水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

短編小説集(23)食欲前線 <再掲>

2024年08月31日 00時00分00秒 | #小説

 海鮮は、堀田家の食卓を自分が彩(いろど)るというテーブル上の野望に燃えていた。しかもそれは、飽くまでも楚々として、至極自然であらねばならなかった。そのためには肉盛が邪魔だった。唯一、それが可能となるのは中立の御飯の動向である。御飯はどちらの派閥にも属さず、中立を保っていた。海鮮は肉盛派を切り崩そうと謀(はか)っていた。御飯に連携できる料理を提案したのだ。
『なんといっても、秋サンマにはカボスやスダチ、レモン、ユズ汁。醤油のオロシ大根。で、あなたでしょ? お寿司の新鮮なネタにはシャリ!』
『はあ、まあ…』
 御飯は返事を濁した。肉盛も密かに携帯で御飯に打診していたのである。
『ジュジュっとなった焼き肉に特製タレです。そして、あなたが…。どうです? スキ焼なんかも、いいなあ』
『はあ!』
 御飯は乗り気になっていた。そこへ海鮮の提案だった。御飯は迷って親友の味噌に相談した。
『どうなんだろうね、味噌君。僕はどちらに付いた方がいいんだろう』
『それは君が決めることだ。僕は中立の立場だから、海鮮さんにも肉盛さんにも呼ばれてるんだが…』
『君のように今までどおり中立でいこうかとも思うけど、小麦君が迫ってるからな』
『だよな…。彼は侮(あなど)れない。野菜君の意見も聞いた方がいいよ』
『それは大丈夫なんだ。彼は部下の大根、カボス、レモン、スダチ、ユズを使ってくれ、と応援してくれたんだ』
『でも、レタス君は肉盛派に付いたぞ。焼き肉君を包むそうだ』
『耳寄りな情報を有難う』
 秋の食欲前線たけなわ。堀田家の派閥争いは混沌(こんとん)としていた。
「ママ、今夜は?」
「今日は、時間がなかったから店屋物(てんやもの)。パパは接待で遅くなるしね」
「そうなんだ…」
『…』『…』

            THE END


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短編小説集(22)柳の風 <再掲>

2024年08月30日 00時00分00秒 | #小説

 季節が違う…と聖也は思った。幽霊が賑(にぎ)わう相場は夏である。今は? と辺りを窺(うかが)えば、夕暮れで風が戦(そよ)いでいるが、そうは暑くない。いや、どちらかといえば涼しさが幾らか出始めた初秋の夕暮れである。風に揺れる柳、川堀などもあるから、この辺りはとっておきの現れどころなのだ。ただ、季節が少し遅い感じだった。
 聖也は予想外の珍事であの世に逝(い)ったものだから、今一つ死んだ、という感覚がマヒしていた。死んだ途端、なぜか記憶がスゥ~っと途切れ、そしてふたたびスゥ~っと戻ったのだ。変わったことといえば、ただそれだけだった。だから、聖也には死んだ感覚がなかったのである。皆がそうなのかは別として、焼いた餅を喉(のど)に詰めて死んだなどとはダサくて、若い聖也には言えたものではなかった。聖也とすれば、やはりここはバイクを飛ばしガードレールに激突し・・でなければならないのだ。それに風が吹いて柳が揺れたとはいえ、幽霊で現れるなどはもっての外(ほか)だった。聖也がそんな気分で浮かんでいると、後ろから声をかけられた。
『ああ、新人さんですか?』
 驚きはしなかったが一瞬、ギクリとして聖也は声がする方向を見た。ひとりの、ダサそうな老人がひとり、同じようにさ迷っていた。足が消えていたから同類だと思えた。
『あなたは?』
『私ですか? 私は古くからここを塒(ねぐら)にしている者です』
『塒? …ホームですか?』
『ははは…まあ、そのようなものでしょうか。もう、かれこれ百年になります』
『百年!!』
 聖也は、この言葉に驚かされた。余りにも古い。
『はい。誰もこなかったのですが、今日初めて、あなたが現れたんですよ』
 どうも、他の者はいないようだった。
『餅を喉に詰めましてね…。今となれば語れるんですが。死んだ当初は、格好悪くて、とても話せる気分ではなかったんですよ。まあ、話し相手もいなかったのが、勿怪(もっけ)の幸(さいわ)いだったんですが…』
 訊(き)いていないことまでよくしゃべる爺(ジジイ)だ…と、聖也は思った。待てよ! それはそうとして、死んだ原因は俺と同じだ…と聖也は気づいた。
『俺も餅喉なんですよ!』
 ロック歌手の聖也は、格好をつけて喉を指さした。
『私は歌舞伎役者!』
 その老人もまた、格好をつけて歌舞伎風に見得(みえ)を切った。聖也は同じ方向なんだ・・とニタリとして見た。老人もニタリと笑った。二人は風に揺れる柳の回りを舞台に見立て、フワ~っと格好よく一回転した。どちらも少し、間抜けしていた。

               THE END


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短編小説集(21)残像  <再掲>

2024年08月29日 00時00分00秒 | #小説

 めでたく新年が明け、遠くの山並みに昇る初日の出を見ながら勇は背伸びをした。この一年、どう過ごそうか…。確固とした計画もなにも立っていなかった。去年と同じで、また無為に一年が過ぎ去るのか・・と思えば、無性になにかしたい気分になった。
 気づけば車を止め、知らない街の繁華街を歩いていた。どう考えても、見た記憶が浮かばない街並みだった。落ちつけ! 落ちつくんだ! と、勇は自分に言い聞かせた。記憶を遡(さかのぼ)ろうと立ち止り、目を瞑(つむ)った。家を出て駐車した車に飛び乗った。…そこまでは、はっきりと覚えていた。住んでいる街を抜けてしばらく走り、隣街へ入った。…確か、そうだった。この辺りの残像はまだ確率が高い、と勇には思えた。ふと、不自然に立ち止っている自分に気づき、一端、瞼(まぶた)を開けると歩道にあるベンチへ座った。そして、また目を瞑った。記憶の残像が、ふたたび脳裡を巡り始めた。そのとき、ふと小学校で習った日時計を勇は思い出した。目を開けて空を見れば、日は中天やや左に昇っていた。冬場だから日の運行は軌道が低い・・とは、知識にあった。家を出たのは7時半頃だった…という残像が幸いあり、今から逆算すれば約4時間は走っていた計算になる。勇は立ち上がると自動販売機で買い求めた缶コーヒーを啜りながら、駐車した車へ戻った。幸い一本道だから逆行して走ろう・・と勇は単純に思った。
 4時間ばかり走ると、どうにか記憶の残像にある街並みが見え始めた。やれやれ、戻ってきたんだ・・と勇は、ほっとした。冬の日没は早い。もう、夕暮れ近かった。
 家の駐車場へ車を止め、家へ入った。朝刊を新聞受けから取り出し、手にして驚いた。日付けは大晦日の12月31日だった。それも、新年を迎えた前の年の…。残像に残った新年は、まだ巡っていなかった。
『旧年中は、いろいろお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします、どうぞ、いいお年を…』
 すっかり暗くなった6時半過ぎ、勇が夕食を食べていると電話が入った。世話をした知人からだった。同じ残像を勇は思い出した。昨日もかかった電話だ…と思えた。勇は新年を迎えるのが、そら怖ろしくなった。もう家を出まい…と、除夜の鐘が鳴る中で思った。だがひと眠りした次の朝、勇の残像は消え去り、初日の出を見たあと、家を出ていた。

               THE END


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短編小説集(20)ガソリンを飲む男  <再掲>

2024年08月28日 00時00分00秒 | #小説

「今日はもう、帰っていいよ。お疲れさん!」
 所長の下岡にそう言われ、多田は緩慢に席を立った。ようやく一日の仕事が終わったか・・と多田は解放された機械のように思った。やれやれ、これでガソリンが飲めるぞ! と多田は嬉しくなった。下岡経理事務所に勤める多田にはひとつの秘密があった。それは秘密というより、下岡ばかりか誰にも話せない科学を覆(くつがえ)す秘めごとだった。多田がそうなったのには一つの原因があった。その頃、多田は親の脛(すね)を齧(かじ)る学生だった。なに不自由なく学生生活を満喫していた多田は、卒業式の後、打ち上げの飲み会に参加していた。学生生活もこれで最後か・・という気分も多少あり、テンションは高かった。
「イッキ! イッキ! イッキ!」
 チューハイをすでに2杯飲んでいた多田だったが、同期の学生仲間に煽(あお)られ、よし! 飲むか! と一気に飲んだ。酔いも手伝わせていた。そのとき異変が起きた。なんの飲みにくさもなく、水を飲むようにスゥ~っと飲めたのである。しかも、それまでの酔いは完全にどこかへ消え失せていた。その異変を他の者達は、まったく気づいていなかった。ただ、多田が飲み干す余りの早さと、そのスムースな飲みっぷりには驚きの歓声と拍手が上がった。多田は顔で笑ったが、体調の異変に内心では笑えなかった。それ以後、異変が断続的に多田を襲うようになった。無性にアルコールが欲しくなるのだ。酒ならなんでもよかった。それでいて飲むと、酔わなかった。どういう訳か、酒臭さもなく、まるで水を飲んだような感じだった。そして、ついに究極の異変が起きた。
 ある時、仕事をしていた多田は、無性にアルコールが欲しくなった。生憎(あいにく)、いつも鞄(かばん)に隠し持っていたカップ酒を切らしていた。身体はアルコールを求めている。ついに多田は我慢し切れなくなった。
「すみません! ちょっと失礼します!」
 下岡は脂汗を流す多田の異常に気づいた。
「どうした? 腹具合でも悪いか? 顔色が悪いぞ」
「いえ! …」
 立つとペコリと頭を下げ、多田は事務所を走り出た。向かったのは酒屋ではない。もう、その余裕が多田にはなかった。事務所の駐車場の片隅には、万一のガス欠用のガソリンが小タンクに買って保管されていた。多田はそのキャップを開けると一気飲みしたのである。このとき多田は、えも言えぬ満足感を覚えた。いままでのアルコールにはなかった感覚だった。そして飲んだ直後、多田は無性に走りたくなった。いくら走っても息切れしなかった。それどころか自動車並みに走れた。
「君さ、最近、食べなくなったね? 大丈夫かい、身体…」
 昼食も食べなくなった多田を気づかって、下岡が声をかけた。
「あっ! 僕は大丈夫です、ガソリンがありますから」
「えっ?!」
 下岡は耳を疑って、訊(たず)ねた。
「いえ、別になんでもありません…」
 口が滑(すべ)った…と、多田はすぐ打ち消した。しかし多田の身体は、いつの間にか機械人間へと変身していた。さらに怖ろしいことに、この異常現象は多田から下岡へ、そして…感染するかのように地球全体の人類すべてへと蔓延していったのである。ガソリンなしでは生活できなくなった人々。ついに、ガソリン需要を賄(まかな)えなくなった人類は…、この先をお話しするのは、身の毛がよだつので、やめることにしたい。

              THE END


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短編小説集(19)お粗末感  <再掲>

2024年08月27日 00時00分00秒 | #小説

 人は立て前で生きるものだな…と、大森は思った。大森は立て前が嫌いな性分で、本音で生きてきた男だった。だから、公私ともに随分と損をしてきた。ここは抑えるところだ、と分かっていても、つい口に本音が出てしまうのだった。先だっても、こんなことがあった。
「お前は、よく間違えるな~! 同じところじゃないか! 予算科目も分からんのか! これは、細節だ。いい加減に進歩しろ! 大森の方は…これでいい」
 区役所の課長補佐、田坂は部下の三崎と大森を前に小言を並べていた。係長のときは猫の声だったものが、つい最近、管理職に昇進したのをいいことに管理者風を吹かせていた。嫌な奴・・という思いが大森にはあった。この日も、横の三崎が小言をもらった。
「それは、ちょっと言い過ぎなんじゃないですか?!」
 大森は黙ってりゃいいものを、つい口にしてしまった。直後、しまったと思ったが、もう遅かった。
「なにぃ! 君に言ってるんじゃない! さっさと席へ戻って仕事をしろ!」
 顔を赤くして田坂が怒りだした。返って怒らせてしまった…と、大森をお粗末感が包んだ。俺はいつも、こうだ…なにかいい手立てはないものだろうかと、大森は机上のパソコンを操作しながら、そんなことを考えていた。そして、ある考えが大森の脳裡をふと翳(かす)めた。
━ そうだ! いつも自分をお粗末な男だと思えば、口が止まるかもな… ━
 大森は、よし、それでいこう! と決意した。それには絶えず、俺はお粗末だ…と意識して思っていなければならない。いわば、お粗末感を抱き続ける集中力が必要なのだ。そして、大森がその決意を実行して、ひと月が経過した。
「あいつ、随分、大人しくなったな…。なにかあったか?」
「さあ…」
 課の同僚達からそんな声と小笑いする声が大森に届いた。立て前で生きるくらいなら、人生やめちまえ! と、ふたたび大森の心に本音が浮かんだ。いや、いやいやいや…大森は慌(あわ)てて打ち消した。
 そんなある日、企画会議の席で、ついに大森の鬱積した心が爆発した。
「馬鹿いっちゃいけない! あんたの方針だと、来年からこの課は、お手上げだ!!」
 言われた田坂は立ち上がろうとした。それを課長の下瀬が押しとどめた。
「大森君の言うとおりじゃないか。田坂君、この案は再考だな、ははは…」
 下瀬はそう言って立つと、横に座る田坂の肩を軽く一、二度、叩いて席を去った。
「今日は、これまで!」
 苦虫を噛(か)み潰(つぶ)したような顔で田坂は、そう告げた。よし! 俺は俺だ! 大森の心から、お粗末感が消え失せていた。

                 THE END


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短編小説集(18)金盗り村  <再掲>

2024年08月26日 00時00分00秒 | #小説

 頃は大正半ばと申しますから、今からかれこれ百年ばかりも前のお話ということになります。実は、このお話、私が祖父から直接、聞かされた本当の話なのでございます。祖父は私が成人になる頃、他界したのでございますが、このお話は私が子供の頃、寝物語に枕元で聞かされたお話なのでございます。
 実名をお話しするのは憚(はばか)られますから、ただ村と呼ぶだけでお話を進めて参りたいと存じます。祖父の話によりますと当時、この村は六十戸足らずの小さな村だったそうでございます。小さな村と申しましても一応、役場もあったそうでございますが、なんとも暮らしにくい村だったと申します。私の祖父は当時、竹細工の小売りをして生計を立てていたそうにございますが、まあそれなりに暮しておりました。本当なら、儲けも程々、あったそうでして、生活のゆとりも出来たはずだったと申しましたが、どういう訳かこの村は村税が高く、祖父は金盗り村だ! と不平不満を私に申しておりました。幼い私は、ただ聞かされるばかりでございましたが、今こうして考えますと、ひどい村もあったもんだ・・と、ただただ呆(あき)れるばかりでございます。しかし、報いはあるようでして、現在、この村は一戸すら存在いたしません。私も一度、この村が存在した所へ行ってみましたが、六十戸足らずの家すべてが廃墟となっておりました。当時の村人がどこへ消えたのか・・怖いお話になりますから、散り散りばらばらになったと考えるのが妥当なのでございましょう。では、祖父達が納めた村税がどこへ消えたのか? この謎(なぞ)は、今も残る金ピカの村人寄合所がそれを物語るだけでございます。金ピカの村人寄合所・・廃墟の家々・・。比較すれば怖いお話でございます。
 このお話、今の時代の箱モノと呼ばれる国の公共事業にも通じるものがあるのでは? と考えさせられた次第でございます。もう少し言わせて戴きますと、豊かな日本の暮し? これに反比例するかのような国の債務の大きさでございましょうか。百年後、この国は? と考えますと、怖いお話でございます。
 そんなことを、ふと想いに浮かべた訳でございます。

              THE END


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短編小説集(17)欲  <再掲>

2024年08月25日 00時00分00秒 | #小説

 今朝は妙に冷えるな…と、荻窪一郎(おぎくぼいちろう)は思った。よく考えれば、家の温もりがあるだけ有難いのだ。昨日、通勤帰りで見た路上の浮浪者、川辺の姿が、ふと浮かんだ。川辺は痒(かゆ)そうに首筋を掻きながらニヤリと笑った。寒風を避ける保温用の段ボール一枚で身を纏(まと)うホームレス・・おぞましく思え、目があった瞬間、一郎は川辺から視線を避けるように通り過ぎた。今、思い返せば、一郎は三年前、川辺の横で同じように段ボールで身を包んでいたのだ。それが空き缶を拾い集めに出て偶然、拾った鞄(かばん)。そして、その中の金。一郎は、無欲で警察へ届けた。だが、落としたという届け出は、ついになかった。届け出がなかったのは恐らく汚れた金だったからだ…と、一郎には思えた。笑った浮浪者の川辺は、その経緯(いきさつ)を知っていたのか? そこまでは一郎にも分からなかった。 
 警察から受け取った金で、一郎は身だしなみを整えた。どういう訳か、その後の一郎はトントン拍子に運がよくなった。逆境から這(は)い上がろうとする意欲が彼を人生の成功へと導いた。そして、今の家庭が出来た。すでに、妻と結婚して二年、妻の実父の会社を引き継いだのは、つい一年前のことだった。ただ、あの頃の一郎と違うのは、意欲が失せ、ただ、おぞましい人間の業欲だけが一郎を蝕(むしば)んでいたことだった。昨日、川辺に出会ったのは、欲に迷って出来た女との密会のあとだった。川辺から視線を避けたのは、その気まずさがあったのも確かだった。それを境に一郎は人生から転げ落ちていった。女がいたことが発覚し、家庭は崩壊。会社を追われ、養子に入った家は追い出された。
 一年後、一郎は路上の浮浪者になっていた。よく考えれば自業自得だった。今朝は妙に冷えるな…と、一郎は実感して思った。隣の川辺が痒そうに首筋を掻きながらニヤリと笑った。一郎は、おぞましく思わなかった。

                  THE END


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短編小説集(16)冬眠人間  <再掲>

2024年08月24日 00時00分00秒 | #小説

 風が吹こうが吹くまいが、雨に濡れようと濡れまいが、そんなことは関係なかった。冬眠に誘(いざな)われた山村卓巳(やまむらたくみ)はすでに昏々(こんこん)と眠っていた。そこは森の中で、1m以上は積もったと思える枯れ葉が山村のベッド代わりだった。幸い、ひとたび寝入ってしまえば、あとは春先に目覚めるまで待てばよいのだから好都合に出来ている。俺は人間か? ひょっとすると宇宙人? 狼人間? ははは…そんなことがあるはずがなかろう。ただの異常体質さ…と、山村は自問自答したことがあった。何も食べずに冬眠する人間など、いるはずがない。山村は科学的な過去のマスコミ資料を探ってみた。だが、そんなSF紛(まが)いの記事や報道がなされたことはなかった。探る山村自身にも、そりゃ当然だろう…と思えていた。
 ヒューヒューと木枯らしが舞っていた。時折り、枯れ葉の数枚が彼の顔を覆ったが、すでに彼は眠っていた。一本の大樹の下だから、割合と凌ぎよい場所だった。いつの間にか冬となり、雪が足元を覆った。山村は木の葉の掛布に覆われているから終始、暖かさは保たれていた。ただ彼は冬眠していたから寒暖の感覚はなかった。どういう訳か、獣(けもの)、鳥、それに虫や微生物は彼を避けた。それゆえ、彼は少しの害も被(こうむ)ることはなかった。
 春になり目覚めると、山村は川のせせらぎで汚れた身体を洗い、世の物(衣類、背広、財布、時計、身分証、運転免許など)が入ったボストンバッグを隠し場所から取り出して身につけると歩き始めた。冬眠以外、皆と変わりはないさ…と山村は思うことにしていた。
「おはよう!」
「あっ! 社長、おはようございます! 今、帰国されましたか」
 秘書の谷田は山村の姿に驚いたように言った。
「ああ。なにか変ったことは?」
「はあ、これといって…。詳細は副社長に」
「ああ、そうだな」
 冬眠に入る前、谷田には、明日から数か月休む・・と言ってあった。毎年のことだから、谷田も素直に従った。それが去年の11月の末で、今は4月初旬である。その間、社長の職務代理を副社長の小坂に委(ゆだ)ねてあった。事情により行先と連絡は一切、不問とした。だから、なんの心配ごとも山村にはなかった。
「今、小坂君は?」
「はっ! おられます。ご連絡いたしましょうか?」
「そうだな…。帰った挨拶だけでもしておこう。それから今日は早退する」
「かしこまりました…。明日からは?」
「ああ、いつものように自宅へ車を回してくれたまえ」
「はい、お迎えに参上するよう手配いたします。お時間は?」
「そう…8時過ぎだな」
「そのように…」
 山村に動揺の気配はない。しばらくして、副社長の小坂に挨拶を終えた山村は本社ビルを出た。
 乱舞する桜・・春爛漫。いよいよ、1年の3分の1を眠った山村の活動時期が始まったのである。一面に咲いた桜を見ながら山村は両手を広げ背伸びした。一匹の蛙が山村の背広ポケットでケロケロ…と鳴いた。

              THE END


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短編小説集(15)あの世駅  <再掲>

2024年08月23日 00時00分00秒 | #小説

「急がないで、急がないで…。今日はあなたが最後です。あなたが乗るまで発車しませんから…」
 急いでいたホームの女は頷(うなず)き、ゆっくりと列車へ乗り込みました。
 私がこの駅に雇われて、そう…もう、かれこれ三年になります。この日も私は、あの世への最後の旅人が乗ると、発車の笛を吹きました。もちろん、あの世名簿を確認したあとです。この日は最後の一人を加え、計28名の旅人が乗りました。列車は静かに駅ホームを離れ、闇の彼方(かなた)へと消えていきました。ここは終着駅でもあり始発駅でもあります。午前0時の10分前には規則正しく到着し、日付が変わった0時には規則正しく発車するのでした。あの世から到着する列車には誰も乗っていません。誰も乗っていない列車とは言いましたが、それは無人という意味ではなく、実は人の目にそう見えるだけで、本当のところを申しますと、生まれる人の霊魂があの世からやって来るのでした。私にも何人の霊魂がやって来るのかは分かりません。そのあの世からの列車は日付が変わると同時にあの世へ向け、発車します。乗る人は死んだ霊魂で、駅の構内だけ生前の姿で乗車するのでした。
 私がこの駅に雇われたのは、ひょんなことでした。三年前、私は仕事にあぶれ、来る日も来る日もハローワークへ通っておりました。失業保険で受ける給付金の嫌味を係員に言われました。ハローワークへ通うのが嫌になっていたそんなある日、私の郵便受けに一通の黒い封書が届きました。差出人の名はなく、中を開けますと黒便箋に白文字で印字された短い文面が一枚、名簿が一枚、それに駅員証明書、駅員バッチなどが入っておりました。名簿とは、先ほど申しましたあの世名簿だったのです。その名簿は以後、毎日、ポストへ投げ込まれるようになりました。それと別便であの世駅員の制服、制帽、あの世筆、あの世懐中時計などが送られてきました。私は怖くなり、警察へ届けようとも思いました。しかし、よくよく考えますと、被害を受けたという訳でもありませんし、返って警官に怪しまれることも考えられます。それで断念することにしたのです。
 さて、文面にはあの世名簿の説明と駅員の身分、給与、駅の場所等が書かれておりました。仕事を探していた私でしたから、ちょうど渡りに舟のいい話だったのです。しかし昼間、下見に行った駅そのものは荒れ果てた野原で、地図では駅があるはずがない場所でした。深夜となり、私は半信半疑のまま制服制帽に身を窶(やつ)し、あの世名簿とあの世筆を持ち11時半過ぎにその野原へと向かいました。野原へ到着しますと、やはりただの野原です。性質(たち)の悪い悪戯(いたずら)に騙(だま)されたか…と、私は腹立たしくその場を去ろうとしました。そのとき突然、辺りに靄(もや)がたちこめ、幻の駅舎が現れたのです。私は恐る恐るその駅舎へと入っていきました。人は誰もいませんでした。駅舎には驚いたことに線路とホームまでありました。それまでただの野原でしたから、私は怖(こわ)くなっておりました。するとしばらくして、一人、また一人と、どこから現れたのか分かりませんが人が駅舎へと入ってきたのです。その人達は自分の名前を陰気に私に告げました。私は、書かれていたマニュアルどおり、あの世筆で名簿にチェックを入れ、改札口を通しました。やがて午後11時50分になり、列車が闇の彼方から到着しました。ドアがスゥ~っと開き、なにかが降りた気配がしました。そのあと、ホームの人々は列車へ乗り込みました。そして、最後の人が乗り込みますと、私はあの世懐中時計を見て時間を確認し、笛を吹いたのです。ドアが静かに閉まり無音で列車が動きだしました。そして列車は闇の彼方へと消えていったのでした。
 これが、お話しする私がこうなったすべての経緯(いきさつ)です。今日はこれで終わりです。後ろを振り返りますと、野原に出現したあの世駅はもう消えてありません。消えたのは、私が駅舎から出たすぐあとでした。私はこれから家へ帰り、ひとっ風呂浴びて軽い酒で眠ることにします。不思議なことに、少しも怖くありません。給与ですか? ははは…ごく僅(わず)かですが、生活に困らない程度の¥が?名義で振り込まれております。給与の文句はありませんが、一日、家を空(あ)けられないのが玉にきずかな…とは少し思えます。

               THE END


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短編小説集(14)一日  <再掲>

2024年08月22日 00時00分00秒 | #小説

 夜通(よどお)しは、きついな・・という気分で木本努(きもとつとむ)は欠伸(あくび)をした。誰もいない暗闇の編集部にスタンドの灯りだけが白っぽく眩(まばゆ)い。腕を見れば、すでに二時半ばは回っている。車通勤だから終電が過ぎた心配はなかったが、家まで20分少々を戻って眠ったとしても、七時に起きたとして四時間・・いや、正確にはすぐに寝つけないだろうから、正味は二、三時間も眠れれば、いい方だ…と木本の脳裡はグツグツと巡った。それで、そのまま社へ残ることにして、そのまま机にうつ伏せの姿勢で眠ることにした。幸い、季節はまだ夏の暑気が残る頃で、寒さは感じない。結果、六時過ぎまでウトウトと微睡(まどろ)み、小鳥の囀(さえず)りに薄目を開けると、早暁の明るさが課内を覆い始めていた。昨日も、まったく同じだったから、この椅子に一日、座っていることになる…と、ぼんやりと木本は思った。動いたと考えれば、トイレだけだった。朝は後輩の下田学(しもだまなぶ)が菓子パンと牛乳などを買ってきてくれるはずだった。毎度のことだから、金は先払いにし、釣りはいいという手間賃がわりの条件で話ができていた。昼と夜は前の食堂が出前してくれるから、電話を入れるだけで事、足りた。夜七時まで店は暖簾(のれん)を下ろさなかったから、木本としては助かった。
 明日までに纏(まと)めろ! と編集長に釘を刺された原稿は、どうにかこうにか形になっていた。OKかボツかは別にして、とりあえずは怒られないだろう・・とは思えた。木本はデスクから据え置いた洗面用具の入ったバッグを手にすると席を立った。そして、トイレの化粧室へと向かった。中へ入った木本は、いつものように歯を磨き、顔を洗った。そのとき木本は異変に気づいた。歯を磨いている自分の姿がなかった。完全に消え去って、まったく人の気配がないトイレの内部が鏡に映っていた。しかし、木本は歯を磨いている感覚は確かにあった。自分の姿もはっきり見えていた。ただ、鏡に自分の姿はなかった。そんな馬鹿なことはない…俺、疲れてるな、と木本は目を指で擦(こす)りながら思った。まあ、些細(ささい)なことだ・・と、このときの木本はそう気にせず、タオルで顔を拭(ふ)くとデスクへ戻った。
 朝、編集部のドアが開き、後輩部員の下田と本郷和也(ほんごうかずや)が入ってきた。
「あれっ? キモさん、いねえぞ? お前、知らねえか?」
「知る訳ねえだろ! 俺、今、来たとこだぜ」
 本郷が不機嫌な声で返した。 
「それも、そうだな…」
 下田は買ってきた袋を木本の席へ置き、辺りを見回して呟(つぶや)いた。木本はすぐ左の隣席に座っていた。
『おいっ! シカトかっ!? 俺は、ここにいる!』
 木本としては面白くない。冗談半分の完全無視としか考えられなかった。
 確かに、木本は木本のデスクに存在していた。だがその姿は、木本にしか見えなかった。他の部員達の目には空席の木本のデスクが映っていた。
「ははは…、パタン、キュ~~じゃねえか? キモさん、ここんとこ徹夜だろ?」
 本郷が対面の下田に言った。
「ああ、そうか…。そのうち電話が、かかってくるか。今日、明日、休みます・・ってか? 編集長がまた、怒鳴るぞ、はっはっはっ…」
 笑いながら下田はデスクスタンドの灯りをONした。パッ! と机が明るく映えた。
「待てよ! 怪(おかし)かねえか…」
 下田は木本のデスクスタンドが灯っていることに気づいた。
「なにがよ?」
 俄かに険しい表情になった下田は、木本のデスクスタンドを指さした。本郷も分かったのか、顔を険しくした。
『お前らっ! 馬鹿言ってんじゃねえ! 俺は、ここにいるっ!』
 木本は必死に訴えるような大声をあげた。だが、二人の反応は何もなかった。
「まあ、編集長が来てからだっ!」
 本郷は空(から)元気な声を出した。
「そうだな。電話待ちってことで…」
 二人は、互いの仕事をやりだした。そのとき、ふと、木本は浮かんだ。そうだ! 電話だ! と…。目の前の電話を手にした。そして、編集部の番号を押した。すぐ、本郷の席の電話が鳴った。
「おっ! キモさんか…」
 本郷は受話器を手に取った。
『おい、本郷か。俺は、ここにいるぞ!』
 木本のは必死に訴えた。
「ここって、どういう意味です?」
『ここは、ここだ! 編集部だっ!』
「ははは…ご冗談を。今、下田に…。おい! 下田」
 本郷は下田に振った。
「かわりました。キモさん、下田です。どうされました?」
『どうもしてねえよ! 俺は、お前の横にいる!』
「えっ!? 誰もいませんが…」
『いる! 俺は!』
「… …」
 声を失った下田の顔は恐ろしさで次第に青白くなっていった。
「どうした、下田!」
 対面席の本郷は、受話器を握りしめたまま震えて立ち尽くす下田へ声を投げた。下田は震える指で木本のデスクを指さした。
「ああ、キモさんだろ? そのうち電話が入るさ」
 能天気な本郷の声に、下田は受話器を指で示した。
「えっ? なんだ、電話はキモさんからか?」
 下田は黙って頷(うなず)いた。
「どうしたんだよ…。俺が変わる!」
 本郷は自席の受話器を手にした。下田は内線の切り替えボタンを押した。
『本郷か! 俺だ』
「ああ、キモさん。おはようございます。どうかされました? 今、どこです?」
『馬鹿野郎! 俺は、ここにいる!』
「えっ?! どこです?」
『お前の斜め前の席だ!』
「… …」
 本郷の顔の表情が一瞬で変化した。本郷の視線の先にはデスクライトに照らされた誰もいない木本のデスクがあった。もちろん、内線の受話器も置かれたままだった。座ることを忘れた下田は唖然(あぜん)としたまま、まだ立っていたが、ふと、下田の椅子の上を見た。どこから入ったのか、一匹の蝉が、木本の椅子の上にいた。その蝉は少しずつ椅子の上を時計回りに円弧を描いて動いていた。下田は恐る恐る、木本の椅子へ近づいた。すると、やはり一匹の蝉が椅子の上を時計回りに円弧を描いているではないか。まさか! とは思えたが、下田はそっと声をかけた。
「あの…キモさんですか?」
 すると、蝉はそれに答えるかのようにミーンミンミンミンミーと小さく鳴いた。その響きは下田の知っている普通の蝉より明らかに低く小さかった。下田はすでに怖(おそ)ろしくなっていた。対面席の本郷は受話器を手にしたままその様子を眺(なが)めていた。
「キモさんの席に…蝉がいます」
『蝉じゃねえ! 俺だ!』
 少し怒れた木本の声は声高(こわだか)になっていた。そのとき、編集室のドアが開き、編集長の垣沼荘一(かきぬまそういち)が入ってきた。その瞬間、下田の前の蝉はスゥ~っと跡形もなく消え失(う)せた。
「おい! どうした! 挨拶がないなっ」
「おはようッス!」「おはようッス!」
 垣沼の声に促され、下田と本郷は放心のまま浮ついた声を出した。
「ははは…なんかおかしいな、今朝は! まあ、いいが…」
 垣沼は深く追求せず、二人も奇妙な出来事のことは黙秘した。
「おっ? 木本がいないな! まだ来てないのか?」
「ああ、木本さんなら、体調が悪いとかで今日は来れないと連絡がありました」
「そうか…。俺にドヤされるのを恐れて、ズルじゃねえだろうな、ははは…」
 木本にはその声が聞こえている。ある意味で垣沼の言うことは図星だったから、木本は見えないことでホッとした。だがその実(じつ)、この先が不安だった。
「よし、下田! 木本の原稿、お前が書け! あいつを待ってりゃ、一年かかる!」
 決断したように編集長の垣沼の声が飛んだ。木本はクソッ! と思った。徹夜の挙句、やっとの思いで完成した手渡すはずの原稿は、木本の机の上に置かれていた。
「はい!」
 下田は恐る恐る木本の机を見ながら小さく返事した。
「なんだ! おいっ! あいつ、点けっぱなしで帰ったのか。消しとけ!」
 不機嫌っぽく垣沼が誰に言うともなく言った。下田は黙ってデスクスタンドをOFFった。それと同時に木本の意識も絶えた。
 次の朝が巡ったとき、木本は車の中で眠っていた。コンコン! とドアガラスを叩かれ、目覚めた。社の駐車場だった。目を擦(こす)ると、ガラス越しに下田の姿があった。
「おはようございます、キモさん!」
 デスクに顔を伏せ眠ったつもりだった。いや、それは夢だったのか…。現実の木本は、やはり家へ戻ろうと車へ乗り込んだ。そこで眠気に負け、意識が遠退いたのだ。そして、夢を見た…と木本はぼんやりと思った。
「早く入らないと、編集長にどやされますよ!」
「あっ! ああ…。今日は何日だ?」
「18日ですが、それが?」
「いや、なんでもない」
 18日に徹夜したから、今日は19日のはずだった。一日が消えていた。木本は急いで車を出ると、下田とともに駐車場を抜けエレベーターに乗った。編集部の中に人の気配はなく、まだ、本郷は来ていなかった。不思議なことに、木本のデスクスタンドは点きっぱなしで、置いたはずの原稿はなかった。そして一匹の蝉がデスク椅子の上で時計回りに、のっそりと円弧を描いていた。

                 THE END


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