代役アンドロイド 水本爽涼
(第217回)
「おっ? おお…。よく知っておるのう、保。そのことを、いつ知った? まだ、誰にも言っていないことじゃが…」
「ああ、まあ…」
保は誤魔化したが、長左衛門は怪訝(けげん)な眼差(まなざ)しで保を見た。離れで停止しているはずの三井を、保が知っている訳がないというサスペンス的な疑問が浮かんだのだ。しかし、長左衛門は話を大きくすれば勝(まさる)達からいらぬ疑問を抱かれると思い、敢(あ)えて聞き流すことにした。秘密裏に製造したアンドロイド三井のことを家族はまったく知らないからだ。で、長左衛門は話題を変えた。
「奈々はいつ帰るんじゃ?」
イギリス留学している奈々は、近く帰ると勝宛てに手紙を送ってきていた。卒業レポートと卒論があるから、電話代を少しでも浮かせて研究費に充(あ)てるの…と書かれた文面を読み、家族の者は誰も信じてはいなかったが、近々、帰るから…と末尾に追伸された文面は全員、信じた。奈々はちゃっかりしていたから、無賃で泊れ、美味い料理が食べられる自宅への帰宅は確実だと皆、思えたのである。
「帰るとだけ言ってきましたが、それ以上は…。あっ! 私、事務所がありますので」
勝の事務所は岸田家から数分のところにあり、勝は歩いて通っていた。勝がいなくなると夫人の育子もいなくなり、長左衛門と保、沙耶の三人になった。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第216回)
「たぶん、間違いない。その三井はアンドロイドだ。沙耶のシステムが感知しなかったのも頷(うなず)ける。沙耶と同じシステムで再編成された人間の声だし、何人もの合成だからな」
『そっか…』
そのとき、勝が遠目に見て、二人を呼んだ。
「おい! なにを二人で話してるんだ! 保、こっちへ来いよ!」
「んっ! …ああ!」
保は微笑んで暈(ぼか)した。トメが命じたのか、三人の若い家政婦が交互にデザートの小皿を運んで各自が座るテーブルの前へ置いた。この動きを事前に察知していた沙耶は、応接セットに座らず書棚へ戻った。そして、手頃な一冊を手にすると、また読み始めた。皆の前へフルーツの小皿が置かれ、添えられたフォークで全員が食べ始めたとき、保は危ない危ない…と沙耶の機転にホッとした。沙耶が書棚へ移動したのはトメが三人の若い家政婦に命じた微細な声を音声認識システムで感知したときだった。その俊敏さは僅(わず)か0.5秒で、移動速度も並の人間の数倍だった。変に思われるのを避けて自重したのだ。保が止めた時速300Km以上での移動は、さすがに憚(はばか)られた。だから全員が一瞬、んっ? と思う程度だった。
「沙耶さんは駄目じゃったのう。それにしても、大丈夫なのか? 保よ」
「えっ!? ああ、大丈夫だと思う。それよりさあ、じいちゃん。書生を雇ったんだって?」
あの長左衛門が一瞬、手を止め、ギクリとした。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第215回)
『はい。お蔭さまで…』
沙耶は当たり障りのない言葉を返した。
「そうですか。それは、よかった…」
『保、ちょっと…』
沙耶は保を部屋隅へ手招きして呼んだ。保は訝(いぶか)しそうに沙耶に近づいた。
「なんだよ!?」
『つい先っきね、長左衛門の書生ってのが現れたのよ』
「書生!? なんだ、それ?」
『保も知らないんだ。私もね、言語認識システムが作動しないのよ。こんなこと初めてだわ…』
「あっ!」
保には思い当ることがあった。長左衛門は元工学部教授の超エリートだったと兄の勝(まさる)から聞かされたことがあったのだ。それを今、保は思い出していた。
『どうしたの?』
「いや…そんなことはないと思うが…」
『なんなの?』
「ひょっとすると、じいちゃん、完成させたのかも知れん、アンドロイド」
『って? …三井はアンドロイドってこと?』
「三井? その書生、三井って言ったのか」
『ええ…。なんか、ここへ来てはいけないとか、訳分かんないこと言って離れへ戻ったわ』
「そうか…。じいちゃんはそのこと知らないな」
『そのはずだけど…』
代役アンドロイド 水本爽涼
(第214回)
二人? は、じっと見つめ合い、互いのシステムを最大限働かせて相手の情報を探ろうと対峙した。目に見えないバトルの構図である。二人? は氷結したように一歩も動かず、時だけが経過していった。
『なんか、あなたと私、似てるわよね…』
『そうですね…。他人とは思えない』
『まあ、いいわ。長左衛門が紹介してくれるでしょうから…』
『先生を呼び捨てですか? ははは…これは看過できないなあ、書生としては』
『あっ、失礼! 長左衛門さんが…』
『いえ…。私もここへ来てはいけなかったんでした。部屋へ戻らねば…。なぜ、ここへ来たんだろう?』
三井は首を捻りながら離れの方向へUターンした。
『変な人? あれっ? 言語認識システムが作動しないわ。おかしいわね?』
沙耶は人の言葉を解析できるシステムを内蔵しているが、アンドロイドである三井の言動に解析エラーが生じるのは当然と言えば当然だった。沙耶も三井もこの段階ではお互いがアンドロイドとは気づいていなかった。三井が離れへ引き上げたことで、ひとまず、ややこしい事態は回避された。上手くしたもので、三井がいなくなった数分後、食事を終えた一同が和気藹藹(あいあい)と応接室へ戻ってきた。沙耶は書棚にある三分の一以上の本を読破して、何食わぬ顔で応接室へ戻っていた。
「おお、沙耶さん、どうでした? 気にいった本はありましたか?」
妻の育子から貧乏臭いからやめてくれ、と頼まれている個人的な癖を持つ勝が、爪楊枝で歯をシーハーしながら訊(たず)ねた。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第213回)
「なんじゃ、食事は、なされんのか?」
『はい。今、お医者様に止められてますから…』
「ああ、左様か。ではのう…」
得心した長左衛門は軽く頷くと遠退いた。保は、危ねえ危ねえ! と、冷や汗を流した。保達が大テーブルを囲んでいる頃、沙耶は一冊、10~15分ペースで片っ端から本を読破していた。それもただ読むのではなく、すべてデータ化して集積し、記憶メモリー回路で保存しているのだった。通りがかった家政婦のトメはその場を垣間(かいま)見て唖然とした。トメはしばらく氷結したように眺めていたが、怖くなったのか、急いで駆け去った。
『あらっ! あなたは?』
『私は書生の三井といいます。そちらこそ、どなたです?』
まだ大テーブルを囲んで賑やかな食事が続けられていた。そのとき、書棚前では異変が起きていた。長左衛門が停止させていた隠れ部屋の三井が勝手に起動し、離れから母屋へと移動していたのである。もちろん、そんなことになっているとは長左衛門も手下の里彩も、まったく知らなかった。
『私? 私は保さんの友人の従兄妹(いとこ)ですよ』
『ははは…、ややこしいご関係なんですね』
『ちっとも、ややこしくなくってよ!』
沙耶は怒っている訳ではなかった。感情システムと言語認識システムを駆使していた。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第212回)
「ああ…これは、いつぞやの・・。はて? 誰でしたかのう?」
『保さんの友達の従兄妹(いとこ)の沙耶です』
「ああ、そうでした。保が事情で預かってたんでしたな」
『ええ、まあ…』
「なんだ保。そんなことになってたのか」
勝が変に誤解したのか、ニヤけて言った。
「兄貴! そんなんじゃないんだ」
保は少し怒って否定した。
「まあ、いい。腹が減った。育子…」
勝に促され、育子はトメを見た。
「はあ、支度は、あちらに整っております、奥様」
いつの間にかトメの後ろには三人の家政婦が控えていた。沙耶はトメがたぶん、家政婦長で三人を束ねているのだろう…と、瞬時に分析した。事実、そのとおりで、トメが首だけ軽く振りかえる仕草をすると、三人は、お辞儀して去った。
「さてと…」
勝は五月蠅そうに立つと、トメが指さした方向に動き出した。そちらに大テーブルがあり、多くの手料理された器(うつわ)が乗っている…と、沙耶は分析度を高めた。勝が動くと、沙耶以外の全員が従うようにあとに続いた。
「沙耶さん、ごゆっくりね…」
育子が軽くお辞儀して去った。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第211回)
『ええ、残念なんですが…』
沙耶の言語認識システムが育子の言動を分析し、明らかに疑われている解析していた。当然、沙耶は納得できる説明を考えていたが、取り敢(あ)えず軽く言ったのだ。
「大事に、なさって下さいましよ」
『はい…』
沙耶の返事と同時に保が立った。
「俺、ちょっと部屋へ行くよ。ははは…埃(ほこり)、被ってるかな。沙耶さんは本が読みたいそうだ」
「そうですか…。本なら向こうの書棚に、たんとありますから、ごゆっくり…」
勝が指さした奥の書棚には、図書室並みの多くの本が所狭しと並んでいた。
『有難うございます』
沙耶もそう言って立つと軽くお辞儀した。そこへ、離れから長左衛門と手下の里彩がやってきた。
「おお! 保か…どうした! 何か起こったか、ホッホッホッ…」
白髭を手で撫でつけながら、長左衛門は余裕の笑いで言った。
「おじちゃん、こんにちは!」
愛想よく、沙耶もご機嫌を窺(うかが)う。二人に連射され、保は怯(ひる)んだ。
『お世話になります』
沙耶が割って入り、保を救った。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第209回)
里彩が小窓の隅から密かに二人を窺っていたのだ。しばらく事の推移を観ていた里彩の姿はスッと小窓から消えた。
「おじいちゃま、おじちゃんが帰って来たわよ! この前の女と一緒!」
長左衛門の隠れ部屋へ入るなり、手下の里彩が口走った。
「保が? あの女と一緒? はて、なに用かの?」
「おじちゃん、結婚するのかしら? あの女と」
おしゃまな里彩は、大人びた口を利(き)いた。
「それは、このX-1号に調べてもらおう。だが、勝達には、まだ秘密じゃから、これをどう説明するかを考えねばならん」
長左衛門はX-1号を指さしながら言った。帰省した保にとって幸いだったのは、長左衛門が沙耶をアンドロイドだと、まだ知らなかったことである。バレていれば、科学者・長左衛門に攻撃される可能性もあった。
『私をX-1号と呼ばれるのは拙(まず)いと思いますが…』
X-1号が反応して語りだした。
「おお、そうじゃった。呼び名を考えずばなるまい。里彩よ、何か手頃ないい名はないかのう」
里彩は微笑んで首を捻った。
『里彩ちゃんには、些(いささ)か難しいでしょう、この手の問題は』
「ホッホッホッ…そうじゃった、そうじゃった。出来のいい孫ゆえ、頼り過ぎたわい」
『設定は東京のご友人、三井(みつい)様の子息、名は・・・肇(はじめ)とでも』
「おっ! 上手いのう。さすがは、わしが開発したX-1号じゃ。いや、今日からは三井と呼ぼう。勝らには、どう説明する?」
長左衛門は三井を窺(うかが)った。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第208回)
怪獣はアンドロイドのことを勝夫婦には言ってないだろう…と保には思えたが、相手は沙耶と同等のアンドロイドを保持しているのだ。ある種、核爆弾を完成させた開発途上国にも似通っていた。だから保は万が一を想定して連絡を入れずに帰ったのだった。それに加え、怪獣長左衛門には手下の里彩もいるから、故郷の実家も、まったく侮れない敵地だった。
「じいちゃんは?」
「ああ、いるぜ。たぶん離れの書斎か、その辺りだろう…」
そこへ兄嫁の育子が現れた。保と沙耶は応接室の長椅子へ腰を下ろしていた。
「いらっしゃい! 保さん。久しぶりですわね」
「やあ、お義姉さん。ご無沙汰してます」
「あらっ?! こちらは?」
育子は何を思ったのか、ニコリと笑みを浮かべて訊(たず)ねた。
「ああ…友人の従兄妹の沙耶さんです。こっち方面に用事があるそうで、ついでに乗せてきたんです」
『沙耶です…』
そのとき、家政婦のトメがトレーに紅茶入りのカップを乗せて現れ、テーブルへ静かに置くと陰気に去った。
『私、今、お腹の調子が悪く、飲食は出来ないんです。すみません』
「そうなんだよ」
「あらっ! それは、いけないこと、ほほほ…。大事になさって下さいましな」
勝の隣に座った育子が、優しい声で言った。保は、ほっとした。だが、それは保の大きな誤算で、気の緩みだった。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第207回)
渋滞する高速道路を選択しなかったのは正解だったな…と、保はフロントガラスに小さく見えだした故郷の家を見ながら思った。
「はい、どちらさまでしょうか?」
広大な敷地の一角に車を止め、保が表門のインターホンを押すと老いた家政婦の山村トメの声がした。
「あっ! トメさん。保です」
「えっ! 保ぼっちゃま! はいっ、ただ今!」
そんな声が慌(あわ)ただしく聞こえ、しばらくして兄の勝(まさる)が出てきた。トメが言ったんだろう…と保は思った。
「こちらは?」
「ああ、友達のお従兄妹さんだ」
『沙耶といいます』
「ちょっと、用事があるそうで、来るついでに乗せてきたんだ」
「ああ、そうでしたか…。まあ、立ち話もなんですから、お入り下さい」
『どうも…』
勝が先導し、三人は家の中へ入った。表玄関までは優に100mあった。
「なんか急用か、保?」
保が靴を脱ぎ、上り框(かまち)へ足を運んだとき、勝が口を開いた。沙耶は先に上がっている。
「ああ、まあな。じいちゃんに、ちょっとな…」
帰ると連絡を入れてなかったのは長左衛門の動きを封じる意味があった。