30年前は…と斎藤は家周辺の景色を見回した。ちょうどアルバムを眺(なが)めていたのだが、当時の家周辺を撮影した写真が偶然、目に入ったからだ。写真と今の風景を比較するように首を上げ下げすると、かなり変化しているのが観てとれた。
━ ああ、あの建物はなかったな…。この写真だと山並みに昇る日の出が見られたんだった… ━
斎藤が思ったとおり30年前に高層ビルはなく、家の二階から、いや、二階といわず家の方々で日の出を見ることが出来たのである。今は? といえば、殺風景なドでかい高層ビルが何も語らず、ただ立っているのだ。景観が変わると、こうも気分が変わるものか…と斎藤は思った。他には…と少し角度を変えて眺(なが)めれば、あったはずの酒屋が消えていた。ここでは駄菓子も売られていたから、子供時代の斎藤は何かにつけて重宝した。懐かしい気分が、ふと込み上げ、斎藤の胸を熱くした。だが今は…と現実に戻れば、その酒屋も消え、コンビニの姿があった。そのコンビニも、よく考えれば三度変わり、今は店が撤収して空き店舗の寂れた箱物になってしまっている。いずれは、それも取り壊されるか変化するんだろうな…と斎藤は冷めて思った。さらに角度を変えて眺めれば、二つ…三つと田畑だったところに小屋とかの建物が立っている。さらに道も広がり、車の走行も激しさを増している。平穏でゆるやかな田園地帯の景観は、いつしか消滅していた。いや、物ばかりじゃないぞ…と斎藤はまた思った。知っている人もいつしか消え、随分と目変わりしているのだ。
「まあ、いいさ…。俺にゃ、どうしようもない」
斎藤は諦念(ていねん)した。そのとき、斎藤は耳鳴りを覚えた。その耳鳴りは激しさを増し、やがて奇妙なことにピタリ! と止まった。斎藤は、やれやれと安堵(あんど)した。テレビで昨日、観た病気予防の番組で、その手の前兆を言っていたことを思い出したのである。だが、そうではなかった。もう一度、見上げた斎藤の視線の先に30年前の原風景があった。嘘だろ!? と斎藤は思い、目を指で(こす)擦るともう一度、見た。やはり、前方に広がる風景は30年前のあの風景だった。建物も何もない原風景である。斎藤はしばらく、じっとその景観を見続けていた。今は改装されてなくなった古い窓に映る山並みに朝日が昇った。不思議なことにもう一人の斎藤がいて、今はもう亡くなった家族と語らっていた。斎藤の頬(ほお)に、なぜか涙が伝った。そして、ふたたび耳鳴りがした。その耳鳴りは最初と同じように激しさを増し、やがて奇妙なことにピタリ! と止まった。朝日が昇る山並みは消え、いつも見る冷たいビルが斎藤の前に立ちはだかるように、そそり立っていた。斎藤は、これが今を生活する俺の現実だ…と淋(さび)しく思い知った。
完