雑念を湧かす間もなく慌(あわ)てる場合がある。世間はそれだけ何が起きるか分からない要素含んでいる訳だが、町川も通勤の途中で思いもかけないハプニングに出食わすことになった。まあ、悪いアクシデントではなく済んだのは良かったのだが…。
いつものように自転車に乗ると、町川は出勤のため家を出た。そして、いつものようにお決まりの公設駐輪場へと向かった。そこから徒歩で約五分ばかりのところに地下鉄の下り階段がある・・といった寸法だ。町川は同じ時間帯で到着する列車を駅ホームで待ち、これもまたいつものように入ってきた列車に乗った。車内は朝早いこともあり、それほど混んでいなかった。と、いうか、町川の目に入る人影は皆無だった。この二本あとの列車から急に乗客が増えることは町川が調べ尽くした結果である。だから、この状況もいつもどおりだった。列車が次の駅へ入り、ドアが開いたとき、一人の老人が杖をつきながらヨロヨロと乗り込んできた。そして、なんとこともあろうに町川の隣の席へヨッコラショ! と座ったのである。車内は乗客がいないこともあり、空きスぺースだらけである。フツゥ~なら適当に空いている座席へ腰を下ろす・・としたものだ。それにもかかわらず、老人は町川の隣の座席へピタッ! と寄り添うように座ったのである。町川は瞬間、何かあるのか? …と思うでなく思った。最初の内はそれほど慌てる気分でもなかった町川だったが数分、列車に揺られていると、老人が俄(にわ)かに話しかけてきた。
「通勤ですかな?」
「えっ!? ああ、まあ…」
町川は少し驚いて言葉を濁した。
「今日、お会いしたのも何かのご縁ですじゃ。これなど差し上げましょうかのう…」
老人は呟(つぶや)くようにそう言うと、手持ちの頭陀袋(ずだぶくろ)から根付のような時代を物語る古物を取り出した。そして、町川の目の前へ、ゆっくりと突き出したのである。町川もこのときは慌てた。見も知らない老人から突然、よく分からない古物を差し出されたとき、誰しも慌てるに違いない。町川もご多聞に漏れなかった訳である。
「これは…」
そう訊(たず)ねるのが町川にとっては関の山だった。
「ははは…見てのとおり、ただの根付ですじゃ…」
「なぜ、私に…」
「ははは…これといった訳もござりませぬが、あなた様に後光が射しておられましたからのう…」
「後光が…」
「はい…」
町川は、自分は後光が射すほど値打ちがある男ではないが…と訝(いぶか)ったが、老人の気持を損ねるのもな…と判断し、恐る恐る片手を差し出すと、その根付と思しき物を手にした。
「この根付は…」
「ははは…今も申し上げたとおり、ただの根付ですじゃ…」
辺りには二人の話を聞く乗客もなかったが、不思議なことに老人はその根付を手渡した途端、スゥ~っと町川の前から跡形もなく消え去ったのである。町川としては慌てるどころの話ではない。これはもう、ホラー以外の何物でもなかった。町川の手元には老人から手渡された根付だけが残されていた。いつもの駅で降りた町川の心に、何だったんだろう…という恐怖にも似た雑念が迸(ほとばし)った。その後、町川には、いいことばかりが起こるようになった
こんな調子のいい、慌てるようなハプニングはありませんよね。^^
完
予想外のことが突発して起きたとき、雑念で迷うか迷わないかは、人それぞれによって違う。ドッシリと構える人もあれば、オタオタして右や左に動き回る人もある訳だ。この男、老舗うなぎ専門店の板長、大物は前者の一人で、ドッシリと腰を据えるでなく、板場で立ったままニヤけた。
「だ、大丈夫なんですかっ!? 板長っ!! あと、二十分しかありませんよっ!!」
「ははは…何をそんなに慌(あわ)てとるんだっ、小袋」
「だって、あと、二十分しか…」
予想外の入った注文に、板前見習いの小袋は語尾を濁(にご)した。
「二十分もありゃ、御(おん)の字だよ小袋。十五分では少しきついが…」
そう言いながら大物は、やり残した厨房作業をアレヨアレヨという間に処理していった。そして、およそ七、八分を残し、注文されたノルマをすべてやり終えたのである。この日のデリバリーを受けた注文は、うなぎの白焼きと特上のうな重[肝吸い付き]が、それぞれ十人前だった。^^ その料理は、配達店員により瞬く間にバイクで宅配されていった。
予想外のことが起きたとき、どうするっ!? と雑念に惑わされることなく、動じないでドッシリと構える心持ちが大事なんですねっ!^^
完
有馬は湯に浸かりながら雑念を湧かせた。ああ、いい湯加減だな…という雑念ではない。^^ 俺は今年で七十五になる。俺の寿命はいつまでだろう…という雑念である。
「いいお湯ですな、有馬さん…」
一緒に来た同じ老人会の鹿尾が、隣から赤ら顔で小さく声をかけた。
「ああ…いい湯加減ですな…」
二人が露天風呂に浸かってから、すでに十五分ばかりが経っていた。
「鹿尾さんは、今年でお幾つになられました…」
「ははは…有馬さんより二つ上になります…」
「といいますと、七十七ですか…」
「はい、喜寿で…」
「それは、お目出度い…」
「お目出度いかどうか…」
「ははは…『門松や 三途の川の一里塚 目出度くもあり 目出度くもなし』ですか…」
「さようで…」
「お互い、今を明るく過ごしましょう。ははは…」
有馬は、寿命は考えても仕方がないか…と、浮かべた雑念を忘れることにした。
完
橘はネットで商品を購入した。ところが、その商品を使用しようと設置を業者に依頼したところ、業者が、液化天然ガス取締法のコンプライアンス強化で設置できません…と攣(つ)れなく断られてしまった。購入商品は宙に浮いてしまったのである。¥30,000近い商品だったため、橘は宙に浮かせておくのも如何(いかが)なものか…と思慮し、ネット販売先でキャンセル手続きをした。そして、手続きが業者から了承されたため宅配便で返品した。橘は、やれやれ、これで返金される…と安堵(あんど)した。ところが、である。そのひと月後、とある買い物をして預金通帳から額を引き出したところ、クレジット会社から購入商品の全額が引き去られていたのである。橘は、? と頭を傾(かし)げた。キャンセルで商品は返品したのだから引き去られるはずがない…と考えた訳だ。橘はネット販売先へ電話をかけた。
『所有者証と電池、本人確認票が入ってませんでしたので…』
「えっ!? 着いた箱でそのまま送り返したのですが…」
『もう一度ご自宅にないか、確認してもらえませんか?』
「ちょっと、このまま待って下さい…」
橘は書類ファイルを電話を切らずに調べ始めた。すると、ファイルの中に言われた書類があった。入れ忘れていたのである。
「ありましたっ!」
『そうしましたら、箱などで梱包(こんぽう)して送って下さい』
「はいっ!」
橘はこれで返金される…と安心した。
「返金はいつ頃になるんでしょう?」
『到着確認をして、その後になります…』
「全額、返金してもらえるんでしょうか?」
『開封されてますから、会社の規則で半額返金となります』
橘は半額か…と、ガックリ肩を落としたが、それでも返してもらえるなら…と雑念を湧かせた。
「よろしく、お願いします…」
一党独裁はよくないな…と、電話を切った橘は飛躍した雑念を湧かせた。橘の飛躍した雑念の構図は次の通りである。
一党[政府与党の]独裁→他の政策集団は手も足も出ない→法強化[コンプライアンス強化]→使用不可→暮らしにくい→庶民泣かせ[橘を含む]→クーリング・オフの返金額[全額]→会社の規則[開示により半額]→ぅぅぅ…
橘さんを踏まえ、皆さんも一考、下さい。^^
完
各自・・平たく言えば、それぞれ、おのおの・・といった意味だが、本人の思いとは裏腹に、各自の思いや状況などといったものが存在し、人は各自の動きで生きている訳である。小さな産院の医者、川平もそんな思いでふと、雑念を浮かべていた。
『今日の夕飯は何だろう…』
「先生、患者さんのトラアージなんですが…」
「んっ!? ああ…。深山さん、海川さんだな…」
「はい…」
それを患者待合所で聞いた妊娠2ヶ月の珠美は、『栄養になるアジは分かるけど、トラ? …トラの毛皮は冷えをなくすからいいのかしら…』
「島村さぁ~~ん」
そんな雑念で待っている珠美に看護師の加藤が声をかけた。
「あの…アジは栄養食にいいんですか? トラって?」
「はっ!?」
「いえ、別に…」
つまらないことを訊(たず)ねてしまった…と、罰の悪い顔で珠美は診察室へ入り、診察椅子へ腰を下ろした。
「先生、トラの皮は冷えないんでしょうか?」
「はっ!?」
意味不明な顔で川平は思わず珠美の顔を窺(うかが)った。
「いえ、別に…」
珠美は、また余計なことを訊ねたと、すぐに全否定した。
このように、各自の思いはそれぞれに違っていて、世の中にはビミョ~な雑念が飛び交いながら動いている訳です。^^
完
人の腹具合というのは実にデリケート[繊細]に出来ている。
小堀は、今日に限ってどうも腹が減るなぁ~…と雑念を湧かせていた。いつもはそうも思わないのだが、昨日は余り食欲がなかったため、そのギャップが雑念を湧かせたのである。
『どうも腹具合だけは思うに任せない…』
自分の意思ではどうにもならないと小堀は深いため息を一つ吐(つ)いた。
「お父さん、そろそろ夕飯ですよ…」
書斎で執筆する小堀に妻がドアを開けず声をかけた。
「ああ…」
小堀は小さく返した。今日の原稿を出版社へ明日の朝までにネットで送る必要に迫られていたが、コレという随筆の原稿ネタが浮かばなかったこともあり、仕方なく書斎のデスクから重い腰を上げた。と、いうのは口実で、腹具合が空腹に苛(さいな)まれていた・・というのが真相だった。
夕食を貪るように食べ尽くすと、ようやく小堀の腹は満たされて癒やされた。腹具合がOKを出したのである。すると妙なもので、食べる前までは浮かばなかった原稿ネタがスゥ~っと浮かんだのである。小堀は書斎へ急行すると貪るように原稿入力を始めた。そして約三十分後、原稿は完成したのである。小堀は出版社へ電話を入れ、ネット送信した。
『先生、今回の原稿、確かに受け取りました…』
出版社の番記者から電話があり、小堀は終わったか…と、安堵しながら浴室へ直行した。すると、また腹が空いてきたのである。困ったやつだ…と雑念を浮かべ、小堀は自分の腹具合に思わず愚痴を零(こぼ)した。
腹具合は人の意思とは関係なく変化しますから、雑念で一喜一憂することなく、素直に生理現象に従う方がいいようです。^^
完
出来不出来は別として、やるだけやる! と意気込むのは必要だ。岳上(たけがみ)も、やってやる! と雑念を振り捨て意気込んでいた。ただ、相手は大手のヘッジファンド、KARASである。ヘッジファンドはハゲタカの異名を持つ投資ファンドで、この餌食(えじき)になればM&A[合併と回収]により会社は乗っ取られる運命に立たされる。岳上の会社は、まさにその餌食になろうとしている矢先だった。
「岳上君、君もしくは君の部下達がファンドにその実態を知られようと当会社は一切、関知しないからそのつもりで。成功を祈る!」
「…」
上司の人事部長の峠にミッション・インポッシブルのように告げられた特殊任務課の課長、岳上は、沈黙したまま一礼すると部長室を出た。ミッション・インポッシブルと違うのは、直接、言われたたことである。^^
彼が率いる特殊任務課の課員達は産業スパイと社内では呼ばれ、その実態を知る者は社内にほとんどいなかった。
『今度ばかりは難しいが、社命とあればやるしかない…。まあ、やるだけやるさ…』
岳上は脳裏の秘策を考えながらニヒルに嗤(わら)った。
「以上の通りだ…。いつものように、潜入後、発覚した場合は、ただちに解雇処分となることは覚悟してもらいたい。その場合、退職金が個人あるいは家族に振り込まれることは従来のとおりだ…。では、それぞれの任務をこれより遂行してもらう。よろしく頼む。以上だ…」
岳上が課員達に静かに告げると、課員達は黙して一礼し、課を去っていった。
ひと月後、KARASは金融庁の査察を受け、組織はほぼ解体した。雑念に惑わされることなく任務を実行した岳上の内部工作が、ものの見事に成功したのである。
極秘事項は雑念に惑わされないことが成功の秘訣のようです。^^
完
(49)アレコレの別話である。
アレコレとしなければならなくなった砂木は、ついつい疎(うと)ましくなる自分を戒めた。疎ましくなったのは、疲れ+処理しなければならない物事の多さ・・が原因していた。なんといっても一週間、多忙に追われ、心身ともに疲れ果てていたのである。
『だが、しなければ、俺以外に誰もする者がない…』
砂木の脳裏を駆け巡る雑念は次第に膨れ上がっていった。
『よしっ! ともかくやろうっ!』
決心して意気込んだまではよかったが、何から手を付けていいのか? の算段がつかない。砂木は、ふたたびドッシリと腰を下ろし、雑念に沈み込んだ。
『アレだけでも片づけるか…』
決断し、とにかくアレコレのアレだけをやることにした砂木はアレを処理し始めた。すると案に相違して物事がスンナリと運び出したのである。アレヨアレヨという間に、アレコレのアレコ[約四分の三]ほどが処理できたのである。
このように、アレコレと処理する物事が多かったとしても、雑念を湧かさず、とにかく実行すれば、なんとか処理できてしまう・・というお話でした。ご参考に!^^
完
この国ほどいい国はない…と、今年から社会人となった崖下は勤務後、駅へ続く歩道を歩きながら、雑念を浮かべていた。目の前にはポイ捨てられたタバコの吸い殻が、そしてしばらく歩くと空になったペットボトル、空き缶が転がっていた。崖下は捨てた人の心境が知りたくなった。
『たぶん、何も思わず捨てたんだろうが…』
崖下は捨てた人の心を善意に解釈した。誰もいい国を汚くしよう…などと考える人はいない…と思えたからである。ところが、崖下がまたしばらく歩いていると、走り去った車の窓が開き、火が点いたままのタバコが投げ捨てられる光景が目に入ったのである。
『いい国だが、残念ながらそう長くはないな…』
崖下はまた敗戦前の日本に戻る雑念を本能的に浮かべた。
そして五十年の月日が流れ去った。崖下は、すっかり老いぼれ、地下都市で暮らしていた。地上は数年前の核戦争で人類が生存出来ない死の星となり、世界の国々は消え去っていたのである。悪い国は消滅したが、当然、いい国も消滅していた。
崖下さんが雑念を湧かすことがないようないい国が今後、五十年、いや百年先も続くよう願いたいものです。^^
完
夢のような話が現実になることがある。ただ、その現実はなんとも不安定で変化し易(やす)く壊れ易い・・という欠点を持っている。だから、夢のような話が現実になったときの処し方が問題となる。
「た、棚橋さん…当たってますよっ!!」
会社のデスクに座り、パソコンで事務処理をしている棚橋に手が空いた隣のデスクの後輩社員、諸崎が新聞紙面と宝くじ券を比較しながら声を震わせて言った。手が空いた棚橋に諸崎が番号確認を頼んだのだ。
「ははは…5等の1万円でも当たったか…」
「と、とんでもないっ!! 1等の前後賞ですよっ!!」
「またまたまたっ! 私を担(かつ)ごうたって、その手は桑名の焼き蛤(はまぐり)だっ!」
「なに言ってんですかっ! み、見て下さいよっ!!」
震える手で諸崎は新聞と宝くじ券を棚橋に手渡した。
「そんな夢のような話が…どれどれっ! 一等が26組の127421番だから、前後賞は26組の127420番と127422番だろっ。…俺の券が26組の127422番…ええっ!!! 新聞が26組の127422番で俺のが26組の127422番…」
棚橋は失神しそうになり、ふらつきながら新聞紙面に釘づけとなった。
「一等が7億円で、その前後賞は1億5千万円ですよ、棚橋さんっ!」
その日から棚橋は夢のような話が現実となり、アレコレの雑念に悩まされることになった。なんといっても棚橋の月々の給料は、可処分所得で42万8千円だったのである。定年までコツコツ働いたとしても、とても1億5千万円には手が届きそうになかった。棚橋は呆然自失となり、労働意欲を失って現在休職しているという。
夢のような話は雑念を湧かせ人を惑わす危険を孕(はら)む・・という注意喚起のお話でした。^^
完