れた。二人は予期せず出食わしてしまったのである。^^
「おおっ! やっと人に会えましたっ! これで、ひと安心です。お宅はっ?」
先に立ち止まっていた老人か感嘆(かんたん)しながらそう言った。
「えっ!? 私ですか? いつもの散歩ですよ、ははは…」
「なんだ、そうなんですか? 実は私もです…」
「それにしても、人が通りませんなっ!」
「はい! 例のアノせいでしょう…」
「ああ、なんとかいうアノ?」
「はあ、たぶん、そのアノだと…」
「人が多いと気疲れするもんですが、少ないのも、ですな?」
「はい、いないのも疲れます…」
「この先も、そうなんでしょうかな?」
「さあ、どうなんでしょう。私は余り先のことは考えないようにしています。先は疲れますから、ははは…」
「ははは…私もです。先は疲れます」
二人は先のことを考えない気分で横断歩道を横切った。
先を考えても疑心暗鬼となり疲れるだけで、それでどうなるものでもない。だから、考えない方が懸命なのかも知れない。^^
完