代役アンドロイド 水本爽涼
(第309回)
その映像を目にしたとき、しまった! と保は思った。間違いなくそれが大磯の別荘に保管してある飛行車であり、操縦は紛れもなく沙耶であると判断できたからである。社内に三井が乗っていることは分からなかったが、沙耶が残した書置きを読めば大よそのことの推移は推し量れた。だが、1%もそうなることを予想していなかった保だったが、ようやく落ち着きを取り戻しつつあった心中に、またしても不安が過ぎり始めたのである。そのとき、胸ポケットの携帯がなった。
「おう! 保か。わしじゃ…」
疑うべくもなく長左衛門の声だった。
「なんだ、じいちゃんか…」
「なんだとは偉い言われようじゃのう、ほっほっほっほっ…」
「どうかしたの?」
「お前の方は何か変わったことはなかったか?」
「んっ?! いや、まあ…」
怪獣長左衛門は侮(あなど)れないから、保は暈すことにした。
「じつはのう…。三井が忽然と消えてしもうたんじゃ。お前とこにいる沙耶さんは元気かのう?」
「あっ、ああ…沙耶さんか。沙耶さんは実家へ帰ったよ、事情があってさ」
「そうじゃったか、やはりのう…」
保の話にピン! ときたのか、長左衛門も暈した。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第308回)
保と長左衛門は、中林や里彩の他、存在を知っている者達へは、作り直すことにした、あるいは事情で郷里へ帰ったなどと凌げる笑い話にすることにした。
夕方、研究室から帰った保が一人、とり残された哀れなピエロのように椅子に座っていると、珍しく玄関チャイムが鳴った。保は慌てて立ち上がると、バタついて玄関へ急いだ。ドアスコープから外を窺(うかが)うと、マンション管理人の藤崎が相変わらずボケェ~とした顔で通路に立っていた。
「はいっ! …」
チェーンを外し、保はドアを開けた。
「いや、どうも…。ちょいと気にばなる話を聞きましたけん、寄せて貰らったとです。まあ、どうでんよか話なんですが…、ツレのお人ば、どがんかされたかね? 昨日の夜遅うに見た言う住民がいましたけん」
「ああ、友人の従兄妹(いとこ)の話ですか。急に事情が出来て里へ帰りました。ははは…俺はまた一人暮らしです」
「そうでしたか。いやなに、私はどうでんよかなんですが…」
どうでもいい話にしてはよく訊(き)くな…とは思えたが、保は黙って笑うに留めた。その笑顔に藤崎もニタリと笑い返すと、お辞儀を一つしてUターンした。そのとき、保がつけたままのテレビが臨時ニュースを報じ始めた。沙耶達が乗った飛行車の一件だった。
━ 本日未明、航空交通管制部が確認した未確認飛行物体のその後の足取りは、いまだ判明しておりません。なお、その航跡付近の住民からは、多数の目撃情報が寄せられており、関係機関では、もっか情報の分析を進めております。なお… ━
保は居間へ急いで戻った。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第307回)
『保には悪いけど…』
『私だって先生には顔向け出来ません…』
『まあ、仕方ないか。人には人の、アンドロイドにはアンドロイドの物生があるんだから…』
『物生ですか? 新しい表現ですね? 死物である私達の物生・・』
『ええ…。少し前までは私達、保や長左衛門の前には存在していなかったんだから。なんとかなるわよ!』
沙耶は飛行車のスピードを速めた。
その頃、東京航空交通管制部はパニックに陥っていた。レーダーに突如、映し出された未確認飛行物体によってである。
「至急、連絡しろっ!」
「ど、どこへですか!?」
「決まってるだろうが…、国だよ国! 大臣だ大臣、国交大臣!!」
「は! はいっ!」
想定外のSF的事実に航空交通管制部は乱れていた。
沙耶は保にホットラインだけは残しておいた。保名義で新しく買った携帯の番号をメモして置いて出たのである。保、長左衛門とも二人? の逃避をまったく予想していなかったから、最初は驚きと混乱に心は千路に乱れた。だが、小一時間もすると状況の変化が少しずつ落ち着きを取り戻していった。沙耶と三井が残したデータと書き置かれた封書により、少しずつ得心できたからである。元々、二人にとっては、アンドロイドという存在を世に公表していなかったのだから、無かったことにすれば、すべてが丸く収まるのだ。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第306回)
ホットラインとは、何らかの連絡手段である。今の携帯は置いていく積もりでいた。GPS機能が搭載されているからで、別に一個、付加していないリーズナブルなものを買ってあった。保の行動データは、山盛研究室の研究データも加味された。その結果は割合と早く出た。電話外線のモジュラージャックを抜き、指先を触れれば、研究室と外部の情報は入手できたし、パソコン情報もすべて分かった。分からないとすれば研究室内での人間同士の会話ぐらいのものだったが、エアカー情報に関しては保から直接、聞きだして入手していたから、これで一切の不都合は消滅したように思えた。沙耶は携帯を手にした。三井は律儀にも携帯を前にして待機していた。当然、辺りに人がいない自室である。正午10分前には机の上へ携帯を置き、机に座って、じっと見入っていた。むろん、長左衛門には私用があるからと断りを入れて離れていたから、急に呼び出される心配はない。
「はい! 分かりました!」
沙耶と三井が保や長左衛門の前から忽然と消えたのは、その二日後の夜だった。
『沙耶さん! いい乗り心地ですね』
『そりゃそうよ! 私がプログラムしたんだから』
『はい! いい眺めです』
下界には絶景の富士山が見え、高度計は4,200mを示していた。酸素の希薄さはアンドロイドの二人? には不要の心配だった。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第305回)
『分かったわ。それじゃ、故障なくね…』
沙耶は静かに携帯を切った。
『さてと…、私もそろそろ停止するかな』
停止とは、人間でいう睡眠である。
次の日、保はいつものように愛妻弁当ならぬアンドロイド弁当を持って出かけていった。その後の沙耶は食事の片づけ、掃除、洗濯などの雑用を済ませた後、部屋へ戻って椅子に座った。机の前にはカレンダーが置かれている。沙耶はそれをじっと見つめると、やがて静かに両瞼(りょうまぶた)を閉ざした。カレンダーの画面には内臓データとして画面ごとメモリー回路に保存される。そこへ三井と話し合った二人? の消滅時期のベストタイミングを模索するデータが送り込まれ、解析されていく。約10分後、沙耶は静かに瞼を開けた。
『この日がベストね…』
沙耶は眼前のカレンダーを見ずに呟(つぶや)いた。同じカレンダーの映像は沙耶の思考回路に映し出されていて、解析の結果、最適の日と確定された日が点滅していた。 沙耶は目の前に置かれたカレンダーを見ずに呟(つぶや)いた。同じカレンダーの映像は沙耶の思考回路に映し出されていて、解析の結果、最適の日と確定された日が点滅していた。しかし、結果が出たからといって飛ぶ日と決定する沙耶ではない。保の分析データも加味し、最終判断にするつもりなのだ。三井への連絡は、その後ということになる。幸い、保が困惑しないように作成入力したファイル等は完璧に終了したから、問題はなかった。最後に一つ迷うのは、完全に保との音信を絶つか・・ということだった。すなわち、人間なら完全な失踪状態に入る訳であり、そういう形にするのか、あるいはホットラインだけでも残しておくのか、ということだ。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第304回)
「そうか…。こっちは上手くいったよ。エアカーは、しぱらく別荘へ保管しておくそうだ」
『そう…』
ただ聞き流した風に外見上は見える沙耶だったが、思考は三井と話した最適な実効日を模索していた。その証拠に、保が寝静まった深夜、沙耶は三井に携帯をかけていた。
『そうなのよ。しばらく別荘へ保管するそうよ』
『そうですか。ことによるとパーツに分解されて研究室へ戻ったんじゃないかと思っておりましたが…』
『その心配は、なかったようね。それじゃさっそく近々の時期を選ぶことにするわ。それで、いいわよね?』
『はあ、私の方はいつでもOKです。それに、先生に年一回お見せしている会計帳簿の提出時期が来月に迫っておりますので、それまでの方が…』
『電話代でしょ? 見りゃ分かるわよね。私達って、かなり、かけ合ってるから…』
『そうなんですよ。お金の出費は、いくら額が大きくても、何も仰せじゃございませんが、使途については、ある程度、目通しされますから…』
『電話代だけが突出してるわよね』
『はい、前年度に比べればその通りでございます。沙耶さんの方は?』
『私? 私は大丈夫よ。会計簿は私が預かってるから。見せたことなんか一度もないわ』
『羨(うらや)ましい話ですね。…それじゃ、長電話になりますから、この辺りで。飛ぶ日が決まりましたら、またお電話、下さい。正午から10時以降の深夜で、お待ちしております』
代役アンドロイド 水本爽涼
(第303回)
『ええ、まあ…。じゃあ、沙耶さんの情報待ちってことで、私は今後、待機状態に入っておりますから…』
『相変わらず話し方が硬いわね。…分かったわ、あとは長左衛門に残すメッセージね。私の方はもう作ってある』
『あっ! 私もそれは作成しておきました。単に遁ズラと思われるのも嫌ですからね』
二人? は携帯で話し続けた。状況が逼迫していないから、どうしても長電話になる。携帯の内臓電池のこともあり、双方とも充電器に差し込んだままだ。そんなことはお構いなしに話は続き、互いに電話を切ったのは、もう昼近くだった。しかし、人間社会から完全に消えてしまうのだから、細部に至る綿密な行動計画は練っておいたに越したことはない。アンドロイドの沙耶と三井の集積回路はマイコン(マイクロコンピュータ)によって、その辺りを完璧に洗い出していた。加えて、突発して起こり得る想定外の事象に対しても対応策を考え出していた。
「ただ今!」
保がマンションへ戻ったのは、その翌日だった。
「何もなかったかい?」
『えっ!? …別に何もないわよ』
人間なら事実を隠して嘘を言う場面だすら、感情の乱れでギクッ! と、内心では驚くところである。しかし、沙耶の場合、瞬時に適切な言動を選択するのみで、感情の乱れは皆無なのだ。ただ、人間的な標準会話システムが妙な違和感を起こさせない言葉遣いを使用させるから一応、驚きの素振りを会話に含ませるのだった。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第302回)
「そうだな…、とりあえず明日、研究室へ一端、戻ろう!」
「エアカーは、どうされます?」
但馬が諄(くど)く訊ねた。
「このまま別荘にしばらく収納しておこう。どうするかは、その後、皆で考えよう」
「…ということは、記者会見とかその後のマスコミ対策とかを考慮して、ってことですね?」
「ああ…。但馬君、君は少し酔っとるな。…そうなんだがね」
教授は少なからず迷惑顔で但馬を垣間見た。
その頃、沙耶は三井と綿密なスケジュール調整を電話でしていた。
『…ええ、保は今日、明日中に一端、戻ってくると思うわ。さっきメールが入ったから』
『そうなんですか。ということは飛行車の最終実験は成功したということですね』
『まあ、そうなるわね…。で、そうなると、飛行車は別荘へそのまま保管されてる訳よ』
『はあそういうことです。実行日は保管されてる間に、ってことになりますが…』
『だわね。あとは三井さんと私のベスト・タイミングはいつかってことだけど…』
『私の方は毎日が同じペースで流れてますから、夜ならいつだってOKですよ』
『同じペースってことは…逆に考えれば休みがない、ってこと?』
『はい。まあ…。自由なようで、まったく自由がない訳です。先生の所用以外、大して用もないですけどね。着飾る訳でもなく、美食を食べる訳でもなく・・ただただ、先生のための日々ですから、ははは…』
『あらっ!? 珍しく笑ったわね』
『いえ、笑ったのではなく、感情システムで愚痴を表現しただけです』
『そうなの? そこが人間と違うところよね、私達』
代役アンドロイド 水本爽涼
(第301回)
そして、少しずつその速度を増した。揺らぐこともなく、まったく機体は安定姿勢を保って進んでいく。姿勢制御システムが揺れを自動補正で吸収しているのだ。しばらく飛行し、100mの前進を終えた機体は180度反転し、浜辺をめざして戻り始めた。下で見守る三人は誰彼となく拍手した。完璧な成功である。元の位置へ下降して戻った機体に、山盛教授は思わず駆け寄った。教授は半ば涙顔で、飛行車のドアから出る保を思わずハグした。
「ぅぅぅ…、岸田君! 有難う!」
そう言われても、どう返していいか分からない保である。ただ黙って、教授のされるに任せた。そこへ但馬と後藤も寄ってきて歓声を上げる。
「よしっ! 今日は祝杯だ! 後藤君、買い出しは?」
「はあ、それはバッチリですわ。バーベキューも二人前ぐらい、買ってきましたさかい、たら腹、食べて下さい。それにピールやワインもたっぷり、ありますんで…」
「そう…。君はソチラの方に才があるねえ」
嫌味ながらも教授は真実を言った。歯に衣(きぬ)着せぬ物言い・・とは正にこれだ…と、保は羨(うらや)ましく思った。直接、言えない性分だったからだ。
その日の別荘での夜は賑やかな慰労会、祝賀会の様相を呈した。
「ははは…、これで教授が立てられた予定等は全て終結ですが、この先どうされます、教授?」
少し酔いの回った赤ら顔の但馬がバーベキューの肉を頬張りながら訊(たず)ねた。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第300回)
「それは、そうだ。まあ落ちても、浮上安全システムが機能するから沈みはせんがね」
「ええ、その点は安心してるんですが…」
保は小さく笑った。
翌日、早暁の朝焼けで空が明るさを取り戻そうとしていた頃、保達研究室の四人の姿は浜辺の砂上にあった。
「岸田君、じゃあ、乗ってくれたまえ! 手抜かりはないね? 但馬君」
「はい! 教授。大丈夫です」
「じゃあ、岸田君、5m上昇し100m海上に向かって進行してくれたまえ。その後、反転、100m後退し5m下降だ」
「元の位置へ戻るということですね」
「ああ、そうだ…」
「分かりました」
保は機器のスイッチを入れ飛行車を起動し始めた。次の瞬間、飛行車は研究室内で浮上したときの動きを見せた。フワ~リという感じで、ゆっくりした上昇である。三人の視線は上昇していく飛行車の機体へと集中した。
「おおっ! いい感じだ。その調子だ、岸田君!」
保は山盛教授に返事せず、ただ頷(うなず)いて運転操作を続ける。約5mではなく、感知システムで、ぴったり5m上昇し、飛行車はその状態を保持して空中に静止した。
「では、進行を開始します!」
5m上空から保の拡声された声が降り注ぐと同時に、機体は緩やかに海上めざして進み始めた。