代役アンドロイド 水本爽涼
(第186回)
「ああ…」
「あっ! どうも…」
保のあと、かろうじて山盛教授だけが声をかけた。ガチャ! とドアが閉じ、沙耶がいなくなったとき、但馬と後藤は気づいた。
「お従兄妹さん、帰ったのか…」
「はい。若林の従兄妹ですが…」
「…、君のエアカー理論、もっと聞きたいな、それに設計案も。ねっ! 教授」
「そうだね…」
表面上にしろ、但馬が珍しくアグレッシブに保を認めた。室内の片隅に置かれた自動補足機は、話題に上ることなく寂しく置かれていた。
「そんな大した考えじゃないんですよ。但馬さんに言ったのは、あくまで、だったらいいな、ぐらいの話しですから」
保は下手に出た。
「設計図面とかは、ないの?」
教授がいつも持ってくるステンレスマグの茶を飲みながら言った。なんでも、血圧低下にいいそうである。保はすぐの効果は眉唾(まゆつば)と思ったが、長いスパンでは有効なのだから、あえて教授には進言しなかった。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第185回)
実は、保のシステム構築は、ある域まで完成していたのだが、保はそれを、おくびにも出さなかったのだ。
「はい、要は小さなエアカーってことです」
保は簡単に言って退(の)けた。三人は唖然として、異論を挟(はさ)めず頷(うなず)いた。
『SFとかの未来で飛んでる車よね?』
「あっ、ああ…」
また沙耶が、いらんことを…と保は思えたが、そのとおりだから渋々、肯定した。
「なるほど…。揚力とか考えれば、重力に逆らって金属が飛ぶこと自体、不思議なんだが、現実に飛行機は飛んでる。たまには、落っこちるがな、ははは…。いや、失礼、笑いごとではなかった。落ちて尊い人命をなくす物理理論しか考えられん科学者は敗北者だ!」
研究室内は一瞬、お通夜になった。
『私、これで帰ります。保、もう大丈夫よね』
「んっ? ああ…そりゃ、いいけどさ。マスコミの心配は、もうなさそうだし…」
研究室の三人は、保の奇想天外な発想を聞き、そのことに気が取られていて、沙耶と保の話は耳に入っていなかった。
『それじゃ…』
沙耶が帰ろうと思ったのは、完璧に研究室の全情報を収集して解析し、データ化を終了した結果だった。保のガードが不要になったこともあり、これ以上、研究室に存在しても無駄と分析システムが判断したのだ。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第184回)
「ぅぅぅ…、私はもう駄目だよ、但馬君! ディスアポインティッドだっ!!」
涙もろい教授は、顔中を涙で濡らしながらハンカチで拭きまくる。
「教授! 来年ということもありますから…」
昨日とは完璧に攻守を逆にして、但馬が教授を慰めている。世の中、一寸先は闇だな・・と保は、しみじみと感じた。但馬から慰めの言葉は出はしたが、結局、教授のテンションの低さは一日中、続いた。保にすれば御の字で、これで沙耶のボランティア活動の計画が本格的に始動できるぞ…と思えた。沙耶は、そんな保の心を知らぬ気に、研究室のすべてに一つ一つ目を凝らして見ている。彼女? が人と違うのは、単に見ているのではなく、すべてを解析し、データ化している点にある。そして、この室内で進行している研究のすべてを認識しようとしている点だった。これはある意味、立派な仕事なのである。今後、ボランティア活動に従事する場合にも大いに参考になる室内徘徊(はいかい)だった。そんなことは、おかまいなしに沙耶はただ見回ていった。
「岸田君、次の開発アイデアが浮かんだそうだね? 但馬君に聞いたんだが…」
「えっ!? あっ! ああ、まあ…」
また小判鮫が、いらぬことを言ったか…と思いながら、保は語尾を濁した。
「一応、聞いておこうか、内容を。どんなものだい?」
「はい…。大したアイデアじゃないんですが、一人乗り用の飛行車です。将来的には数人乗りの…」
「飛行車!!」「飛行車?」「飛行車!」
三人同時の声がした。保は、ちょっと過激だったか…と思った。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第183回)
「おはよう…。おっ! 岸田君のお従兄妹さんでしたか。…まっ! それはそれとして、入口で警備員の矢車(やぐるま)さんに冷やかされたよ。ノーベル賞がどうのこうのってさ、ははは…」
『おはようございます。私は若林の従兄妹です』
「そうでしたっけ? 若林? はて、だれでした? まっ! どうでも、いいんですが…」
「若林は友達です。沙耶は預かってるんです」
「そうなの?」
保は頷いて、ほっ! とした。沙耶との関係が上手く修正できたからだ。そして、あの老警備員、矢車っていうんだ…と知った。
「教授、これから私らはどうなるんでしょ?」
心配顔で但馬が訊(たず)ねた。
「なるようにしか、ならんよ、但馬君。そう、気にせんと…」
教授が但馬を慰めた。
「そりゃ、そうなんですが…」
保は黙っていた。
その数日後、一転してマスコミの足が研究所から遠退(の)いた。新館入口の取り巻き記者達も、いつの間にか姿を消していた。それもそのはずで、夕方のニュースでノーベル賞受賞が見送られた決定の報道が、まるでお通夜のようにアナウンサーから流れたのだった。お通夜は、なにもテレビニュースだけに限らず、次の日の研究室内でも同じだった。山盛教授の表情はどこか虚(うつ)ろで、まるで生きる希望をなくした一人の哀れな老人のように保には見えた
代役アンドロイド 水本爽涼
(第182回)
『来るべきものが来たようね。まさに、目に見えない敵だわ。ガードしようがない』
保の横に並んだ沙耶が静かに言った。保は、「ああ…」とだけ呟いた。
「おはよう…。んっ!? また連れてきたのか…」
研究室には、いつものように但馬が先に来ていた。
『おはようございます!』「おはようこざいます。いや~そうじゃないんです。マスコミが、うちのマンション前で張ってるもんで…」
「んっ? それで連れてきたの? どういう関係があるんだ?」
「いや、関係はないんですが…カムフラージュですよ、カムフラージュ」
「まあ、どうだっていいがな」
「それより、但馬さんのところも番記者、来ませんでした?」
「ああ、いたいた。振り切って来たさ」
「でしょ!? 連中、なんとかなりませんかねえ」
「私に言われたってな。そのうち飽きて、いなくなるさ、ははは…。人の噂(うわさ)も七十五日って言うじゃないか…」
但馬が上手く言ったとき、藤崎がいつものアフロ頭を揺らせて入ってきた。
「おはようさんです…。大変でしたわ、出るとき。あっ! いつぞやの娘さんや! おたくら、どもなかったですか?!」
『おはようございます』
いつもの関西訛(なま)りで藤崎はロッカーから白衣を出しながら言った。
「今、それを話してたとこだ」
「やっぱり…」
後藤が頷いたあと、山盛教授がドアを開けた。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第181回)
修正プログラム違反だが、まっ! いいか…と、保は無視することにした。
保はいつものようにマンションを出た。少し後ろを保をガードする形で沙耶が続く。完璧なボディガードだ。番記者は近くに潜んで保を窺っているようだが、幸い、近づく素振りは見せなかった。
研究室へ入る前に立ちはだかったのは、やはりマスコミの番記者達だった。昨日と違い、一日経つと飛ぶ言葉もそう諄(くど)くない。
「おはようございます! ご苦労さまです」
おやっ? と疑えるほど淡白な声が飛んだ。取材に詰め寄る気配もない。沙耶が付いているのだが、これでは出番がなく拍子抜けだ。しかしまあ、そのお蔭でスムースに中へ入ることは出来た。
「おはようございます。おっ! いつぞやの…」
老ガードマンが沙耶の姿を見てそう言うと、外部者通行用の名札を手渡した。軽くお辞儀すると、沙耶は柔和な笑みを浮かべその名札を受け取った。
「岸田さん、実は今朝早く電話が入りましてね! なんでも、ノーベル賞に内定したみたいなんですよ、おたくの研究所。ご存じでしたか?」
「ええっ!! いや、まったく…」
保にすれば寝耳に水の話である。しかしよく考えれば、入口の番記者達が騒いでいないのが腑に落ちない。もしそうなら、中へ入るまでに突(つつ)かれたはずなのだ。訝(いぶか)しくは思えたが、保は平静を装って笑顔で老ガードマンを躱(かわ)し、エレベーターへと歩いた。沙耶は名札を左胸へつけると、そのあとを追った。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第180回)
「要は、今日から俺のボディガードを頼むってことだ。警察ならSP!」
保は快活に言った。マスコミなど、沙耶にかかりゃイチコロで、なんの問題もないことは保が一番よく知っていた。なにせ、彼女には言語認識システムがあるのだ。会話する相手の言葉で、相手が何を思っているか、そして、どうしようとしているのかが一目瞭然なのだ。この助っ人を使わぬ手はなかった。
『SP? ああ…アレ? ドラマとか映画の?』
「あんなシリアスで危険じゃないがな、ははは…。マスコミ除けさ。あっ! ちょっと、急がれてますから・・とか先導してくれてさ。沙耶が俺に言ってたやつさ」
『それを私が? …まあ、いいけど。研究室へも行くの?』
「ああ。そうしてもらうと有難い。研究室の連中にも突っ込まれないようガードを頼む。後藤なんか何を言うか分からんからな」
『って、…保以外の人は、すべて対象ってこと?』
「まあ、そうだな…」
保は頷(うなず)きながらミルクを飲み、マーマレードを少し塗ったガーリックトーストを齧(かじ)った。炊事場にいる沙耶は、温めたスープを皿に注いでテーブルに近づくと、置いた。
『私は受け身でいいのね?』
「そうだ。相手が仕掛けてきたとき応じる・ってことで」
『分かった。で、これから? 出るなら着替えなくっちゃ…』
「ははは…、SPなんだから地味にな」
『了解!』
沙耶は身を反転すると、高速の素早い動きで自室へ戻った。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第179回)
「いや、どうってことないさ…」
実は嵐を呼ぶ波乱の幕開けなのだが、保はこの段階ではまだ知らない。ただ、沙耶は藤崎の控えめな言葉に、大波乱の前兆が言語解析システムで分析していた。
『そうかしら…。なら、いいけど』
沙耶は保を心配させまいと意識を伏せた。自動保留機能で解析中に戻したのだ。そして、この日は暮れていった。
次の日、保が沙耶に起されて起きると、波乱の前兆が始まっていた。
『下見てよ、保!』
沙耶に言われ、眠気眼(まなこ)で窓下を見ると、どこで嗅ぎつけたのか、報道陣と思われる番記者の一人が辺りをうろついていた。近くには車が横づけされていた。一瞬、歴史好きの保は本能寺の変をふと思い、それは違うな…と苦笑した。
「こんなとこまで来るこたぁないだろうが…」
『マスコミもお仕事だからさ、仕方ないわよ』
沙耶に言われてみれば、確かにそうなのだ。じっと停止している番記者にも生活はあった。そう思えば、彼が不憫(ふびん)に思えてくる。保はそうした思いを振り切ろうと洗面台へ向かった。なるようになるさ…。洗面台の鏡に映る歯を磨く自分の姿を見ながら、保は何も考えないことにした。
「沙耶、さっそくで悪いんだが、初仕事だ。っていうか、俺へのボランティアだ」
『えっ?! どういうこと? 理由が認識できない』
「その言い方はアウト!」
『あっ! そうでした。でも、分かんないもん』
沙耶は笑みを浮かべて甘えた。感情システムが働いて、甘えて内容から逃避せよ・・を選択したのだ。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第178回)
『は~い!』
沙耶がアグレッシブに動いて玄関へ出ていった。ドアスコープの向こうには、いつものボケ~っとした顔で、藤崎が立っていた。
「いや~、この前は、どうも。新聞ば見ましてね。岸田さんは?」
『岸田さんですか? はい、おられますが…。お呼びしましょうか?」
「出来れば…。あいが本当か訊(き)くだけですけん」
『はい。今、呼びます。ちょっと、お待ち下さい』
沙耶は入口から引っ込んだ。
『岸田さん…』
保は、マスコミが騒ぐと、これだもんな…という迷惑顔で玄関へ出た。
「はい、何か?」
「凄いじゃなかですか、岸田さん!」
「いやぁ~、俺はスタッフというだけで、これといって…」
「いやいや、大したもんばい。なにせ、新聞の全国版やけん。そいにテレビも…」
「はあ、有難うございます。申し訳ないんですが、出来れば、騒がないようにお願いしたいんです。いや、迷惑っていうんじゃないんですが、少し疲れ気味でして…」
「ああ・・そいは気がつかんことで済みんやったと。そいじゃ」
藤崎は、たじたじとしてドアを閉ざした。ちょっと言い過ぎたか・・と保は悔やんだ。
代役アンドロイド 水本爽涼
(第177回)
気分よく浴室を出ると、沙耶が近づいてきた。
『さっき、中林さんから電話があったわよ』
「なんて?」
『さあ? かけ直すって…。たぶん、新聞とかテレビじゃない』
「あっ! そうか…。今、俺達は渦中の人だからな…」
自動補足機のニュースは、この時点で多かれ少なかれ世間に知られていた。
「おっ! 俺だ。久しぶりだが、どうかしたか?」
「お前、今日の新聞見ただろ」
中林の冷静な声が保の耳に届いた。
「ああ…、その件か。お前も薄々は感じてたんだろうが、ついにな…」
「いやあ~、全国版の一面トップだぜ、写真入りの。それにだ。テレビが賑(にぎ)やかに言ってる」
「今、沙耶に何とかならないか訊(き)いてたとこだ」
「世間に知れると、メリット、デメリット両方あるからな」
「それだ! 中林」
「世間と付き合えなくなるか…」
「というより、別世界の人間になっちまうからな。芸能人みたいなもんだ。…だがまあ、気にすんな。俺がパイプになってやる」
「ははは…太いバイプだ。そのときは頼む、じゃあな。また連絡する…そのうち、一杯、やろうぜ」
「そうだな。楽しみにしてるぞ…、じゃあ!」
保が電話を切った瞬間、玄関チャイムが鳴った。